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その想いを受け止めて

 漆黒将軍の居ない人生など考えられない。そう言ったアリシア女王ユーリエは,静かだが確実に歩み始めた。

 その向かう先はこちらではない。大きく口を開けた奈落へだ。

「許してください,ギルバート殿。そして迷惑ついでに,私の最後の頼みを聞いて頂きたいのです」

「ユーリエ様…?頼み…とは?」

 彼女の歩みの真意を問いただそうとしたギルバートは,しかし彼女の言葉に主導権を奪われてしまう。

「本来なら私が自ら行うべきところですが…私を信じて苦難の道を歩んできた全てのアリシア兵たちに,ユーリエが謝っていたと伝えてください」

 言いながら,一歩,また一歩と歩みを進めるユーリエ。

「ユーリエ様っ!」

 そこでようやくその意図に気がついたギルバートが叫び,走り寄ろうとする。

「来ないでっ!」

 それを制するユーリエの叫び。

(なっ…!)

 だがそれはただの叫びでは無かった。先ほど感じたクーラの違和感をも裏付ける,ありえない圧がそこにはあったのだ。

「う…く?くっ…!」

 まるで金縛りにでもあったかのようにぴたりと動きを止めるギルバート。

(馬鹿な…)

 魔法だというなら解る。魔法王国アリシアの総帥とも言える彼女が立場に見合った力を持っていれば,ギルバートの動きをそれで止めてしまったとしても何の不自然も無い。

 だが今かかっている圧は,明らかに気迫の部類だ。舞神流皆伝のエリィのそれと比べても遜色のない気迫が,ギルバートの身を竦ませているのだ。

 魔法王国アリシアの総帥には本来身につくはずのないものであるし,彼女の言葉が正しければこの二年程彼女を包んでいたはずの,漆黒将軍の愛の下でも身につくはずのないもののはずだ。

「な…なに…これ…?」

 さすがに動きを封じられはしないが,目を丸くするエリィ。

「さて…漆黒将軍とともにかなりの修羅場を乗り越えた…という事なのでしょうか」

 思わず乾いた笑いを浮かべてしまうクーラ。予言に云う伝説の龍戦士とアリシアの姫の結びつきはこれ以上だとでもいうのか。

 女王の記憶を消そうとした漆黒将軍は,もしかするとあるいはそれをも,不必要に深くなってしまった自分と女王との結びつきが予言の妨げとなる事をも懸念したのかも知れない。それはつまり彼が,自身が伝説の龍戦士ではない事を確信しているという事にもなるだろう。

(…!)

 ”流星”として対峙し浴びせられた言葉が鮮明に脳裏に蘇る。ユーリエを渡すとは,つまりそういう事なのだろうか。

(…私はガイナット=クーラ。それ以上でもそれ以下でもない!)

 なかば反射的に反発する。女王など受け取る気は無い。世界を敵に回す気も無い。ただエリィを守れさえすれば良いのだ。

 しかし。

(く…っ)

 名の意味が判った事はともかくとして,致命的な弱点をも背負ってしまった今の自分にそれが可能なのか。そんな心の痛みに耐えるクーラ。

 だがいずれにせよこれほどの圧では,自分とエリィ,そして後ろに控えるシェスターくらいしかまともに動く事はできまい。となれば後の展開はだいたい読める。

「そして…黒軍の方々を…この二年,アリシアを支え続けてくれた彼らを,温かく受け入れて上げて下さい。彼ら無くしては生きていけない人たちのためにも…」

「!…」

 ユーリエの言葉は続き,それにハッとしたシェスターが深々と頭を垂れる気配が伝わってくる。

(…)

 どうやら止めに入るという選択肢は彼にはないようだ。そこにどんな判断があるのかは判らないが,主導権やっかいごとを預けられるわけにはいかないクーラにとってはそれは好都合だ。

「ダメですユーリエ様…!」

 彼女への同情と漆黒将軍への反発とで行動を起こそうとするエリィ。しかしその機先を制し,クーラは手でその進路を妨げた。

「た,大尉…!?」

 驚いた顔で抗議しようとするエリィに黙って首を振って見せるクーラ。

「女王があそこまでの覚悟を持ってしまったのは事実です。もはや何人なんぴとたりとも間に割って入る事はできますまい」

「うっ…」

 やはりエリィは,それなりに感情移入していたようだ。おそらくは自分に置き換えて考えたのだろう。言葉に詰まる。

「あとは,当人どうしの問題です…」

 きわめて理性的に振る舞いながらその実きわめて利己的に,クーラは言葉を紡ぐ。

 しかし一方で,彼はまったく別の観点からおおいに驚いていた。

(馬鹿な…)

 仮にエリィが制止を振り切って飛び込んだとしても,女王に躱されてしまうのではないだろうか。

 そんなあり得ない思いにとらわれるほど,彼女の身のこなしにはまったく隙が無いのだ。

(格闘…舞踊…?)

 わずかばかりの可能性が浮かんでくる。もし女王がこれまで聞き及んでいたアリシアの通例を踏襲せずに格闘舞踊までも修めているとしたら,あの達人の域の圧はともかくとしてこの身のこなしには説得力を持たせられるだろう。

(…!)

 ひょっとしてノーブルは,ここまで知っていたからこそあのふざけた作戦に乗ってきたのではないか?無責任な外野が興味本位で悪い冗談に乗っているふりをしながら,最悪の場面を想定して人の上に立つ者の心構えをエリィに吹き込んできたのではないのか?

 だとすれば逆に,ここで女王を見殺しにしてしまってはまずいのではないだろうか,そんな思いにとらわれて身震いするクーラ。

 しかしその心配が杞憂に終わった事を彼は感じ取った。

「で,でもこのままじゃ…」

「…大丈夫ですよ,エリィ殿。…当事者の間で片がつきそうです」

 ふっ,と安堵と自虐の笑みを浮かべながらクーラはぼそぼそと言う。

「えっ…?あ?」

 ユーリエに視線を移したエリィは,そこで不思議な光景を目の当たりにした。

 今まさに歩を進めようとした彼女の身体が,何もない空間にはね返されたのだ。

「えっ…?」

 予想外の出来事に驚き,何もない空間を見上げるユーリエ。

「…あ…っ!」

 だが彼女はすぐにその理由に思い至ったようだ。その表情が,まるで大輪の花でも咲いたかのようにぱあっと明るくなったかと思うと,彼女は何もない空間に腕を回してそれを抱き締めたのだ。

「え…え?」

 遂にユーリエの精神は崩壊してしまったのだろうか。そんな事を考えて目を丸くするエリィ。

「あ…っ!」

 しかしそんな彼女の疑問はすぐに解消される事となった。何もなかったはずのユーリエの腕の中に,突如として漆黒将軍が現れたのだ。

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