野分の朝
「…昨夜は良く眠れたかな?」
「…っ」
入室するや否や浴びせられた何の含みも無い気遣いの言葉に,しかしエリィは複雑な表情で立ち止まる。
昨夜は,と言ってもほとんど明け方にはなっていたが,結局クーラが騎士の剣の所有者と認められたところでお開きとなった。
じゅうぶんに休養をとり,落ち着いてから状況を整理すべきだろう。そんな漆黒将軍の言葉に乗らざるを得ないほど展開は激しすぎた。
本来ならば落ち着けるはずのない高すぎる格調の部屋,しかもそれが自分の生家であるとの非現実的な事実を突きつけられ,神経が高ぶっていたはずのエリィは,しかし正体不明の深い深い眠りに落ちてしまったのだ。
「ふふふ…」
「う…」
すぐそばでアリシア女王,姉と言われたユーリエが楽しそうに笑い,彼女は赤面する。
滅多に起こらない事でもあり,フレイアを欠いてしまってもいた”風”はどう対応して良いか判らなくなり,結局状況を聞いたユーリエがみずから入室して彼女を起こすという事態になったのだ。
「…まずは食べてしまおう。折角の料理が冷めてしまう」
「あ,は,はい…」
入り口を塞いでいる事を思い出し,慌ててエリィは席につく。
(食事は普通なのね…ちょっとホッとしたかも…)
どこかふわふわとした感覚でそんな事を思うエリィだったが,それはすぐに否定された。
「こ…これは…一体…」
入ってきたギルバートが目を丸くする。
「ちょっと込み入った事情があるのですが…こちらの方が身構えずにすむでしょう?」
気まずそうな笑みを浮かべてユーリエが言う。
「え?その…え?いや…しかし?これは…」
丸くなった目を料理と従妹との間に何度も往復させるギルバート。
「え?どういう事…?」
ぼそぼそと隣のノーブルに尋ねるエリィ。
「アリシアの宮廷料理人が,ごく普通の市井の料理を作って食卓に上げるなど前代未聞。ギルバート殿はそれに驚いているのですよ」
「あ,そ,そういう…」
「ユーリエ様が市井に降りる準備は着々と進んでいた…といったところでしょうか…」
コリコリと頬骨をかきながら溜息をつくノーブル。
「!?ちょ…ま…」
「そうとばかりも言えますまい」
そこで苦笑しながらクーラが助け舟を出す。
「え?」
「おそらくは…漆黒将軍が質素を旨としたのでしょう。で,女王がそれを汲んだ…」
「ええ。おそらく最初期には,負けるわけにはいかなかったのだろうと推察します」
もうひとつ溜息をついて,先ほどの茶化しなどまったくなかったかのようにノーブルは言葉を繋ぐ。
「公正と信義,誠実と慈愛を以て攻める漆黒将軍は,ユーリエ様の生活は極力変えまいとしたのでしょう。一方で自分は贅沢をする気も無ければそうするわけにも行かない…」
「ところが,それに屈するわけにはいかない女王は,自分だけがのうのうと宮廷料理を食べているわけにもいかない。帝国から与えられる自由に抵抗し,見張られる体で一緒に食事をするしかないならばなおのこと…といったところでしょうな」
やれやれと言った表情で言葉を引き継ぐクーラ。
「…」
エリィは頭を抱える。おそらく当人たちは大真面目だったのだろうが,第三者の立場から想像するとひどく緊張感の無い画しか浮かばない。
「悪意のある言い方で言えば,緊張感を持たせない事も漆黒将軍の策だったという事ですよ,エリィ殿」
そう言って肩をすくめるクーラ。
「いやはやまったく。そもそも人は幸福や快楽に抗うようにはできておりませんからな…。全くの盲点だったと言わざるを得ません」
ノーブルも肩をすくめる。
「そ…そうね…」
それは実感としてエリィにもあった。今までは得体が知れないのを良い事に嫌がらせやからかいの類だと決めつけていた。だからこそさして苦も無く漆黒将軍を警戒できたのだ。
だが種明かしをされてしまった今は,その警戒を保つ事がどんどん難しくなっていってしまっている。
「おかわり,いっぱいありますからね?」
「え?は,はい…」
そこでユーリエによって意識を現実に引き戻されるエリィ。
ほとんど昼食と言って差し支えない朝食がはじまった。
◇
「…さて,では本題に入ろうか」
卓から全ての食器が片付けられるのを待って,漆黒将軍が口を開く。
「え?あ,はい…」
それで意識を切り替えようとするが,それでもなおエリィは違和感を拭えずにいた。
自分の姉だと言うなら,しかも双子だと言うならある意味解らなくも無い。しかしやはり一方で,聡明で思慮深く気品に溢れたという評判の女王にしてはおおいに不自然な出来事が食事中に起こったのだ。それは彼女を良く知るギルバートの反応も如実に物語っていた。
食べ方こそ気品を備えていたが,問題はその量だ。およそ深窓の令嬢には似つかわしくない,自分と遜色のない物量を女王がぺろりと平らげたのだ。
(魔法もお腹が減るのかな…って…あれ…?)
そう言えばノーブルも結構な量を平らげていた,などと思い出して,そこでエリィはふと気が付いた。
双子だと言うなら,持って生まれた素質は変わらないのではないだろうか。だとすれば,ユーリエの魔法の素質は自分並みという事にならないだろうか。
「…おい。大丈夫か?」
「え!?あ,はい…」
そこで再び意識を現実に引き戻されるエリィ。
「…さすがに事が大きすぎるか…」
苦笑する漆黒将軍。
「う…そ,それはその…」
違う,とは断言できない。今もってなお現実感に乏しいという表現がぴったり当てはまるのだが,それでもやはり,女王の資質に意識を取られた事が自分を待ち受ける運命に起因していないとは言い切れない。
「…もし交代するならば,今が好機とも言えるのだがな」
「えっ?」
「…こちらの手違いで,悪逆非道の漆黒将軍という図式は崩れてしまったが…」
肩をすくめて漆黒将軍はそう前置きする。
これは先ほど慌てて出仕してきた大臣たちの反応から判った事だ。彼らは今までの非礼を,つまりこれまで漆黒将軍を悪逆非道と誹っていた事を本人に詫びたのだ。これまで帝国側による認識の改変があった事,それが機能しなくなってしまった事の二つが無ければ起こり得ない現象だ。
「…昨夜此処で戦闘が行われたのは事実であり…その結果としてユーリエが国を継げなくなった事にしてしえば混乱が少ないのも事実だ」
「うっ…」
「ダメです」
しかしにっこりと笑って,ユーリエがそれを即座に否定する。
「それでは,どのみち将軍の責任問題となってしまいますでしょう?認めるわけには参りません」
「…しかし」
「しかしもかかしもありません。ダメなものはダメです」
「…」
それ以上何も言えなくなってしまう漆黒将軍。やがて彼は肩をすくめ,お手上げと言った表情で口を開く。
「…というわけだ。多分にこちら側の事情で申し訳ないが,この件はしばらく先送りとしよう」
「は…はぁ…」
呆気に取られて気の抜けた返事をするエリィ。
(悪逆非道の漆黒将軍と,それに体を張って抵抗する女王…実際のところは,悪逆非道を演じて全ての責任を背負い込もうとしていた漆黒将軍と,それをさせまいとする女王だったわけか…)
軽いめまいを覚えながら,クーラはそんな事を考える。
何ともお気楽な,とややもすれば感情が反発してしまうところだが,しかし現実は何とも複雑だ。綱渡りのような微妙なバランスの上に作られてきていた事が良く解る。
例えばルトリアが帝国に理解を示していただけで,あるいは例えばエリティアがルトリアに札束で頬を叩かれていなかっただけで,状況は変わっていたはずなのだ。
「…だが。すぐに交代しないのであれば,いきおいユーリエはしばらく連合と行動をともにする事となる」
「う…っ」
ギルバートが呻く。
「…!あ,あ…」
一呼吸遅れて,エリィの顔から血の気が引いていく。
「…つくづくいい加減な作戦と,本来ならばそう言わざるを得ないのだがな…」
同情的な苦笑を浮かべながら,しかし漆黒将軍は言葉を継いだ。
「…それについてはいくつかいろいろと説明しなければならない事もある。じっくりと詰めよう」




