死からの撤退戦
階段を駆け下り,いくつかの部屋を旋風のように駆け抜け,エリィは先を急ぐ。
急所はまさにあの吊り橋だ。あれを落とされてしまえば状況は絶望的に,それこそ待ち構える敵を殲滅しないと脱出できない状況となってしまう。
「!」
通路の明かりに照らされて吊り橋が視界に入る。そのさらに向こう,薄明りのなかにそこだけ明るく浮かび上がる対岸の通路にはゾンビらしき群れがひしめき,今にも橋へさしかかろうとしている。
あの物量が吊り橋へ殺到すれば間違いなく落ちる。
これなら入口に障害物を置いてくるのではなかった,と一瞬だけ悔やんで,エリィはすぐにそれを頭から追い払う。今はあれを止めることに全力を傾けなければならない。
「くっ…!」
しかしさすがに向こうが早い。最悪の状況が頭をよぎる。
「!」
その時,何かが顔のすぐ横を飛んでいく。
それはクーラの投げた捕獲網投擲弾だった。ゾンビの足下に着弾したそれから網が展開し,先頭の何体かがそれに絡めとられて橋の直前で転倒する。
「エリィ殿!投擲弾を活用しながらしばらくは通路で持ちこたえて下さい!」
「は,はい!」
吊り橋へ走り込むエリィ。
「!?」
周囲が視界に入り愕然とする彼女。と言っても月明り程度ではあるが,その中に無数の黒い影が翼をはばたかせて橋へと接近して来る。
「そちらは私が抑えます!後続が来るまでしばらくの辛抱です!」
「はい!」
正面の通路だけを見据えて走るエリィ。それに肉薄する彫像に次々と投擲弾が命中し,あるものは網に絡めとられ,またあるものは凍結して落ちる。
〈アドム・カトバⅩLⅣ〉
吊り橋へとたどりついたクーラは短く叫んで宙へと駆け上がり,手近な彫像に蹴りを見舞う。
「来い!私が相手だ!」
彫像の注意を引き付けるべく叫びながら,剣を抜くクーラ。
(原理が同じならば…やれるはず!)
その刃に解呪投擲弾をぶつけて魔力を吸収させ,魔法剣を作り出す。
「はっ!」
接近してきた彫像の爪を最小限の動きでかわし,体が流れて眼前に晒された翼の根元を斬る。
安定を失ってきりもみしながら落ちていく彫像。斬り飛ばした翼の方はボロボロと崩れ去りながらやはり落ちていく。
(さすが…魔法使いの魔法は出来が違う…)
効果を確かめず使う事に不安もあって先ほどは絡網を投げたクーラだったが,その効果の高さに舌を巻く。
もちろん彼は,ノーブルがアリシアの最高の禁忌とされる死霊魔術にまで精通している事など知らない。
「やらせん!」
エリィの背後を脅かそうとするものには青と黄の投擲弾を投げて落とし,金の魔法剣で一体,また一体と斬っていくクーラ。
(しかし…さすがに数が多い…!)
これがたとえばどちらかの入り口だけを護るのであればそれほど難しくはない。だが今橋が落ちれば分断されてしまうのだ。橋そのものを護らねばならないクーラはいきおい二つの入り口の間を走って往復するような格好になっている。
ほどなく投擲弾の在庫が切れる。さすがに彫像相手に赤や白は効果がないだろうし,黒を吊り橋の上に置いても意味が無いどころかかえって危険だ。
「く…!」
同時に数体ずつ,エリィと自分とに向かう彫像たち。
「!」
すると,エリィへ向かった数体が正確に羽を撃ち抜かれた。その穴からボロボロと崩れ去り,バランスを失ってそれらは落ちていく。
「お待たせしました」
「ノーブル殿!ありがたい!」
「大尉…動きは最小限度に。流れ弾は防いでくださいね,それで魔力も充填できます」
「…は?」
〈超絶魔導書第四五頁展開…【属性連結】〉
そう言うとノーブルは,どこにそれだけ隠してあったのか手いっぱいに握った金の投擲弾を杖の先に握っては叩きつけ握っては叩きつけする。
ありったけの投擲弾に込められた魔力を充填したノーブルは,高らかに杖を掲げた。
〈超絶魔導書第六四頁展開…【動体迎撃誘導弾】〉
(…まずい!)
ぞくり,と背筋に戦慄が走る。クーラはすかさず足場を固定し,中空に踏みとどまる。
その瞬間。ノーブルのあたりからゆらりと立ち上った大きな力場のようなものから,無数の弾とも呼べる飛翔体が放たれ,つぎつぎと周囲の彫像に命中していく。
「!」
対応が遅れた分で自分も狙われたらしい。それを最小限の動作で剣で受けるクーラ。
(なるほど,解呪の魔力を乗せた,動くものを無差別に狙う自動追尾弾か…)
剣に流れ込んでくる感覚は,先ほど自分で魔法剣を作った時のものと同じだ。せめて敵味方の識別くらいはしてもらいたいとも思うが,これだけ多勢に無勢では贅沢は言っていられない。
そこへ息も絶え絶えになりながらハーディが追いついてくる。
「ドワーフ殿,ゆっくり…ゆっくりですよ?」
「これ以上,急げと言われても無理じゃ…」
そこで眼前に繰り広げられる撃墜劇に目を丸くするハーディ。ドワーフは他のいくつかの妖精族と同様,夜目が利く。
「おぉ,これは…」
撃ち抜かれた後の効果こそ違うが,マイシャからの撤退時に見た光景と同じだ。
「懐かしいのぅ…」
その時はフレイアが居た。雷の精霊力を込めていた。感傷に浸り込みそうになるハーディ。
「ハーディ殿!エリィ殿の援護を!」
しかしそこへクーラの声が飛ぶ。
「わ,分かったぞい」
ハッとしたハーディはふぅふぅと大きく息をしながら,ゆっくりと吊り橋を渡る。
「では私も…」
その後に,こちらは悠々と続くノーブル。
(…”仮面の賢者”の称号に偽りなし,だな)
目が見えたら,さぞかし珍しいものが見られた事だろう。自らも息を整えながらそうクーラは思う。
射程距離内に突入し,次々と撃ち抜かれて落ちる彫像たち。それがクーラを狙っての行動であるため,いきおい彼の周囲でそれが起こっているのである。ほとんど動かない自分は障害物と認識されているのだろう。飛翔体は自分を迂回するようなルートで,死角に入っている彫像を撃ち抜く。
「しかし…魔法というのは便利なものじゃのぅ…。落ちていくものは狙わないのじゃな」
「ええ。真下への落下運動だけは除外するようにしてあります。でないと無駄撃ちしてしまいますからね」
「…」
この高さだ。致命傷を避けたとしても,飛行能力を失って落ちれば粉々になる運命は避けられまい。それは先ほど投擲弾を当てて落としたものについても同様だ。
ほどなく対岸へとたどり着くハーディたち。
「ドワーフ殿,私はここで後続を待ちます。敵が多ければ無理はなさらぬように」
「分かっとる。行っても入口の直前までじゃい」
そう言って駆け出すハーディ。エリィもそのあたりは承知の上で,まだ戦闘の音が聞こえる距離に居る。
大多数の彫像を撃ち落として球体は消滅する。
<超絶魔導書第六〇頁展開,【射殺す視線】>
ノーブルはそう言うと,じろりと彫像たちを睨む。暗視の能力も備わるため,今の彼の目には色彩こそ無いが昼間と同じ明るさで全てが見えている。
<超絶魔導書第六二頁展開,【神閃の狙撃手】>
次にそう言って彼が持っていた青と黄の投擲弾をほいと放り上げると,それらは個別に意思を持ったかのように別個の彫像へと飛んで行って命中する。
睨んでは放り上げ睨んでは放り上げ,片端から撃ち落としていくノーブル。
「…恐ろしいですな,魔法は…」
呆れ気味に言うクーラ。自分が一体仕留める間に,多いと二桁が動きを封じられて落ちていく。
「いえいえ,前衛が余裕を作って下さっているお陰ですよ。このところ調子も良かったので弾薬もたくさん用意しましたしね」
涼し気に答えるノーブル。
相手にしているのが彫像だというのも大きいのかも知れない。いわばそちらもノーブルの呪文と同じで,有効範囲内に入った敵を機械的に襲ってくるだけだ。だからより近い位置にいるクーラを目がけて行動し,より危険な相手であるはずのノーブルを先に倒そうなどという戦略は持ち合わせていない。
「何とかしのげそうですな。後は殿の二人を待つばかりですが…」
「少々遅いですね。さすがに心配です…」
ノーブルの頭に不吉な過去がよぎる。
アラウドが殿を買って出たのはこれで二度目だ。一度目は例の,ワ=ダオラ奪還戦。魔獣の不意打ちを食らって潰走したあの戦いだ。その戦いでアラウドは味方を庇って奮戦し,瀕死の,いや,回復したのが奇跡とすら思える重傷を負って戦線を離脱した。
世間一般の冒険者のレベルからいけばじゅうぶんにアラウドも強者の部類だ。通常の三倍の重量を持つ特注品の大剣を軽々と振り回すだけでも並外れていると言える。
しかしそれでも,やはりエリィやクーラに比べれば一枚も二枚も落ちるのだ。特に狭い場所では彼の強みは半減する。それは同タイプのハーディにも言える事だが,それに比べても余計に小回りが利かないのだ。
(夫婦で”風”を盛り立てる…成り行き上そんな図式ですね)
鈷朔流槍術奥士のクローディアが上手く立ち回るかどうか次第だろう。そんな事を考えるノーブル。
「む…見えました」
その時彼の目は,奥の曲がり角から現れたクローディアの姿を捉える。続いて現れるアラウド。
(!)
その巨体の隙間からちらりと見えた敵にハッとするノーブル。アラウドが突き込んだ大剣を力だけで強引に斬り下ろして両断した金属鎧は,どうやら中身が無いらしい。
(もっと投擲弾を差し上げておくべきでしたか…)
後悔するノーブル。中身が無ければ槍でいくら突いても意味が無い。それこそ鎧を叩き壊すしかないのだ。だが本来それが得意なはずのアラウドは,通路の狭さにほぼそれを封じられている。遠目にも判る苦戦ぶりだ。
しかしここでクーラをそちらへ向かわせるわけには行かない。まだ彫像はそれなりの数が残っている。ここを維持しなければ向こうを支えても意味が無くなるのだ。
こちらに背中を向け,じりじりと後退して来るアラウド。随分と長く感じられたその時間の果てに,ようやく二人は吊り橋のところまでたどりつく。
「行け…ディア!」
アラウドが叫ぶ。それは当然の事だ。今抑えているこの物量が載ったら橋は落ちる。
「で,でも…!」
うろたえるクローディア。頭では解る。だがそれはアラウドを一人残していくのと同じだ。
「…早く!」
しかしいつまでもここに居ても状況は変わらない。それも確かだ。
「うっ…」
「ディア!」
「…はいっ!」
意を決して吊り橋を渡るクローディア。ほどなく彼女は対岸へとたどり着く。
「渡ったわ!アラウド!」
「アラウド殿,今援護に向かいます」
「いや…いい」
そう言ってアラウドは,火炎投擲弾をひょいと自分の後ろへ放る。
「なっ!?」
着弾したそれはたちまち炎を噴き上げ,瞬く間に橋は燃え上がる。
「アラウド!?」
「ディア…すまない…。俺は,俺では,お前を幸せにしてやれない」
鎧に体当たりして押し返し,アラウドはそちらにも残っていた火炎投擲弾を投げた。通路が炎で塞がれる。
「征け…生きろ!俺の分まで幸せになってくれ!」
炎の中でくるりと振り返るアラウド。
「!!」
息を飲むクローディア。その身体には無数の刃が突き立っていた。
「ああ…」
「大尉…エリィを頼む!」
「…承知!」
「ぐ…っ」
炎の壁をものともせずに突っ込んできた鎧がその背中に剣を突き立てる。
「さ…らば…しばしの…別れだ…」
綱で編まれた橋の両側は既に燃え落ちていた。
「…!?」
鎧に押し出される格好で炎の中へと踏み出したアラウドは,よろよろと大きく進路を逸れ,足を踏み外して落ちていく。クローディアにはそれがひどくゆっくりなものに見えた。
「ア…ラウドぉぉ!!」
「いけません!」
炎の中に身を乗り出そうとするクローディアを掴んで引き留めるノーブル。
鎧の群れは燃え続ける橋へと進み,炎に焼かれていたそれは当然のごとくそれを支えきれずに落ちた。闇を焦がす炎と,それに照らされながら落ちていく鎧の群れ。
「…大尉,退きましょう」
ノーブルが声を絞り出す。このままここに留まってももう意味は無い。
「了解…」
手近な数体を斬り捨て,クーラは通路へと飛び込んだ。




