不吉な兆候
明けて次の日。順調に行程を消化した一同は,野営の準備に取り掛かっていた。
「あ…あのね?ノーブル…ちょっと,相談があるんだけど…」
ノーブルの側へ寄ってきたエリィがおずおずと言う。その表情には迷いがありありと見て取れる。
「どうしたのです?姫…そういえば今日は,昼食あたりからどことなく様子が変でしたが」
「うん…ちょっと…」
そう言って辺りを気にするエリィ。
「内緒の話のようですね。分かりました」
ノーブルは頷いて,近くの木立へと歩く。
「あの…ほんとに,内緒だからね?」
その後に続きながら,心配そうに言うエリィ。
「ええ。お任せください。このノーブル,姫との秘密を他所へ漏らすなどという無粋な真似は…」
「…」
エリィの表情に不信が色濃く表れる。
「やっぱり,いいや…」
「お待ちを」
くるりと踵を返して戻ろうとする彼女の手を掴み,引き留めるノーブル。
「このような機会が余りにも久しぶりで少々浮かれてしまったのですが…決して悪気はありません」
「そりゃ…フレイアが居たら,フレイアに相談するもの」
「!」
ハッとするノーブル。
「なるほど,そちら関係ですか…失礼をいたしました。私ではどれほどお役に立てるか判りませんができる限りの事はいたしましょう」
「…」
再び方向転換し,手を引かれるままにおとなしくついていくエリィ。
二人はほどよく離れた木立の陰へと回った。
「ここなら良いでしょう。…して,相談とはどのような?」
「…シャルルの事なの」
ぽつり,とつぶやくエリィ。ノーブルにとってそれは予想通りだ。
「流星殿に,なにか…?」
不審な点が?と言いかけてそれを押しとどめるノーブル。彼自身はそう感じているが,確証も無い事でエリィを余計に不安がらせるわけにはいかない。
「手を抜いているのか何なのか…ちょっとおかしいの」
「…昼食後の休憩時間に二人でやっていた組手の事ですか?」
随分と離れたところでやるものだ,と思ったのは確かだ。
「うん。龍戦士ってああいうものなのかなとも思うし,何か新しい事をしようとしていたのかも知れないんだけど…動きが,全然舞神流じゃないの」
「なんですって…?」
内心でぎくりとするノーブル。
「大尉の時は,ほら,ノーブルも見てたでしょ?二手三手先を読むような受けと仕掛けで流れそのものを支配されてる感じだったんだけど…」
「流星殿は以前の流星殿と同じく,姫に好き放題させておいて全てを封じ込める…」
「そう!そうなのよ。別に舞神流を使わない事がどうこうじゃないんだけど…」
「…」
沈黙するノーブル。嫌な予感が彼を襲う。
「ノーブル…?」
それを見て不安になるエリィ。
「姫…それは少々まずいかも知れませんね」
「えっ!?な…何がまずいの?」
「今はまだ確証に乏しいので,軽々に申し上げる訳に行きませんが…」
「や,やだノーブル,そういうのやめてよ,怖いよ…」
ゆさゆさとノーブルをゆするエリィ。
「ここは一計を巡らせ,確証を得る事が肝要かと」
「計…?」
「ええ。直接訊ねようとしてもはぐらかされる危険があります。ここは直に態度に訊くのが上策。少々お耳を…」
ノーブルはそう言ってちょいちょいと耳を招く仕草を見せ,寄せられたそれにぼそぼそと囁いた。
◇
「…」
明けて翌日の,昼食後。何だこの状況,とシャルルは呆気に取られていた。
昨日の組手は二人で行ったし,特にそれをとがめられもしなかった。だのになぜ,今日は全員がそれを見に来るのだ?
「おい…一体全体どんな風の吹き回しなんだ?何で全員が…」
「おや,昨夜申し上げたでしょう?」
すかさずノーブルが口を挟む。
「さすがに査問会議ばかりするのも面白くないので,代替案に切り替えると」
「それがこれ,という事か?」
「そうですとも」
涼しい顔で言うノーブル。
「…”風”はともかく,なぜギルバート殿まで…」
「ああ,私は全く別の目的ですよ」
ギルバートは期待感に顔をほころばせて言う。
「”純白の舞姫”のお手並みと,それにもまして鬼神の如きシャルル殿のお手並み,折角の役得なれば是非多くをこの目に!」
だがこれはノーブルの策略の一端だ。自分たちだけではシャルルに察知される恐れがある。だから目くらましの為にギルバートまでも誘い込んだのだ。
「そうやってエリィに重圧をかけるのはいかがなものかと…」
いつになく表情が硬いエリィを見て,溜息をつきながら言うシャルル。
「あ,だ,大丈夫よ…」
ぎこちなく返事をするエリィ。もちろん彼女の緊張の原因はそこではない。ノーブルから授けられた策略を上手く遂行できるかどうかが彼女の最大の関心事だ。
「…まぁ,いいか…」
別に隠し立てするようなものではない。溜息を一つついてシャルルは言う。
「じゃぁ,はじめよう」
「ええ」
舞神流の礼をとる二人。
ノーブルはくい,と仮面を直してそれに備える。実はその仮面には魔法が仕込んであり,それによって彼の動体視力は通常の一六倍にまで上がるのだ。
「…どこからでもどうぞ」
構えらしい構えをとらず,自然体で言うシャルル。
「…」
軽くステップを踏みながら左右に動いて機を窺うエリィ。
(…)
じっとそれを見守るノーブル。実はこれも彼の指示によるものだ。昨日の組手がエリィの最も得意な直線的なラッシュに終始した事を聞いたノーブルは,今日は敢えて左右に振るような攻め方を求めたのだ。
案の定,エリィがどちらへ動いてもシャルルはそれに正対しようと体の向きを変えている。
「はっ!」
エリィが仕掛ける。地を蹴って右に左にとせわしなく動きながら,意識して側面からの攻撃を要所要所に織り交ぜる。だがそれを苦もなく防いでいくシャルル。
「おお…」
ギルバートが感嘆の声を上げる。ごく普通である彼の目には,目まぐるしく変化するエリィの多彩な攻撃がすべて決まっているように見えるはずだ。
だが実際にはそれは当たっていない。間にシャルルの手が挟まっているのだ。より正確に言うなら,エリィの蹴りが当たる直前に,シャルルが間に手を差し込んで受けていると言った方が良いだろう。それが仮面を通してノーブルの目に映っている。
(なるほど,そういう事ですか…)
ふふ,と思わず微笑してしまうノーブル。彼の懸念とは全く別の次元で,シャルルの思惑を理解したためだ。
何の事はない,シャルルはただエリィに気持ちよく打たせようとしているだけだ。だからかわそうともいなそうとも,打点をずらそうともしない。
例えばこれでシャルルが吹っ飛ぶ演技でも挟もうものなら,素人や初心者は自分の攻撃が決まったと錯覚するはずだ。
(流星殿らしい…)
しかしやはり龍戦士は凄まじい,とノーブルは思う。シャルルはエリィの一つ一つの攻撃を,それが途中でどう変化しようとも最後までじっくりと見た上で,ぎりぎりの隙間に手を差し込む。そしてどんな原理かは判らないが,それだけでエリィの渾身の蹴りの力を全て受けきってしまうのだ。
(いや…)
エリティア軍に卸した剣やエリィの鎧にも使われている魔法を使っているのか。上位古代語が日常語であったという彼ならば,頭の中にそれを思い描いただけでその程度の魔法は使えるはずだ。意識すらしていないのかも知れない。
(さて…これが全てなら別に心配する必要はなさそうですが…)
問題はここからだ。自分の抱いた懸念が現実のものとなるのかどうか,それを見極めなければならない。ノーブルはごくりと唾を飲む。
昨夜のエリィの話から判った事は,今献身的とも言える対応をしているシャルルには残念なお知らせとなるのだろう。
龍戦士の力を封じられたクーラがそれしかないととった方策,つまりはエリィに好きにさせないという戦術が,意外にもエリィに好意的に受け止められていたという事である。
いや,それはある意味では十分あり得る事なのかも知れない。エリィにとって,反則的な力を持ち合わせているわけでもなく技量も劣っているはずのクーラがその劣勢を劇的にひっくり返して見せた事は,実に興味深く,示唆に富んだものとなったのだろう。
ではなぜそれをシャルルはしないのか。別格の力を見せつける意味もなく,好きに打つだけでは満足できなくなったエリィに彼は気づいていないのだろうか。それならばまだいいが,気づいていてもそれができないとなれば事態は深刻になる。
(そろそろ頃合いですかね…)
それなりの時間は経った。いきなりの仕掛けとは思われまい。逆にだれてしまうほどの時間は経っていない。これ以上間を空ければシャルルの方がそれをしまいにすることを考え始める。
仕掛けるならそろそろだ。展開を見守りながらノーブルは思い,それに呼応するかのようにエリィの動きが変化を見せ始めた。




