怒りの対価
突如としてユーリエの腕の中に出現した漆黒将軍。
やや身体を離して見上げたユーリエと,それを優しく見下ろす漆黒将軍の間には,ぼそぼそと密やかなやりとりが行われているようだ。
「何か…ヤだな」
複雑な表情でぼそりとつぶやくエリィ。
「嫌?…とは…?」
「だって…完全に二人だけの世界にイっちゃってるでしょ?」
「少なくとも女王にとってはそうでしょうね」
苦笑するクーラ。
「アイツの余裕かました顔が気に入らない…」
「ははは…」
笑いながらクーラは,しかしその先の状況を思案して暗い気持ちになる。
伝説の龍戦士ではない漆黒将軍を選んでしまったアリシア女王。あの様子では,一度は彼女を返そうとした漆黒将軍もいろいろと覚悟を決めただろう。
(面倒な…)
どのみちややこしい話にはなりそうだが,ここは何とかユーリエをアリシア女王の立場に留まらせる方が良いだろう。そうすれば,少なくともエリィや自分は無責任な外野の立場に居られる。
これがエリィを身代わりにして,という話になれば,当然こちらに全てのしわ寄せがやってくるのだ。
(…)
ここは注意深く状況の変化を見極め,慎重に対応していくべきだろう。当然そのあたりも織り込み済みのノーブルと,漆黒将軍とのここからの駆け引きがすべての明暗を分けるはずだ,とクーラは結論する。
「そろそろ,決着はつきましたでしょうか?」
そこでノーブルが口火を切る。ハッと我に返り,ぱっと離れるユーリエ。
「…すまないな,こういう事になってしまった。だが…貴殿ならば止めようと思えば簡単にそうできたのではないのか?」
(確かに…)
すでに勝負は始まっている。クーラはすっかり乾いてしまった唇をぺろりと舐めて潤す。
「私はユーリエ様を全面的に信用していますから」
何食わぬ顔でノーブルは言葉を繋ぐ。
「ユーリエ様に国を捨てる決意までさせる程の男が,ユーリエ様を見殺しにするはずがありません…でしょう?」
「…食えぬ男だな」
ふ,と軽く笑って漆黒将軍は言う。
「で…いかがなさるおつもりで?」
軽やかにノーブルが尋ねる。
「…私が漆黒将軍である以上は…」
「卑怯者ッ!」
しかしそこでエリィが怒りも露わに割り込む。
「…卑怯?」
その形容が意外だったと言うべきか。漆黒将軍が目を丸くする。そしてそれがさらにエリィの怒りに火を点ける。
「ユーリエ様が全てを捨てる覚悟までしているのにっ!漆黒将軍ですって!?そうやって自分は立場に逃げるの!?」
そう言うや否や,エリィは考え付く限りの悪口を並べ立てはじめた。
(まずい…)
そもそも論としてエリィの言葉は女王がアリシアを捨てるのが前提だ。それはつまるところ彼女自身にしわ寄せとなって跳ね返ってくる事を意味する。だからここで彼を下手に刺激することは下策も下策,それを加速してしまう以外の何物でもないのだ。
「ひ,姫…落ち着いて」
「これが落ち着いていられるもんですか!」
「エリィ殿,ここは冷静に…」
「手を緩めたら逃げられるでしょ!?」
確かに挑発をして相手を引っ張り出す方法は初歩であり手の一つである。だが百戦錬磨の漆黒将軍が相手ではよほど慎重に当たらなければ逆手に取られるのが関の山だ。
(いつにも増して相手が悪いか…)
とはいえ,もはやどうしようもない状況ではある。
相手が漆黒将軍であるというだけでも分が悪いというのに,今回はさらに,ユーリエの立場に自らを重ね合わせて多分に同情しているのだ。これで冷静になれという方が彼女にとっては酷だ,とクーラは溜息をつく。
なおも悪口を浴びせ続けるエリィ。といっても彼女の語彙はそれほど多くないし,遅かれ早かれそれは尽きる。
適当な間隔をおいての同じ言葉の繰り返しとなるのにそれほどの時間はかからなかった。
「…っ」
たまりかねたユーリエがそれを止めようと身を乗り出しかけたタイミングで,漆黒将軍が手でそれを制する。
「…私の事で貴女とエリィが言い争うのは心が痛む。けじめは私がつける」
「…!げ,元凶が何を格好つけてるのよ!元はと言えばアンタの軟弱が悪いんでしょ!?」
「…それは否定しないがな」
漆黒将軍はそう言うと,ふっと笑って反撃に転じた。
「…ならばお前は。私が全てを捨ててユーリエと添い遂げても構わないと言うのだな?」
「『ても構わない』じゃないわよ!それ以外の選択肢は無いって言ってるの!」
「…つまりそれは,ユーリエがアリシアを捨てても構わないという事なのだな?」
「そうよ!」
「!?エ…エリィ殿!?」
ギルバートの悲痛な叫び。ハッとしたエリィはしかし,それでも節を曲げようとはしない。
「だ,だってユーリエ様は身を投げて…命を捨てたのよ?ごく普通に考えてアリシアはそこで終わりでしょう?」
(それを終わらせなかったのが漆黒将軍なのだがな…)
溜息をつくクーラ。彼がただ単純に女王だけを救おうとしたのではない事は明白だ。
(待て…)
もしや,漆黒将軍はユーリエ亡き後のアリシアがどうなるかまで読んでいたのではなかろうか。いや,その程度はもはやお約束だ。
だとすると,彼はエリィまでもしわ寄せから救おうとしていたのではないか。
そうだと断言する事はできまい。だがこれまでの漆黒将軍の様子から見れば,全くあり得ないと断じる事もできない。
「で,ですがユーリエ様はこうしてここにいらっしゃるのですよ!?やり直せるじゃないですか」
「無理よ。あそこでアイツがドヤ顔してる限りは絶対にあり得ない」
きっぱりと言い切るエリィ。
「…」
微妙な空気があたりに流れる。
気遣うような表情で見上げたユーリエに,大丈夫だとばかり穏やかな笑みで返す漆黒将軍。それがまたエリィの怒りの火に油を注ぐ。
「元凶が何を余裕かましてるのよっ!」
(…)
止まらない。止めようがない。かつて嫌と言うほど味わってきた無力感に再び責めさいなまれるクーラ。
「本来だったら蹴り殺してやるところだけど,それじゃユーリエ様が気の毒過ぎるから許してやろうって言ってるのよ!無責任にヘラヘラ笑うなっ!」
「…寛大な処置という事か。にもまして…責任を取れという事か」
漆黒将軍が苦笑する。
「…ではエリィ。お前は…私がユーリエにアリシアを捨てさせ,それとともに…そうだな,お前のような冒険者の立場となっても構わないと,そう言うのだな?」
「何度同じ事を言わせるのよっ!それ以外に方法が無いでしょ!?何を偉そうにっ!」
「…」
無理にでも割り込んで話を逸らさなければ。そんな危機感を持ったクーラだったが,彼が口を開くより早く,漆黒将軍が斬り込んできた。
「…お前は,その言葉に責任が取れるのか?」




