もう一人の姫君
「…は?」
漆黒将軍から発せられた言葉の意味を理解できず,間の抜けた声を上げるエリィ。
(まずい…!)
しかしクーラは,それによって確信を得る。
「…”風”には,確か…」
だが漆黒将軍は割り込む隙を与えず,予想外の方向へと話を振ってクーラの機先を制する。
「…過去には全てをかけて責任を取るという掟があったな?」
「それが何か?」
「…つまり,今お前が口にした言葉も,明日には立派な過去になっているという事だ」
(う…っ)
まずい。まずいまずい。クーラの背筋を冷たい汗が流れる。
「回りくどいわね。ハッキリ言いなさいよ」
「…今なら聞かなかった事にしても良いが…撤回するつもりはないか?」
「はぁ?」
あからさまに呆れ顔をするエリィは,事の本質に,漆黒将軍の狙いに気づいていない。
「あた…」
「エリィ殿っ!」
当たり前だ,そう叫びかけたエリィの口を押さえつけるクーラ。
「は,はひひ…?」
「いけません!迂闊に挑発に乗っては!漆黒将軍の策です!」
引くに引けなくなったエリィに身代わりを強いてユーリエを連れ去る。漆黒将軍はそのシナリオを思い描いたに違いない。挑発したつもりが挑発し返されて嵌められては話にならない。
「…心外だな。策などではない,まったくの善意だよ」
ふぅ,と溜息をつく漆黒将軍。それがまたしてもエリィの逆鱗に触れる。
「なめないでっ!これでも舞神流皆伝!二言は無い!」
クーラを振り払って叫ぶエリィ。
こめかみを押さえて絶句するクーラ。
「…そうか」
「え…っ?」
さすがにその違和感はエリィもじゅうぶんに感じ取ったらしい。呆れているようで蔑んでいるわけではまったくなく,純粋に同情するかのような表情。それが漆黒将軍のみならず,その傍らのアリシア女王からも同時に向けられたのだ。
「…ならば,ユーリエは連れていく」
しかしそれを彼女に考えさせる暇を与えず,漆黒将軍はきっぱりと言い切る。
「そ,そんな!それではアリシアは…」
また情けない声を上げるギルバート。
「…心配は不要だ,ギルバート殿」
ところがそこで,予想外の言葉が発せられる。
「え…?」
目を丸くするギルバートに笑みを返して,彼は言葉を継いだ。
「…アリシアは…エリィが継いでくれるそうだ」
◇
「…は?」
真っ先に静寂を破ったのは,やはりエリィであった。
「言ってる意味が,分からないんだけど?」
「…言葉通りだよ。その為に,散々練習してきたのだろう?」
「な…っ!」
古代語は読めるようになったのかと言外に言われた気がして,再び頭に血が上るエリィ。
「馬鹿じゃないの!?アンタ自分でいい加減な作戦とか言っといて,今更それで恥ずかしくないの!?」
「…そちらの御仁は,まんざらでもないようだが?」
ちょい,と顎をしゃくってみせる漆黒将軍。
「え…ちょ!?ノーブル!?」
「…」
エリィが振り返ると,そこには驚愕の表情で漆黒将軍を見ているノーブル。
「まさかあなた,本気だったの!?」
そこでハッとしたノーブルは,コホンと一つ咳ばらいをして口を開く。
「ま,まぁ…いざとなったらそれも選択肢の一つとは思っておりましたが…」
「ノ,ノーブル殿っ!?」
それでは話が違う。約束が違う。民を,将兵を謀って形ばかりアリシアを続けたとして,それにいかほどの意味があろうか。抗議の叫びを上げるギルバート。
「…シェスター!」
しかしそこで突然,漆黒将軍は全く無関係のはずの己が部下に向かって言葉を発する。
「ハ…ハッ!」
「…おそらく今夜はもう何も起こらない。むしろ忙しくなるのは明日だ。待機している他の者にも伝え,明日に備えて宿所で休め」
「ハ…しかし…」
さすがに理解が及ばないようで,シェスターは不安げに主を見る。
「…大丈夫だ」
しかしそれに穏やかな笑みを見せる主。
「ハッ!」
敬礼し,立ち去るシェスター。強固な信頼関係と言えばそれまでだが,そんなものを持ち合わせない他の者たちの違和感は一層ふくらむ。
「どういう事よ…」
じろり,と違和感の主を睨みつけてエリィが言う。彼女から見れば,この期に及んでもまだ漆黒将軍は面白半分に場を混乱させているようにしか見えないのだ。そうやって問題をうやむやにされ逃げられてなるものかという気迫が彼女の五体に満ちる。
「…エリィは覚悟を決めたようだが。それ以外の諸君はどうかな?」
だがそれを好意的に解釈して,エリィに言わせれば面白半分に曲解して,漆黒将軍は問いかける。
(…!)
それで事態を察するクーラ。シェスターを下がらせたのはつまり,何か重大な事が起こるという事だ。彼の安全を確保する為に退避させたのだ。
何が起こるのかは判らないが,途方もない何かが起こりそうな気がする。
「”風”の諸君は言うに及ばず…だが。ギルバート殿も状況によってはかなりの覚悟を求められる事になる」
「私が…ですか?」
目を白黒させるギルバートに,無言で頷く漆黒将軍。
「儂は…嬢ちゃんと一蓮托生じゃからな。嬢ちゃんがそれで良いと言ったらつきあうだけじゃよ」
ハーディが髭をしごきながら言う。
「私もですね」
ひょいとそう言って,エリィに睨まれたノーブルはぺろりと舌を出す。
「俺も構わない」
腕を組みながらアラウドがそれだけを言う。
「…さて。となると残るはあと二人…いや,一人だな。大尉は…言うまでも無いかな?ここまで来たのだから」
「そう…なりますね」
既に逃げ道はほとんど塞がれている。半ば諦めにも似た心境でクーラは答える。
「…よし,では…」
「え…?」
ギルバートがそこで頓狂な声を上げる。
「…どうした?」
「いえ,あの…私は?」
「…ああ」
苦笑した漆黒将軍は,しかし斜め上の事を言い出す。
「最後の一人が大尉だよ。君はむしろ,一方の当事者としてそれを聞かなければならない立場だ」
「は…?」
「…だが,まぁ…展開によっては秘密は守ってもらわねばならんな」
漆黒将軍はもう一度苦笑して,表情を引き締めた。
「…これから私が語る事はアリシアの最高機密だ。これを当人の了承なく漏らした者は,私が漆黒将軍の名において粛正する」
「!?」
突然の宣言に一同は目を丸くする。
「さ,さすがにそこまでは…」
控えめに口を挟むユーリエ。しかし例によってそちらに優しい笑顔を向けながら,漆黒将軍は言う。
「…いや。これは避けて通れぬ道なのだ。我々にとっても,彼女にとってもな」
「…」
それきり黙るユーリエ。
(何だ…何が起ころうとしている…?)
クーラの心に最大レベルの警報が鳴り響く。
「…エリィ。お前は考えた事があるか?」
視線を移し,漆黒将軍は静かに口を開く。
「な…何をよ…?」
予想外の宣言からの唐突の問いかけにすっかり気勢を削がれるエリィ。
「…帰還者の首魁から聞かされただろう?ハイアムの故事を形作る一方の主役…アリシア女王の名がユーリエであると」
「聞いたわよ?でもそれが…」
何故それを知っているのか,などと疑問に思う暇も無くエリィは答える。
「…ここに居るのはユーリエ。同じ名だ。偶然だと思うか?」
(…!)
そこで今までの斜め上が全て児戯にも等しく思えてしまうほどのあり得ない結論が導き出され,ハッとするクーラ。
「え…?さすがにそれはないと思うけど」
ハイアムの故事を忘れないために名付けている。魔操兵戦争として民間にまで広くそれを語り継ぐアリシアの王家なのだから,そのくらいはやりそうだ。そんな事を考えて,エリィは答える。
「…そうだ。偶然ではないのだよ」
頷いて漆黒将軍は続ける。
「…アリシアの代々の姫君たちの中には,国の歩んできた歴史になぞらえて固有の名を与えられた者も多い。ユーリエもまたそのうちの一人なのだが,では何をなぞっていると思う?」
「何を…って…」
立て続けの問いかけに,毒気までも抜かれてしまうエリィ。
「…ハイアムの故事のどこと共通点があるか,と言い換えても良いだろうな」
「共…通点…?」
首を傾げるエリィに苦笑して,漆黒将軍は続ける。
「…ユーリエの名は,双子の姉に名付けられるのだよ」
「な…っ!?」
ギルバートが叫ぶ。
「ば…ばかな!?ユーリエ様に妹がいた事など…っ!」
しかしすぐさま,漆黒将軍はそれを制する。
「…これは貴公にも明かされなかったアリシアの機密中の機密だ。両親以外にそれを知り得る者はそれを後見する役割を担う者のみ。アリシア王家の中に在って後にそれを知らされる者は姉たるユーリエのみなのだ。私は征服者の強権でそれを知った…」
「え,え…?じゃぁ,ユーリエ様にも双子の妹が居るって事なの?」
「…そうだ。無論,その妹に名付けられる名も決まっている。ハイアムへと嫁いだ妹姫と同じ,エレーナの名がな」
頷く漆黒将軍。
「…だから,アリシア王家を継ぐ者がユーリエである必要は無い。ユーリエにもしもの事があればエレーナが国を継げば良い。それがアリシアの変わらぬ願いだったのだよ」
「ま,さ,か…」
ギルバートがわななきながら言う。
「…そうだ」
また頷いて,漆黒将軍は言葉を繋いだ。
「…それがお前なのだよ,エリィ。いや…エレーナ」




