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静かな異変

 結局それ以上の進展もないまま作戦会議はお開きとなり,食事を終えた一同はめいめい自室へと引っ込んだ。

 具体的な方策も無い以上は,不測の事態に対応すべく気力と体力を万全の状態に保つ。それが最善である。

 しかし自分でそう言っておきながら,クーラはそれをしなかった。真っ暗な自室でベッドに横たわってはいるものの,彼は状況の整理と分析を行っていた。

(突拍子もないと言えば突拍子もないが…)

 中心はやはり,先ほどのノーブルの言葉だった。突拍子もないという固定観念さえ脇にどけておけば,その仮説にはそれなりに根拠も説得力もある。

 そもそも帝国の目的が侵略ではないという情報はエリティア軍の上層部にも,といってもそれは片手で数えるほどの人数でしかない訳だが,周知済みである。邪といっても差し支えない思惑に縛られ,その成就の為エリティアの横面を札束で殴り続けるルトリア上層部の逆鱗に触れるという理由で公の場に出せないだけだ。

 もっとも,帝国の言い分じたいがそもそも突拍子もなく,信憑性を疑問視せざるを得なかったのも間違いはない。加えて,当時の連合の実権を握っていたのもやはりルトリアで,盟主の彼らがまったくそれを無視してしまったがために,アリシアにせよエリティアにせよそれ以上踏み込んだ確認を取ることもできはしなかった。

 とはいえそれが,公平フェアである事を重視するエリティアの上層部において,さながら喉の奥に引っかかった小骨のようにちくちくと痛んでいたのもまた事実だ。おそらくアリシアも,制圧され国家の命脈が風前の灯火となってさえいなければ,より好意的に接していたに違いない。仮説を立てたノーブルとそれに猛然と食って掛かったギルバート,二人の好対照ぶりがそれを暗示している。

(認めたくないのだがな…)

 クーラは溜息をつく。以上の点だけから考えると,やはり先の会談に自分クーラが同席したのは間違いだったという事になってしまうのだ。

 少なくとも先日の漆黒将軍は,帝国の理念に従って行動していたとみるべきだろう。そして彼は,連合,というよりはルトリアの影響を気にする必要のないところで何かをしたがっていた。そこから導き出される結論は多くはない。

 無難に考えれば,それは停戦交渉をまとめて平和的解決の道を模索しようとしていたからだと推測される。そしてその為に最も邪魔なのがルトリアであり,ルトリアの腰巾着をやっている今のエリティアもまた信用ならないと判断されていたのだろう。だからこそ,漆黒将軍は執拗にこちらの立ち位置を確認していたのではないか。

 そして結局,自分は最後まで軍人であることを棄てなかった。つまりはルトリアの犬である事をやめられなかったのだ。”流星”の記憶が蘇った今は,いよいよもってそれを利の少ない選択であったと結論付けてしまう自分がいる。

(たられば,だな…)

 思わず苦笑してしまうクーラ。いくら悔やんでみたところで結果は覆らない。今はとにかく,これからをどうするかを考えなければならない。

(問題は漆黒将軍の出方だが…)

 帝国は白廉将軍を更迭した。そして帝国軍の命運を任されたはずのレヤーネンは,アリシアの提案を蹴った。彼自身が連合を壊滅させるための罠であったのだから当然と言えば当然の反応ではあったが,それはつまるところ帝国が方針転換をした事を意味する。

 となれば,ごく普通にみて有能な臣下であるはずの漆黒将軍が,その意向を受けて自らもまた方針転換をしている可能性は無視できない。

 そうなってくると引っかかるのは例の手紙だ。自分はそれを見ていないし見たところで暗号など当然理解できないのだから,そこに込められた意味そのものについてはノーブルの言を信じるしかない。本来ならば到底信じ得ない突拍子もない予測に説得力を与えるものが漆黒将軍のあり得ない規格外ぶりだというのがいかにもな皮肉だが,少なくとも先の会見での感触では,漆黒将軍がエリィに抱いている感情は好意に類するものと見て間違いなかった。

 だが,要は時系列の問題だ。いわば飛び地の状態となっているアリシアの漆黒将軍がどれだけ本国と密な連絡を取れていたのかにもよるが,単純に見れば帝国の方針転換は手紙が出された後だ。となれば,手紙を出した時点までは好意的だったがその後方針転換をした可能性もある。彼自身が好き好んでやるとは思えないが,本国からの命令にはそれがたとえ卑劣なものであっても忠実に従う可能性があるのだ。

(…と,ここまではノーブルも当然織り込み済みだろう)

 ふぅ,と溜息をつくクーラ。

 問題はその先だ。ここまでで決断を迫られたら,より無難な選択は回避のはずなのだ。ところがノーブルにはそんな気配が全く見えなかった。学院長やギルド長の不自然に言及しておきながら,それに対する具体的な対策を示さず,それでいて当初の予定通り会見に臨もうとしている。

 ごく普通に考えれば,ぎりぎりまで味方こちらにも明かす事のできない悪魔的な秘策があるか,さもなくばノーブルが詳細な内容を伏せたあの手紙に,今のこの状況すら全く問題ないと思わせるだけの秘密が隠されていた事になる。

(ノーブル…一体,何を考えている…)

 ある意味でこちらも得体の知れない相手だ。今までの経験から言って,彼が偽装目的以外で意味の無い行動を取るなど考えられない。

(…)

 もしかしたら,エリィと自分の間に既成事実を作ってしまおうとしていた事にも何か深い企みがあるのかも知れない。そんな事を考えてしまうクーラ。

(…ん?)

 しかしそこで彼の思考は現実に引き戻される。常駐させているDWACが変化を感じ取ったのだ。弱火で炙られているかのように感じ続けていた例の圧力が,ある一瞬を境にきれいさっぱりと消失している。

 その圧力がアリシアの防衛システムのものである事,そのシステムが何らかの形で龍戦士の力を利用している事が判った今,その消失はつまるところアリシアに何らかの変化が訪れた事を意味する。

(…)

 しかしクーラはしばしの思考の後に,差し当たって何かをする必要は無いとの判断を下した。

 そこにこちらの付け入る隙もあるのだが,そもそも圧倒的な実力差があると向こうは認識しているはずだ。だから小手先や搦め手に頼る必要など無い。放っておいても明日には場が設けられているのだから,今夜急いで仕掛ける必要はまったく無いのだ。仮に仕掛けてきたら来たで,不意を打って必殺の一撃を見舞ってやれば良い。こちらにとっては唯一の勝算だが,向こうが主導権を握ったと油断してくれればくれるほど成功の確率は高くなる。

 おそらくノーブルもこの変化には気づいただろう。もし彼がこちらに不利になるような何かをそこから導き出せば,それを看過するわけがない。

(まさかとは思うが…)

 ふとクーラの頭を恐ろしい考えがよぎる。ノーブルは帝国なり漆黒将軍の方針転換を読み,その上で敢えて知らぬふうを装って敵中へ乗り込み,漆黒将軍を倒してしまおうなどと考えてはいないだろうか。

 となるとその根幹は”流星シャルル”だ。”流星”が漆黒将軍以上の龍戦士でない限りはどだい無理な目論見であり,それはつまりノーブルが”流星”を伝説の龍戦士だと確信にも近い状態で認識しているという事になる。

(冗談ではない…)

 総毛立つクーラ。世界の命運を背負わされるなど荷が勝ち過ぎる。確かに今の自分は,むしろ当初の”流星”の目論見以上の力を身に付けたと言って良いだろう。視覚を封じることで感覚を研ぎ澄ます事に成功したわけだが,どうやら龍戦士の力にも同じ現象が起こったらしい。あるいは封印状態でも覚醒が起こっていたという見方もできるが,ともかく今の自分には,少なくともエルやレミー程度の龍戦士には後れは取らないという確信めいた思いがある。

 だが相手が漆黒将軍ともなれば話は別だ。一方的にやられない自信は生まれはしたが,生き延びられるという気がまったくしないのは相変わらずだ。 

(無理押し…だな)

 しかしクーラは,ふぅ,と一つ息を吐いて苦笑まじりにそれを否定する。

 程度問題とは言え,龍戦士の戦いは周囲に大きな影響を及ぼす。爆心地とも言えるその場所へエリィを居合わせさせるなどはあり得ない。安全な後方で待機するなどエリィは絶対に承服しないから,それを良く知るノーブルがそんな下策を択ぶわけがない。

 だとすれば彼の目論見は何だ?いよいよ謎は深まるばかりだ。

(…遺言…か?)

 もし例の手紙に記された暗号がアリシア女王の遺言で,彼女がすでにこの世の人ではないとしたら。

 漆黒将軍は主不在のアリシアを明け渡し,自らは本国へ戻ろうとしていたのだろうか。あるいは既にアリシアを離れてしまった可能性もある。それならノーブルがそれを機密とした事,帝国の方針転換にも関わらずなお会見に臨もうとしている事にも辻褄が合う。先ほどの圧の消失も,時限装置か何かが仕込まれていてそうなったのだろうか。

(となると…)

 ノーブルの次の手は,エリィをそのままアリシア女王役として予言を成就させ,その後適当な頃合いを見計らって幕引きをする事ではないだろうか。となれば後は伝説の龍戦士役をどうにかする必要があり,既成事実作りを急ごうとした事も無理なく説明できる。

 明らかに貧乏くじだが,帰還者に感情移入しなんとか意に添おうとしているエリィは案外それを好機とするかも知れない。そしてノーブルならば,当然そこまで読んだ上での事だ。

 だがその時。再びDWACが異変を告げた。

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