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バラナシオスの日

「それでは皆さん,お世話になりました。お元気で…」

 ぺこりと頭を下げるクローディア。

「クローディアさんも…」

「ええ。アラウドに救われたこの命,大事にします」

 寂しそうな笑顔を浮かべたクローディアはもう一度頭を下げて,くるりと後ろを向いて歩き去る。

 タバフ=エミーナ脱出から数日後。一同はバラナシオスにほど近い場所まで戻ってきていた。

「なかなか,いいじゃったが…」

 残念そうなハーディ。

「やむを得ませんな。もともとアラウド殿との関係で軍属になっていたわけですし。このまま従軍して危険を冒し続けるのは彼も望みますまい」

「しかし,良かったのか?儂らはそれで良くとも,連合的には戦力を失うのは痛いじゃろう?」

「はじめからそこは織り込み済みで契約していましたからね。アラウド殿と死に別れる格好になったのはともかく,想定内は想定内ですよ」

 肩をすくめて苦笑するクーラ。

「…」

 クローディアの後姿を見やるエリィ。

「姫…どうなさいました?」

「あ,ううん…何でもない」

「隠しても分かりますよ。他人事と思えなくなったのでしょう?」

 にっこりと笑うノーブル。

「う…」

「大男殿は,姫を守ろうともしていましたからね」

「うん…」

 うつむくエリィ。

「しかしエリィ殿,貴女が責任を感じる必要はありません」

 クーラが割り込む。

「大尉…で,でも…」

「事情はどうあれ,アラウド殿はそうすると決めた。だからそれはアラウド殿の決断です。…それとも」

 そこで思わせぶりに言葉を切り,しれっと言葉を繋ぐクーラ。

「アラウド殿にそれをさせた者が居るのならばその者の責任です,と言ったら貴女は納得するのですか?」

「…っ」

 ぐっと言葉につまるエリィ。アラウドに甘えてそれを看過していた自分の責任こそ気に病んでいた彼女ではあるが,クーラの言葉はそれとはまったく別の意味だ。

「ですから…もちろん仲間を失ってしまった事に割り切れない思いは抱えてしまうのでしょうが,それが自分のせいだとは思わない方が良い」

 ただ,とそこでクーラは調子を変える。

「…もしこれ以上仲間を失いたくないのであれば,今からでもこの契約を破棄して手を引くという選択は残っています」

「そ…そんな事できるわけがない!」

「どうして?」

「だ,だって…世界の命運が…!」

「それで,ノーブル殿やハーディ殿まで失う結果になっても?」

「うぐ…」

「と…それがノエル殿の思いでしたね」

「!」

 ハッとするエリィ。

「もちろん結果論ですが…今回の結末を気に病むのはノエル殿かも知れませんよ?」

 クーラはあさっての方向を向きながら淡々と続ける。

「是が非でも帰しておくべきだった,最深部まで連れて行ったためにアラウド殿までも…とね」

 実際はそれを貴女が気にする事をこそ気に病むのでしょうがね,とクーラは心の中で付け加える。

「で,では世界などどうでもいいと!?」

「そうは言っていませんが…」

 肩をすくめるクーラ。

「明らかに荷が勝ちすぎる,と言っているのですよエリィ殿。貴女はまるで…王族か,あるいは英雄の役割を果たそうとしているように見える」

 これもノエル殿の言葉でしたね,とクーラは苦笑する。

「自らが先頭に立つのは当然としても…仲間や臣下を死地へと向かわせる事に覚悟を決められるのかどうか。天下国家の,世界の為に死ねと彼らに言えるのか…」

「…」

「今にして思えば…ノエル殿にはよく解っていたのですね。エリィ殿が向かおうとする先が…」

 そこで言葉を切るクーラ。

 ノエルはおそらく,それはどちらかと言えば自分の使命だということが解っていたのだろう。しかし弟妹を失って取り返しがつかなくなったことで,今さら名乗り出るわけにもいかなくなってしまった。

 だからこそ,先日の言い争いでエリィが発した言葉の一つ一つが彼の心に突き刺さっていただろう事は容易に想像がつく。

 巻き込むわけには行かなかった。自分一人でやるしかない事だった。それが彼の結論だったはずだ。

 しかしそれをここで言ってしまうわけにはいかない。

「そういうふうに仕向けたノーブル殿?何か言い訳はありますか?」

 エリィの思考がそこへ向かってしまわないように,クーラはノーブルへと話を振る。

「うーむ…」

 唸るノーブルは,しかし苦笑いを浮かべてすぐに言葉を繋ぐ。

「多少親バカが過ぎましたかね…と反省しております」

「親バカ…ですか?」

 随分と問題を卑俗化しているというべきか,あるいは随分と壮大な,それこそ世界レベルの親バカというべきか。やや呆れ気味にクーラは聞き返す。

「ええ。姫の才気というか器は,まさにそのレベル…世界最高峰の域にあります」

 後者であると断言するかの如くしれっと言うノーブル。

「ちょ,ノ…」

「大尉にもお分かりいただけると思うのですが…天稟に恵まれていればいるほど,それを限界まで磨き上げたい,眠らせたままにしていてはもったいない,そんな思いになるでしょう?」

「それは…親バカとは違うのでは?」

 溜息をつくクーラ。あるかないかも判らない,いやどちらかといえば月並みであるはずの才能を贔屓の引き倒しで高く見積もって不相応な期待をかけてしまうのが親バカなのであって。ノーブルが言っているのはそれとは根本的に違うはずだ。

「おや大尉,そう言って下さるという事は,つまり姫の魅力が世界最高峰だとお認めになるという事ですね?」

 してやったり,の顔でノーブルは言う。

「…それは…」

「ちょ…ま…」

 うろたえるエリィ。

 話の流れがあさっての方向へ向いたのは良いとして,何やら気まずい。クーラはすぐにその矛先を変える。

「…当然でしょう?あの漆黒将軍すらエリィ殿に最大級の賛辞を送っているのですから」

「ちょ!あ,アイツは関係ないでしょう!?」

「大いにありますよ,エリィ殿。…招待されていますでしょう?」

 反射的に抗弁するエリィをすかさず制するクーラ。

「うっ…」

「盗賊殿の言葉ではありませんが。招待プロポーズ…にも匹敵する予想外の何かが,規格外の何かが起こる可能性は高いでしょうね」

 ひょいと同調するノーブル。

「わ,私は別にアイツの事なんて…!」

「…そこが良い機会かも知れないですよ?エリィ殿」

「えっ!?」

 目を丸くするエリィ。

「ど,ど,どういう…」

「別にエリィ殿を漆黒将軍に売り渡すつもりはありませんが…」

 苦笑しながらクーラは続ける。

「漆黒将軍も一緒かどうかはともかく,女王ユーリエ様を連合こちらへ引き渡すという事なのであれば…そこでエリィ殿はお役御免となります。手を引くにはまたとない機会…」

「あ…」

「おぉ,なるほど。確かにそうなればもう演技する必要はなくなるのぅ」

 ポンと手を打つハーディ。

「で,でもそれじゃ,武道に手を染めた設定が無くなって…」

「それこそ貴女が気にすることではないでしょう?」

 苦笑するクーラ。

「そんな無責任な…」

「責任の所在は,その計画を立案したノーブル殿と,承諾したギルバート殿にあります。当然そこには何らかの腹案を用意しているのでしょうしね」

 再び矛先をノーブルに向けるクーラ。

「あとはそれが,何のかんのと言ってその実エリィ殿をアリシア女王の椅子に縛り付けてしまおうなどという世界最高峰の奸計でないことを願うのみですが…」

「ちょ…っ!大尉!?」

「奸計だなど,人聞きの悪い…」

 苦笑するノーブル。

「姫にさえその気があれば器はじゅうぶんですとも。漆黒将軍もそう仰っていたではありませんか」

「ああ…もう…」

 気まずさが振り切れて天を仰ぐエリィ。

「まぁ…これ以上いくら言っても堂々巡りになりそうなので,この辺でやめておきますか」

 肩をすくめるクーラ。うやむやに誤魔化せただけでもここは良しとしよう,と思いながら言葉を繋ぐ。

「とりあえずいろいろあり過ぎました。まずは一息つきましょう」

 一息と言いながら,バラナシオスへ到着したクーラは忙しく立ち回った。

 彼はまずは連合の首脳部に対して作戦の成果を報告した。帝国がリュミエールを囮にして罠をしかけ,おそらくは奪還部隊に名を連ねるであろう伝説の龍戦士を討ち取ろうとしていた事。その罠を看破し,”風”を抜けて独自の行動を起こしていたノエルが身を挺してその企みを打ち砕いた事。アラウドの奮戦で被害を最小限に抑え無事に脱出を果たした事。それらを報告した。

 首脳部の反応は三者三様であった。ギルバートは素直にノエルの慧眼と行動とを称賛し,ヒュームは己の見立てにそぐわぬ結果を苦々しく思った。そしてクリミアは,しばし天を仰いで絶句した。

 その後,クーラは退出したクリミアに随行して余人を交えぬ状態であらためて詳細な報告を行った。ノエルがサナリアの王兄エルノアールであり,妹を救出するためにどうしてもそうする必要があったのだと,そうクリミアに伝えたのだ。お節介めと,上官は泣き笑いの表情で部下に言った。

 そこでクーラははじめて一息ついた。上官へのお節介ついでに,少し時間をおいたのである。彼はすっかり部隊長が板についたビルとローダーを訪問して他愛もない話をした後,エリィとの組み手で汗を流した。

 その後クリミアとギルバートにそれぞれ使いをやって会合の場を設けた。もちろんそれは例の招待状の件である。 

 漆黒将軍からの招待状は,二人をも大いに驚かせた。

 この状況下で,ある意味連合とも一定の距離感を保つ”風”にそれを送ってきたという事実が,予想外の何かを思わせるのは無理からぬ事だ。最低限,祝賀というからには女王に逢える可能性が高いわけで,その安否に関する重要な情報が得られる。

 クリミアは比較的簡単にそれを承諾した。連合の司令官という立場上はあまり褒められた事では無いのかもしれないが,白廉将軍絡みの前例もある。逆に言えば,止めたところで”風”は行くのだ。クーラを同行させておいた方が何かと対応しやすい,という目論見も確かにそこにはあった。

 当然の如くクリミアより大きな衝撃を受けたギルバートは,その招待状を見せて欲しいと言った。ユーリエが作成に参画したらしいというノーブルの言葉を疑うわけではないが,暗号ならば自分にも若干の心得はある。それが罠か罠でないかを判断するには,自分もそれを見るほうがより安全ではないかと主張したのだ。

 が,ノーブルはそれを”エリィ”宛ての私的な内容を含んでいるという理由で突っぱねた。漆黒将軍がエリィを爆買いしているなどという事が知れれば確かに場の空気は随分と変わるだろうな,クーラはそう思って内心で苦笑した。

 ところがそこで若干の予想外が起きた。いや,それはある意味では必然だったのかも知れない。ギルバートが同行すると言い出したのだ。

 確かにアリシアの臣としてユーリエの従兄として,彼女の安否を確認する機会を看過することもできなければ,それを祝おうという相談を他人に譲るわけにもいかない。罠であろうとなかろうと,ギルバートにはそれ以外の選択肢がなかったのだ。

 アリシア軍の指揮を放り投げ,ひいてはエリィ不在時の女王の帳尻合わせをも投げうっていくのは決して軽い事では無い。だがクマルー卿が不在である以上は自分が,そちらをこそ自分がやらねばならないというギルバートの意思は強固だった。だからノーブルもこれを翻意させる事を諦め,くれぐれも先日のヒュームのような真似をしないようにと念を押すに留めた。

 微妙な新規ギルバート参入で状況がどう変わのるかは不安要素だが,他に有効な代案も無い。ユーリエの身代わりは改良型の囮投擲弾に任せる事として有事の対処法をクリミアに託し,一行は翌朝アリシア王都クチューラへと旅立った。

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