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意趣返し

 エリィの言葉は,裏を知らない全ての者に驚きを以て迎えられた。

「!?」

 予想もしないその響きに,一瞬にして思考停止状態に陥る。

 そのまましばし,静寂が辺りを包む。

「…ハッ,そいつぁ天井知らずに斜め上だ」

 比較的斜め上慣れしたノエルが真っ先に口笛を吹いてそれを破り,内実を知らされていなかった他の”風”の面々に再起動がかかる。

「ま,ま…魔法男?」

 しかしあまりの事に,役柄を演じている事すら忘れて素で呼び掛けてしまうハーディ。

「本気なの!?」

 目を丸くするフレイア。

「ええ。本気ですとも」

 涼し気に言うノーブル。そこでやっとヒュームの頭が動き始める。

「ば…バカを言え!そんな真似が…」

「といっても,本気の策と言うだけですがね」

「何…?」

 絶妙のタイミングで気勢を逸らされ,不本意ながらその言葉の意味を尋ねるヒューム。

「それは,これからのユーリエ様の言葉を聞いていれば自然に解ってきますよ。どのみちもう交代はできませんから,まずはお聞きください」

 その頃には兵士たちも随分と回復してきていた。ざわざわとざわめく両陣営。

「私は…」

 エリィは満を持して口を開く。再び静まり返る辺りの空気。

「聞き及んでいます。このバラナシオスの先…かつてルトリアとサナリアの国境のあった付近で,帝国の皇帝,ラズール陛下が仰った事を」

「!」

 帝国側に再び,しかし今度は静かなさざめきが広がる。

「陛下は,サナリアの窮状を見かねて立ち上がった,民の安寧を求めて立ち上がった,そう仰ったと…。もちろん,その時その場に居合わせなかった私にはどうすることもできませんでした。しかし…こうしてここに立っている今は違います」

 エリィはそこで言葉を切り,十分に息を吸い込んでから言葉を繋ぐ。

「私は…陛下のお言葉を信じたい」

「!」

 おお,と帝国側から漏れる驚きの声。

「バカな…何を…」

「まぁまぁヒューム殿,もう少しお待ちを」

「もちろん当時とは状況は同じではありません。時も流れました。血も流れました。人の心が往々にして変わってしまうものだという事も承知しております。だからこそ私はここで問いたい。帝国は…今も変わらずその志を持っていますか?と」

「むっ…」

 唸るヒューム。

「持っているならば,まだ遅くは無い筈です。かつて陛下は,敢えて数的不利を晒してまでも平和的な共存を目指した。…その志が残っているのならば,今からでも手を携えることは可能です」

「なるほどな…志があるならば武装解除せよ,無いならばやはりお前たちは悪だと責めて,向こうに与する裏切り者どもの戦意を挫こうという策か」

「冷静な分析ですね,さすがはヒューム殿」

 もっとも打算的な分析をすればそうなる。そんな内心を隠して意味ありげににやりと笑うノーブル。当然だ,と鼻息も荒くヒュームはふんぞり返る。

「それに陛下は…本来不倶戴天の敵ですらあるはずの闇の眷属の立場にまで言及し,意に添わぬ服従を強いるのは本意ではない,強いられるのは彼らの本意ではないと仰ったとか。自らに害をなすやも知れぬ者たちにまで思いを至らせる事のできるその懐の深さ,尊敬に値するものだと思います。そのような陛下とならば…過去の恩讐を超えて十分に共存の道を模索していける。私はそう思っています」

 今度は連合側から驚きの声が漏れる。

 それは無理のない事だ,とノエルは思う。荒事に向かないはずだった,深窓の姫君の極みと言って差し支えないほどだったユーリエが,今回の戦争では国を追われ,慣れぬ武道に手を染めて自ら前線に立ったのだ。そういう事になっているだけに過ぎないというところは措いて,それはじゅうぶんに不幸な境遇と言える。しかしまさにそのユーリエ自身が,過去を水に流そうというのだ。

 おそらく連合,といってもここの主力はあくまでアリシアとエリティアだが,それには好意を以て受け入れられるだろう。特にアリシア兵には主君への絶大な敬愛と相まって染み渡るはずだ。

 だがそれはそれとして。

(おいおい,本人不在のところでそこまで言っていいんかい…)

 ずきずきと痛む頭を押さえるノエル。ギルバートが同意しているのだから”こちら”の責任にはならないだろうが,さすがに事が大きすぎるのではないか。ノーブルのかわいい悪戯で片付くレベルの話では無い。

「私はアリシア王家に連なる者として,ここにお約束致します」

(んっ…?)

 そこでノエルは,ややもすれば見過ごしてしまいそうな小さな違和感を感じる。

(お嬢ちゃん…?)

 気持ちが入っているのは解る。しかし地雷を踏んでしまった先日の一件もある。エリィがそれでもなお自分の意志で換言アドリブしているとは考えにくい。

 となれば,なぜわざわざ回りくどい言い方になっている…いや,そんな文言にしているのだ?

(ノーブル…?)

 エリィに責任を感じさせないためだろうか。いちど気になってしまったノエルには,女王という肩書も,ユーリエの名も敢えて避けているように聞こえてしまう。

(妙な事にならなきゃいいがな…)

 だがそれを考えたところで,今はどうにもならない。

 ふぅと溜息をついて,ノエルは意識をエリィの演説へと戻す。

「決して夢物語ではない…その証拠に,今私たちはここに居ます。本来ならば相応の損害と民の犠牲のもとガイカースやワ=ダオラを奪還して来るところ,無傷で,です。これはひとえに民を思った帝国の寛容の賜物でしょう」

 おお,と今度は感嘆の声が両軍に起こる。

「ならば我々は,その思いに報いましょう。無用な犠牲は避け,誰もが笑顔となれる平和の道を…それにつながる扉を開きましょう」

「…おい」

 不機嫌になったヒュームが不満の声を上げる。

「連中が乗ってきたら意味が無いのではないか?」

「いえ,それならそれで助かりますよ,ヒューム殿」

 クリミアが言う。

「なに…?」

「私がこのに乗ったのはむしろそこが最大の理由です。帰還者の帰順に失敗し,ルトリア勢の合流にも至らなかった我々は,現段階では多くの弱点を抱えています。ここで向こうが乗ってくれれば,それらに対処する時間ができます」

「しかしだな…」

「ワ=ダオラさえ守れていれば負けはないでしょうし…トルサの時のじり貧とはわけが違います。戦うしかないと背水の陣で臨めばこそより手ごわくなる帝国も,和平という抜け道を作ってその力を逃がしてやれば…」

「むぅ…」

「と言っても…今の帝国が乗るとは考えにくいのですがね」

 肩をすくめるノーブル。

「どういう事だ?」

「乗る気があるなら白廉将軍を更迭したりはしない…という事ですよ」

「…」

 無言でレヤーネンを見やるヒューム。

「これはアリシア王家に連なる私からの願いです。どうか帝国の皆さん…今一度我々を信じて頂けないでしょうか?私は,アリシアは皆さんを信じ,ともに歩みたいと考えています。良い返事を…お待ちしています」

 そう言って深々と頭を下げるエリィ。そしてそれを上げることなく返事を待つ。

「素晴らしい演説でした…エリィ殿」

 小さくねぎらいの言葉をかけるクーラ。

「た,大尉…今私はユーリエ様を…」

「敢えて言わせて頂きました。間違いなく…貴女の演説です。貴女の気持ちを,感じました」

 形としては,これはもはや戦場の口上ではない。説得だ。台本がそれを狙っていたのも確かだが,それを生きたものにしたのはエリィの力だろう。クーラは素直にそう思う。

「…」

 頬を染めるエリィ。

 だが。それはやはり,予想された結果を覆すほどのものにはならなかった。

「小賢しいわッ!聞こえの良い嘘を並べ,我らを油断させる手管であろう!恥を知れィ!!」

 周囲の落胆も何のその,がなりたてるレヤーネン。

「…っ」

 エリィの表情も落胆へと変わる。

「和平をと言うならば誠意を見せよ!速やかに軍を引き,我らが領有しておったルトリアを明け渡せ!」

「そ…れは…」

「できるわけが無かろうがっ!」

 遂に我慢のできなくなったヒュームが声を張り上げる。

「言うに事欠いて,明け渡せだと!?汚らわしい侵略者どもが!恥を知るのは貴様らの方だ!」

 どかどかと怒りも露わに歩きながら叫ぶヒューム。

「寝言は寝てから言えっ!汚らしい商人あきんどふぜいが!火事場泥棒で国を奪い取ろうという卑怯者が何を偉そうに!恥を知れィ!!」

 青筋を立てたレヤーネンが挑発の仕草を見せながら怒鳴り返す。

「何だとっ!?妖魔の指揮しかできぬ下賤の者が調子に乗るなっ!」

 怒り心頭のヒュームもそれをやり返す。

「これ…もしかしてアレか?古い言い伝えにある…」

 呆れながら言うノエル。

「うむ,おそらくはその,元祖馬鹿対本家馬鹿コントダ・コントラ・コントダじゃろう」

 頷くハーディ。

「ここまでとなると,もはや芸術級ね…」

 苦笑するフレイア。

「別の機会にやってもらえればそれはそれで笑えもしたのでしょうが…姫の演説も場の雰囲気も台無しです」

 いっそ不慮の事故を装って二人まとめて埋めてしまいましょうか,そう言って溜息をつくノーブル。

「ええい!これ以上無駄な問答ができるかっ!」

 レヤーネンがさっと合図をすると,落胆しているサナリア出身の帝国兵を除いた妖魔たちがエリィに向けて矢を放つ。

「!?!?」

 目測する事のできないヒュームは何千というそれが自分にも及ぶと思い込んで腰を抜かし,醜態をさらしながら後退する。

「ちょ…!さすがに数が!」

「ご心配なく,想定通りです」

 慌てるフレイアに,相変わらず涼しい顔で言うノーブル。

「ユーリエ様,ご安心を!」

 ここからは自分の出番だ。クーラは台本を知らない友軍に聞かせるための言葉を発し,エリィの前へと進み出る。

(いい道化だよ…)

 そんな自虐を心の中に押しとどめて剣を抜くクーラ。

「ふんっ!」

「!?」

 クーラが剣を一振りしただけで,矢は見えない何かに弾かれたように跳ね返る。

「な…なん…だ…と…」

 顔面蒼白となるレヤーネン。少なくとも彼をはじめ,帝国の建国時から付き従っている兵士たちにはなじみのある光景だ。当然そちらにも動揺が広がっている。

「魔法を仕込んでたってわけね?でも派手な演出ねぇ…」

 苦笑するフレイア。

「ええ。せっかくの漆黒将軍の脅威,使わなければ損ですから」

 にやりと笑うノーブル。

「なに…?じゃぁ何か?ヤツもこれと同じことをやったってのか?」

「ええ。そう聞いています」

 漆黒将軍の実力を良く知る帝国側にとって,それと同じことができるクーラは同等の脅威と認識されるだろう。白廉将軍がこの場に居れば話は別だが,あの閣下にはそれがハッタリであるとは見破れまい。

「いよいよバケモンだな,龍戦士ってのは…」

「…まぁそれを言ったら,大尉もそれなりに常識外れですが」

「…」

 無言で肩をすくめるノエル。

「我々の誠意に対する,これが返答か!帝国よ!」

 馬鹿の対決が挟まって台無しになった事は頭から追い払い,クーラは強引に流れを台本へと引き戻す。

「ならばやむを得まい!連合の勇敢な将兵たちよ,奮え!今こそ悪逆非道の帝国を駆逐するのだ!」

 おおおお,と鬨の声が起こる。一方の帝国には一層の動揺。

「大佐っ!」

「放てっ!」

 それを待っていたクリミアが号令を発し,先ほどの返礼とばかりに無数の矢が放たれる。

「攻撃開始だ!今こそ帝国を追い返すぞ!」

 すかさず声を張るクリミア。相手からの矢はすでにクーラがしのぎ切っている。連合兵は突撃を開始した。

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