第93話 ずれ
【シーン①:廃村】
コルデリアでの騒動から、三日が経っていた。
雪道。
馬車の車輪が、凍った地面を軋ませる。
「また降ってやがるぜ」
御者台から外を見ながら、ガウィンがぼやいた。
空は灰色だった。
細かな雪が、風に流されている。
冬の夕闇が近い。
レオンは地図を閉じた。
「今日はここまでだな」
前方。
雪に埋もれかけた建物群が見えていた。
廃村だった。
通常の行程なら立ち寄らない場所だ。
ただ、この風雪では進み続けられない。
馬車を止める。
積もった雪を踏みながら、三人は空き家を探した。
「ここなら風は凌げそうね」
ヘレナが扉を押し開ける。
軋んだ音。
冷え切った空気が流れ出た。
室内には埃が積もっている。
崩れてはいない。
ガウィンが暖炉を確認した。
「使えそうだ」
薪を放り込み、火をつける。
ぱちり。
火が爆ぜた。
薄暗い室内へ、橙色の光が広がっていく。
火を囲むように、三人は腰を下ろした。
ジュードはいない。
コルデリアで別れ、ひとり王都へ向かっていた。
外では雪が降っている。
風は弱い。
時折、火の爆ぜる音だけが部屋に響いている。
【シーン②:影】
不意に、ガウィンが立ち上がった。
剣を掴む。
「……なにかいるな」
低い声。
ヘレナも表情を変える。
レオンは顔を上げた。
ガウィンが窓へ近づく。
閉じられた窓を、わずかに開いた。
冷気が入り込む。
外は暗い。
雪明かりだけが、荒れた道を白く照らしていた。
数軒先。
崩れかけた家屋の影で、何かが動く。
一瞬だけ隠れ。
音もなく現れた。
影だった。
輪郭が曖昧なまま、ゆらゆらと揺れている。
風に流される煙にも見える。
ただ、形だけは、人間に見えた。
それが、ゆっくりと近づいてくる。
雪を踏む音はない。
実体を感じさせない。
ガウィンが剣を構える。
「……気味悪ぃな」
ヘレナもナイフを抜いていた。
「魔物……なの?」
レオンは答えない。
観察していた。
影は揺らぎながら進んでくる。
存在そのものが、不安定だった。
【シーン③:誤差】
レオンが詠唱する。
「ライト」
淡い光が、空間へ生まれた。
違和感。
発動が遅れた。
ほんのわずか。
しかし、感覚と一致しない。
詠唱。
魔力制御。
発動。
本来、繋がっているはずの流れに、微妙な空白がある。
レオンの目が細くなる。
原因を考えるより先に、事態が変化した。
光に照らされた途端。
影が、崩れた。
輪郭が溶ける。
霧のように散開し、そのまま消滅した。
静寂。
光だけが残る。
ガウィンが眉をひそめた。
「……なんだありゃ」
ヘレナも警戒を解かない。
「実体のない魔物なんて、いるの?」
レオンは答えなかった。
思考の端で、AIへ問いかける。
――あれはなんだ。
≪不明です。情報が不足しています≫
即答。
もう一つ。
――詠唱と発動にタイムラグがあった。原因は。
≪不明です≫
そして。
≪誤差範囲を超過しています≫
レオンは黙る。
火が、小さく爆ぜた。
【シーン④:月】
それからしばらく経ったが、影は現れなかった。
三人とも、折に触れては、窓の外を見ていた。
あのとき、三人とも同じものを見た。
それは間違いなかった。
夢ではない。
幻覚でもない。
得体の知れない何かが、そこにいた。
レオンは立ち上がる。
窓際へ寄った。
雲が薄れていた。
夜空。
月が出ている。
少し欠けた月。
だが。
ずれていた。
二つの輪郭が、完全に重なっていない。
片方が、わずかに遅れているようにも見える。
数日前より、明らかにずれが大きい。
風が吹く。
雪が流れる。
その流れさえ、どこか噛み合っていないように見えた。
背後で、火が揺れる。
ぱちり。
遅れて音が鳴った。
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