買取倉庫
1
「高橋さん、このゲーム機、コード類が足りないんですけど」
「あ、それは『ジャンク扱い』の箱に入れておいて。後でまとめて出品するから」
段ボールの隙間から立ち上る埃が、蛍光灯の光を乱反射している。派遣スタッフや、単発のタイミーたちからの質問をさばきながら、私は目の前の段ボールを開梱していく。
我が社の買取範囲は節操がないほど広い。ルイ・ヴィトンのバッグから、ゴルフクラブ、家電、使いかけのコスメ、誰かの推し活グッズまで、とにかく何でも買い取る。仕事の量によっては残業が続くこともあるし、労務管理もへったくれもない。自由とカオスが入り混じったこの埃っぽい倉庫が、私の職場だ。
倉庫の一角には、半ば私有地と化した通称「高橋コーナー」がある。
『ちいかわ』『ポケモン』『鬼滅』『サンリオ』『呪術』『ヒロアカ』『ブルーロック』といったキャラクターごとに仕分けられた箱がうず高く積み上がり、特に私の趣味である『プロセカ』系のグッズは、傷一つ付かないよう厳重に庇護されている。
「高橋さん、また私情挟んでますね」
そう呆れたように笑うのは、撮影スペースで手際よくカメラを構える男性スタッフの九条さんだ。彼はフィギュア好きで、私たちが仕分けた商品をフリマアプリやAmazonに出品するための撮影を一手に引き受けている。
「私情じゃないわよ。愛よ。それに、こうやってジャンルごとにセット売りにした方が絶対に単価が上がるんだから」
「まあ、確かに。じゃあこれ、【まとめ売り・レア含む】ってタグ付けて出品しときますね。検索引っかかりやすいんで」
九条さんの淀みない作業を見届けていると、ふと視界の端に、小柄な人影が近づいてくるのが見えた。
市原知影さん。私より年下で、中途入社の私にとっては先輩にあたる社員だ。
「……これ」
市原さんは無表情のまま、私のデスクの端に、ぽすっと何かを置いた。見ると、少し薄汚れたちいかわのハチワレのぬいぐるみだった。最近、彼女は高橋コーナー行きになりそうなキャラクターもののぬいぐるみを、こうして無言で渡してくることが多い。特にちいかわが目立つ。
「あ、市原さん。ありがとう……」
私がお礼を言い終わる前に、彼女はくるりと背を向け、自分の作業スペースへと戻っていく。いつものことだ。
埃っぽい倉庫作業とはいえ、市原さんは顔立ちは整っていて可愛らしいのに、それを隠すようにいつも色味の少ない地味な装いをしている。ダウナー系というか、必要以上のコミュニケーションを一切取らない人だ。しかし仕事は恐ろしく速く、特にブランド品やコスメ、アパレル関係の査定に関しては彼女の右に出る者はいない。
一方、サブカルやホビー系に強い私は、高橋コーナーを駆使してそれなりの売上に貢献している。得意分野が全く違うからこそ、業務上で直接ぶつかることはないはずなのだが。
(なぜか、ぬいぐるみだけは無言で押し付けてくるんだよな……)
私はデスクの上のハチワレと目を合わせながら、小さく息を吐いた。
露骨に嫌われているわけではないと思う。彼女の査定の丁寧さを見れば、根は真面目なのだとわかる。それでも、氷のように感情の読めない彼女にどう接していいか分からず、私はいつも複雑な気持ちを持て余していた。
2
「高橋さん、今日のお昼どうする? また『さと』で仙人の修行?」
「うーん、今日はいいかな」
「じゃあ、みんなでマック行かない?」
職場の女性スタッフに誘われ、私は頷いた。私たちの職場は国道1号線沿いにあるが、郊外のため徒歩圏内の飲食店は限られている。社食もないため、私はコンビニ、サイゼリヤ、和食さとをローテーションしていた。さとは少し値が張るが、公式アプリのスタンプカードには来店回数に応じたランク制度がある。その最高ランクである「さと仙人」に到達するほど通い詰めたせいで、職場でもすっかり「さと仙人」呼ばわりされている。
数人でマクドナルドの店内に入ると、「あ、市原さんだ」と同僚が小さく言った。
市原さんはお昼をいつも一人で、大抵マクドナルドで済ませている。アパレルやコスメの査定で見せるあの繊細なこだわりはどこへやら、自分の食生活には驚くほど無頓着なのだ。その日もやはり、窓際の席に座って黙々とハンバーガーを口に運んでいた。
私たちは自然と話しかけ、彼女のテーブルに合流することにした。
プラスチックのトレイが並ぶ、賑やかな店内。ジャンクなポテトの匂いと、窓から差し込む明るい日差しが、先ほどまでの埃っぽい倉庫とは別世界のようだ。
市原さんは、ハンバーガーのセットを黙々と口に運んでいる。華奢な体つきと地味な装いには、少し不釣り合いな光景に思えた。
「市原さん、まさかだけど、毎日マックなの? そんなの身体にも悪いし、太りますよ?」
私は、仙人らしからぬ俗っぽいちょっかいを出してみた。すると彼女は、ポテトをつまむ手を止めずに、視線だけをこちらに向けた。
「別にいいです」
相変わらず、取り付く島もない。
そのやり取りを見ていた中年の女性スタッフが、面白がるように身を乗り出してきた。
「ちょっと市原さん、若いんだし、お洒落とかもっと気を使わなきゃ。あんなに服やコスメに詳しいのに、もったいないわよ。彼氏とか欲しくないの?」
「要りません」
「またまたぁ。それに、なんでいっつも高橋さんに冷たいのよ?」
女性スタッフの遠慮のない追及に、私は「いや、別にそんな……」とフォローを入れようとした。だが、市原さんはストローでドリンクを一口飲み、淡々とした声で言った。
「冷たくありません。私はただ、コミュニケーション能力が高い人が苦手なだけです」
それは、これ以上踏み込んではいけないという、静かだけれど明確なシャッターだった。
テーブルに一瞬、気まずい空気が流れる。「もう、市原さんったら……」と女性スタッフが苦笑いで誤魔化し、話題はすぐに別のテレビ番組の話へと移っていった。
私はポテトをかじりながら、市原さんの横顔を盗み見た。
「コミュ力が高い人が苦手」。それは裏を返せば、私のおおらかな、あるいは図々しい性格をしっかり観察しているということでもある。
彼女の周りには、透明で分厚いガラスの壁がある。その壁の向こう側から、彼女はじっとこちらの世界を警戒しているようだった。
3
マクドナルドでの一件から数週間が過ぎた頃だった。
この職場は、作業の合間に各自の裁量で適当に小休止をとるような放任主義だ。その日、サブカル系小物の入った段ボールの仕分けが一段落し、私はデスクで缶コーヒーを開けて一息ついていた。
ふと隣を見ると、市原さんも作業の手を止め、スマートフォンで写真のアルバムを静かにスクロールしているのが見えた。
偶然、視界に入ったその画面に、私は目を奪われた。
そこに写っていたのは、海を背景にして満面の笑みを浮かべる若い女性だった。市原さんと顔の造りは似ているが、纏っている空気は正反対だ。明るい髪色、上質な素材とわかる洗練されたワンピース。太陽のように屈託のない笑顔。その手元のバッグには、ちいかわのぬいぐるみが付けられていた。
そして、自分で言うのもおこがましいが――そのおおらかな雰囲気や笑った時の目元が、少しだけ私に似ているような気がしたのだ。
画面が暗くなる前に、私はつい、いつもの軽い調子で口を開いてしまった。
「綺麗な人ですね。市原さんのお姉さん?」
市原さんの手がピタリと止まった。
「……ええ」
「やっぱり! どこか旅行に行ったときの写真ですか? バッグのぬいぐるみも可愛くて、お姉さんもそういうの好きなんですね」
私が悪意なく言葉を続けると、彼女はスマホの画面を切り、ゆっくり画面を伏せるように机に置いた。そして、私の方を見ないまま、抑揚のない声で言った。
「……もういないんです。3年前に、海の事故で」
心臓が嫌な音を立てた。
かけようとしていた次の言葉が、喉の奥で完全に凍りつく。
「え……ごめんなさい、私……」
「……業務に戻ります」
市原さんはそれだけ短く言うと、再び手元の査定表に視線を落とした。その横顔は、まるで感情のスイッチを強制的に切ってしまったかのように冷たく、静かだった。
それからの数日間、私たちの間には薄氷を踏むような、ひりつくような距離が生まれた。
彼女の抱える喪失の深さを不用意に覗き込んでしまった私は、どう接していいか分からず、激しい後悔に苛まれていた。市原さんはといえば、表面上は普段通りに振る舞い、相変わらず黙々と完璧な査定をこなしていた。しかし、以前にも増して彼女の周囲の壁は分厚く、頑なになったように見えた。
無言でキャラクターもののぬいぐるみが私のデスクに置かれることも、あれ以来、ぱったりとなくなってしまった。
4
さらに数日が過ぎた頃。夕暮れ時の倉庫には西日が長く差し込み、空気中を舞う埃がセピア色にきらきらと光っていた。
「これ、遺品整理の業者からの持ち込みっすね」
九条さんが、新しく届いた段ボールの山を開梱しながら言った。送り状の備考欄や、箱の空きスペースに無造作に詰め込まれた生活用品の生々しさで、私たちにはそれがどういう類のものかすぐに察しがつく。
「若い女の人だったのかな。綺麗なブランド物の服が多いっすね……あ、でもこっちはアニメグッズだ。高橋さん、これ『高橋コーナー』行きで」
九条さんが取り出したのは、上質な素材のブランド物のワンピースと、そこに添えられていた少し年季の入った『ちいかわ』のハチワレのぬいぐるみだった。
「……あ」
私は思わず小さく息を呑んだ。
数日前に見てしまった、市原さんのスマホの写真。海を背景に笑っていたお姉さんの服装と、バッグに付いていたぬいぐるみの雰囲気に、目の前の遺品がひどく似ていたのだ。
もちろんお姉さん本人のものではないに決まっているが、お洒落なブランド服とサブカルグッズというアンバランスな組み合わせが、あの写真を痛いほどありありと呼び起こさせる。
慌てて市原さんの方を見ると、彼女の査定の手は完全に止まっていた。
遺品の服とぬいぐるみ、そしてそれを業務的に仕分けしていく九条さんを見つめたまま、市原さんは声も出せず、血の気を失った顔で立ち尽くしている。浅い呼吸を繰り返し、肩を小刻みに震わせていた。
姉の死という巨大な喪失が、目の前にある「見知らぬ誰かの死の気配」と完全に重なり合い、フラッシュバックを起こしているのは明白だった。
私はとっさに動いた。
「あ、九条さん! それ、私がまとめて査定しておくから置いといて!」
変に裏返った声が出た。私は半ば強引に九条さんから服とぬいぐるみをひったくると、市原さんの細い腕をぐっと引いた。
「市原さん、ちょっと休憩! こっち!」
抵抗する力すらない彼女を、足元の段ボールやガラクタにつまずきそうになりながら引っ張って、他のスタッフの死角になる場所――高く積まれた『ちいかわ』や『鬼滅』の箱の裏側、通称「高橋コーナー」の奥へと押し込んだ。
私は自販機に走り、慌てて温かいミルクティーの缶を買ってくると、「ほら、これでも握ってて」と震える市原さんの手に押し付けた。
「大丈夫、大丈夫だから」
ヒーローみたいに気の利いた言葉なんて一つも出てこない。私はただ不格好に隣にしゃがみ込み、彼女の華奢な背中をぎこちなくさすり続けた。
市原さんは缶を強く握りしめたまま、ポロポロと音を立てずに涙をこぼし始めた。
私情で作ったと呆れられていた段ボールの壁は、今は泣き崩れる彼女を世間の目から隠すための、いささか滑稽で、けれど確かなシェルターになっていた。
5
すっかり日が落ちて、夜の冷たい空気が街を包んでいた。
残業を終えた私たちは、駅へと向かう夜道を二人で並んで歩いていた。他のスタッフたちはとうに帰宅しており、街灯が落とす影だけが足元を静かに付いてくる。
「……私、昔はもっと明るかったんです」
不意に、市原さんがぽつりと言った。その声はいつもの淡々としたものではなく、少しだけ震えを帯びた、人間らしい温度を持っていた。
「服飾の専門学校を出て、アパレル会社で働いていました。お給料のほとんどを服につぎ込んで、当時は彼氏もいて……今とは全然違う、派手な人間だったんです」
「そうだったんだ」
「姉は姉で、けっこう有名な商社で受付をしていました。ほんわかしているように見えて案外抜け目がなくて、誰にでも優しくて。私の自慢の姉でした」
歩幅を合わせながら、私は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
「でも、姉が死んで……しばらく家から出られなくなってしまって。両親にこれ以上心配をかけちゃいけないと思って、リハビリのつもりで、服装も地味にして、この自由でいい加減な会社に入ったんです。私がしっかりしなきゃ、姉の分まで頑張らなきゃって、ずっと気を張ってました」
そこで市原さんは一度立ち止まり、私をまっすぐに見つめた。
「そんな時に、高橋さんが入社してきたんです」
「私……?」
「はい。高橋さん、お姉ちゃんみたいで……すごく苦手だったんです」
市原さんは困ったように、けれど少しだけ泣き笑いのような表情を浮かべた。
「誰にでもおおらかで、声のトーンも似ていて。それなのに、ちいかわとかサブカルが好きなところまで姉にそっくりで。私、どうしていいか分からなくて、勝手に困惑して……高橋さんに、八つ当たりをしてしまっていました」
その言葉を聞いて、ようやく腑に落ちた。
彼女がいつも無言でぬいぐるみを押し付けてきたこと。きっと彼女は、姉の面影が重なるサブカルグッズやぬいぐるみをどうしても直視できず、同じようにそれらを愛する私へとグイッと押し付けていたのだ。孤高に仕事をする彼女なりの、不器用な距離の取り方だったのだろう。
私はふっと肩の力を抜き、笑いかけた。
「無言でぬいぐるみを押し付けるなんて、ずいぶんと可愛い八つ当たりでしたよ」
すると市原さんは、少しだけ頬を膨らませて俯いた。
「……そういう風に笑う顔が、ずるいんです」
その瞬間、出会ってから今まで彼女との間にあった目に見えない壁が、少しだけ溶けてなくなったような気がした。
駅の改札が見えてきた。明日はお互い休みだ。埃っぽい倉庫から離れた夜の街は、どこまでも澄み切っているように感じられた。
改札の前で、市原さんが少しだけ躊躇うように袖口を握り、上目遣いで私を見た。
「あの……高橋さん」
「ん?」
「今度のお昼……私を、さとに連れていってくれませんか?」
控えめだけれど、はっきりとした誘い。私は思わず吹き出しそうになるのを堪え、とびきりのドヤ顔を作って頷いた。
「いいけれど。仙人までの道のりは、すごく長いのよ?」
市原さんは今日初めて、年相応の、とても綺麗な笑顔を見せた。
これから彼女と一緒に積み上げていく長い道のりを予感しながら、私たちはそれぞれの帰路についた。




