第19話
それはとある金曜日の出来事。
授業がいつもよりひとつ少ない金曜日、私が1週間で1番嫌いな日。
のろのろと、開いていた教科書を閉じてみたり右に置いたり左に戻したりと、無駄なことを繰り返していたところに、いつものようにカレスティア卿が迎えに来たの。
はぁー、行かなくちゃならないわね。
お茶を2杯ほど飲むだけよ、せめてチーズケーキがあるといいけれど。今日はチーズの気分なの。
それが、その日はいつもの金曜日とは違ったのよ。
「ルナトゥリーナ様、せっかくの金曜日でございますのに申し訳ございません。殿下は会議が長引いておられまして、大変僭越ではございますが殿下が来られるまでの間、私がお相手を務めさせて頂くよう命じられました」
まあ!なんてこと?!殿下がお見えにならないのね。
お忙しいのならば、私は遠慮なくタウンハウスに帰らせていただきたいところだけれど、それではカレスティア卿が叱られてしまうのかしら。私の相手をしろと命じられたのですものね。
さほど気は乗らないけれど、石像を前にお茶を飲むよりはよほどマシね。そうね、折角だから敵の情報でも聞き出してみようかしら。
「まあ!嬉しいわカレスティア卿。一度卿とはゆっくりお話ししてみたかったの。
殿下ってばちっともご自身のことを話して下さらないでしょう?この機会にこっそり教えて頂けないかしら」
カレスティア卿が私たちのことをどう捉えているのかはわからないから、あからさまに嫌っている態度を取るのは賢い選択ではないわね。何せ彼は王太子殿下の従者なのですもの。後でどんな告げ口をされるかわかったものではないわ。ここは、殿下に冷たくあしらわれ続けても健気な婚約者って演技が必要かしらね。
「有難いお言葉を感謝致します、ルナトゥリーナ様。私が存知上げていることでしたら、どんなことでもお話し致しましょう」
私たちは連れ立ってサロンへ向かったわ。そこにはすっかりお茶の準備が整っていて、あとは椅子に私たちが座りさえすればよい状態になっていたの。ええいつものことよ。
「では失礼致します」
そう言ってカレスティア卿が私の正面の椅子に腰を下ろしたわ。いつも殿下がお座りになる場所よ。少し意外だったわ。てっきり別の席に座ると思っていたから。だってその席は1番の上座ですもの。
けれどその時、既に私は不機嫌ではなくなっていたようなの。なんだか楽しみにさえ思えてきたのよ。このお茶会がね。そして最初にこう問いかけたわ。
「殿下は近頃お忙しいのかしら?」
まあこれは社交辞令のようなもの。だって天気の話からするのも、ね。私は常日頃殿下がどうお過ごしなのか全く知らないし、興味もないもの。以前に比べて忙しかろうが知ったことではないのよ。
それでもカレスティア卿は真面目な顔をしてお返事をして下さったわ。
「はい、近頃は会議の時間が増しておりまして。今まででございましたら金曜日は避けておられたのですが、今日ばかりはそれも難しかったようでございますね」
まぁ!なんてこと。殿下と私の仲なんて王宮に勤める方なら全員がご存知でしょうに。何故私との時間を大切にしているかのようにふるまう必要があるのかしらね。これからは毎週金曜日を会議の日に指定していただいて構わないわよ。
「ところでカレスティア卿は、会議の場にはいなくて構わないの?」
会議の参加者が全員従者を連れてくるとは思わないけれど、カレスティア卿は王太子殿下の従者なのですもの。いつもならばお側で控えているはずよね。
「はいルナトゥリーナ様。本日の会議は軍議でございますので、私は立ち入りを許可されていないのです」
「まあ!そういうものなのね?」
「はい!そういうものなのでございますよ」
その他にも、カレスティア卿の説明はなかなか興味深いものだったわ。
まず、殿下にはもう1人従者がいるのですって。私室でのお世話はその従者が担当していて、カレスティア卿は殿下の私室に立ち入ることがないのだそうよ。
その従者には私は会ったことがないわ。当然よね、私室での世話しかしていないのですもの。
「でもご安心くださいませ、その者は男でございますから」
なぜ従者が男だと私が安心するのかしらね。聞き直すのも癪だったから、口角だけを上げて笑っておいたわ。おそらく今のは、なかなかいい感じの笑みだったのではなくて?
卿によると、その従者は文字が読めないそうなの。貴族籍ではないようね。だから私も名前を聞いたりはしなかったのよ。
「ですので、それ以外のお時間は私がお供させて頂いているのですよ」
「ええ、納得だわ」
あとはどんな話をしたかしら。
カレスティア卿が従者になったのは、私が王都へ来るちょうど1年前だった、だとか、殿下は時々視察と偽って城下でサボっているとか、あまり有益とも思えない話だったわね。
けれど、そのお茶会の直後だったわ。
その日の私は珍しくぽっかりと予定のない1日だったの。その頃にもなると王都の街を見て回りたいなんて気持ちはどうでもよくなっていて、その貴重な1日を邸で静かに過ごそうと決めていたのよ。
そこへ供の1人も連れずにやってきたのよ。王太子殿下がね。
少しだけ違うわね。より正確に言うと、ビクトル兄様だけを伴って我が邸へお見えになったのよ。
ビクトル兄様はモニカ様の護衛担当と仰っていたのに、また配置替えがあったのか、しばらく地方へ出ていらしたの。どちらへ行っていたのかはお聞きしていないわ。秘密、だそうよ。重要な任務に就いていたことは確かね。その兄様が王都にお戻りになったと聞いたのは2、3日前だったかしら。話に聞いただけでまだお会いしてはいなかったの。
その兄様が昼間から邸に戻ったのは、休暇を頂いたからだろうけれど、私は自分の部屋で過ごしていたものだから、兄様が帰っていたことも、王太子殿下がお見えになっていたことも知らなかったのよ。
家令が部屋へと来て、ようやくそのことを知った後は慌てて支度をしたわ。その時私の髪は黒くはなかったのですもの。もちろんカツラは毎晩イルマが丁寧に手入れをしているから、いつ何時呼び出しがあったとて困ることはないのだけれど。
程なく殿下がお呼びだと声がかかり、サロンへ向かったわ。いやいやとね。喜べるはずがないことはわかってちょうだい。だって貴重なおやすみの日なのよ?そしてカレスティア卿の言葉をしっかりと思い出したわ。「殿下は城を抜け出してサボっている」
その逃げ込む先のひとつがルナトゥリーナのタウンハウスというわけね。忌々しいわ。
だったら、私になど構わず昼寝でもお好きになさればよいのに。
けれど違ったの。
最初に話したことを憶えていて?
その日お会いした殿下はまるで別人だったのよ。ええ、同じ顔を持つ別の人間だと言われた方がまだ納得だったわ。
とろとろに甘い蜜のような言葉を紡ぐ、まるで見たことのないお姿だったわ。あまりにも驚いてしまって。私はその日の夕食の時間、2度もフォークを落としてしまったの。悔しいわ。今まで1度としてそんな失敗をしたことがなかったのに。




