呪詛
「上出来だな」
ひょいひょいと階段を駆け下りるようにして戻ってきたクーラに向かってノエルが言う。
「結果としては,突出してくれて助かりましたね」
総大将さえ討ち取ってしまえば,投降を呼びかける事ができる。先ほどの演説の感触から見る限り,誠意をもって当たれば何とかなりそうだ。
「…な,何?あれ…!」
しかし。エリィはレヤーネンの異変に気付いた。
「どうしました,ユーリエ様?」
「そ,それが…その…」
エリィはまたしても何と表現していいか思い悩む。
「…斬られた所が,中身が飛び出したように膨らんで…」
「何ですって?」
クーラの背筋に悪寒が走る。
「え…」
「今度は何です?」
「膨らみを斬ったら,またそこから膨らみが…」
「…!」
まずい。クーラは即座にクリミアへ叫ぶ。
「大佐!直ぐに兵を下がらせて下さい!攻撃は危険です!」
「何!?…ぜ,全軍!距離を置け!様子を見るのだ!」
この男が,ましてこの局面において意味の無い事を言う訳が無い。そんな信頼がまったく理解不能のクリミアにそれでも指示を出させる。
攻撃を中止し,レヤーネンを遠巻きにする連合兵たち。
脚を立て続けに斬られた事で腰から下が醜い肉塊と化したレヤーネンはもう自力で動く事はできなくなっていた。普通に考えればそれ以上何の脅威にもならない。だが彼の不自然で不穏な笑みが安心する事を許さなかった。
「く,く,く…」
そしてその悪い予感を裏切らない不気味な笑いがレヤーネンの口から漏れる。
「!」
いや,それは明らかに不自然だった。決して大きくはない,レヤーネン本人の声とも思えないそれが,まるですぐ近くで発せられたかのように居合わせた全員の耳に届く。
「もう遅い。お前たちは罠にかかったのだ」
声は続く。
「この身体には既に,お前たち全員を死滅させるだけの毒が生み出されている」
「!?」
驚愕する一同。
「な…」
絶句するクリミア。しかしクーラは直ぐに叫ぶ。
「ギルバート殿っ!第三軍に要請します!魔法の遠距離攻撃で,可能な限り妖魔のレヤーネンへの加撃を食い止めて下さい!」
「え…っ?」
ギルバートは驚く。
「ギルバート殿!従って下さい!」
ノーブルが叫ぶ。
確かになぜか,付き従ってきた妖魔はレヤーネンを攻撃している。そちらを見たギルバートは,そこではっきりとその言葉の真意を悟った。
「あ…!こ,攻撃っ!レヤーネンに指一本触れさせるな!」
すぐに魔法が妖魔へと殺到する。
「ど,どういう事だ…大尉?」
「すでにじゅうぶんというなら,加撃して爆弾をさらに太らせる必要はない,という事ですよ…大佐」
より広範囲に災厄を撒き散らそうとしているのか,あるいはハッタリをかましながら実はまだ不足している現実をそこへ届かせようとしているのか。どちらにせよ看過するのは下策だ。
「くく…まさか連合がこ奴を護衛するとはな。最後に面白い見世物が見られたわ」
(背後で操っている者がいるのか…)
おそらくは大魔道ルマールか。
(しかし…どうする?)
拡大を食い止めるだけでは解決しない。どうにかして無力化しなければ。
「さんざ馬鹿にしていたこ奴の道連れにされるのも,凝った演出であろう?」
「え…?」
しかしそこで割り込んでくるレヤーネンの肉声。
「軍師殿…道連れとは?連合を全滅させて凱旋する手筈では…?」
その表情からもすっかり余裕が失われ,うろたえるレヤーネン。
「…ふん,この状況でまだそんな夢を見ておるのか。救えぬな…」
「な…話が違う!私を龍戦士並みにしてくれるという約束で…」
「連合を根こそぎ道連れにするのだ,間違いなく龍戦士並みだろう」
くく…と笑い声を漏らすレヤーネンは,しかしその表情はすっかり血の気を失っている。
「い,嫌だ!死にたくない…!私は…」
「忠義の者として銅像くらいは建ててやるさ。安心して逝くが良い」
「ひどい!ひどすぎる!これまで帝国に尽くしてきた私にあまりの…」
「お前は足を引っ張ってきただけだろう…」
「…そこだけ見りゃ,腹抱えて笑い転げるほどの一人漫才なんだがな…」
ひきつった笑みを浮かべてノエルが言う。
「どうする?ネタが終わる前に逃げるなんて真似もできなそうだ…」
「生半可な攻撃では逆効果でしょう…結界を作って封じ込めます」
二,三歩前に出ながらクーラが言う。
原理自体は何ら目新しいものではない。いつも踏み台にしている力場をレヤーネンの周囲に発生させて密閉し,内側から加わる力を反射して相殺する。
(…しかし)
今回の相手は毒だ。打撃や炎と言った力とは訳が違う。上手くいくかどうかはやってみなければ分からない。
「私もご助勢いたしましょう」
ノーブルが杖を構えてこちらも前へと進み出る。
「なら今回は任せて」
と,そこでフレイアが,すい,とクーラの前へ出る。
「フレイア殿…?」
「打撃が無理なら焼き払うしかないわ…前回の失態は挽回しておかないとね」
言いながら身に付けた金属類を外しにかかるフレイア。
「フレイア…!お主まさか…」
ハッとするハーディ。
「やるしかないでしょ?ハーディ」
申し訳なさそうな寂しそうな笑みを浮かべてフレイアは言う。
「娘を守らなきゃ…ね?」
「むぅ…」
押し黙るハーディ。
「余波が出るかも知れないから,結界はそっち対応でお願いね?」
「了解」
やるというのだからやれるのだろう。ハーディのうろたえぶりからして,何かとっておきがあるに違いない。どの道他に手は無いのだから彼女を信じよう。そう割り切って身構えるクーラ。
「承知しました」
ノーブルも杖を掲げる。
〔…開け!焔の扉!〕
それほど大きくはないがしかし力強く,詠唱を始めるフレイア。
〔我が盟友,大いなる炎を纏いし魔王よ,古き約定に基づき今こそ我に力を貸せ〕
(炎の…魔王!?)
ぎくりとしたノーブルは,すぐに結界魔法の倍掛けの準備を始める。
「大佐…後退指示を!ギルバート殿!備えてください!」
同様に危険を察知したクーラが叫ぶ。
〔我に仇なす者たちを滅びの炎にて焼き尽くせ…〕
「の゛っ!?」
「なっ!?」
漫才をしていた二人のレヤーネン,いや,片方は大魔道ルマールであろうが,それが各々叫ぶ。
ゆらり,と彼の前の空間が歪むと,そこに炎を纏った半裸の巨人が現れた。
「…炎の魔人…フレイア殿…」
つぶやくノーブル。
記録では,炎の魔人の出現が最後に確認されたのは今から数十年程前の事だ。拝炎教徒によって一人のハイエルフが触媒にされ,呼び出された炎の魔人が暴走し大きな被害を出したと伝わっている。
事の大きさからさすがにアリシアも静観を決め込むわけにいかず,先王フローネの兄にしてギルバートの父,若きリーデマン卿が長らく絶えていた遠征を行ったと伝え聞いている。
(なるほど,只者ではないと思ってはいましたが…これは魔力を出し惜しみしている場合ではなさそうです…)
〔…業火の柩!〕
詠唱が完了すると,炎の魔人はその姿を巨大な火柱に変えてレヤーネンへと襲いかかった。
「が…」
おそらくは断末魔になるであろうレヤーネンの叫びが,瞬時に炎に飲まれる。
「く…!」
噴火する火山か,あるいは爆発でも抑え込もうとしているかのような錯覚にとらわれるクーラ。高温高圧,暴力的な勢いで燃え盛る結界内の炎。
「これは…なかなか…」
クーラの張った結界を外側から己の結界で抑え込むようにして支えているノーブルも苦し気な笑みを浮かべる。二枚の結界を以てしても完全には封じ込める事のできない熱波が周囲の温度を上げる。
「…もう少し…」
苦しいのは術者であるフレイアも同じであった。召喚しているのは最上位精霊である。蓄積された毒が焼却できるものなのかどうかはともかく,燃焼時間が足りないという人的ミスだけは避けておきたい。
「…くはっ!」
遂に限界を迎えたフレイアはがっくりと膝をつく。魔力の供給を絶たれた炎は実体化していられなくなり,ゆらりと歪みの中へ消えていく。
「…どうやら,やったようですね…」
その後に何も残っていないのを確認したノーブルが,ふぅっと一息ついてこちらも緊張を解く。
「何とか,しのぎ切りましたか…助かりました,フレイア殿」
自然体に戻ったクーラがにっこりと笑う。
「へへっ,いつもいつも大尉さんやノーブルにばっか任せていられないからね。たまにはいいとこ見せないとさ」
四つん這いの状態でにやりと笑うフレイア。
「よし!全軍突撃だ!今こそ妖魔を駆逐しろ!白軍には投降を呼びかけるのだ!」
クリミアの号令が飛び,連合は烏合の衆と化した妖魔へと突撃していく。
「これで完全に勢力は逆転しました…もはや帝国には将兵とも,余力は残っていますまい…」
クーラが言う。
「ですね。これで打倒魔大帝ラズールの前に立ちはだかる脅威は,挙動不審の漆黒将軍を除けば残すところ大魔道ルマールただ一人となりました…」
「さってと,それじゃ今日の分の私らの仕事は終わりかな?あとは連合に任せて,ゆっくりくつろぐとしますか」
「そうですね。殊勲のエルフ殿はもう凱旋してよろしいかと」
「りょうかーい,んじゃ…」
しかし立ち上がろうとした彼女は,バランスを崩してうつぶせに倒れた。
「えっ…あれっ…」
「まったく無理しおってからに…どれ儂が背負って…」
「ふ…フレイア!?」
「うおっ!?」
やれやれと近寄りかけたハーディだったが,そこでエリィの突然の叫びに驚く。
「ど,どうしたんじゃ嬢ちゃん…」
「あ,足!フレイアの足が!!」
「!?」
そちらを見た面々は驚愕する。フレイアの足首から下は,跡形もなく消えていた。
「な…っ!?」
ノエルの短い叫び。
「なんで…」
目を見開き口元を押さえてエリィが言う。
「これは…もしや!」
言うや,すぐに駆け寄ってノーブルは古代語をつぶやき始める。
馬から転がるように駆け下りてフレイアのそばへと駆け寄るエリィ。クーラがそれに続き,面々も彼女の周囲へと集まる。
「ど,ど,どういう事じゃい…!」
「どうやら,閣下には呪いがかけられていたみたいね…」
力なく笑いながらごろりと仰向けになってフレイアが言う。
彼女の足先が無くなったと見えたのは,腐食して崩れ落ちたからだったようだ。そしてそれは徐々に徐々に彼女の足を侵食していく。
「呪い,じゃと!?」
「多分ね。毒で連合を道連れにするのが第一段階。第二段階のこれは…おそらく伝説の龍戦士を確実に葬るための策だったんでしょ。あの状態の閣下を無力化できるのは,龍戦士くらいしかいないだろうと踏んで…ね」
「ところが誤算は,”風”にはそれが可能な実力者が居た…」
クーラが言う。彼はすでにそれが何を意味するかも察していた。その表情は厳しい。
「ノ…ノーブル!何とか,何とか…!」
演じる事すら忘れてエリィが叫ぶ。
「無理よ…」
小さく溜息をつくフレイア。
「おそらくは大魔道ルマールの…閣下と漫才をするお茶目さんとはいえれっきとした龍戦士の,伝説の龍戦士へ向けた渾身の仕掛け…。龍戦士でもなければどうにもならない…」
「く…」
険しい表情で解除を続けるノーブル。
「そ…そんな!そんなのって…」
「フレイア!許せ!」
「!」
アラウドが突如,大剣でフレイアの両脚を太股から切断する。
「ア…アラウド!?何するの!!」
「落ち着け!アラウドは腐ってる部分を切り離したんだ!」
ノエルがそれを制する。
「えっ…あ…」
言われてエリィは状況を理解する。アラウドが切断したのは腐食のすぐ上の部分だ。
しかしフレイアは悲し気に笑う。
「だめ…みたいね。斬られたのにほとんど痛みを感じていないもの…」
「あ…あぁ…」
彼女の言葉を裏付けるように,切断面にも徐々に腐食が広がっていく。
「く…!すまん,もう少し早く…」
うめくアラウド。さすがに胴体を切断するわけにはいかない。
「ううん,ありがとねアラウド」
そう言って,フレイアはすべてを悟ったかのような柔和な表情になる。
「みんな…どうやら私はここまでだね。短い間だったけど,楽しかったよ」
「…!そんな,そんな…」
ボロボロと大粒の涙をこぼすエリィ。
「ノエル…あんたはもっと自分を大事にしなきゃだめだよ?早いとこ身を固めて,落ち着きなさい」
「ヘッ…最後がお説教かよ…まぁらしいっちゃらしいか」
苦笑するノエル。
「アラウドもね。いっぺん死にかけたんだから,無茶は控えて」
「…」
無言でフレイアを見つめるアラウド。それに苦笑してフレイアは続ける。
「ノーブル…感謝してる。あなたがエリィを連れて来てからこっち,退屈する暇がなかったよ」
「いえ…まだ…終わらせるわけには…」
腐食は腰から腹へと進み,末端から少しずつ崩れ去っていくフレイア。
「…エリィ。泣かないで」
「だ,だって,だって…」
「そうね…まぁ花嫁姿を見れなかったのはちょっと残念だったけど」
フレイアはそう言って,にっこりと笑って言葉を繋ぐ。
「あなたを守れたんだからそれでいい。生きて…幸せになるんだよ?それを祈ってる」
「!…」
ぐっと言葉につまったエリィは,やがてぽつりと言葉を発する。
「ありがとう…お母さん」
「ちょっ…な,泣かせないでよ」
目を潤ませたフレイアは,何度かそれをしばたたかせて抑え,悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「大尉さん…」
「承りました」
頷くクーラ。
「もう…堅いわねぇ。そこはもっとこう…」
「お嬢さんは責任を持ってお護りいたします。ご安心ください,ご母堂」
「ふふっ…まあいいか…」
苦笑したフレイアは,ハーディに視線を移す。
「ハーディ…」
「フレイア…」
「ごめんね…ありがとう…」
「何の,儂の方こそ…お主と嬢ちゃんのおかげで,一度は諦めた幸せを得られたわい」
「ふふ…」
微笑して目を閉じるフレイア。つぅ,と一筋涙が流れ落ちる。
「後は頼むね…」
「…うむ」
それがフレイアの最後の言葉となった。
腐食が胸に達し,彼女に起こった変化をつぶさに感じ取ったノーブルががっくりと肩を落とす。抵抗を受けなくなったことで一気に腐食は速度を早め,みるみる変色していくフレイア。
ハーディは素早く短剣を取り出して,フレイアの髪を一房切り取った。
「さらばじゃ…フレイア」
完全に腐食した彼女の身体が風に吹かれて崩れ去っても,しばらく誰も動くことはできなかった。




