第98話 神の器
【シーン①:冒険者ギルド】
冒険者ギルドは騒がしかった。
酒場側ではなく、依頼掲示板の周辺だ。
妙なざわめきが広がっている。
レオンは足を止めず、横目だけで掲示板を眺めた。
貼られている依頼は異様だった。
墓荒らし。
夜道へ現れる影。
死体の消失。
幽体目撃。
鐘の音だけが響く廃村。
どれも、死にまつわるものばかりだ。
「死人の相手なんざ、気味が悪い」
泣き言のような声が飛ぶ。
レオンはそのざわめきを背中に、受付へ向かう。
受付嬢が気付いた。
「あ、レオンさん」
「どこか長期不在されますか」
「ああ」
ダイヤランク以上の冒険者は、長期離脱時に届け出義務がある。
ギルドとしては、常に戦力を把握する必要があるとのことだ。
受付嬢は書類を渡しながら、小さく眉を下げた。
「街道はだいぶ雪深いらしいですよ」
「急ぎだからな」
短く返しながら、レオンは背後のざわめきを確認した。
不安。
困惑。
理解不能への苛立ち。
すでに混乱は広がっている。
「それで、どちらまで」
「城塞都市アイゼンヴァルトだ」
【シーン②:神殿】
神殿の奥は静寂が満ちていた。
冷えた空気。
薄暗い石壁。
魔導灯の淡い光だけが揺れている。
その中央で、ヴェリスは変わらず佇んでいた。
藍髪を通る光が漏れ零れる。
レオンはヴェリスの状態を確認する。
期待した修復は進んでいる。
良好と言える。
レオンは正面へ立った。
「これから、新しい定義を作る」
ヴェリスは静かに聞いている。
「そのために、お前を使う」
沈黙。
ヴェリスはすぐに微笑んだ。
「了解、マスター」
いつも通りの声音。
作られた反応。
設計された笑顔。
それでも。
レオンは知っている。
そこに、確かに意思があることを。
ヴェリスはゆっくりと目を閉じた。
「準備を開始します」
魔力光が、足元から淡く広がっていく。
【シーン③:設計】
神殿奥の至る所で、大量の魔法装置が明滅を繰り返していた。
青白い文字列。
精密、緻密に刻まれた詠唱文字。
狭い空間に、ぎっしりと詰め込まれている。
その傍らで、モルティスが感心したように眺めまわす。
「それで、わしは何をすればよいのじゃ」
レオンは魔法装置から目を離さずに答えた。
「まずは、神の設計から入る」
指先が石板状の魔法装置をなぞる。
盤面に文字が浮かび上がる。
「以前の“神”は、”生”しか見ていなかった」
指を動かすと、新たな図式が現れる。
「”生”を細分化する。
細分化対象のピックアップが必要だ」
モルティスの目が細くなる。
レオンはモルティスに向き直った。
「じいさんには、死の側から見た破綻ケースの洗い出しを頼みたい」
「ふむ」
「死によって発生する事象。
幽界側での存在状態。
その辺りを形にして欲しい」
モルティスが肩を竦める。
「難しいことを言いよる」
「簡単なことなら、賢者には頼まない」
一瞬。
モルティスが笑った。
「言いよる」
その顔には、奇妙な高揚が浮かんでいた。
死を司る賢者。
だが今は、世界構築へ嬉々として参加している。
モルティスは床へ座り込み、置かれていた石板の一つを手に取る。
慣れた手つきで操作を始めた。
幽体。
残留思念。
魂魄分離。
死後遅延。
位相残滓。
見たこともない概念群が、次々と浮かび上がる。
レオンはそれを横目に、頭の内側へ語り掛けた。
「現行が生のみを定義していたと仮定して、定義不足と考えられるパターンを列挙してくれ」
≪膨大な数になります≫
「わかっている」
レオンは即答した。
「総量を出し、少しずつグルーピングする。
はみ出たものは例外化させる。
まずは列挙だ」
≪了解しました≫
暫く。
思考の端に、夥しい数の文字列が展開された。
未定義。
競合。
重複。
判定不能。
境界曖昧。
レオンは眉一つ動かさない。
石板に書き写す。
ただ、処理していく。
分類。
分岐。
統合。
例外化。
終わりの見えない設計作業だった。
【シーン④:神の器】
作業は数日続いた。
世界の混乱は広がっている。
それは、ラインバッハのギルドの様子だけでも分かる。
同じことは、いくつもの街で起きているはずだ。
村でも。
遺跡でも。
人のいない場所でさえ。
一刻も早い再定義が必要だった。
しかし。
そのために必要な作業量は、あまりにも膨大だった。
レオンはふと、既視感を覚える。
この空気。
切迫。
疲労。
終わらない作業。
記憶の深く深く奥。
思い出せないほど遠い場所に、似た感覚がある。
レオンは首を振る。
――思い出す必要はない。
レオンは意識を切り替えた。
今は、目の前だ。
モルティスが低く唸る。
「定義外の受け皿は、このくらいでよかろう」
「そうそう直すことはできないから、慎重にチェックしてくれ」
「人使いの荒い男だ」
口を尖らせながらも、モルティスは楽しそうだった。
詠唱を入力した石板がいくつも並ぶ。
その中央。
ヴェリスは静かに目を閉じていた。
石板の情報を読み込んでいる。
読み込んだ詠唱は、魔力核へ取り込まれる。
幾重にも圧縮された超大型詠唱。
常人なら、認識した瞬間に脳が焼き切れる。
何層にも折り畳まれた膨大な詠唱を処理できるのは、ヴェリスしかいない。
淡い光が、ヴェリスの身体を包む。
レオンはそれを見守る。
――もう少し。
ゴールは見えている。
あと少しで届く。
うっすらと光るヴェリス。
レオンは、その場を動かなかった。
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