予言に仕掛けられた罠
それから五日ほど,一同はアリシアに逗留する事となった。
これは一つには,留守を預かる者たちへの指示が必要だったためだ。単なるユーリエの不在,というだけなら話は簡単だったのだろうが,どちらが国を継ぐかという問題は先送りとなっている。そのあたりにも配慮した指示に漆黒将軍とユーリエは時間を要したのだ。
それは見方によっては,彼らが全てを捨てるための準備にも見えなくはない。だが焚きつけたのが此方である以上は異論を差し挟む資格も無い,クーラはそう割り切って,外堀を埋められているかのような圧迫感に耐えてそれを傍観していた。
もう一つは,外征の準備を調える事だった。儀礼用こそ存在しているが,まったく実用的なユーリエの装備はさすがに存在しない。先日破壊されてしまったエリィの鎧の件もあるため,それらを調達する必要が出たのだ。
ここでささやかな悶着が発生した。
ノーブルが出した腹案,つまりエリィとユーリエが入れ替わるという策を実現するためには,二人の鎧の意匠は極力似通っていた方が都合が良い。
だがギルバートはこれに反対した。いくら功績があってもいち民間人に過ぎないエリィがアリシア女王と同じ鎧をまとっているのはいろいろと物議を醸す。双子の姉妹であるという裏を知ってしまった自分としてはむしろそうあって欲しいが,それが秘密であるからには余計な勘繰りを招くような事はすべきでない,というのが彼の主張だった。
ところがユーリエはこの手の問題の解決には慣れていた。いや,むしろ丸投げに慣れていたと言った方が良いだろう。
「大丈夫です。細かい辻褄は卿が全て合わせてくれますから」
にっこりと笑って彼女はそう言う。それで在りし日のお約束の記憶を思い起こされ,何とも複雑な表情を見せるギルバート。
さすがは姉妹と言うべきか,それとも二人を同じものとして差をつけずに育ててきたがゆえと言うべきか。そんな事を考えるクーラを尻目に,微笑しながらノーブルは口を開く。
「合わせるまでもありませんね。アリシアには,国賓待遇の者に王族と同じ装備品を贈るという故事がありますから」
「…」
アリシアの長い歴史の中には当然そういう事も起こり得たのだろう。クーラはそれだけを考えて深く踏み込むのをやめる。
実際にあったのかどうかはほとんど問題にならない。クマルー卿以上の事情通が居て明確にそれを否定するという不可能が起こらない限りは,誰もがそれを信じるしかないのだ。
唯一その可能性があるとすれば征服者の強権でもって機密に深々と立ち入ったであろう漆黒将軍だが,彼がユーリエの不利益に繋がるような事をやるわけがない。
「…まぁ,ユーリエにとっては初の国外だ。予想外の負担もかかろうから,たまには羽を伸ばさせてやってくれ」
案の定,揃いの鎧を拵える,時々入れ替わる前提でエリィに協力を要請する漆黒将軍。
「あ…は,はい…」
そう言われてしまえばエリィに断る選択肢は無い。慣れない環境で気を張ってしかるべき振る舞いを保ち続ける事の負担は身に沁みている彼女だ。日頃気楽な冒険者をやっている自分だからこそそう思ってしまうだけに過ぎないのか,それを考える余裕すら彼女からは奪われてしまっている。
「…」
そうやってなし崩しに,女王としての経験を積まされ続けるのもいかがなものか。ますます逃げ道が塞がれてしまうのではないか。そんな事を考えるクーラ。
だがもうそこでそれ以上異論を差し挟める者は居なかった。結局揃いの鎧を拵える事となり,それはハーディと,その好敵手にして黒軍お抱えの鍛冶師であるトーベがそれぞれ担当する事となった。
◇
「こんなところでどうしたのです?エリィ殿…」
そんなある日の昼下がり。昼食後にふらりと出て行ったエリィの後をつけたクーラは,彼女がとある場所に佇んで動かないのを見かねて声をかけた。
「大尉…」
気配を殺していたわけでもないから当然クーラの存在にも気が付いていたエリィではあったが,彼女はちょっと気まずそうに言葉を繋ぐ。
「ちょっと,ユーリエ様の事を考えていて…」
「ほぅ…」
敢えて曖昧に相槌を打つクーラ。今エリィが佇んでいるのはあの晩の修羅場があった部屋の下である。彼女がアリシア女王の事を考えていたのか,それとも女王と漆黒将軍との関係について考えていたのかははっきりしない。
「その…私がユーリエ様と双子だっていうのはまだ完全に納得しきれていないんだけど」
「…?という事は,ある程度は納得できているのですか?」
微妙な言い回しに引っかかるクーラ。エリィはうん,と頷いて言葉を繋ぐ。
「ちょっと現実離れしてるんだけど…懐かしいのよ」
「懐かしい…?」
「私は…この前の話では生まれてすぐにハーディ達のところへ預けられたわけだから,あり得ないはずなんだけど…何て言うのかな,こう…」
「ずっと見守られているような気がする,とか?」
「!そ,そう!そうなのよ!…え?でもどうして…」
「良くあること…らしいですよ?」
苦笑するクーラ。
「私自身はそういうのはあまり信じない性質ですが…故郷に対する思いとでも言うのでしょうか。先祖代々が生きてきたその土地に特別な思い入れを感じて,そのようになる事はあるようですよ?」
「え?うーん…それはまぁ,そうかも知れないけど」
釈然としない表情のエリィ。それは当然の事だとクーラは思う。父母の顔すら知らず氏素性も知れぬまま冒険者として生きてきた彼女が,突然アリシアの姫君だと明かされたからと言って,アリシアに故郷であるとの思いを感じるとは到底思えない。
だが彼は,性能を向上させたDWACの弾き出す情報から,まったく別の次元でエリィの感覚に根拠を見出していた。
アリシアを守り続けてきた例のシステムは,現在はまた元の,アリシア領内を広く覆う状態へと移行していた。つまり二人も現在はその影響下に置かれているわけだが,クーラはそのシステムの力とエリィのそれとの間に類似性を認めていたのだ。
おそらくアリシアのシステムは,かつてアリシアに降り立った龍戦士の力を何らかの形で利用して構築されているのだろう。そしてその龍戦士は当然のごとくエリィの先祖にあたるのだろう。となれば,エリィが先祖に見守られているような感覚になるのも当然の事だ。
おそらくは覚醒によって,漠然とそれを感じるようになったのだろうとクーラは結論する。
「…すみません。話の腰を折ってしまいましたね。して…納得できないエリィ殿は何を考えていたのです?」
「あ,うん…もし私とユーリエ様の生まれた順番が逆で,私がアリシアの女王をやっていたとして…」
「…」
「漆黒将軍が攻めてきて…」
「あぁ,なるほど…」
もにょもにょと口ごもるエリィに苦笑するクーラ。
「おそらくそうなっていたのではないですか?」
「!うぅ…」
複雑な表情になるエリィ。
「先日のギルバート殿の言葉にすべてが含まれていたのではないかと思われます」
おそらく漆黒将軍は女王の洗脳と判断されてしまうような事態を恐れ,あくまで慎重に事を運ぼうとしていたはずだ。そのような態度こそがもっとも女王の好意を醸成し,傍目に見れば洗脳ととられてしまうという皮肉を重々承知の上でだ。だからこそ記憶を消すなどと言う乱暴な最終手段に頼らざるを得なくもなったのだろう。
「下世話な言い方になりますが…ろくに男も知らぬはずの深窓の令嬢では,余計に抗しがたい相手だったでしょうな」
もっともそれは,エリィがエリィのままでも大して変わりはしなかったのだろうとクーラは思う。
”風”は彼女にとって家族のようなものだ。総合的に見て最も可能性が高かったと思われるノエルですら,彼女に対しては兄として振る舞い,それ以上踏み込もうとはしていなかった。
その”風”は一般目線で見ればかなりの手練れ揃いであるから,それを上回る器を示して彼女を攻略するのは決して容易な事ではないだろう。だがそれはあくまで一般の話で,龍戦士にとっては誤差の範囲内でしかないのだ。
漆黒将軍がエリィの下へと落ちてきてそこを原点としたなら,間違いなく二人の間には強固な信頼関係ができていただろう。過去も立場も考えずに済むからには,それに抗する必要も無いのだから。
「デスヨネー…」
そんなクーラの内心など知る由も無く,抑揚のない相槌を打って,ひとつ溜息をついてからエリィは言葉を繋ぐ。
「正直…他に比べてなんて緊張感も悲壮感も無い甘ったるい時間を過ごしていたんだろうって思ったんだけど。考えれば考えるほど他にどうしようも無かったって気にさせられちゃうのよ…」
「…っ」
エリィの無意識に不意を打たれた格好のクーラは思わず謝罪を口にしそうになってそれを押しとどめる。
連合にそれが無かったとは言わないが,本来的に言えば緊張感と悲壮感の中で過ごしてきたのはエリィ自身だ。彼女は多分に,自身の実感に根差して思考している。
となればその原因は,元の世界では平和に飼いならされた一般人に過ぎない”流星”が,己を鍛え上げていた漆黒将軍に完敗を喫して彼女の下を離れた事に他ならない。
彼女の傍らに居たのがその漆黒将軍であったなら,そもそもそんな事態を招く事も無かったのだ。
”流星”の弱点を補うために作り出された自分には,理屈で言えば責任は無い。だが現実的に見れば,自分を鍛えるのにかかった時間が即ち彼女を苦しみの中においていた時間だという引け目がある。
「…置かれた状況に応じて,やはり葛藤はあるという事なのでしょうな」
苦笑しながらクーラはそれと判らぬように自虐する。
「予言…どうなっちゃうんだろ…」
ぽつりとエリィがつぶやく。
「正直ぐちゃぐちゃで…何がどうなってるのかさっぱり」
「最終的には,おそらく予言者が視た通りの未来になるのでしょうな」
考えたままを淡々と答えるクーラ。
「えぇー…?信じない性質の大尉がそんな事言っちゃうの?」
「はは…」
胡散臭そうな表情で不満げな声を上げるエリィに苦笑したクーラは,冷静に言葉を繋ぐ。
「もっとも,遺された予言それ自体はほとんどまったく信用していないのですがね」
「…え?」
「私なら,覆して欲しくない情報であるほど伏せておくはずですから」
「ど…どういう…」
言葉の意味を測り兼ねて尋ねるエリィ。
「たとえば…最も念入りに視られていたとされる,龍戦士降臨の時間と場所ですが。帝国…漆黒将軍はその機密を入手し,狙撃してきたわけでしょう?」
「ええ」
「もしそれで予言の成就が不可能となってしまうとしたら,そんな決定的な情報を公表しようなどと思いますか?」
「!」
ハッとするエリィ。
「アリシアの姫君,などとわざと名指しや肩書きを避けているのもそうですね。ほとんどの者は現女王の事と思い込んでしまっていたでしょうが,例えば裏事情に通じたノーブル殿などは…」
「た,確かに…」
自分をいざという時の切り札として,それと知らせずにまったく関係の無い所で育てていた。その切り札から目を逸らすために自分の正体も隠していた。女王こそが唯一絶対の要素であると周囲に吹聴していた可能性すらあるかも知れない。
伝説の武具にしてもそうだ。あの時確かにノーブルは双朧花にも可能性があると,そう言った。
「アリシアなり世界の存続が視えたとして,それが望ましいものであればあるほど,それを逆手に取られてひっくり返されるような情報は伏せておくのが得策。逆に,本筋には影響のない事をさも重要な事のように見せかけてそちらへ意識を向けさせておくのは常道でしょう」
だから予言が信用ならないという結論は微塵も揺らいでいませんよ,と結んでクーラは皮肉めいた笑みを浮かべる。
「う…じゃぁ最後の最後までどうなるかは判らない,って事?」
「でしょうね。アリシアにとって望ましい結末とはつまり国の存続なのでしょうが,それが姉姫殿,あるいはエリィ殿にとっても同様に望ましい結末となるかどうか…それすらも判りません」
「うぅ…理屈はその通りなんだけど…」
「何とかなりませんか?エリィ殿」
「…え?」
何とかして欲しいのはこちらの方だと言うのに。突然意味不明の事を言い出したクーラに目を丸くするエリィ。
「いえ…その予言をした方もアリシア王家の者…つまりはエリィ殿の遠い先祖でしょう?ならば,その血を受け継ぐエリィ殿にも同じことができるのではないかと…」
しかし淡々と,状況から導き出される推論を述べるクーラ。
「む…無茶言わないでよっ!そんなのどうやればいいか…」
うろたえるエリィ。
「そう,問題はそこ…やり方ですよ」
クーラはすかさず言葉を重ねる。
「えっ?」
「やり方さえ判ってしまえば,素質的にはじゅうぶん可能なのではないでしょうか?先日来の姉姫殿にも…何となくそんな余裕が見え隠れしているように思うのですが」
「!?ど,どういう事…?」
「最愛の漆黒将軍が命の危険を顧みずに過去を清算しようとしています。また,自らもその庇護を離れて前線へ赴こうとしています。いくら対策が講じられているといっても,決してまったくの安全とは言い難い」
そこで一度間を置いてから,クーラは続ける。
「だというのに,あの妙な物わかりの良さと危機感の無さ。不自然だとは思いませんか?何か決定的なものが視えたからこそのあの余裕…という可能性もあります」
「…!」
確かにあの緊張感の欠片も無い自然体は不自然すぎる。
エリィは密かに,実は姉姫も自分に劣らぬ自由奔放な性格だからそうなのではないかと思っていた。しかしクーラの仮説を聞いてみると,なるほどそれは十分にあり得る話だと思える。
少なくとも自分ならば,不安がある限りは一時たりとも離れたくはない。
「もし姉姫殿に何かが視えているのだとすれば…やり方さえ教われば,同じ素質を持つ妹姫殿にできないはずが無いでしょう?」
「そ…それは…そうかも…」
ごくり,と唾を飲み込むエリィ。
「折を見て,そのあたりのことを訊いてみては?」
「う…うん。そうする…」
それでおそらく,今エリィが抱えている悩みはほとんど解決するのではないだろうか。
何か良い未来が視えると良いですね,と結んでクーラは微笑を浮かべた。




