第94話 誤差
【シーン①:ラインバッハ】
ラインバッハへ戻った。
雪は止んでいた。
それでも、空は重い灰色に覆われている。
商都の大通りは、人で溢れていた。
荷馬車。
商人。
怒鳴り声。
冬前とは違うが、それでも活気はある。
ただ。
どこか、空気が落ち着かない。
レオンは通りを歩きながら、周囲を観察していた。
「……増えてるな」
小さく呟く。
「何が?」
ヘレナが聞き返す。
「違和感だ」
短い返答。
広場では、露店商が客と揉めていた。
品質の差がひどいとか。
あっという間に腐ったとか。
似たような話が方々から聞こえる。
鐘楼。
鐘の揺れと音が、わずかに噛み合っていない。
ヘレナが眉を寄せた。
「……なんか、変よね」
ガウィンが肩を竦める。
「寒くて、ピリついてんだろ」
言いながら、ガウィン自身も落ち着かない様子だった。
違和感は、誰でも感じ取れる程度まで広がっていた。
【シーン②:噂】
冒険者ギルドは混雑していた。
暖炉の熱気に酒気が混じる。
ざわめきが絶えない。
三人は空いた席へ腰を下ろした。
「とりあえず報告終わり、と」
ヘレナが息を吐く。
コルデリアでの一件は、すでに王都へ共有済みだった。
ジュードが先行していたため、ギルドでの処理は早い。
レオンは黙ったまま、酒場の声へ耳を向けていた。
「だから見たんだって!」
不意に、大声が響く。
酔った男だった。
赤ら顔。
片目に黒い眼帯。
髭は乱れ、酒瓶を片手に叫んでいる。
「死んだはずなんだ!
首が折れてた!」
周囲が笑う。
「また始まったぞ、片目のゲッツェ」
「飲みすぎだ馬鹿」
「違ぇんだよ!」
男が机を叩く。
「死体置き場で喋ったんだ!
助けてくれって!」
空気が少しだけ冷えた。
誰かが鼻で笑う。
「死体が喋るかよ」
「本当だ!
目ぇ開けて――」
話を遮って、ゲッツェの後ろにいた男が立ち上がった。
「うるせぇんだよ!」
拳が飛ぶ。
ゲッツェの顔へ直撃した。
椅子ごと倒れる。
酒瓶が割れた。
「……あーあ」
ガウィンが呟く。
周囲が慌てて止めに入る。
殴られたゲッツェが、仰向けに倒れたまま動かない。
鼻が曲がっている。
口の端も切れていた。
ヘレナが立ち上がる。
「ちょっと、動かないで」
「へ、平気だ……」
「平気じゃない」
呆れたように言いながら、ヘレナは手をかざした。
【シーン③:回復】
「レジェネア」
淡い光。
回復魔法が、ゲッツェを包み込む。
腫れが引く。
裂けた皮膚が閉じる。
そこまでは、通常どおりだった。
だが。
ヘレナの表情が止まった。
「……え?」
光が消えない。
本来なら、傷の修復完了と同時に、収束するはずだった。
しかし、魔力が流れ続けている。
ゲッツェが目を見開いた。
「な、なんだ?」
ずれた眼帯の下。
潰れていたはずの片目が、再生し始めていた。
肉が盛り上がる。
血管が走る。
ゆっくりと形を取り戻していく。
ギルド内が静まり返った。
ヘレナの顔色が変わる。
「……回復が、止まらない?」
慌てて魔力供給を切る。
光が消える。
再生も止まった。
にもかかわらず。
ゲッツェの左目は、半分ほど戻っていた。
本人が震えながら眼帯へ触れる。
「み、見える……」
誰も喋らない。
レオンだけが、黙って観察していた。
魔力反応。
回復速度。
停止条件。
噛み合っていない。
ヘレナが小さく言う。
「こんなの……初めて……」
レオンは答えなかった。
嫌な予感だけが残る。
【シーン④:境界】
ギルドを出る。
外は薄暗かった。
雪が降り始めている。
ガウィンが低く呟いた。
「……気味悪ぃな」
珍しく、本気の声だった。
「あのオッサンの話も」
ガウィンが続ける。
「死体が喋るなんてな。
文字通り、死に切れねぇ、ってことなんかね」
レオンは歩きながら考える。
レジェネア――回復魔法。
本来は、生体の回復能力を活性化する魔法。
だからこそ。
新しい傷は治る。
古い傷には効果がない。
回復処理そのものが終了しているからだ。
しかし、今日の現象は違った。
新旧を越えて、回復が継続した。
――曖昧になっている。
生体の活性判定そのものが。
思考が止まる。
脳裏に、あの文字列が浮かんだ。
rm -rf /root/core/variable/GOD
レオンの足が、一瞬止まる。
AIへ、問いかける。
――現在発生している異常と、GOD削除との関連性は。
短い沈黙。
≪解析条件が不足しています≫
雪が降る。
人々が行き交う。
いつも通りの街並み。
なのに。
世界は変わり始めていた。
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