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第9話

馬車は王都へ向けて動き始めました。

窓の外に見えていた邸も段々と小さくなり、ついには見えなくなってしまいました。


「本当に王都へ行くのね」


いつかは私も王都へ。

一度くらいは行くことができるかしら。そんなぼんやりとした存在だった王都へこのような形で向かうことになるとは夢にも思っていませんでした。


窓の外を見るのをやめて身体を前に戻すと、イルマが心配そうに私を見ていたことに気がつきました。


「ああイルマ、そんな顔をしなくてもいいのよ。少しの間王都へ行くだけなのですもの。私は今悲しんでいたわけではないのよ」


偽ってはいません。たった一晩ではあったけれど、私には考える時間がありましたから。

初めは驚きや悲しみの気持ちがありました。でもいずれここに帰ってくることができる。ならば楽しむのが1番だと気がついたのです。


そうよ、お父様やお母様も何度も王都へいらっしゃっているじゃない。それと同じなのだと気がついたら、悲しい気持ちなどどこかへ飛んで行ってしまったわ。


「ねえイルマ、せっかくの旅行を楽しみましょう。何か楽しいお話しをしましょうよ」


ようやくイルマの顔から張り詰めたような緊張感が消えました。ええ、そのイルマの笑顔が私はとっても好きよ。


「かしこまりました。お嬢様の仰る通りですね。お嬢様も私も初めての王都旅行ですから、楽しまなくてはもったいないですよね」


「その通りよイルマ」




「それではお嬢様、今から悪女の訓練をなさってはいかがでしょう」


うん?今?今私たちは馬車の中で、ここには私とイルマの2人しかいないわ。それとも馬車での過ごし方が悪女らしくないということかしら。


残念なことに、私にはイルマの言いたいことが理解できませんでした。


「イルマ、私は悪女として馬車に乗っている最中のつもりよ。どこか至らない箇所があるかしら」


悪女のドレスは着替えてしまったけれど、黒髪のカツラやイルマが施してくれたお化粧はそのままです。何が足りないのだろうと懸命に考えましたが、イルマのこたえはまるで予想とは違いました。



「お嬢様、悪女は侍女に対してそのようにお話しにはならないと思うのです」


「え?それはどういうこと?」


悪女は侍女と話をしてはならないの?


「お嬢様は侯爵家のご令嬢で、これから王子殿下の婚約者候補となられるお方でございます。使用人にはもう少し尊大な態度で接するのがよいでしょう」


なんてことを言い出すの?イルマったらとんでもないことを言い始めたわ。


「いいえイルマ、それは絶対にしてはならないことよ。ルナトゥリーナ家の一員として必ず守るべきことのひとつに挙げられているほど重要なことなの」


次はイルマが驚く番だったようです。目をクルクルとさせているわね。もう少し丁寧に説明をする必要があるかしら。


「貴族を貴族たらしめているのは、それを支えるものがいるからよ。考えてみてイルマ。私たちの邸はとても素晴らしいし、お庭もどの季節でも美しく花を咲かせているわ。そしていつだって美味しいお食事ができるのも、全ては使用人が私たちのために働いているからよ。だからルナトゥリーナの人間は、使用人を大切にしなければならないと、幼い頃から言い聞かせられて育つの」



「アンナベッラ様、大変失礼なことを申し上げました。ルナトゥリーナ家にお仕えして4年が過ぎたと言いますのに、浅慮でございました。申し訳ございません」


イルマは膝におでこがつくくらい頭を下げ続けています。


「頭を上げてちょうだいイルマ。馬車の中でそんな格好を続けていたら酔ってしまうわよ」


イルマの両手を握って、少しおどけた声を出してみせると、困ったように笑みを浮かべながらもようやく顔を上げてくれました。


「私思うのよ。きっとイルマのお父様やお母様も同じ考えを持っていらっしゃるはずよ」


これはルナトゥリーナの封臣家だから、というわけではありません。イルマを見ていたらわかることですもの。


「そうでしょうか」


「ええ、きっとそうよ。だってイルマは下働きの女の子たちや、庭師や他の邸の使用人からもとても慕われているでしょう?」


それも当然のことだと思っているわ。イルマはいつだって朗らかで、一生懸命で、そして誰に対しても丁寧ですもの。



「ありがとうございますお嬢様。けれど私を慕ってくれる者がいるとすれば、それはお仕えしている方が素晴らしいからですね」


まあ!イルマったらなんて嬉しいことをさらりと言ってのけるのかしら。


「イルマが堂々と私の侍女だと言えるように、私も努力を重ねるわ。あなたに恥はかかせられないもの」


貴族という身分に生まれたら、一生苦労などせずに楽しく暮らせるのだろうと考える方がいるのも知っています。けれどね、それは間違い。


確かに私たち貴族は、快適な住まいを持ち、いつでも清潔な衣服を身にまとうことができて、明日のパンを案ずる必要もありません。雨風をしのぐのが精一杯な粗末な住まいで、寄り添うように暮らしている民から見れば、贅沢三昧の日々を送る者のように思えるでしょう。


民に知ってほしいとは思わない。

でもね、私たちには私たちなりの苦労もあれば、努力せねばならないこともたくさんあるのです。


「私もルナトゥリーナ家の侍女として胸を張れる行動を心がけたいと思います」


「ええ、今のままで充分イルマは私の自慢の侍女よ」



4.悪女の悪は弱者を虐げることにあらず


騎士が赤子を泣かせたとして、それを褒め称える人はいるかしら。圧倒的な強者である騎士にとって、赤子は守るべき対象でこそあれ、退ける存在ではないでしょう?それと同じことなのよ。



「すっかり話が逸れてしまったわね。それで何の話だったかしら」


「悪女についてお話ししている最中でございましたね。お嬢様はどんな時に悪女として振舞われるご予定なのでございますか?」


うーん、それは難しい質問ね。だって私は今朝からずっと悪女として振舞ってきたつもりよ?なのにイルマには全くそれが伝わっていなかったようだし、力不足なことは私も認めるわ。


「そうね、貴族の前では一目で私が悪女とわかるように振舞いたいわ。でもねイルマ、正直に言うわね。私まだどのように振舞うのが悪女らしい姿なのか掴めていないのよ」


イルマはきっと公平な目で見てくれているでしょうから、イルマから見て私が悪女らしく見えていないのならば、きっと他の誰が見たところで私はまだまだ悪女ではないのだわ。



人差し指を顎に当てて、うーんと考え込んでいるイルマの顔を見ながら、私もあれこれと考えます。


魔女は森の奥深く、石で出来た塔に1人で住んでいるの。

朝は早くに起きて川へ水を汲みに行くことから始まるのよ。ああもちろん彼女は魔女だから、手桶で汲んで運んだりなんかしないわ。魔法であっという間に塔にある水瓶が満たされるのよ。


それから朝露に濡れた草や木の実を集めるの。魔法の薬を作るためよ。それはひとつひとつが大切な道具だから、魔女が丁寧に吟味して摘んでいくの。


そうして塔に戻ると陽が暮れるまでは薬を作る時間よ。様々な薬を作るのよ。'おしゃべりが止まらなくなる薬'なんてものもあったわ。あれは一体どなたがなんの目的で飲むのかしらね。


陽がとっぷりと暮れて、フクロウがほうほうと鳴く時間になると、彼女は箒に乗って空を飛ぶの。長い黒髪を風の思うままになびかせながら。


魔女が薬を分けてあげる人間はたったの1人。彼女は代金の替わりにいつも本を要求するの。彼女は素晴らしい魔法使いだから、どんなものでも魔法で作ってしまうのだけれど、唯一本だけは作れないから。



これは私が大好きだった物語の冒頭の部分。私は彼女の姿を目指したいのだわ。

彼女は魔女で私は悪女だから、全く同じではないけれど。だって私には魔法は使えないし、薬だって作れないですもの。けれど私にはたくさんの本を読む機会があるわ。それはきっと魔女が手にした本の数よりうんと多いはず。




「これだけは言えるわイルマ。私は常に気高い悪女でいようと思うわ」

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