インターミッション 凶星
【シーン①:執政官室】
城塞都市アイゼンヴァルト中枢、執政官室。
外界の気配を断ち切る厚い扉の内側に、三人分の気配だけがあった。
卓上には、開かれた親書が置かれている。
それを持ち込んだのは、この場で唯一の外来者――グスタフ・ブラントだった。
王都の冒険者ギルドに籍を置く男。
各地を渡り歩く生業柄、ひとり息子を連れて長期滞在することも珍しくない。
だが、その立ち居振る舞いは、ただの冒険者とは異なる。
書簡の扱いも、この場での物言いも、政の空気を知っている者のそれだった。
「――辺境公からの依頼書は以上です」
執政官フリードリヒ・ベルナーが静かに読み上げる。
読み終わってからも、眼鏡の奥の目が書面から離れない。
「"アイゼンヴァルト上空に凶星が居付く"。
星読みの観測は三系統で一致、位置は固定」
「動かない星、か」
カール・ライナーが低く呟く。
城塞都市の守備責任者。
無骨な体躯に刻まれた傷跡が、その立場を言葉より雄弁に語っている。
家では見せない、指揮官の顔だった。
「三系統で一致なら無視はできん」
グスタフが続ける。
「問題は場所だ」
カールが口を開く。
短い一言で、空気が締まる。
「影響はこの都市の上に固定されている。脅威となるなら――」
「大森林だな」
グスタフが即座に引き取る。
フリードリヒが資料を指で押さえる。
「外縁の巡回報告は平常です。
魔物の発生密度、群れの規模、いずれも変化はありません」
「なら深部だ」
「踏破記録はなかったよな」
カールとグスタフの顔が、フリードリヒを向く。
「ありません。
外縁以降は地形が安定せず、継続的な記録は残っていない。
帰還例も限定的です」
「つまり、"中で何が起きても分からない"」
「――起きているかどうかも、な」
誰も否定しない。
フリードリヒがつぶやくように発言する。
「結界があります。
本都市の防衛は盤石です。過去に破られた例は――」
「危機管理に前例を持ち出すな」
カールが遮る。
フリードリヒが息をつくのを待って、カールが続ける。
「"破られていない"ことと、"破られない"ことは別だ」
フリードリヒは下を向き、メガネを小さく押し上げた。
反論の言葉を探しているようだったが、出てこなかった。
「今回の依頼は討伐じゃない」
グスタフが挟む。
「調査だ。"何が起きているか"の特定を最優先にする」
「王国軍は動かさないのか?」
カールが問う。
「まだ時期ではない、というのが辺境公の見込みだ」
カールはグスタフを伺うような目で見た。
「……潜る気か」
「そうだ」
即答だった。
フリードリヒが顔を上げる。
「でしたら、情報面はこちらで対応します。王都との繋ぎも含めて」
カールが頷く。
「頼む。
守備隊は、外縁の巡回を増やす。
異常が出た瞬間に叩ける配置にする」
「あまり過剰にするのはどうかと」
フリードリヒが釘を刺す。
「市民の動揺へ配慮が必要です。
現段階では情報は秘匿です。
それに、現時点では"何も起きていない"のも事実です」
「だからこそだ」
カールの声が落ちる。
「"起きてからでは遅い"」
フリードリヒが言葉を飲み込む。
否定はできない。
だが、どこか腑に落ちていない顔だった。
「……情報は私が管理します。
極秘扱い、通達は最小限に」
「長期になる」
「……承知しています」
声がわずかに沈む。
覚悟というより、諦めに近い響きだった。
それ以上は言わない。
それで足りた。
やがて三人は立ち上がる。
情報を担うフリードリヒ。
守備を固めるカール。
そして、見えない場所へ踏み込むグスタフ。
――何が起きているのかは、まだ分からない。
ただ一つ。
それが"何もない"という可能性だけは、すでに消えていた。
【シーン②:大森林】
彼は思考していた。
あの忌々しい結界を抜ける方法を。
本能を揺さぶる何かが、あの結界の向こうにある。
強欲の二つ名で呼ばれる自身を、焦燥が焼く。
偵察が戻った。
ひどく慌てた様子で報告に来る。
彼の目が大きく開く。
信じる神はない。
故に、彼は自らの強運に歓喜した。
咆哮を上げる。
一族郎党すべてに伝わる、轟叫。
出陣が決まった。
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