侵入経路
翌日,“風”はタバフ=エミーナへ向けて出発した。アリシアの動向も気になる事は気になるが,緊急性で見ればこちらはまだ間がある。漆黒将軍がさしあたってユーリエに危害を加えるつもりも無さそうだという,根拠が無いのに妙に確固とした実感も手伝っての事だ。
ノエルは姿を消していた。荷物もきれいさっぱりなくなっていた事は,心のどこかでそれがいつもの軽口でしかないと思っていたエリィをそれなりに落胆させた。
ノエルはクリミアにも別れを告げに行ったようだ。作戦開始の報告をしに行ったクーラが彼女の様子がおかしい事に気付き,それを聞き出したのだ。クリミアはノエルが記念にと置いて行ったペンダントを身に付けていたらしい。それが彼の本気を裏付ける格好になって,それを聞いたエリィはますますしょげてしまった。
数日後の昼下がり。“風”は遠くに城を望む高台にいた。ヒュームのメンツがかかったこの作戦には,欠けてしまった戦力を少しでも補う為にクローディアも従軍している。
「あれがタバフ=エミーナ…」
「断崖絶壁と言うとった割には,ごく普通の平地に建っておるように見えるが?」
「ええ。マイシャの周囲を流れる川が断崖絶壁になったような状態,そう思って頂いて間違いありません」
「何じゃと?打ち捨てられとってそれでは,荒れ放題で廃墟になっとるのではないのか?」
目を凝らすハーディ。
「いえ,どうも現状を維持する仕掛けがあるようでしてね。ちょっとやそっとの破損程度なら自然に修復してしまうらしいのですよ」
「何と…」
「なるほど,罠が自動で復旧し,犠牲者が自動で片付くわけですか…かなり厄介ですね」
苦笑するクーラ。
「解除したらそれっきりともならない以上,犠牲を覚悟の短期強行突破しかないでしょうね…」
「強行突破と言えば,あれもかのぅ」
顎をしゃくるハーディ。正門前には吊り橋がかかっているが,その前にはかなりの数の彫像とおぼしき塊が見える。
「ですね。ただあれは防衛の為に帝国が配置した物でしょうから,復活はしないと思いますがね」
「本物のリュミエール様かどうかはともかく,中には誰かいるの?」
「諜報部の報告によれば居るようです。タバフ=エミーナは偏った造り方をされていて,断崖の上に垂直に切り立った面があるようなのですが,そこの一室…最上階の中央の窓から明かりが漏れていたと…」
「ふむ…ということは,あのあたりじゃな…」
ハーディが目星をつけて唸る。
「ね…下流から行って絶壁を登るっての,どうかな…それなら彫像も罠も…」
「厳しいでしょうね」
苦笑するクーラ。
「報告によれば,城の高さのゆうに数倍以上はあるようです。落ちればまず助かりませんし,登るのにもかなりかかるかと」
「大尉のように空でも駆け上がれれば別でしょうが…」
「…」
クーラの背筋に寒気が走る。まさか単独で行ってこいなどという流れになりはしないだろうか。
「リュミエール殿を連れ戻す事を考えると現実的ではありますまい」
しかししれっと言葉を継ぐノーブル。
「うーん…何か他に巧い手はないかな…」
「姫…ですから我々の目的はあくまで…」
「あ,あれっ?」
周囲を見回していたエリィは頓狂な声を上げる。
「どうしました?エリィ殿?」
「あそこに居るのって…ノエルじゃない?」
「!?」
指さす方向を見る一同。確かにそこには一人の男が居て,しかも城の方へと近づこうとしている。
「な,何をやっとるんじゃ,あ奴は!あれだけ罠だの何だの言っといて…」
「ともかく合流しましょう。お…!」
叫びかけたエリィの口をクーラが塞ぐ。
「待って下さいエリィ殿」
「…!?…!?」
もがもがと唸るエリィ。
「落ち着いて…」
「!…」
今さらながらに,後ろからクーラに抱きすくめられた格好である事に気づくエリィ。気まずいやら気恥ずかしいやらで動きが止まる。
「手を離しますよ…?」
クーラが手を離してすいっと離れると,ふぅっと大きく息を吐くエリィ。
「…ど,どういう事です大尉?さすがに単独では危険…」
「まさにそこですよ,姫」
「え…?」
「なぜあれだけ姫と口論をしておきながら,その愚を,しかも単独で犯そうとしているのか…もしかすると何か秘策があるのかも知れません」
「おぉ!?」
そこでハーディが叫ぶ。
「どうしました,ハーディ殿?」
「隠し通路のようじゃぞ…あんなところにあんな仕掛けがあるとは!」
きょろきょろと周囲を確認していたノエルは,あるいは位置関係を確認していたのかも知れない。その場に屈みこんで地面を撫でまわし,ぱっとその場から跳び退る。するとその地面が唐突に持ち上がったのだ。
「なるほど…さすがセダイの書庫に忍び込んで情報を入手しただけの事はありますね…」
感心するノーブルになど全く気付いていないノエルは,そのままその隠し通路へと姿を消す。
「追いかけましょう!」
「あ…姫…」
「く…」
今度はすんでのところで,駆け出してしまったエリィを捕まえ損ねるクーラ。
”紅き流星”の遺したエリィの鎧には,軽量化と反発力強化の魔法がかけられている。舞神流皆伝の蹴り脚の強靭さとも相まって,金属鎧を着ているとは夢にも思えない速度で瞬く間に距離を開いていくエリィ。
「やむを得ません,我々も…!」
言いながらエリィを追いかけるクーラ。どんな罠が仕掛けられているかも分からない以上,エリィを一人にするわけにはいかない。
続けて走り出す一同。
「あ…」
閉まり始めるその入口。慌ててそこへ滑り込もうとするエリィ。
「姫!それでは我々と離れ…!?」
叫びかけたノーブルが,しかし異変に気付く。
その入り口はエリィが隙間に滑り込むと,再び持ち上がったのだ。
「…?」
それを見上げてぽかんとするエリィ。
「思ったより親切設計のようですね。範囲内に誰かが居ると閉じない仕組みのようです…」
クーラが追いつく。
「しかしエリィ殿…我々の判断に従っていただきますとあれほど…」
「う…ごめんなさい」
「まったくですよ姫…あれが本当に盗賊殿なのかどうかも判らないというのに,我々と分断されたらどうするおつもりですか」
息を切らせながらノーブルが追いついてきて苦言を呈する。ごく普通の鎧を着ている他の者たちはまだ遠い。
「…」
しゅんとなるエリィ。
「さてノーブル殿,どうします?何せ相手は罠の城…」
「そうですね,もしかすると,我々の精神に作用する何らかの罠が盗賊殿の姿を見せた可能性もあります」
「ふぅ,ふぅ…嬢ちゃん,いい加減その突貫は何とかならんのか?」
そこでやっと追いついてくる三人。
「ごめんなさい…」
時間差で謝り続ける格好になるエリィ。
「見ての通り,下り階段が続いています。問題はこれが何らかの罠である可能性もあるという事です…」
ノーブルが状況を説明する。
「あれが本当に盗賊殿だったのかどうかも判りません。最悪袋のネズミという事もあるでしょう…」
「で,でももし本当にノエルだったら…」
(…!)
クーラはハッとする。
「ノーブル殿…」
「ええ…厄介ですね」
頷くノーブル。
「お主ら…絶対わざとやっとるじゃろ?底意地が悪いのぅ…」
呆れるハーディ。
「すみませんハーディ殿。余計な推測は伏せたままの方が良いかと思いまして」
苦笑するクーラ。
「え?どういう事?」
「盗賊殿の一連の行動が,姫を危険に晒すわけにはいかないという意図の下に行われていたという推測ですよ,姫…」
やれやれと肩をすくめるノーブル。
「え?」
「あれが本物の盗賊殿だと仮定すると…おそらく盗賊殿は,単独でここへ挑むつもりだったのでしょう」
「え!?」
「”風”をぬけないと必ず姫はついてくる,というか真っ先に首を突っ込む…それを避けるためのあの行動という事になります」
「じゃ,じゃぁやっぱりあれはノエル…」
「とは限りませんよ,エリィ殿」
溜息をつくクーラ。
「先ほどノーブル殿も言ったとおり,この城の罠が…例えば対象にとって印象深い相手を投影する性質という事も考えられます」
「そ,そうかも知れないけど…」
「で…我々は考えたわけです。それを口に出してしまうと,エリィ殿は確認したくてしょうがなくなってしまう。危険を回避するならここは伏せておいたほうが良さそうだと…」
「むむ…それは…」
唸るハーディ。
「で,でも本物だったら…!」
「エリィ殿」
クーラがそれを遮る。
「ノエル殿がエリィ殿を近づけさせたくないと思ったのにはやはりそれなりの理も思いもあるはずです。ここで進んでしまう事はそれを無にしてしまう危険があるのですよ?偽物ならば言うに及ばず,本物であったとしてもです」
「う…」
そこでエリィはハッと気づく。
「でも,ノエルは『好きにしな』って言ってた」
「…」
「そこまで心配してくれたノエルだけを危険に晒すわけにはいかないわ」
「言うと思いました…」
溜息をつくクーラ。
「ですが,それは本物だった場合の話でしょう?罠だったらどうするのですか?ノエル殿の思いも無駄になってしまいますよ?」
「で,でも…本物だったら…!たった一人でこんな危険な事を…」
「結局…気になる人物が一人から二人に増えてしまっただけという事ですね」
こちらも溜息をついて,ノーブルは言葉を繋ぐ。
「ですが,袋のネズミの危険もあります。ここは…」
「それなら大丈夫よ」
にっこりと笑うエリィ。
「この入口…障害物があれば開きっぱなしなんでしょ?」
「…」
「さっさと追いついて確認してしまえば良いじゃない。偽物だったらすぐ引き返す。本物だったら…助けないと!」
「こうなるともう梃子でも動きませんね…」
「先日の約束はどこへやら…」
溜息をつく二人。
「まぁしょうがあるまいて。かくなる上はとっとと追いついた方が良さそうじゃな」
自分が種を播いてしまった事は棚に上げるハーディ。
「やむを得ませんね。では…」
ノーブルはごそごそと懐をまさぐり,大きめの豆粒ほどの何かを取り出す。
「…魔法男?それは?」
「こんなこともあろうと用意していたものがありましてね」
そう言ってノーブルはそれをひょいと放る。
「!」
ポン,と軽い音をさせてそれは弾け,その場にギルバートが出現する。
「ギ…ギルバート殿!?」
驚くエリィ。
「クマルー卿!好き勝手ばかりなさらないで下さい!」
現れたギルバートは開口一番そう叫んだ。
しかしそのギルバートは,誰も居ない場所をにらみつけている。
「え…?」
「クマルー卿!好き勝手ばかりなさらないで下さい!」
「え…?え…?」
「ああ,あまり刺激しないように。これは偽物です」
言いながら早くも階段を降り始めるノーブル。
「…」
絶句しながらそろりそろりとその後に続く一同。ギルバートは相変わらずあさっての方向をにらみながらその場に立ち尽くしている。
「…魔法男,あれは…」
「先日紹介しました投擲弾をこっそり改良しましてね…あれは敵の目をひきつけるための囮投擲弾と呼んでいます」
「本陣に置いてきたあれみたいなもの?」
「ちょっと違いますね。あっちは魔力を注ぎ込む術者がそれなりに複雑な動きをさせることができますが,こっちはただ置いてあるだけ,言葉も決まったものだけです。まぁその代わりに結構長持ちしてくれますが」
「底が知れませんな…」
苦笑するクーラ。
「皆さんにもお渡ししておきましょう。結局潜入することになってしまいましたしね…」
途中で立ち止まって脇によけ,前を通り抜ける一人一人にその豆粒を渡していくノーブル。
「随分あるのぅ…」
「赤が火炎,青が凍結,白が閃光,黄が絡網,黒が囮,金が解呪です」
「解呪?」
聞きなれない言葉に聞き返すエリィ。
「ええ。魔法生物が相手と聞いて用意してみました。相手が抵抗に失敗すれば活動を停止するはずです」
「さすがノーブルね,しっかりこんなものを用意してるなんて…」
「生半可な準備では姫の御供はできませんからね」
「う…」
「ははは,確かに…さて,できればさっさと追いついて確認してしまいましょう」
クーラはそう言って先頭に立った。




