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第7話

いつもよりうんと早くに目が覚めました。


この邸とも少しの間お別れです。朝1番にベッドの上から眺める見慣れたこの風景を次に見るのはいつになるかしら。


「おはようございますお嬢様、お目覚めでございましたか」


「おはようイルマ」


イルマがカーテンを開けると、柔らかな秋の日差しが差し込んできました。旅立ちにはいい朝です。


「ではお支度をして参りましょうか」


「ええ、お願いね」


顔を洗って鏡の前に座り、イルマが髪を梳いていきます。それから髪を編んで小さく巻き付けたところで真新しいカツラを運んできました。


「こちらでよろしいですか?」


「ええ」


左右それぞれ耳の上で結んだ黒い髪が、クルクルと何本ものロールを作っています。ふふ、悪くないわ。


「変身成功、でございますね」


「まだまだこれからよ」


「はい、心得ております」



次はイルマにお化粧をしてもらうのです。私の顔は悪女としてはあまりにも物足りないのですもの。


「しばらくの間、目を瞑っていてくださいませ」


「わかったわ」


眉を炭で描いて、瞼の上にも色を乗せていきます。

どんな顔になるのかしら。初めてのお化粧にドキドキします。


「もう目を開けていただいて結構でございますよ」


鏡の向こうの私と目が合いました。


「これが、私?すごい!すごいわイルマ!」


少し垂れた目はキュッと吊り上がり、髪と同じ色をしている銀色の眉も、すっかり黒くなっています。


「紅はこちらでいかがでしょう?」


イルマの手の中にあるのは、想像とは違う色の紅でした。


「赤、ではないのね」


私が目指すのは魔女ではないけれど、絵本の中の魔女は真っ赤な唇をしていましたから、てっきり赤い紅を用意していると思っていましたの。


「お嬢様はお若いですから、こちらの方が品があって美しい悪女になると思うのです。一度お試しいただけませんか?」


イルマがそう言うのなら、きっと私に似合うのだわ。


「ええ、塗ってもらえるかしら」



そうして完成した私の顔は、自分で言うのもなんですが素晴らしい悪女でした。どなたが見てもそう思うに違いありません。


「外見はこれで完璧ね、イルマ」


「お気に召していただけて何よりでございます」



マダムエランが到着したと知らせがありました。


「ここへお通ししてちょうだい」


ドアの向こうまで来ていたようで、返事と同時にマダムの顔が見えました。


「おはようございます、まあ!お嬢様、随分と印象がお変わりになりましたね」


言葉ほど驚いた様子もないマダムと数人が、いくつもの箱を抱えてお部屋の中へ入ってきました。


「おはようマダム。お待ちしていたわ」


早速箱を開けてドレスが取り出されます。出てきたのは昨日スケッチブックに描かれていた通りのドレス。朝の光を浴びた紫色のドレスは、健康的な輝きを放っていました。


「なんて素晴らしいのかしら。今すぐに着てみたいわ」


「お召しくださいませ。お手伝いいたします」


袖を通し、背中のボタンを全て留め終わるとくるりと一度回ってみました。


「きついところや動かしにくいところなどはございませんか?」


「ないわ。ほらっ!ぴったりよ」


次は反対に回ってみせます。どこもかしこもぴったり。ひと晩で縫い上げたドレスとは思えない仕上がりです。


「大変お似合いでございます。お靴も履いてみられますか?」


足元に置かれたのは、ドレスと対の美しい靴。

いいえ違うわね。昨日私が選んだ黒い靴のようだわ。飾り気のなかった黒い靴の上にドレスと同じ紫のタフタが飾られていて、ビクトル兄様に買っていただいたブローチと同じ宝石がちりばめられています。


「素晴らしい靴ね」


この靴が私の足にぴったりなことは昨日確認済みですもの。その上ドレスにもぴったりだなんて最高だわ。



「ありがとうマダム。どれだけ感謝しても足りないくらいよ」


「ご満足いただけまして何よりでございます」


このドレスと靴は謁見の時まで大切に保管しておきましょう。とっておきの戦闘服ですもの。

けれど――


「着替える前にお父様やお母様にもお見せしたいわ」


「それでは朝食の後にお召し替えいたしましょう」


「そうね、そうするわ」



マダムたちが、たくさんの箱を運んできていたことをすっかり忘れていました。


「お嬢様、私共の店の針子の1人が王都までお供させていただきます」


「まあ、そうなの?」


マダムのすぐ隣に立つ女性が、続いて頭を下げました。


「道中でドレスを何着か仕立てさせていただくことになりました、ノラでございます」


「道中で?」


「ドレス1着きりでお嬢様を王都へ向かわせるわけには参りませんから」


マダムの目がキラリと光ったような気がしました。


「閣下より充分な数を用意するよう申し付かりまして、取り急ぎ裁断のみ済ませて参りました」


「まあお父様が!」


お父様も私の悪女計画に協力して下さるのね。お父様にビクトル兄様、お2人の協力さえあれば、すぐにでもルナトゥリーナ領へ帰ってくることができるでしょう。こんなにたくさんのドレスが無駄になりそうで、ちょっと心苦しいわ。


でもマダムエランのドレスは、ルナトゥリーナ領で最も美しく優雅なことで有名ですもの。悪女ではなくなった私にも着こなせるかもしれないわ。きっとどれもが素晴らしいドレスですもの、そうね仕上がるのが楽しみだわ。


「生憎お嬢様にデザイン画をお見せする時間がなく、私共で全て揃えてしまいました」


マダムが申し訳なさそうに肩を縮こまらせて恐縮しています。


いいえマダム、それはとんでもなく見当違いよ。だってマダムのドレスはいつだって素晴らしくて、一度だって描き上げたデザインに注文を付けたことはなかったでしょう?それにこのわずかな時間にこれだけの準備を済ませたうえ、大切な針子を貸して下さるなんて、私は今どうやってこのお礼をするべきか、そのことを悩んでいるくらいよ。


「昨日は大変な1日だったわよね。ありがとうマダム、遠慮なくノラをお借りするわ。私が素晴らしいドレスをたくさん用意して王都に向かえるとわかって、とても嬉しいわ。必ずお礼はするから待っていらしてね」



たった今運び込まれたばかりの箱の山は、荷馬車に積み込むべく再び運び出されていきました。


「さてお嬢様、食堂へ参りましょう。そろそろ皆さまお揃いのことと思いますよ」


「そうね、急ぎましょう」



食堂に向かうと、ちょうど全員が揃ったところでした。遅れなくてよかったわ。

お父様、お母様、ウィルフレド兄様とナディア様、そしてビクトル兄様と私。この家族でお食事を頂くのはこれが最後になるのね。だって次に私たちが帰ってきたときには、1人増えているのですもの。ああ待ち遠しいわ。ますます急いで帰ってこなくては。


「おはようございます」


「おはようアンナベッラ。幾分感じが変わったな」


「あらあら、黒髪のアンナベッラも可愛いわね。当分見られないなんて残念だわ」


お父様もお母様も普段と全く変わらない調子だったものだから、少しがっかりしてしまいました。

もっと驚いて下さると思っていたのに。


「マダムエランに仕立てて頂きましたの。謁見用のドレスよ」


お父様には予めお伝えしておいた方がよいかと思いましたので、これが特別なドレスだと言うことを話しました。


「ああ聞いている。似合っているよ」


まあ!似合っているですって?

ああそういう意味でしたのね。私の悪女姿があまりにも自然に見えるから、驚く必要もなかったのでしょう。嬉しいわ。私には思っていた以上に悪女の素質があったのね。




◇◇◇


「ウィルフレド兄様、ナディア様、ご嫡子誕生の知らせを心待ちにしておりますね」


ナディア様の肩をそっと引き寄せて微笑みあったお2人が、揃って頷かれました。


「早馬を送るよ。アンナベッラも2人の無事を祈っていてくれるか?」


「もちろんです。毎朝毎晩ナディア様と赤ちゃんの無事をお祈りいたします」


「ありがとうございます、アンナベッラ様」



そしてご挨拶する方がもう1人。大好きな愛するお母様。


「お母様、 行って参ります」


あんな話をしよう、こんなことも話そう、と昨日の晩にたくさん考えていたことがあったのに、何ひとつ言い出せませんでした。お母様と離れて過ごすことは初めてではありません。なのにどうしてこんなに寂しく思ってしまうのでしょう。


「身体には充分気を付けるのですよ。私たちの大事な娘。あなたは自慢の娘なの。どこにいてもそれを忘れずに自分を大切にね」


「はい、お母様」


今できなかった話は帰って来てから話せばいいのよね。すぐに戻ってくるのですから。

そうよね、あんまり大袈裟にお別れの挨拶をしてしまっては、恥ずかしいわ。すぐに会えるのですもの。


気を取り直して馬車に乗り込みました。


「行って参ります」

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