再交渉
「ふぅ…」
エリィが何度目かの溜息をつく。
”風”は再交渉の使者として,連合のすぐ近くまで軍勢を進めてきた帰還者へと向かっていた。
彼らはアリシアが主権を回復したという情報はすでに掴んでいるだろう。それで力を増した連合が帝国を下してしまえば次は自分たちの番だ,そんな危機感を抱いて出撃してきたのだろう。だからこそ,普通に考えれば彼らを交渉のテーブルにつかせる見込みはじゅうぶんにある。
「どちらでいこうか悩んでおられるのですか?姫」
「う,うん…」
しかしエリィが悩んでいたのは,ここまでの成り行きに関する事だった。
連合首脳部の認識としては,エリィはアリシアの全権大使として赴いた事になっている。だがエリィはユーリエから内密に,女王として交渉を進めても構わないと言われていた。
交渉を成功に導く事だけを考えれば女王のまま交渉をする方が良い。しかしそれは後々面倒な事態を招くかも知れない。いくら気質が似ていると言っても,結局は別の人格なのだ。
かといってユーリエではない事を明かせば,それは今まで帰還者たちを騙していたのだとも取られかねない。交渉の成否に暗い影を落とす事になる。
「少なくとも…」
そこでクーラが淡々と口を挟む。
「ミリア殿相手に下手な小細工は逆効果ではありませんかね」
「えっ?」
「大尉は先日のあれの事を言っているのですよ」
にこやかに割り込んで解説するノーブル。
「アリシアと手を組むのではない,目の前の姫を信じるかどうかだ,とね」
「あ…」
あの晩の記憶がエリィの中に鮮やかに蘇る。
「あの時は作戦上,姫がユーリエ様のふりをする必要が残っていました。ですが今は違います。姫は姫のままで堂々と事を進めるべきではないかと,大尉は言っているのです」
「そこまでは言っていません」
苦い表情でそれを否定するクーラ。
「あくまでエリィ殿がベストだと思う選択をして…本音で臨めば良い,という程度の話です。打算や策略を用いる相手を信じろというのは少々無理があるし,彼女がそれを看破すれば関係の改善は絶望的となりましょうから」
どちらを選択しようがそれがベストと思えるなら問題はないということです,と結んでクーラは黙る。
「えっ…と?」
「姫が最良だと思える方法を,責任を持って選べば良いのですよ」
どこか釈然としないような表情のエリィに苦笑して,ノーブルが繰り返す。
だがそれはエリィの理解力が及ばなかったからではない。クーラが知られたくない事を隠すために敢えてそこを避けた言い回しにしたのが原因なのだ。
クーラが煮え切らないのは自身の抱える問題が絡んでいるためだろう,とノーブルは結論する。なぜなら,彼はすでに正体を暴露しているのだ。伝説の龍戦士であるという情報を交渉のテーブルに乗せるかどうかはともかく,彼は”流星”としてその場に臨まねばならない。
(予言の話をするなら隠し事は一切無しという事になるでしょうが…そこは展開次第ですね)
エリィがユーリエのふりを続ける選択肢はほぼ無いだろう。本人のまま気兼ねなく事に当たるのが最良の途だと,おそらくは大尉も考えている。
あとはそれが妹姫であることの暴露にまで発展するか,そして大尉がいつ,どのようにシャルルに戻るのかだ。おそらく大尉のままでは武力衝突の局面には耐えられないし,それも大尉本人が一番良く理解しているはずだ。
「大荒れとならなければ良いのですが…」
「え?何?何の話」
「ああ,いえ…ほら…」
思わず言葉になってしまった。内心で反省しながらノーブルは遠くを指さした。
「雷雲が湧いています。いずれ一雨…避けられなそうですね」
◇
「アリシアからの親書,見せてもらった」
謁見の間に姿を現したミリアはそう口火を切った。
「しかし…条件的には先日のものと同じようだな。先日のあの小五月蠅い蚊トンボが居ない所も考えあわせて,アリシアが主権を回復したところであらためて独自に交渉したいといったところかな?」
「アリシアが出せる条件としては…そうなると思います」
「ふむ…」
どこか楽し気な表情でミリアは言葉を繋ぐ。
「アリシア女王様は随分と肩身の狭い思いをされていたのかな?蚊トンボが居合わせた先日とはうって変わって砕けた雰囲気だが。それとも随分と怖い思いをされて,外見を取り繕う余裕がなくなったのか?」
居並ぶ近侍達の間に笑いが起こる。
もっともそれは半数強といったところだ。やはり帰還者は一枚岩ではない,とシャルルは感じ取る。
(感触は…あまり良くないな)
おそらく彼らは強硬派の部類なのだろう。そして,世の常がそうであるように強硬派は穏健派よりも場を支配しやすい。
そしておそらく,ミリアはそんな強硬派に多少なりとも手足を縛られている。
まったくの平和的決着はなさそうだ,とシャルルは小さく溜息をつく。
「あの…その件なのですが。先に謝っておきたい事がありまして…」
結局エリィは,隠し事無しで臨む事を決断した。彼が既にシャルルであることもそれを受けてのものだ。
申し訳なさそうに,しかし一方で自信を持って口を開くエリィ。
「…ほぅ?」
その相反する二つの意識がないまぜになった得体の知れない雰囲気が先方にも伝わったのだろう。ミリアは目を丸くする。
「実は…私,ユーリエ様じゃないんです」
「!?」
近侍達の間に,今度は動揺が走る。
「どういう事かな?」
「つまり…前回は連合の作戦に乗ってアリシア女王を演じていた私が,その役柄のまま来ていたんです」
簡潔に,しかし丁寧に。そんな思いで言葉を選ぶエリィ。
「なるほど…。本物の女王はアリシアで囚われたままだった,その事実を捻じ曲げて連合は大義名分を掲げていた,という事か」
ミリアの口元に皮肉っぽい笑みが浮かぶ。
「では前回のあれはまったくの出まかせで,今回は信じられる,という理解で良いのかな?」
「いえ!そういう事ではありません!」
慌ててそれを否定するエリィ。
「私が乗っただけというところは事実ですが,しかしアリシアに,このような機会を予見してあれが準備されていたという事なのです!」
近侍達の,しかし今度は先ほどとは別の者たちの間に静かなざわめきが起こる。
あの晩と同じ現象だ,とシャルルは思う。
(強硬派と穏健派…双方に同じものを見せて判断させようという事か…?)
「あの晩と同じものを後付けでアリシアに用意させた…という可能性もあるな?もっとも,そうだとすればそれをアリシアにねじ込んだ実績だけは認めざるを得ないが」
苦笑交じりに言うミリア。エリィはまた慌ててそれを否定する。
「いいえ!そうではありません!証人はここに居る…クマルー卿です!」
「なに…?」
「姫がユーリエ様でないと暴露した後で信じろと言うのも苦しいものはありますが…」
そこでノーブルが涼やかに口を開く。
「私がアリシア女王の叔父にしてその後見役を務めるクマルー卿である事は間違いありません。わけあって身分を隠し姫とともにありましたが,それはある意味では,そこがユーリエ様奪還に最も近い位置であればこそ」
「…確かに…双朧花を知っていた事といい,貴殿はアリシアの故事に精通していたな」
ちらり,と二人を見比べながらミリアは言う。
(さすがに気づいているか…)
シャルルはそれで来るべき結末を悟る。彼女の力が自分と同等以上ならば,エリィとノーブルから感じる力の類似性にも当然気づくはずだ。その片方が名実ともに王家の者だと言っているわけだから,他方も何らかの所縁があると見るのが自然なのだ。
「ですから,中身それ自体にはまったく偽りは無いと申し上げておきます」
「いま一つ…信用できぬな」
しかし肩をすくめるミリア。
「えっ?」
「前回は偽者とはいえアリシア女王が出向いて来たのだ」
(ヒュームの思惑としては単なる威圧に過ぎなかったがな…)
心の中で密かに突っ込みを入れるシャルル。
「その非礼を詫び,新たな交渉を望むというなら…今度こそ女王本人が来るのが筋というものではないか?なぜ女王役がまた来る」
「う…」
「アリシア女王の気遣いだよ」
そこでシャルルが助け舟を出す。
「気遣い…だと?」
「ああ。ノーブル…クマルー卿が言う通り,アリシアの帰還者に対する思いは一貫している。事務的な面だけ見れば,俺やエリィの出番はほとんど無いだろう。だが,お前の言う通り,心情の面ではそれだけでは納得できないところもある」
だからこそのエリィだよ,とシャルルは続ける。
「アリシア女王は,エリィのお前たちに対する思いを買ったのだ。換言するなら…そうだな,文字通りアリシアとお前たちの橋渡し役として抜擢したと言って良いだろう」
「…言いたいことは解らんでもないよ」
肩をすくめるミリア。
「その女の常軌を逸した入れ込みぶりと骨折りは,あの晩に見せてもらったからな」
しかし,と彼女は言葉を継ぐ。
「その女がアリシア女王本人でない以上は,やはり信用するわけにはいかぬな」
「えっ?」
意外な言葉に目を丸くするエリィ。
「そうだろう?アリシアがお前を利用するだけ利用して,切り捨てる可能性もあるのだ」
「そ,そんな事は…」
「ここへお前を寄越し,自らが姿を現さぬのも,決裂した場合を考えての事ではないのか?連合がお前を祀り上げたのと同様,自らの懐は痛まぬと考えての事ではないのか?」
皮肉っぽく笑いながらミリアは続ける。
「それでアリシアは…エレーナ姫を切り捨てた…」
「そ…そんな事はありません!アリシアはずっと,それを悔やんできたのです!」
「そんな事が何故言える?何をアリシアに吹き込まれたのか知らぬが,口だけならば何とでも言えよう?」
(これは…避けられそうも無いな…)
シャルルは小さく溜息をつく。そしてその予想通り,エリィは口を開いた。
「あの…ここだけの秘密に,してもらえますか?」




