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湯けむりの中で

「ふぅ…」

 湯の中でクーラは息を吐く。

 往路はガイカースからグラントのいるガーネ=コマを経由してエ=ツォーナへと至った一行は,しかし帰りは別の針路をとっていた。

 これは一つには連合の余裕のなさがあった。確かに白廉将軍はバラナシオスでの決戦のためワ=ダオラを明け渡したようだが,かといってこちらが手を拱いていれば前言を翻し再進軍してくるおそれがある。

 そのため連合は,クーラたちを送り出した後すぐにこれを掌握すべく進軍を開始していた。これに最も効率的に帰還するために,一行はヴェーダから”水”のジェラルドが守るフーコ砦を経由する必要があったのだ。

 敵地であるヴェーダを経由することには懸念もあったが,例によってルトリア首脳部がそれを押し切った。押し切った側であるイリウムの誤算はそれを決めた後に自分が同行する羽目になった事で,自業自得の彼は連日神経をすり減らし,山すそを縫うような経路である事も大いに災いして今は疲労の極致にあった。

(このままいけば,明日じゅうにはフーコの勢力圏内にたどり着くな…)

 イリウムにとって救いだったのは滋養ある山の珍味が比較的簡単に調達できた事と,随所に温泉が湧いていてほぼ毎晩それで疲れを癒せた事だろう。自称宿巡りに詳しいノーブルは温泉巡りも趣味だったようで,穴場とも言える隠れた名湯をいくつも知っていた。

(しかし…)

 ノーブルの言動はどこまでが計算されているのだろう。クーラは自然の一部に溶け込んだかのようになって,頭だけを働かせる。

 ここ数日でとった経路は,一言で言えば温泉巡りのそれだ。正規の街道からそれほど大きく外れているわけではないが,今それを俯瞰で思い返してみるとフラフラしている。

 しかしその一見して人を食ったような行動が,例えば帰還者側の刺客の類の襲撃を防ぐために計算されていたかのようにも見えるのだ。

 帰還者がこちらをなりふりかまわず仕留めようとするかはともかく,少なくとも見つけるのにかなり苦労しているはずだろう,とクーラは思う。

「あ,大尉…」

(!)

 随分と考えに没頭してしまっていたらしい。普通ならその警戒範囲はエリィ以上であるクーラは,しかし彼女の声で思考を現実に戻す。

「エリィ殿,それに,フレイア殿も…」

「いたのね,大尉さん…」 

 それは彼女たちも同様だった。クーラの気配がいつも以上に消えていたおかげで全くそれに気づかなかったのだ。

「す,すみません,いらっしゃるとは知らず…」

「ああ,いえ…少し待って頂ければ出ますので」

「あ,いえ出直します。お気になさらず…」

 ぎくしゃくとやりとりする二人。

「別にいいじゃない,一緒しようよ」

 ところがフレイアがさらりと言ってのける。

「!?」

 驚く二人。

「ちょ…っ,フレイア!?」

「あなたも見たでしょ?大尉さん視力まったく無いんだから,大丈夫だって」

 ふふふっ,と笑ってフレイアは言葉を繋ぐ。

「アリシアには,裸の付き合いは大事っていう言い伝えもあるし。折角だから親交を深めましょ?」

「…まぁ私はお二人さえ良ければ構いませんが…」

 気は引けるが,かといって出るまで待たせるのも出直させるのも心苦しい。そんな事を考えて,ふぅ,と溜息をつくクーラ。

「でも…」

「まぁまぁエリィ」

 言いよどむエリィにぼそぼそとつぶやくフレイア。

「大尉さんが記憶を失った流星君なのかどうか,確かめるチャンスなのよ」

「…え?」

 胡散臭そうにつぶやき返すエリィ。

 ここ数日のやりとりで,彼女はフレイアがそんな突拍子もない事を考えているのは知っていた。彼自身の口から決意表明を聞いた自分としてはとてもそうは思えないのだが,それは秘密であり明かすわけには行かない。それに少なくとも,現段階ではそれが全くの夢物語と証明する根拠がないのも事実ではある。

 だがまさかここでそれが出てくるとは。裸で何を確かめるというのだ。

「…あー」

 クーラの裸身を思い描きそうになって赤面しかけたエリィは,ふとそこで思い当たる。

「あの傷の…こと?」

 傷とはつまり,シャルルが二日寝込んだあれだ。ふとした隙に,リザードマンに深々と槍を突きこまれて生死の境をさまよったあれだ。

「そういうこと」

 にやりと笑いながらフレイアは頷く。

「…」

 やれやれと内心で溜息をつくエリィ。なるほどそれなら,クーラがシャルルかどうか判ると考えるのも無理はない。

 しかし彼女は知っている。その傷は,シャルルが龍戦士の力を使って跡形もなく消し去ったのだ。だからその確認に全く意味が無い事も彼女は良く知っている。

 だがそれも秘密なのだ。致命傷とも言える傷跡がきれいに消えている,そんな不自然な事が明るみに出れば彼が何か常軌を逸脱した能力を持つ事も明るみに出て,正体までばれてしまうかも知れない。

「どうしたの?エリィ?」

「え?あ…そ,そうね…確かに」

 曖昧な表情で乾いた笑みを浮かべるエリィ。フレイアの言葉を否定するわけには行かない。だが否定する事なしにその提案を拒否する事もできない。

「というわけだから,ご一緒させてね~」

 にっこり笑って,さっさと脱ぎ始めるフレイア。それ以上異を唱えるのを諦めたエリィがそれにならう。

「それじゃ失礼しまーす」

 ちゃぷ,とかすかな水音が立つ。光を失ったクーラには見えないが,細身だが均整の取れた体つきのフレイアと,出る所は出て引き締まるところは引き締まったエリィの二人の裸身が月明りに白く浮かび上がる様は幻想的であった。

「はぁ~…いいお湯…」

 はふぅ,と息を吐くフレイア。

「そうね…」

 体の力を抜いてゆったりとするエリィ。

「…」

 そこで彼女は,目をつぶって静かにくつろぐクーラの横顔を見る。

 帰還者の首魁ミリアは彼をシャルルだと言った。その真意は解らない。素顔が明らかになった時は似ていると確かに思ったはずなのだが,そのシャルルの顔は今は湯けむりの中に沈んでしまったかのようにぼやけている。

(この人は…確かに私を支えてくれていた…)

 アリシア女王と伝説の龍戦士。役柄上それを求められているのも確かだが,この男は仕事ではない,演技ではないと明確にそれを否定した。

 さしあたりシャルルが戻るまでは代役を務める。そう言ったのはこの男だが,それに甘んじているのは失礼なのではないかとエリィはここ数日思い続けていた。中途半端な状態のまま生殺しにしているようなものではないか,との思いがちくちくと胸を刺す。

 しかしかといってどうしようも無いのだ。少なくとも本物の龍戦士が現れるまでは役柄を演じ続けなければならない。仕事は仕事と割り切れるほど自分は大人になれていないというだけの話で,その関係だけは続けなければならない。

「ん,もぉ~」

 そこで不満げに鼻を鳴らすフレイア。

「何なのよ二人とも。せっかく一緒してるんだからもう少し気の利いた話とかないの?」

「…っ」

 そこで思いがけず,クーラの横顔を見つめ続けていた事に気づきうろたえるエリィ。

「まぁ良いではありませんかフレイア殿。こうやって静かに,一緒の時を過ごすのも悪くない…」

「そ,そうですね…」

 微笑を浮かべてこちらを振り返ったクーラの顔にどきりとして,エリィはそそくさと視線を外す。

「どこのご老体よもぅ…若いんだからもっとこう…スキンシップしないと」

 にやりと笑ってフレイアはクーラに近寄る。

「ちょ!フレイア…さすがにそれは…」

「襲っちゃうぞ~」

「フレイア殿…酔ってますね?」

 すい,と距離をとりながらクーラが苦笑する。

「へへへ,ちょっと飲みすぎちゃってね…」

 エリィに羽交い絞めにされたままぺろりと舌を出すフレイア。

「もう…大尉の邪魔をしちゃだめでしょ?」

「ああ,いえ…ちょうど頃合いなので私は出ることにします」

 二人に背中を向け,立ち上がるクーラ。

「あ…」

 もちろんお目当ての傷などあるはずがない。じろじろ見るのも失礼と視線を外しかけたエリィだが,視界の隅に入ってきたクーラの背中に目をくぎ付けにされる。

「すごい傷…だね」

 ぽかんとするフレイア。クーラの背中には大小無数の傷がついていたのだ。

「ああ,すみません。お目汚しでしたね。これは…修行中についたものでして」

 苦笑するクーラ。

「ほぅほぅ…まぁ座りたまえよクーラくん。じっくり聞かせてもらおうじゃないか」

「ほんとに酔ってますね…」

「良いではないか酔いではないか~」

「…」

 ふぅと溜息をついて,しかしクーラは再び湯に浸かる。

「無茶をやったと言っていたアレかね?」

「ええ。…以前お話ししたかと思いますが,私は最愛の女性ひとを失いました」

 クーラは顔を空へと向けて話しはじめる。

「文字通り私はその時に光を失ったわけですが…なかば自虐的に,大甘の自分を徹底的に叩き直したいと考えて士官学校へ入ったのはその直後なのです」

「えっ…」

 目を丸くするエリィ。

「大尉は…エリティアの方ではなかったのですか…」

 国民皆兵のエリティア出身なら,年齢的に見て入校が先。舞神流の基礎を仕込まれてからなら光を失ったとしてもさして不便を感じる事はない。だからこそ短期間に上達するのも決して不可能ではないと思っていた。

 だが一から,しかも生まれつきではなく途中から光を失くした者がとなれば話はまるで違う。もちろん舞神流はそのあたりの指導法も確立しているから技術の修得には何ら問題は無い。しかしそれにはやはりそれなりの時間がかかるはずなのだ。

「…」

 ごくり,とエリィは唾を飲む。この男は想像を絶する修羅場を潜ったのだろう。舞神流で闇の感覚を掴めればそこからは比較的楽になる。とはいえこの男は覇王流にも手を出している。あの無数の傷は,おそらく実戦形式でついたものに違いない。

「まぁだいたいご想像の通りです。特に背後の感覚を研ぎ澄ますのには時間がかかりましてね。いきおいそちらの傷が増えてしまったというわけです」

「大尉…」

 つぅ,と涙がエリィの頬を流れ落ちる。

「エリィ殿…?」

「その女性は…それだけ大切な方だったのですね…」

 胸が苦しい。この男は悩んで苦しんで,自殺行為とも言えるほどの試練を自分に課した。一歩間違えればどこで命を落としても不思議は無い刻苦の果てにこれだけの強さを身につけた。だが,その女性はもう戻りはしない。どれだけ強くなろうともその思いが満たされる事は無い。

 そんなクーラが,自分に好意を持ってくれている。その全てをかけてくれるという。それはとても光栄な事だ。 

 しかし。シャルルもまたそう言って旅に出た。あるいは今も,どこかでこれだけの荒行に身を投じているのかも知れない。危険な綱渡りを繰り返しているのかも知れない。

 怖い。ぶるっと身震いするエリィ。

「私は…」

「今は…貴女が笑顔でいる事,それが何よりの励みになります」 

 しかし,その心の内を見透かしてでもいるかのように優しく微笑するクーラ。

「大尉…」

(ん…?)

 その時。クーラは何者かの気配を感じた。

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