第10話
タウンハウスに着いたのは、陽もとっぷりと暮れた後でした。
邸の入り口には、私たちの到着を待つ使用人がずらりと並んでいました。もちろん私にとっては初めて見る顔ばかり。
「お帰りなさいませ閣下。いつも通りお支度は済ませております。
初めましてアンナベッラお嬢様。この邸の管理を任されておりますジュスト=コルシーニでございます」
中央で出迎えてくれたのは、お父様より少し年上かしら。白髪の混じり始めた髪を清潔に整えた細身の男性です。
「よろしくね、コルシーニ」
「アンナベッラの部屋は整っているか?」
「はい、ご案内致します」
お父様には別の使用人が付き従い、家令のコルシーニが私を部屋まで案内してくれるようです。階段を上った先でお父様とは別の方向へ向かうことになりました。
「疲れただろう。湯につかり身体を休めてから降りてきなさい」
「わかりました、お父様」
すぐにお風呂に入れるのは嬉しいわ。お父様もタウンハウスに来たときは真っ先にそうされているのかしら。何時到着しても使えるよう浴室を整えるのは大変なはずです。先程'いつも通りの準備'と言ったのはこのことかもしれないわね。
「こちらのお部屋をご用意致しました」
コルシーニが扉を開けた向こう側は、既にランプも灯されていました。中に入り見回してみると不思議と落ち着く気がします。それもそのはず、とても似ているのですもの。本邸の私のお部屋にそっくり。飾ってある花さえも私の好みにあった色をしていました。
どなたが用意を任せたのか、なんて聞かなくてもわかりました。ビクトル兄様ね。王都を発つ前に指示なさっていったのでしょう。すっかり私の好みに整っていて、ここでも兄様の心遣いに温かい気持ちになりました。
「とても素敵なお部屋ね」
「侍女がお手伝いに参ります。お寛ぎ下さいませ」
そう言い残して満足そうな表情を浮かべたコルシーニが部屋を出ていくと同時に、数人の侍女が入ってきました。
「お嬢様、早速ではございますが湯あみに致しましょうか」
どうしましょう、少し迷ったのです。でも、ちらとイルマを見るとニコリと笑い返してきたので、信じて任せることにしました。
「ええ、お願いするわ」
邸の侍女たちが浴室へと向かうのを見つつ、イルマが大きな声で言うのです。
「さあお嬢様、まずはカツラを外しましょう。こちらは後で私が手入れさせていただきますね」
イルマに言われるまま椅子に座ると、丁寧にカツラを外して留めつけていたピンをひとつずつ外していきます。ふう、実をいうとちょっと疲れてしまうのよね。1日中きっちりとした帽子を被り続けているようなものなのですもの。
たまりかねた様子で近寄ってきた侍女の1人が、瞳をきらつかせています。
「お嬢様の御髪も閣下と同じお色だったのでございますね。なんと美しい」
「黒髪も大変お似合いでございましたが、この月光のように光り輝く御髪こそ、ルナトゥリーナ家のご令嬢という感じが致します」
あら、みんな私のこの髪を好んでくれるのね。嬉しいわ。でもここは念を押しておかなくては。
「ありがとう、私もこの髪はとても気に入っているから誉めてもらえて嬉しいわ。でもね、王都では黒髪で過ごすと決めたの。そう理解してちょうだいね」
王都に着く直前にお父様が仰いました。
タウンハウスの使用人も全て信用できる者たちばかりだ、と。
「だから邸の中では、自分を作らずに過ごしていいんだよ」
使用人には秘密を守る義務がある。
それは疑いようのない事実ではあるのだけれど、残念ながら貴族のお邸で働く使用人が皆その意識を持っているかと言うと、「いいえ」と答えるしかありません。
幸いにもルナトゥリーナ家の本邸で働く使用人は皆真面目な者たちばかりで、お邸内で見知ったことをペラペラと外部に漏らすような者はいませんでした。それもこれも家令が1人ずつ厳選して雇い入れているおかげ。
そしてこの王都のタウンハウスの使用人も、この邸の家令であるコルシーニがしっかりと見極めた者たちなのでしょう。お父様が全幅の信頼を置くコルシーニが採用した使用人もまた、信頼できる者ということだわ。
使用人の口から「ルナトゥリーナのお嬢様はお邸では悪女なんかではない」なんて広まってはいけないから、本当ならば邸の中でも気を抜くわけにはいかないのだけれど。
それに常日頃から悪女として過ごしていないと、いざと言う時にそれらしく振舞えないのではないかしら、とも思ったわ。けれどそうね、時々は気を緩めることも大切かもしれないわね。
湯船に浸かり、長かった1日を振り返りました。
初めての王都。初めての王宮に初めての謁見。初めて王子殿下にお会いして初めてのお茶会。
よい経験も、2度と味わいたくはない経験もした1日だったわ。
あと何日ここで過ごすことになるのか、今はまだわからないけれど、せっかく王都まで来たのですものね。いろんなところを見て回りたいわ。大聖堂にも行ってみたいし、演劇も見に行きたいわ。王都の劇場は素晴らしいって有名ですもの。
それからお土産も探しに行かなくては。お母様と、ナディア様。ウィルフレド兄様の分も必要ね。それから赤ちゃんには何がいいかしら。マダムエランへのお土産も忘れてはいけないわ。
そんなことを考えているうちに、先程の腹立たしかった出来事すら忘れかけていました。
案外今頃、第一王子殿下が陛下にお伝えになっているかもしれないわね。私と婚約するつもりはないと。
そうなれば明日にでも帰っていいのでしょうけれど、せっかく2週間もかけて王都まで来たのですもの。お父様だってお仕事が山積みでしょうし、しばらくは滞在することになるわよね。それはそれで楽しみましょう。
王都を案内して下さるお友達がいないことは少しだけ残念だわ。でも侍女たちにお願いしたらいいわよね。ビクトル兄様が休暇の日には、朝から目いっぱい連れまわしてあげるのだから。
明日からの生活に小さな期待をしつつ、身支度を整えた私はサロンへ向かいました。
サロンでは先に来ていたお父様が、家令と話をしている最中でした。
「来たか。やはりその姿が似合うな」
洗いたての髪を下ろして、白い室内用のドレスを着た私を見ると、目を細めていらっしゃいます。
お父様も湯あみをなさったようだわ。普段は後ろへ撫でつけている前髪をサラサラと降ろしています。
「とても素敵なお部屋を用意して頂いたわ。ありがとうございますお父様」
「気に入ったか。いつかお前が王都へ来るときのためにと用意させてあったのだ」
まあ!ビクトル兄様のご指示ではなかったのね。それより前から用意なさっていたということ?
「ああ勘違いするな。いずれはアンナベッラも王都へ遊びに行ってみたいと言うようになるだろうと思っていただけだ。他意はない」
いけない、何か顔に出ていたのかしら。ただ私は以前から私のためだけに用意して頂いていたことが嬉しいと思っただけなのに。
「いいえお父様、事前に用意して下さっていたと聞いて嬉しかったのです。驚いただけよ。だって一度も聞いたことがなかったのですもの」
嬉しかったの部分を強調すると、お父様はほっとしたのか組んでいた足を崩しました。
「当然だ。自分の邸に来るのに客間では寂しいだろう?あの部屋はお前のものだ。自由に変えて構わないからな」
「ありがとうお父様。でも充分に素敵よ。変えたいところは見当たらないわ」
その後食堂へ移動してお食事を頂きました。
「どうだ?ここの料理は口に合うか?」
「ええ、とっても。ねえお父様、このお魚はなんていうお名前なの?初めていただいたと思うのだけれど」
香ばしく焼き上げた白身のお魚にはレモンが添えられています。とても美味しいわ。
「説明してやってくれるか、コルシーニ」
お父様のグラスに白ワインを注いでいた家令が、ニッコリと微笑み教えてくれました。
「こちらはペルシコでございます。王都ではよく食べられている魚のひとつで、淡水魚でございます」
「これがペルシコなのね。名前は聞いたことがあるわ」
そうね、わかったわ。王都は海からうんと離れているのですもの。
「王都はルナトゥリーナ領とはかなり魚の種類は違うな。ここで食べられるのは淡水魚だけだ」
「お父様、ルナトゥリーナにも大きな湖があるけれど、今までにもペルシコをいただいたことがあったのかしら」
これまでも気がつかないだけで、このお魚をいただいていたのかもしれません。だって本邸の目の前にはとても大きな湖があるのですから。
「いや、あの湖にはペルシコがいないらしい」
「そうなのね」
淡水魚と言っても住む場所は決まっているのね。面白いわ。海のお魚も淡水魚も豊富なルナトゥリーナにはなくて、王都にはありふれている魚があるなんて。
王都の味に舌鼓を打ちながら楽しいひと時を過ごしました。初めて訪れた邸とはいえ、2週間ぶりの'我が家'ですものね。旅先の宿での休憩とは違って、心がほぐれていくような安心感がそこにはありました。
お食事が終わり、デザートに梨のコンポートを頂いていた時です。
「アンナベッラ、明日から王宮に通いなさい。陛下が王家専属の教師をつけてくださるそうだ」
「――はい、わかりました」
王都での生活に自由などなかったのね。数時間前には明日から何をして過ごそうなどと考えていたことが、急に腹立たしく思えました。バカね、旅行に来たわけではないとわかっていたのに。
この時お父様は何も言いませんでした。当初の予定では私はあのまま王宮に留まることになっていたということを。私が第一王子殿下とお会いしている時間、お父様は必死に陛下を説得して、やっとの思いでこのタウンハウスに連れ帰ってくれたのだということを。




