第6話
ビクトル兄様の顔から表情が抜け落ちてしまいました。
「第一王子殿下、の話か」
「はい。兄様はお会いになったことがございますか?どのような方なのでしょう?」
兄様はフォークを置いてナフキンで口を拭うと、グラスの水をグイッと飲み干し腕を組んでしまいました。
「うん――殿下、か」
私も手を置いて、兄様が話すのをじっと待ちます。
「非の打ち所がない、全てに於いて卓越、した、お方だ」
「文、武、に、秀でておられる」
「見目も麗、しい」
「兄様!」
辛抱できなくなり、つい少しだけ大きな声を出してしまいました。少しだけ、よ。
なのに兄様ときたら、ビクッと大袈裟に肩を揺らして目をしばたかせるのですもの。叱られた子猫みたいな顔をなさらないで。
「ここは王宮ではないのですよ兄様。そのような丸暗記した美辞麗句ではなくて、兄様が実際に感じたことを兄様の言葉で聞かせて頂きたいわ」
ビクトル兄様は、新しく注がれた水をまたもやすっかり飲み干してしまって。
ふぅーと長い息を吐き出すと、ようやく話し始めて下さいました。
「わかった。俺が見たままを話す。わかっているとは思うが」
「ええ、他言無用、ですわね。誰にもお話ししませんわ」
うん、と大きく頷いた兄様が語りだしたことは、少なからず衝撃でした。
「第一王子殿下は大変口数が少ない。俺は殿下が会話している姿を見たことがない」
どういうこと?会話をしないですって?
「兄様それはどういう意味ですの?」
「言葉通りさ。俺が殿下のお側で警護に着くようになって8ヵ月程になるが、その間に聞いたのは『ああ』と『わかった』くらいだ。記憶にある中で1番長い言葉が『下がっていい』かな」
なんてこと。兄様の言う通りそれを会話とは言わないわ。
「何故そこまで無口なのでしょう。王族とは皆そのような方々なのかしら」
「いや第二王子殿下は気さくなお方だから、ただ性格の違いと言ったところだと思う」
「そうでしたか」
なんだか第一王子殿下は気難しいお方のようね。よかったわ。そんな方なら、お気に召していただける方が奇跡というものです。案外悪女になどならなくても、すぐにルナトゥリーナ領へ帰してもらえるかもしれないわね。
でも念には念を入れましょう。1日も早く戻ってきたいですもの。
「文武に秀でておられるのは事実だ。2年前まだ13歳のお若さで殿下が行った疫病対策は、今でも王都の民の間で語り草となっているそうだ」
「あら、平民に心を砕かれる心優しいお方なのですね」
意外と言っては失礼でしょうか。王宮務めの貴族より市井のものを思いやるだなんて、なかなか出来ることではないはずです。
「うーん、その辺りも俺にはわからないな。婚約者候補として向かうアンナベッラにこんなことを言っていいのかとも思うが、王宮内で殿下を優しいと評する人間は、まずいないだろう」
「そう、なのですか」
「それから、見目麗しいというのも嘘じゃない。王家の方々は皆、素晴らしい美貌を備えておられるからな。陛下と同じ燃えるような赤い髪が特に印象的だ」
「赤い、髪、ですか」
その時改めて気がつきました。私は第一王子殿下のことを何ひとつ知らないのだと。性格や人となり以前に容姿すらも。
「ありがとうございます、ビクトル兄様。殿下のことがほんの少しだけわかった気がしますわ」
「あとはお前自身の目で確かめてほしい。婚約者の前では騎士に見せない顔だってあるだろうから」
候補です、兄様。
心配そうに憐れんだ瞳を向ける兄様だけれど、平気よ。私殿下に気に入られたいのではないのですもの。寧ろ拗れた性格の方が大歓迎だわ。
「じゃあ次はお前の番だなアンナベッラ。俺がいない間にどんな心境の変化があったんだ?」
「はい、お話しいたします。けれど兄様、心境の変化などではないのです」
そこで私は婚約者には選ばれたくないこと、殿下から愛想を尽かしていただけるよう悪女になることを一生懸命お話ししました。
「なるほどな。で、あれがお前の思う悪女のスタイルと言うわけだったんだな」
「ええ兄様」
'お前の思う悪女のスタイル'という部分が少し気になるけれど、きっと深い意味はないはずです。だって兄様だって悪女がどういう姿をしているか、知らないはずですもの。
「そういうことなら納得だ。本当のアンナベッラは小さな白バラのまま変わっていないんだな」
「ええ、けれどもう小さくはなくってよ」
小さな白バラと言うのは、ルナトゥリーナ領の領民がつけた私の呼び名だそうです。どういうわけか、それをすっかり気に入ってしまったビクトル兄様は、私のことをよくそうお呼びになっていたの。
「今しがた話したように、第一王子殿下は気難しいお方だ。本来ならば俺は、殿下の歓心を買う努力をするようアンナベッラを説得しなければならない立場だが、俺はお前の味方だ。安心しろ」
「ありがとうございますビクトル兄様、心強いわ」
兄様が王族の警護をなさっているということは今日まで知りませんでしたから、とても嬉しい誤算とでも言いますか、私にとっては頼もしい援軍を得たような気持ちでした。
「それにしても、お前がそれほどまでにルナトゥリーナ領を愛しているとは知らなかったな」
「ええ、大好きだわ。ずっとここで暮らしたいの」
「それは難しいだろうが――」
言葉を濁した兄様が、立ち上がって私の頭をくしゃっと撫でました。兄様は困るとすぐに私の髪をくしゃくしゃにするのです。
でも兄様の仰ろうとしていることはわかるわ。殿下との婚約が成立しなくても、いずれ私はどこかへ嫁ぐことになるでしょう。でも成人するまでは、せめて16歳まではここにいたいのよ。
「だがなアンナベッラ。何事も決めてかかるのはよくないぞ。第一王子殿下は次期君主として申し分のないお方だ。その上、見目も極めて良いときている。実際に会えば夢中になるかもしれないだろう?そうなったらそれで、俺はお前を全力で応援してやるからな」
「はい――、ありがとうございますビクトル兄様」
そんな可能性は万にひとつもないでしょうけれど、と言いたいところをぐっと飲みこみました。兄様は私のことを思ってそう仰ったのですもの、ここで争うようなことを言ってはいけないわ。
でもね兄様、見目見目と仰るけれど、ビクトル兄様もウィルフレド兄様もとっても美しいってことはご存知よね?私は11年も生きてきたというのに、兄様たちより整った容姿の方に一度だってお会いしたことがないわ。だから第一王子殿下のことを兄様がどれだけ褒め称えようとも、私にはあまり効果がないと思うのよ。
「よし、話はわかった。さっさと食って明日の支度を再開しようか。悪女のドレスとやらもいいが、タウンハウスで着るものまでそれにする必要はないのだろう?気に入ってるドレスもちゃんと持って行けよ」
「わかりました。そうね、まだ一度も袖を通していないドレスもあるのですもの」
「せっかく初めて王都へ行くんだからな、街も見て歩きたいだろう?休みの日に案内してやるからな」
兄様の明るい声に、強張っていた私の心も少し緩んだみたいです。
「ふふ嬉しいです。なんだか旅行に行くみたいね」
これがただの旅行だったらどんなにかよかったでしょう。私だって王都には興味がありましたから。
「そうさ、旅行に行くと思って気を楽にしろよ。父上もおられる。お前なら大丈夫だから」




