第1話
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よろしくお願いします。
「結論から言おう。婚約は絶対に破棄しない。結婚しようアンナベッラ、愛しているんだ」
「――お、お気は確かですの?王太子殿下」
お分かりいただけるかしら。どうやら私は今窮地に立たされているようだわ。
4年の間、精一杯悪女として振舞ってきた努力は全て無駄だったということなの?いいえそんなはずはないわ!あってたまるものですか。
「無論だアンナベッラ。昨日も今日も俺は極めて正常だ。貴女が成人するまでは後1年か。とても長く感じるが、その後を思えば1年などあっという間だな。そうだ誕生日に式を挙げるのはどうだ?」
待って。待って待って。
絶対に正常なわけがないわよ。まずあの王太子殿下の口から、愛なんて単語が出てきた時点で正常とは程遠いわ。落ち着いてアンナベッラ。彼のペースに飲まれてはいけないわ。
「ああ、そうして俯き恥じらう姿もたまらないな。なんとも愛らしいよアンナベッラ」
ア、アイラシイ――嘘でしょう?!
この言葉を発しているのが王太子殿下でなければ、その言葉通りに恥じらうことも、俯くこともあったでしょう。されど私を正面から見据え、あろうことか微笑みまで浮かべているのはまごうことなき、あの王太子殿下そのお人なのです。
いえなんと仰って?俯いて?恥じらう?私が?ご冗談はよして下さらないこと?私はこの異常事態をどうやって打破するか、ただそれだけを考えて――
「では早速ドレスを作らせよう。貴女は絶対に白が似合う。着てくれるか?」
「お待ちください!」
人の話を聞かず強引なところは普段のままね。
いえ聞いていないようで、全て記憶しているのよね。彼相手にその場しのぎの思いつきで話をすることはとても危険だわ。いいこと?アンナベッラ。余計なことを話してはいけないわ。
私が話をする時間を確保しましょう。まずはそこからね。
それにしてもなんてこと?王太子殿下相手に、話すタイミングを探る日が来るなんて。
そうね、論点をすり替えましょう。会話の主導権を握るのよ。
「王太子殿下、私はルナトゥリーナ侯爵家の長女、アンナベッラ=ルナトゥリーナでございます」
「ああ、もちろん知っている。俺の愛しい婚約者の名前だ」
うう、ん――いちいち調子が狂うわね。いつもの単語しか発しない殿下はどこへ行ったの?
「王命により4年前王都に参りました」
「そうだったな。あれから4年が経ったのか。瞬く間だったな、アンナベッラ」
いいえ、長かったわ。長くてたまらなかったわ。あの時はすぐにでもルナトゥリーナ領に戻れると思っていたのに、一度も帰ることが出来ないなんて。4年もの間一度もよ!
「まるで昨日のようだ。貴女は初めて会ったあの時から変わらず愛らしい」
嘘つき。
4年前のことをもうお忘れになったの?私のことなどまるで興味がなかったじゃない。それどころか空気以下の存在だったはずだわ、昨日までは。
「お言葉ですが、私にとっては大変長い時間でございました」
「そうだな、変わらず愛らしいなどと失礼なことを言った。4年経った今は神々しいほどの美しさだ」
――うーん。
いったいこの方は誰?次から次へと流れるように吐き出される浮ついた台詞。少なくとも私の知っている王太子殿下ではないことは間違いないわ。今日1日で、4年の間に交わした言葉の数よりも多いのですもの。
一体全体何がどうしてこうなったのか誰かおしえてちょうだい。ああどうしてカレスティア卿をお連れではないの?殿下の従者なら何かご存知でしょうに。
「では話を戻すとしよう。アンナベッラの美しさに負けないドレスを用意しなければならないからな。もう時間がない。今日にでも制作を始める必要があるだろう。もう一度言う。貴女には白が似合う。結婚式では白いドレスを着てほしい」
それにしても調子が狂うわね。そうよ、いつも一方的な単語しか言わない方が、ペラペラとお話しになるからペースが乱されるのだわ。とは言ってもそこは変わらず、会話とは程遠い一方的な言葉ばかりだけれど。
それにしてもなんて甘い声なのかしら、こんな声も出せるお方だったのね。
えっと、こんな時悪女はどんな風に振舞うのだったかしら。4年間で身に着けた悪女スキルを今こそ最大限に発揮するのよ。
1.悪女は取り乱したりしない
そうだったわ。悪女たるもの常に100手先まで読んでいるかのように振舞うべし。私としたことが、こんな基本中の基本を忘れてしまうところだったわ。
小さく一度呼吸を整えてから、私はいつものように口角に力を入れた優雅な微笑みを作り上げる。
「お待ちください。私は婚約の破棄を願い出たのでございます。ですのに勝手に話を進めないで下さいませ。第一私は結婚の承諾をしてはおりませんわ。しかもこれほど重要なお話しに今、私の一存でお返事申し上げるわけには参りません。殿下も一度冷静になって下さいませ」
向かい合って座っていたはずの王太子殿下に、気がつけば後ろからすっぽりと包まれている。何がどうしてこうなっているの?
私の混乱をよそに、殿下は抱きしめる腕にキュッと力を込めた。
「そうだった。まだ返事を聞いていなかったな。だが俺たちは婚約中の身だ。時期が来れば結婚するのも自然な流れだとは思うが」
なかなか手ごわいわね、今度は正論で攻めてきたわよ。
確かに婚約の破棄は願い出たものの了承を得ていない今、私は紛れもなく彼の婚約者。このままだと確実に結婚式を迎えることになってしまうわね。
「ですがいずれにしましても、まだ先のことでございましょう。1年後に殿下がお心変わりする可能性も充分にございます。その時はきっぱり身を引きますのでご安心くださいませ」
さらに腕に力を込めた殿下が耳元でフッと息を吐いた。や、やめて下さらない?
「1年後だろうと千年後だろうと、俺の心が変わることは決してない。俺の心は永遠に貴女のものだよ、アンナベッラ」
とろとろにとろけそうな甘い声と、抱きつぶそうとするかのような逞しい腕に、私の意識は今にも遠のきそうに――
「苦しい、苦しいですわ」
呻き寸前の声を絞り出すのが精一杯だったけれど、間一髪間に合ったみたい。慌てた殿下が腕を緩めた隙に、するりと抜け出すことに成功したわ。
「す、すまない。離したら消えてしまうのではないかと。決して貴女を苦しめたかったわけではない。頼む信じてくれ」
今度は殿下が慌て始めたわ。私は淡雪のように儚くもなければ、殿下が私を潰してしまおうと力を込めていたわけではないことも知っているわ。けれど、ようやく優位に立てそうね。このチャンスを逃す手はないわ。
「ええ承知しておりますとも。殿下は今、冷静さをお欠きになっているだけでございますわ。今殿下に必要なものはただひとつ、休養でございます。今日のところは王宮へお戻りくださいませ。ええ一刻も早く。」
「そうか、そんなにも俺のことを案じてくれるのか、嬉しいな。だが心配はいらない、俺は冷静だ。いや貴女にすっかりのぼせ上っていると言う意味では冷静ではないのかもしれないな」
また気がつけば背後から羽交い――いいえ、ふんわりと包まれる妙な体勢になっていて、首元でくぐもった声が紡がれる。歯の浮くような言葉を一気に聞いたせいか、ゾゾゾと肌を逆撫でするような感覚に襲われた。
「馬車までお見送りいたします。どうぞお気をつけて。しっかりと休養をお取りくださいませ」
2度、3度離しては戻った腕がようやく離れていった。私はすかさず立ち上がり、しっかりと笑みを作ってから振り返る。
「本日のご来訪誠にありがとうございました。ルナトゥリーナ家を代表してご挨拶申し上げます」
「実に名残惜しい。このまま連れ帰りたいのは山々だが。――わかった、今日のところは帰るとしよう」
応接間を出てから馬車に到着するまでにさらに2回愛していると囁いた彼が、王宮へとお戻りになるまでに、それから1時間はかかったかしら。ルナトゥリーナ家のタウンハウスも決して小さくはないけれど、馬車止めまで1時間はかかりすぎよ。
王太子殿下と私の出会いは4年前に遡ります。まずはそのお話しからした方がよさそうね。




