44/50
第44回:近江の騒乱
「遅い……軍鶏鍋が遅すぎるぜよ!」
一階で不審な物音がしたというのに風邪気味で空腹の龍馬の頭は、軍鶏のことで一杯だった。刺客たちが階段を駆け上がってくる足音も彼には、ようやく運ばれてきた鍋の音にしか聞こえない。
「中岡さん、来たぜよ! 待ちかねたきに!」
傍らで「……坂本君、様子がおかしいぞ」と真っ青になって動けずにいる中岡を尻目に龍馬が期待に胸を膨らませて襖を開けようとした瞬間、三本の尻尾を逆立てたタマが龍馬の顔面に飛びかかった。
「痛いっ! 何をするがぜよタマ!」
龍馬が顔を押さえてのけぞった刹那、襖を突き破って鋭い刀の切っ先が飛び出してきた。本来なら龍馬の喉元を貫いていたはずの一撃である。
「軍鶏鍋じゃなかったのかえ……?」
呆然とする龍馬の前で踏み込もうとした刺客たちが龍馬が不機嫌に脱ぎ散らかしていた袴の裾に足を引っかけ、階段へ向かって派手に転げ落ちていった。
「……軍鶏どころか、死神が来たんだよ。君の食い意地が間一髪で刀を避けたんだよ」
タマは三本の尻尾をムチのように振り回し、鼻血を流す龍馬と未だに腰を抜かして固まっている中岡を守るように暗闇の刺客たちを睨みつけるのであった。




