アリシア王家の斜め上
バラナシオスの内偵を進めていたエリティア諜報部員は,白廉将軍が本国へと向かい,そのまま現地で拘束されたという情報を手に入れた。
漆黒将軍と並び称される白廉将軍の更迭は,苦境続きの連合に活気をもたらした。ある者は帝国の崩壊とこの戦争の勝利を予感し,またある者はごく単純に眼前に迫った戦いがより楽なものになるだろうと喜んだ。なぜなら白廉将軍の後釜として帝国軍の指揮を執るのがあのレヤーネンだったからである。
連合内での地位をより確固たるものにしようとして失敗していたヒュームは,ここぞと即時侵攻を主張した。帝国に立て直しの時間を与えずこれを撃破してこの戦争の趨勢を決してしまおう,それで帰還者たちを屈服させてしまおう,そしてルトリアの勢力を麾下に加えて先陣に立たせ,戦後のルトリアの発言力を不動のものにしてしまおう,そんな思惑が彼にはありありと見て取れた。
しかしヒュームの打算はともかく,帝国の動揺を見逃す手は無い。バラナシオスを確保してしまえば確かにこの戦争は一つの区切りを迎えるはずだ。クリミアは全軍に出撃命令を出し,連合は総力を以てバラナシオスへと進軍した。
両軍はバラナシオス郊外で対峙する。
「さぁて…いよいよだな」
ノエルが口を開く。
「この戦いに勝てば,帝国は建国時の版図へ戻る。邪神の封印が解けて闇の勢力の力が増している点は無視できねぇが,それでも余裕はできる…」
「問題は,帝国がどんな策を用意しているかでしょうね。いくら人材不足とはいえ,あのレヤーネン閣下に任せきりにするとは考えられません」
ノーブルが言う。
「だな…姫さん,伏兵はどんな感じだ?」
「ええ,今のところ第三軍の協力を…」
「おい貴様」
と,そこで口を挟むヒューム。
「下賤の者の分際で偉そうな口を叩くな」
「あ,良いのですヒューム殿,彼は私の…」
「クリミア殿。王族ともあろう貴殿がそのような事では示しがつかぬ!」
「ちっ…こっちにも閣下がいるぜ…」
唾を吐いてつぶやくノエル。ヒュームは敵の大将がレヤーネンである事を聞き,身の危険はないと踏んで戦場に姿を現していたのだ。
さすがに自分が指揮を執ると言い出した時にはその場の全員で押しとどめたが,これでは先が思いやられる,とクーラは溜息をつきながら口を開く。
「かつての奪還戦の時のような伏兵は確認されておりません。別動隊の存在も今のところありませんので,正面切っての総力戦になるでしょうね」
「そうか…」
「クーラ大尉。作戦上の機密を誰彼構わず漏らすのは重大な背信行為ではないのか?軍法会議ものだぞ!」
「すみません。今の私は伝説の龍戦士…力ある者には身分に関係なく協力を求めるという役柄を演じております。そちらが最優先の作戦なのでご容赦を」
しれっと答えるクーラ。無論そんな設定など無い。
「ぐ…」
苦虫を噛み潰したような顔になるヒューム。
「となると後は,何が出てくるか,どう当たるかの問題か…」
そんなヒュームをまるで存在しないかのようにさらっと無視してノエルが言う。
「そうですね。立地上蟹は出てこないでしょうから,注意すべきは巨人と魔獣の類でしょうか」
「あれ…?」
フレイアが驚きの声を上げる。見覚えのある豪奢な鎧が単騎で前へと進み出たのだ。
「恥を知れィ!」
その豪奢な鎧,レヤーネンが声を張る。
「何言ってるか分からねぇよ…」
何の脈絡もないいきなりの発言に呆れるノエル。
「聞くところによると,レヤーネン閣下のお気に入りの文句らしいですよ,あれ」
苦笑しながらノーブルが解説する。
「なんでもあれで自分を乗せるのだとか…」
「要は自己満足ってか…救えねぇ…」
「ふん,下賤の者にありがちな虚勢だな」
鼻で笑うヒューム。
「ではヒューム殿,こちらは貴方が演説しますか?」
「どういう意味だ大尉」
では,が自らの発した下賤の者に引っ掛けられているのではないか。自分を下賤の者と見なしているのか。そんな事を考えたヒュームがむっとして言う。
「おや…」
ちょっと意外そうな表情をするクーラ。
「ご存知かと思っておりましたが…戦場では普通,相手が口上を述べてきた場合にはこちらも受けて立たねばならぬのですよ」
「何!?」
「何せ相手はレヤーネン閣下…まさかそんな事はあるまいと高をくくっておりましたが…かくなる上は誰かが出て主導権を握らねばなりません。出ねば臆病者の謗りを受け,士気に深刻な影響が出ます」
「な…んだと…」
「この戦いは連合対帝国ですからね…総大将として閣下が出ている以上,こちらも総大将か…少なくとも国の代表が出ねばなりますまい」
「む…ぐ,しかし…」
言葉に詰まるヒューム。何のかんのと言って彼は戦場の習いには疎い。迂闊な事を言って,よりにもよってあのレヤーネンにやり込められれば致命的,そんな思いが彼を支配する。
「そろそろ終わりそうですが…」
そこへしれっと追い打ちをかけるクーラ。
「う…あ…で,では…」
ヒュームはクリミアの方を振り返る。
確かに今の連合では,王家の者でありなおかつ戦場慣れしているという点でクリミアが最適任だ。よくそんな余裕があったなと感心しながら,しかしクーラはそれを遮る。
「実はですねヒューム殿。万一に備えて用意していた台本があるのですが…」
「!」
クリミアの名を呼び掛けたヒュームが弾かれたようにクーラの方へ振り返る。
「そ,それを早く言えっ!あるならなぜそうと最初から言わん!」
「いえいえ,やはりヒューム殿を差し置くわけにはいきますまい」
「そんな事で気を遣うな!それを使え!いいな!?」
まくしたてるヒューム。
「は,はぁ…了解しました。ではそれで対応いたします」
毒気を抜かれたような返事をしながら,しかしクーラは心の中でしてやったりとほくそ笑む。勿論これは,ヒュームの言質を取って文句を言わせないための策略だ。
「そしてお前たちは恥を知るのだ!恥を知れィ!」
ちょうどそこでレヤーネンの演説が終わる。
「よっぽど好きなのね…さすがにニ十回も言うとは思わなかったわ…」
暇潰しに数をかぞえていたフレイアが溜息交じりに言う。
「きっと心ある帝国兵は内心でうんざりしているでしょうね…。そこに付け入る隙ができます」
にやりと笑うノーブル。
「で,誰が行くのだ!?」
気が気ではないヒューム。
「では手はず通りに。頼みましたよ…ユーリエ様」
にっこり笑いながらクーラが言い,頷いたエリィが馬を降りて前へと進み出る。やはり下馬してそれに付き従うクーラ。
「な,な,何だと…!?あ奴はにせ…」
「ヒューム殿?」
すかさずノーブルがそれを制する。
「う,ぐ…」
複雑な表情のヒューム。そしてそこで,主役を免れた気楽さが彼の思考能力を回復させる。
「そ,その台本とやらは誰が作ったのだ!」
「アリシア王家の口上ですからね…当然,クマルー卿とギルバート殿ですよ」
「な,な,何だと…!?それでは,実質ギルバート殿が一人で…」
「おやおや,信用ありませんねぇクマルー卿は…無理もありませんか」
にやにや笑いながら言うノーブル。
「当たり前だッ!」
(悪党…)
呆れるフレイア。
「ではヒューム殿,今からでも選手交代といきますか?」
「バ,バカを言え!それならばクリミア殿が…」
「私は既に,その台本を見せられて了承していますから」
くすっと笑うクリミア。
「なっ!?」
「なかなか人を食った…しかしそれなりに巧さも理もある策です。エリティアとしては全く異を唱えるつもりはありません」
「む,む…」
「始まってしまいますよ?どうします?ヒューム殿?」
しれっと畳みかけるノーブル。
「くっ…好きにしろ!」
そう言ってぷいっとそっぽを向くヒューム。
そんな外野を後にして,クーラを従えたエリィは,味方の視線を浴びながら歩を進める。
「大丈夫ですよ,ユーリエ様」
「ありがとうございます,大尉…」
台本通りだ。それは分かっている。ギルバートが作成に携わっているのだから,きっと問題は無い。
自分はただ,自分に与えられた役目を精いっぱい果たすだけだ。そんな覚悟を決めたエリィは,自軍の前へと進み出ると,付き添いのクーラからもやや距離を置いて一人で帝国軍を正面に見据える。
叫ぶ必要は無い。フレイアが精霊魔法で自分の声を敵味方全軍に届けてくれる。後は心を込めて,言葉を紡ぐだけだ。
きゅっと目をつぶって気持ちを落ち着けたエリィは,それを見開き,凛と声を張った。
「アリシア王家の者として…帝国の方々に申し上げます」
それまでざわざわとしていたその場の空気が,水を打ったように静まり返る。
「私はこの戦いにずっと心を痛めて参りました。留まるところを知らぬ戦禍の拡大,次々と生まれる憎しみの連鎖,失われゆくたくさんの尊い命…。それは連合だけに限った事ではありません。帝国もまた…多くの犠牲を出してきたはずです」
「フン,闇の者などいくら死のうがどうでもよいわ。そもそも…」
そっぽを向いたまま吐き捨てるヒューム。
「おや,あちらの閣下も似たような事を仰っているようですね」
そこですかさず,しれっと嫌味を言うノーブル。遠目に見る彼は確かに何事かぶつぶつと口を動かしている。
「ぐぬ…」
「なぜ,戦わねばならぬのでしょう?なぜ,ともに歩むことができぬのでしょう?私はずっと,それを問い続けて参りました」
(…気持ちが入ってきたな…)
黙って聞きながらクーラは思う。
「今ここに,私はこうして,私の思いを打ち明ける機会を得ました。それを与えて下さったレヤーネン閣下をはじめ全ての方々に感謝を申し上げ,私はここに,ある提案を申し上げたいと存じます」
「…提案,だとぅ?」
聞きとがめるヒューム。今さら手遅れですよ,とこちらもほくそ笑むノーブル。
「この戦争を…」
そこでいったん言葉を切って間を置くと,エリィは力を込めて次の言葉を発した。
「ここで放棄しようではありませんか!」




