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第2話

「面を上げ楽にせよ」


やや高い張りのある声が、謁見の間に響き渡る。


知らず知らずのうちに、国王陛下とは重々しい重低音を発するのだろうと想像していたアンナベッラは、その声に少しだけ安心感を憶えていた。

最大限下げていた頭を半分だけ持ち上げる。膝は折ったまま中腰の状態だ。


「国王陛下、王妃殿下、第一王子殿下にご挨拶申し上げます」


アンナベッラの父であるルナトゥリーナ侯爵が挨拶を述べる間、彼女は隣でこの姿勢を保たなければならなかった。「辛いか?」と聞いたら小さな令嬢はこう答えるだろう。


「いいえちっとも。挨拶のレッスンは、うんと小さな頃から欠かさず続けて参りましたもの」



「久しいなロランド。変わりはなかったか?」


「おかげさまで、領地民共々つつがなく過ごしておりました」


アンナベッラに陛下の表情は見えていないが、声の様子から父と親しげな様子がわかった。少なくとも今回の王命は、ルナトゥリーナ家を牽制する目的ではないようだと幼心に安堵する。



「さてアンナベッラ。その方もそろそろ顔を見せてはくれないか?」


直接お声がけを賜った。次は彼女が挨拶申し上げる番だ。両手でスカートをつまみ、ゆっくりと深く膝を折って頭を下げる。同じスピードで顔を上げ、それからしっかりと胸を張り、正面に座っておられる陛下を見上げた。


「国王陛下、王妃殿下、第一王子殿下にご挨拶申し上げます」


アンナベッラの動きに合わせて静かに揺れる艶やかな黒髪は、きっちりとロールされていて左右2つに結わえられている。彼女は「必要ないわ」と言ったのだけれど、どちらにも小さなリボンが巻かれていた。


銀の刺繍が刺された紫色のリボン。それは今日、この瞬間のために準備したドレスに合わせて用意されていたものだ。


彼女が戦闘服と呼んだドレス。そう、この場はアンナベッラにとっては戦いの場だった。


(私は1日でも早く領地に戻りたいのよ。王子殿下の婚約者などになってたまるものですか。)


国中のうら若き令嬢が夢見るであろうひとつしかないその椅子を、皮肉にも唯一望んでいないのがアンナベッラだった。



国王陛下と王妃殿下は、優し気な表情を浮かべてアンナベッラを見つめている。しかし幼くともアンナベッラは貴族令嬢だ。この表情の意味を彼女は正しく理解していた。


(瞳の奥で厳しく私を観察なさっているわ。ええ、どれだけ見て下さっても構わないわ。見れば見るほどに私が王子殿下には相応しくない悪女だとお気づきになるでしょう。)



束の間の沈黙を破ったのは王妃だった。


「会いたかったわアンナベッラ。大変愛らしいわね。侯爵が領地に隠しておきたかったのもわかるわ」


「数年後には王都一の美女になるだろう。しかも教養も豊かだと聞く。納得の知的な瞳だ」


王妃に続いて国王までもが手放しでアンナベッラを褒めそやす。



美辞麗句を並べ立てる封臣貴族に、すっかり慣れていたアンナベッラではあったが、国の最高権力者である国王夫妻から贈られるそれは、少々むず痒く感じられた。


しかしここで頬を染めたり俯いては悪女失格だ。彼女は堂々と背を伸ばしたまま笑顔を作った。正面から彼女を見下ろしている2つの笑顔と全く同じそれを。


「身に余るお言葉を賜りましたこと、感謝申し上げます」


壇上の2人が満足そうに頷くと、話題は再びルナトゥリーナ領へと移った。陛下と侯爵の会話が続く。アンナベッラはと言うと、やや視線は下げたもののやはり微動だにせず、笑みを浮かべて父の隣に並んでいた。


王都で生まれ育ったませた令嬢たちとて、何度経験しようとも、王に拝謁する前夜は眠れぬほど緊張するらしい。


それに対してアンナベッラはどうだ。まるで遠縁の親戚にでも会いに来たかのような、自然な面持ち。

彼女の瞳は媚も、過度な謙遜も、そして傲慢さも宿してはいなかった。

社交界で幾年もの経験を積んで、貴婦人と呼ばれる頃になってようやく身に着けるはずのものを、僅か11歳のこの令嬢は既に持っていた。玉座に御座す尊き2人はそれに満足したのだ。



貴族の令嬢が日々をどのように過ごしているか、もちろんそれは千差万別、十人十色なのではあるが、ルナトゥリーナ家はうんと幼い頃から、大層厳しい教育を施すことで有名だった。アンナベッラ然り。

なものだから、大人が会話している隣で彫刻のように立っていることなど、アンナベッラにとっては幼い頃から造作もないことだった。


王家が望む条件に、アンナベッラは嵌りすぎていた。

皮肉なことに、ルナトゥリーナ家の厳しい教育の賜物が、アンナベッラを理想の婚約者に仕立て上げていたのだ。



(こうしている間も私のことを観察なさっているに違いないわ。だって私とお父様は、ルナトゥリーナ領の近況を聞くために呼ばれたのではないのですもの。)



王子殿下の婚約者に選ばれたくないのであれば、この場に相応しくない行動を取ればよいのでは?と思う者がいるかもしれない。しかしそれはアンナベッラの、ルナトゥリーナ家の一員としてのプライドが許さなかった。


(マナーは守るためにあるのよ。マナー違反は私のみの失点ではないのですもの。私が理由でお父様やお兄様が笑い種になることは許されないわ。そして何よりそのような美しくない私など、私自身が許さないのよ。)



2.悪女の振る舞いは常に周囲の羨望の的となるものであれ


人々から蔑まされるような者は悪女ではなく愚女だわ。誰よりも正しくあるのが完璧な悪女の姿なのよ。



辛いはずの姿勢をものともせずに、完璧な笑みを崩さず立ち続けるアンナベッラは、実のところこの状況に大変満足していた。


(素晴らしい悪女初日ではなくて?領地から出てきたばかりの小娘が初めて足を踏み入れた王宮で、これほど尊大に振舞うだなんて、きっと陛下も王妃様も呆れていらっしゃるに違いないわ。私は思っていた以上によい悪女になれたのではないかしら。)



アンナベッラはほんの少しだけ勘違いしていた。

彼女は自分が思っているよりも、遥かに幼く見えるのである。髪を巻き、化粧を施して、大人びたドレスを着ていたとしても、彼女を見下ろす4つの瞳には、年上の王子に相応しくありたいと精一杯背伸びをした可愛らしい令嬢にしか映っていなかった。


さらに彼女の所作が、一層2人を満足させていた。

媚びず、怖気づくこともなく、されど謙虚さも持ち合わせている。この娘を呼んで正解だった、この娘ならば、と。




が、この場にはもう1人重要な人物がいたことを忘れてはいけない。

その人物こそが、アンナベッラを王都に呼び寄せた理由であり、領地に戻ることを許さなかった元凶である。


その人物についてこそ詳しく説明しなくてはなるまい。

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