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踏み出す一歩

 アリシア女王ユーリエの口から発せられたありえない叫びは,一同に大きな衝撃をもたらした。

「えっ…え,えええ…?」

 ぽかんと口を開けてエリィが漏らす。

「!」

 その時クーラの耳に,がちゃがちゃと金属鎧が立てる音が飛び込んで来る。

(三人…?)

 しかし数がおかしい。ノーブルとギルバートに見捨てられたハーディ達が黒軍に討たれたのかと考えて,クーラはすぐにそれを否定する。

 あの足取りは間違いなくハーディのそれだ。アラウドも居る。

(…)

 考えられることは一つ,帝国本国や漆黒将軍の認識はともかくとして,黒軍の認識は例の手紙の段階のままという事だ。

 もう少し慎重に様子をみるべきだろう,そうクーラは判断する。黒軍の認識がそのままだというなら,明らかにユーリエの反応はそれに矛盾しているのだ。

「大丈夫か,嬢ちゃん!」

 ハーディがこちらを視認して声を上げる。そしてそれに伴って,ようやく他の者たちの思考に再起動がかかる。

「あ,わ,私は大丈夫だけど…」

「!」

 ハーディ達とともに走ってきた男,帝国黒軍のシェスターは,部屋の惨状と一人佇むユーリエにハッとする。

「…ユーリエ様…お怪我は…」

「!」

 そのシェスターのつぶやきにハッとしたユーリエが,きゅっと目を閉じて表情を強張らせる。

「…!」

 それで何かを察したのか,彼は背筋を正して敬礼し,そのまま数歩下がって壁際に直立する。

「な,な…なな…」

 状況についていけないギルバートは,そんな二人を交互に見ながら狼狽える。

「何やら…事情が深そうですね?」

 ふぅ,と息を吐いて苦笑しながらノーブルが言う。

「ともかく危機的な状況は去りましたでしょうから,まずは一息つきましょう。細かい点はおいおい…」

 言いながら優しい笑みを浮かべ,ノーブルはユーリエへと近づこうとする。

「来ないで下さい」

 しかし彼女の口を衝いて出たのは,随分と穏やかとはいえやはり拒否の言葉だった。

「ユーリエ様…?」

 訳が分からないといった様子のエリィの小さなつぶやきをクーラの耳が拾う。

「アリシア女王ユーリエは…死んだのです」

「!?」

 突然死亡を宣言するユーリエ。そのあまりのあり得なさに再び一同の思考が停止する。

 しかしクーラだけは別だった。彼は表面上はそのように振る舞いながら,しかし無関係な外野の立場に身を置いて一歩も二歩もその場から距離を取り,周囲の,特にシェスターの反応を窺っていたのだ。無論それは,巧妙に仕掛けられた罠の類があるならばそれを真っ先に看破しなければならないという使命感によるものだ。

(…)

 そのシェスターの気配には何ら変わった様子が見られない。驚きを隠す必要性も彼には無いのだから,その反応はごく自然なものとみて間違いあるまい。

 それはつまり,この乱心とも思えるユーリエの態度が彼にとってはごく当たり前に受け止められているという事だ。

(これは…)

 場合によってはアリシアが吹っ飛ぶほどの秘密が隠されている。そう察したクーラはごくりと唾を飲み込む。なぜならそれは,エリィなり自分にとばっちりが来る危険をはらんでいるのだ。

「ユ,ユーリエ様?何を…?現に貴女はこうして…」

 立場上もっとも衝撃を受けたはずのギルバートが,また情けない声を上げる。

「いいえ,ギルバート殿。ここにいる私は,もはや屍も同然です」

「リュミエール様と同じく,操られているって事…?」

 ぼそぼそとエリィがクーラにつぶやく。

「そうではありますまい。…いっそその方が話が単純で良かったのかも知れませんが…」

 溜息交じりに返すクーラ。

「私は…アリシアは,もうかなり前に,帝国に屈服してしまったのです」

「何を,まだ…」

 反論しかけたギルバートをノーブルが制する。

「ギルバート殿,まずは聞きましょう。順序が逆になってしまいましたが,事の顛末は把握しておく必要があります」

 そう言ってノーブルはユーリエに目配せし,頷いた彼女はまた口を開く。

「帝国は,巧妙でした。二年前のあの日,彼らは此処が手薄になった隙を衝いて,少数精鋭で仕掛けてきました」

「っ…」

 ギルバートが歯噛みする。国を守るために最前線へと身を投じ生死の境を彷徨うほどの大怪我もした彼だが,結局は最も重要な場所を守れなかったのだ。

「彼らは私の命を盾に将兵の行動を封じ,また逆に将兵の命を盾に私の抵抗を封じて,防衛機構システムをも掌握。まったくの無血で此処を制圧しました」

 淡々とユーリエは続ける。

「帝国は,黒軍は…そして漆黒将軍かれは,私に思いもよらない方法で攻撃をかけてきました。それは…公正であり,誠実であり信頼であり…好意であり,慈愛であったのです」

「!?」

 信じられない単語が次々と耳に飛び込んできてギルバートは混乱する。

「そんな…帝国は,漆黒将軍は悪逆非道で…」

「それは,アリシアの事を思った策でした」

 ギルバートの言葉をすぐさま否定するユーリエ。

「自分達が悪者となる事で…アリシアを守って下さっていたのです」

「むむむ…」

 唸るギルバート。

「ですが漆黒将軍は一つだけ失敗を…ええ,致命的な失敗を犯しました」

 そこでユーリエは寂しそうに笑う。

「私の心は…もう完全にあの方のものなのです」

「そ…っ,それではアリシアはどうなるのです!?」

 ギルバートが叫び,ユーリエの顔が苦痛に歪む。

「すみません…ですが本来ならば,私はもう生きてはいないのです」

「!?」

「私は先日…この部屋の窓から身を投げました。そこで死んでいるはずだったのです」

「それを救ったのが漆黒将軍だったと…そういう事なのですね?ユーリエ様」

 口を挟んだノーブルに頷いて見せて,ユーリエは続ける。

「あの時,アリシア女王としての私は完全に死んだのです。今更戻るわけには参りません」

「ちょっと待って下さいユーリエ様。納得が行きません」

 そこでエリィが口を挟んだ。その声には明らかな不機嫌と怒りの響きが混じっている。

「え…?」

 さすがにそれは意外だったと見えて,女王が目を丸くする。

「そもそもユーリエ様をそこまで追い詰めたのが漆黒将軍アイツなんでしょう?助けて当然,助けなかったらただの馬鹿だと思うんですが」

(…)

 その漆黒将軍の真意が読めない以上は下手に刺激するべきではないのだが,さりとてエリィの言葉を遮ってしまうのも不自然だ。クーラはずきずき痛む頭を押さえながらそう判断する。

 しかし言葉にして表に出してしまったエリィはいよいよ抑えが効かなくなってしまい,今まで積もり積もった鬱憤を爆発させる。

「だいたい,これだけの惨状ですよ!?ユーリエ様だってかなり危険な目に遭ったんでしょう!?なのに何で,漆黒将軍が此処に居ないんです!無責任でしょ!?」

(…)

 私の事ではない。そう言い聞かせて心を落ち着かせるクーラ。引け目がそうさせたのか,エリィの言葉には彼女自身の不満も加わっているかのように感じられる。

「いえ…彼は先ほどまで此処に居たのです」

 寂しそうに笑うユーリエ。

(なるほど…)

 それで大体の事情を察するクーラ。

 おそらく漆黒将軍は,彼女を連合こちらへ返すことを決断して彼女の前から姿を消したのだろう。その上で,確実に保護されるまでは陰ながら見守る事を選択したのだろう。

 問題は,現状がそうであるように,当の本人ユーリエがそれを良しとして納得するはずが無いという事だ。だがそこにはおそらく,何らかの手違いが起こったのだろう。

「彼は私の幸せを最優先しようとして,私の記憶を消し…自分一人が悪逆非道の汚名を被ろうとしたのです」

 そして,すぐにユーリエの言葉がクーラの推測を裏付ける。

「ぐ!ぬ…ぬぅ…むむ…ぅ…くくぅっ!」

 複雑な表情で呻くギルバート。斜め上過ぎて感情が納得する事を拒んでいる。だがユーリエの言葉を理屈だけで考えれば,漆黒将軍は間違いなくアリシアのすべてをかけて報いねばならぬ恩人なのだ。

「ユーリエ様…彼はなぜそこまで…」

 そこでノーブルが口を挟む。ユーリエは首を横に振って言う。

「それは彼の過去に大きく関わる事なので言うわけには参りません。ですが…彼はアリシアを,そして私を…誰よりも愛してくれていたのです」

「そうですか…」

 そう言って,では仕方がないですね,とばかりにふぅと息を吐くノーブル。

「許せないっ!」

 しかしエリィはおさまらなかった。

「そこまでしておいて記憶を消す,ですって!?無かった事にする,ですって!?どこまで馬鹿にしてるのよアイツっ!今度会ったら絶対蹴り飛ばすッ!」

(無茶を言う…いや…)

 間違いなく当代を代表するはずの龍戦士相手にそのような芸当など。そう思ったクーラはしかし,すべてが言葉通りなら漆黒将軍が敢えて蹴られる事を甘受するのではないかと思い直す。

「ユーリエ様っ!そんな卑怯者の事なんかさっさと忘れるべきです!悪い夢だったんですよ!」

「嫌です」

 怒り心頭,気迫に満ちたエリィの言葉を,しかし事も無げに受け止めてきっぱりと言い切るユーリエ。

(な…に…?)

 そこに違和感を覚えるクーラ。しかしそれを考える暇もなく,ユーリエは行動を起こした。

「私はもう…あの人無しでは生きられない。あの人の居ない人生など考えられない」

 今までずっとその場に立ち続けていた女王は,静かだが確実な一歩を踏み出したのだ。 

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