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嵐の前の日常

「苦難と流浪の時を経て…クチューラよ!私は,還って来たっっ…!!」

 拳を握りしめ,感涙にむせぶギルバート。

 翌日の午後,日もかなり傾いたあたりに一行はクチューラ入りした。例によって見張りは立っておらず,城塞内の様子にも特に変わった点は見られない。

「ギルバート殿,あまり目立つような事はしないで下さいね?」

 溜息をつきながらノーブルがたしなめる。

「ただでさえ貴殿はアリシアの要人,軍の要職にある有名人なのですから。どこで目を付けられるか知れたものではないのです」

「は…すみません」

 ハッと我に返り,小さくなるギルバート。

「無理もない事です。言葉に尽くせないほどの想いがあるのでしょうから…」

 苦笑しながらエリィが擁護する。

「あ,ありがとうございますエリィ殿…」

 またしてもそれに敬愛する主君の姿が重なって,どきりとしながらギルバートは謝辞を述べる。

 アリシア王都へ戻ってきて感傷的になっているのだろうか。そんな事ではいかん,展開次第では主君を奪還せねばならぬ時に,と彼は気持ちを引き締め直す。

「しかし…本当に無防備なのですね…」

 さりげなく周囲を見回しながら,ギルバートは言う。

「ええ。見たところ相変わらずですが…そちらはいかがですか?大尉」

 淡々と相槌を打つノーブルは,クーラへと話を振る。

 龍戦士の力とシャルルの人格を仮封印してクーラとして振る舞うという策は,朝の時点で一同に知らされていた。

「変わりませんね。先日と同じレベルで運用されているようです」

 それが本当にシステムそのものの力なのかどうかは判りませんがね,と心の中で付け加えるクーラ。

「ですが,くれぐれもこの情報はアリシア軍へは漏らさぬよう…何せ相手はあの漆黒将軍です。今回の中身次第というところはありますが,ユーリエ様の安全が確約されているわけではありません」

「解っていますともノーブル殿。そのためにシャル…」

「ギルバート殿」

 じろり,とそれを睨むノーブル。

「!」

 ハッとして口を押さえるギルバート。

「今の私はガイナット=クーラ。それ以上でもそれ以下でもない…わけでもないですがね」

 途中まで決まり文句を言って,しかしそこで肩をすくめながら否定するクーラ。

「ほ?どういう事じゃい黒メガネの」

「確かに視力と力と人格は封印状態ですが,記憶はそうではないのですよ。正直複雑な気分です」

「複雑…ですか?」

 聞きとがめるノーブル。

「ええ。護れなかった女性ひとというのが実はエリィ殿の事だったわけですからね」

 クーラは内心の警戒を悟られないように注意しながら言う。

 当然の如く両者の外見は一致するわけだが,視力を失っているが故にそれは闇の中だった。護れなかったを死なせてしまったと認識していた事もあって,雰囲気のよく似た別人としか認識していなかったわけだ。

「贖罪の意味も込めて生き地獄とも言える試練を己に課していたところが,実はその相手が生きているという現実。で…すべての秘密が明かされた状態でその相手が目の前に居る気恥ずかしさ…。なかなかのものがありますよ」

 視力が無いのが幸いです,顔を見てしまったら気まずさに耐えられませんから,と苦笑するクーラ。

「あぅ…」

 こちらは気まずそうにうつむくエリィ。

「その割には,物怖じしていませんね?」

 にやにやと笑いながらノーブルが茶化す。

「逃げようにも逃げ場が,隠れようにも隠れ場所がありませんよ」

「も,もうその話はいいじゃない…」

「何を仰いますか姫。明日はいよいよ漆黒将軍との再会。今のうちに固められるものは固めてしまった方がいろいろと楽ではありませんか?」

 笑みを絶やさずに言うノーブル。

「おやおや…これはノーブル殿のお言葉とも思えませんな」

 溜息をつきながらクーラはそれに割り込む。

「漆黒将軍にエリィ殿を売り込むつもりならむしろ何も固めず,選択の幅を広く持っておく方が良いのではありませんか?」

「ちょ…大尉!?」

 目を丸くするエリィ。

「おや…これはガイナ=クーラ殿のお言葉とも思えませんね」

 わざと名指しして言い返すノーブル。

「よろしいのですか?それは貴殿が舞台を降ろされる事と同じ意味ですよ?」

「逆ですよ,逆」

 しかしクーラは肩をすくめて,すかさず逆襲に転じる。

「むしろ私が恐れているのは,拙速で決断し後悔する事…極端に言えば私を選んで頂いた後に,エリィ殿にこんなはずじゃなかったと言われることが一番恐ろしいのですよ」

「ちょ…大尉…」

「おやおや…逃げ腰ですか?」

「謙虚,と言ってもらいたいものですな。紛れを失くして五分で勝負を挑もうというだけの話ですよ。エリィ殿にとっての最善たらんと努力するのは当然で,その一環でもあります。向こうの全容が判らない状態での不意打ち騙し討ちのような,卑怯な真似はしたくないという事です」

「ほ…言うのぅ黒メガネの」

「さんざ焚きつけて,逃げ道を塞いでおいて今さら何ですか…などと恨み言を言うつもりもありませんのでご心配なく」

 ニヤリと笑うクーラ。

「あぅぅ…」

 顔から火を吹きそうだ。先日以来何度目かの熱量を感じるエリィ。

「とはいえ…往来でするような話でもありませんね。さっさと宿に落ち着いてしまいましょう」

 そんな彼女の気配も当然解っているとばかり,今度は微笑を浮かべてクーラは言う。ホッとするエリィ。

「あ,では私が良い宿を紹介しましょう…」

「ダメです」

 失地回復とばかりに口を開いたギルバートだが,すかさずそれをノーブルが止める。

「え…?ノ,ノーブル殿?」

「貴殿が紹介しようとしたのは王族の開いた宿でしょう?」

「え,ええ…評判も良いですしきっと気に入って…」

「そこは今,竜の巣になっていますよ」

 肩をすくめてクーラが言う。

「竜の…巣?そんな?いくら裏通りに入っているとは言えれっきとした王都の内部が,そんな状態に…」

「あぁ…喩えが解りにくかったですね。つまり…」

「ギルバート殿には竜騎兵団と言った方が理解し易いと思いますが,そんな性格の帝国黒軍の屯所になっているのですよ」

 ノーブルが途中で割り込み説明する。

「!?」

 驚愕するギルバート。

「て…帝国黒軍ですって!?しかも,竜騎兵団ですって!?」

 彼の脳裏に,幼い頃に聞かされた伝承が蘇る。地を埋め尽くす巨像兵士の軍団の前に敢然と立ちはだかる竜の軍団。絶望的に不利な状況のハイアムに在って絶大な戦果を挙げたとされる当代最強の軍団。

 龍戦士の子孫たちで構成されたというその部隊は,その凄まじいまでの戦闘能力によって今もなお異邦人が迫害を受ける原因となったという。

「そ…そんな!?馬鹿なっ!?」

 その黒軍が,王城だけでなく,王族が開いたその宿まで押さえているとは。ぐらりと周囲が傾くような感覚に襲われるギルバート。

「お静かに,ギルバート殿」

「もがっ!?」

 するりと背後に回ったノーブルが,息を吸い込もうとしたタイミングでギルバートの鼻と口を塞ぐ。

「もが,ふが…」

「貴殿は有名人なのですから。もう少し落ち着いて頂かないと」

 酸欠のギルバートの視界に苦笑するエリィの姿が飛び込んでくる。

(…!)

 それがまたユーリエの姿と重なり,彼の脳裏に過去の記憶が蘇る。

 幼少の頃の自分は落ち着きが無かった。王宮内で騒ぎ立てては叔父のクマルー卿に息を止められ,ユーリエの苦笑を誘ったものだ。

「はい落ち着いて落ち着いて。深呼吸です」

「ちょ…ノーブルそれ無理でしょ!?というか窒息しちゃうわよ!」

「おっと,手加減を忘れていましたね…」

 ぱっと手を離すノーブル。

「ぜはっ!はっ,はっ…」

 荒い息をつくギルバート。

「だ,大丈夫ですか?ギルバート殿…?」

 心配そうな表情で声をかけるエリィ。

「大丈夫ですユ…」

 言いかけてハッとするギルバート。 

「え?」

「い,いえ…失礼しましたエリィ殿。少々錯乱してしまったようです」

「もぅ…そんな手荒な真似をしちゃダメでしょノーブル」

「善処いたしますユ…いえ姫」

「え?」

「!?」

 ハッとしてノーブルを見るギルバート。それにニヤリと意味深な笑みを返すノーブル。

(う…っ)

 自分がエリィに主君の面影を重ねている事に,この魔法使いは気が付いている。

(まさか…)

 もしかしたらこの魔法使いは,わざと自分がエリィに主君を重ねてしまうような行動をとっているのだろうか。そう斜め上に考えを巡らせる。

 先ほどのあれはクマルー卿を彷彿とさせる所作だった。しかし以前聞いたこの魔法使いの独自呪文,【そっくり仮装大賞】が,外見だけではなくその立ち居振る舞いまでも複製コピーしてしまうと仮定すればさして難しい事では無い。

 だがその目的は何だ?そう考えてギルバートは愕然とする。

(本当に,エリィ殿をアリシア女王にしてしまおうというのか…!?)

 そんな事は阻止せねばならない,となかば反射的に思うギルバート。

 しかし何故だ?この魔法使いならばそのくらいの事は言うまでもなく承知しているはずだ。彼は再び思考を巡らせ,あらゆる可能性を検討し始める。

(!)

 あの手紙か。たとえば既に女王が…。

(うぐ…)

 考えたくない。そんな魂の叫びを必死に抑え込み,ギルバートは苦悶の表情で考えを進める。

 別にアリシアを形ばかりも続ける必要は無い。例えば少しの間だけエリィに女王のふりをさせ続け,その間にアリシアを終らせる手続きを行えばいいのだ。

 すでに支離滅裂になっている事などお構いなしにとめどなく斜め上へと暴走していこうとしたギルバートだったが,それは長くは続かなかった。

「あの…」

「!?」

 近距離から控えめにかけられた声で彼は我に返り,その視界の大部分が心配そうな表情のエリィの顔に占められている事に気付いて驚愕する。しかもそれは例によってまた主君のそれに重なってしまっているのだ。

「大丈夫ですか?心なしか顔色が悪いようですが…」

「あ,い,いえ…大丈夫ですよ?…エリィ殿」

 ははは,と乾いた笑いを出しながら数歩後退るギルバート。

「いけませんねぇギルバート殿。そんな事ではアリシアの先行きが…」

「誰のせいよ…」

 呆れ顔でノーブルの方を振り返るエリィ。

「きっとクマルー卿の教育が悪かったのでしょう?」

 そっぽを向きながらしれっとノーブルは言い放つ。

「うぐ…」

 言葉に詰まるギルバート。

「またそうやって…いい加減悪く言うのやめなさいよ」

 呆れるエリィ。しかしそっぽを向いたままノーブルは言う。

「ともかくしっかりしていただかねば困りますギルバート殿。これから貴殿でなければ務まらない大事な役割があるのですから」

「役割…ですか?」

「ええ」

 そう言って視線をギルバートに戻し,言葉を繋ぐノーブル。

「宿へ落ち着いたら,できる限り情報を集めておく必要があります。何せ成人の儀の式典ですからね…」

「あ,もしや…」

 そこでハッとするギルバート。

「ええ」

 頷くノーブル。

「何じゃい,お約束にしおって…自分たちだけで納得するなとあれほど…」

「実はですね,アリシアにはとある伝統がありまして…」

 苦笑しながら説明を始めるギルバート。

「女王,または姫君の成人を祝う式典は,国民を代表して魔法学院の学院長とギルド長とがその企画運営にあたるのですよ」

「ほぅ…それはまたアリシアらしい伝統じゃのぅ」

「つまり,今の帝国…といっても漆黒将軍をはじめとする黒軍という事になりましょうが,それとアリシアの関係を探るには,その二人に当たってみるのがもっとも効率が良いという事になるのです」

「なるほど。とはいえ学院長ともなれば誰彼構わず会いに行ける訳も無し…そこでギルバート殿の出番という訳ですね?」

「ええ」

 頷くギルバート。

「でも…ギルバート殿が学院に現れたとなったら,それはそれで大問題じゃないの?」

「そこを上手くやるのもギルバート殿の腕の見せ所という事ですよ,姫」

 こちらは素知らぬ顔で答えるノーブル。

「ふむ…ならばギルドの方は儂が出向くとするかのぅ。”風”の名を出せば…」

「いえ,それはまずいです」

「む?何故じゃ魔法男?」

「今回は”風”に招待が出ていますからね。帝国側にギルド長が取り込まれている可能性もありますから,そちらへの接触も慎重になるべきでしょう」

 ですからそちらへは私が出向きます,とノーブルは結ぶ。この男の事だ,きっと目くらましでも何でも使って”風”とは関係ないが信頼に足る人物になりすまして情報を聞き出すのだろう,とクーラは深く考えるのをやめる。

「さて,ではそろそろ宿へ落ち着くことにしましょうか」

 そして一行は,クチューラの最外縁,黒軍の駐屯する宿とは城館を挟んで反対側へ位置する宿をとった。

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