それぞれの思惑
クーラがエリィを追いかけて走り去り,”風”の面々はその場に取り残された。
「…あー…」
ぼりぼりと頭をかくノエル。
「どうやら予想以上に,大尉との距離が縮まっていたんだな…。こりゃ修羅場待ったなしか…」
「むむむ…」
複雑な表情のハーディ。
「でもさ…ほんとにそうかな…?」
しかし二人の走り去った方を見ながら,フレイアが言う。
「あん?」
「確かにそれなりに筋の通った話よ?でも…作ろうと思って作れない話でもないじゃない」
「二重三重の予防線を張って…今なお隠しつづけようとしてるって事か?だがよ…それなら,連合自体の運命を左右するような場面でも正体を明かさねぇ,いや,明かせねぇ何かって何だよ」
「それは,分からないけど…」
正体の発覚によって降りかかる何かを恐れているのかも知れない,とフレイアは思う。少なくとも帰還者は,シャルルの名が竜騎兵団の団長のそれと同一である事に期待していた。
エリィにだけは正体を明かすつもりで,これまで丁寧に足場固めをしてきた可能性も考えられる。ノーブルほど明言していたわけではないが,彼も興味があるのはエリィの事だけだった。
(あ…)
たとえば。実はミリアが言ったようにシャルルが龍戦士,それも伝説の龍戦士だったとして。予言の成就の為にエリィとの仲を裂かれてしまう事を恐れているとしたら。
いや。伝説である必要は無いかもしれない。今は戦時,連合は戦力もそうだが,喉から手が出るほど英雄が欲しい。なまじ龍戦士の力を持っていれば,より伝説の代役に相応しい事になる。下手をすれば,そのまま伝説に祭り上げられてしまう。
(それで,あんな言い訳をしているのかしら…)
マイシャ陥落後の,なかば駆け引きめいたノーブルとのやりとりを思い出すフレイア。
先ほどのあれにもそれに似通った響きを自分が感じ取ったのは,間違いではないという事になる。
(もしそうなら…私がそれを言っちゃうわけにも行かないか…)
自分はそれを応援しなければならない。温かく見守らなければならない。
(んー…でも…)
少なくとも真実を探っておく必要はある。フレイアは密かに調査しようと心に決めた。
「愛!じゃな」
そこで,腕組みをして考え込んでいたハーディがさっと顔を上げて言う。
「あれは耐える愛じゃ!きっとあ奴は,お嬢ちゃんに自立して欲しいのじゃ!」
「…こりゃまた,随分とロマンチックな話だな…」
目を丸くするノエル。しかし彼はすぐに肩をすくめる。
「まぁお父さんにしちゃ上出来って事で,アンタはそれでいいよ」
もしハーディの言う通りなら,シャルルは何らかの事情でエリィとの関係を終わりにしようとしている事になるのではないか。他人を装って陰ながら支え,自立するまで見守って去ろうとしている事になるのではないか。
(ないわね…)
フレイアも内心でその可能性を否定する。それは極めて難しい舵取りだ。そんな面倒な事をするだけの,どんな理由が彼にあるというのだ。
「まぁ,私はどっちでもいいですがね」
しれっとノーブルが割り込む。
「もし同一人物ならば,一人で二度おいしいというか裏も表も丸ごと好きというか。少なくとも修羅場が無いだけ面倒も無くていいですね」
「おい…」
「別人なら別人で,選ぶのは姫ですし。どちらかを選ぶも良し第三の候補を選ぶも良し。望むなら両方選んでも何ら問題は無いのですから」
「両方じゃと!?」
そのあまりの斜め上さにハーディが驚愕する。
「…しれっととんでもない事言うわねノーブル」
目を丸くして肩をすくめるフレイア。
「いえいえ,それほど珍しい話ではありませんよ。たとえばアリシア王家は文献を見る限り多夫の時代もありましたし,逆に他所の王家は一夫多妻。別に一夫一婦でなければならないという事もないのですから,あとは当人同士の問題です」
ふふふ,と笑うノーブル。
「…いつもの事だけど,どれが冗談でどれが本気か判らなくなるわね…でも一夫多妻じゃエリィが泣く事になるかも知れないじゃない」
「あり得ませんね」
ふふん,と鼻で笑ってノーブルは即答する。
「へ?」
「姫を上回る女性などそうそうその辺には転がっておりません。先日,かの漆黒将軍も姫はアリシア女王並みと太鼓判を押して下さいましたから」
「な…!?お前ら,一体何を奴と話してきたんだ!?」
目が点になるノエル。クーラが疲労困憊してしまうほどの修羅場があった,はずだ。だというのにそんな話が出るなどおよそ展開としてあり得ない。
「まぁその手の話です」
しれっと答えるノーブル。
「待て待てオカシイだろそれ!修羅場の意味が違うぞ!?」
さんざんしてやられた漆黒将軍の事ともなれば,さすがのノエルにもいつもの心の余裕は無い。
「いやぁ…姫をめぐって彼我のエースが真剣勝負…是非映像に残しておきたかったですね。今思い出しても興奮してしまいます」
「ええっ!?」
フレイアの目も点になる。
「ま,まさか…いくら何でもそれって無理筋よね…?」
「『…アリシア女王並み,とでも?』『…まぁ,決して大言壮語ではないと思うがな』」
「なっ!?」
「『エリィ。お前には周囲を惹きつけてやまない魅力がある。それこそ…お前の為なら世界を敵に回しても良いとさえ思わせるほどの,な…』」
漆黒将軍の口ぶりを真似,勿体をつけて言うノーブル。
「な,何じゃと!?」
あんぐりと口を開けるハーディ。
(あの対峙,その後の流星君の失踪…そっち絡みの話だったの!?)
愕然とするフレイア。
「『…お前を失うわけには行かない』,『そこのクーラ大尉が』,『全てを賭けてお前を護ってくれると言うなら話は別だが,な…。そのあたり,どうなのだ?』…とまぁ,こんな感じの修羅場でしたが」
しれっと結ぶノーブル。
「…」
絶句するノエル。
「ですから逆に,姫の他にも女性を囲えるほど甲斐性のある男もほぼあり得ないのですよ。それゆえ現実問題としては,一夫多妻で姫が蔑ろにされる可能性はほぼ皆無」
少なくとも漆黒将軍クラス以上の甲斐性がなければ無理でしょうね,とノーブルは付け加える。
「…親バカだけは本気の本気ね。間違いないわ…」
とはいうものの,フレイアも別の観点からそれには同意している。エリィ以上も確かにそうそういるものではあるまいが,そもそもあのシャルルに,複数の女を同時に攻略する度胸などあるわけがないと思っているのだ。ましてエリィを待たせて他所の女にかかるなど,天地がひっくり返っても無理だ。
だが意外な情報が加わった。漆黒将軍がエリィに好意を持っている。それは彼女にとって驚くべき事だった。エリィがそれで平然としている事を含めて,である。
(いつの間にか,大人になってたのね…)
あながちノーブルの親バカとも言い切れなくなってきたのではないか。そんな事を考えるフレイア。
「失敬な。この正直にして真摯,純粋にして謙虚な私を捕まえて…」
いつもの調子で飄々と言い返すノーブル。
「やれやれ,大尉も厄介な相手に目を付けられたもんだ…」
溜息をついて,ノエルはつぶやく。
確かに散々人を食った真似をするノーブルではあるが,逆に,全く火のないところに煙を立てるような真似はしない。今回のケースで言えばそれは漆黒将軍の言葉であり,彼が口にしなかった事をノーブルが創作する可能性は極めて低いだろう。
(だからお嬢ちゃんは,あれほど奴との会見に拘っていたのか…)
逢いたいという思いが先に立っている…あの時のクーラの言葉が蘇る。
(だとすると,大尉が行ったのは失敗だったのかも知れねぇな)
何のかんのと言ってもクーラは連合側の人間だ。それは見方によっては,冒険者である”風”の行動を制限するお目付け役であった事を意味する。少なくともエリィにとっては,もう一つ痒い所に手が届かない会見となったはずだ。
(奴の狙いは…)
漆黒将軍の得体の知れなさにさんざんやられている立場としては,そこに何らかの裏があるかも知れないと疑ってかかるのが無難だ。だが裏があるとすれば,それは対象であるエリィか,あるいは競争相手となるであろうシャルルに,彼をそこまで執心させるだけの何かがある事になる。
(…まぁいい)
それは時間のある時に考えればいい。ノエルはそう考えて頭を切り替える。
今問題なのはむしろそれとは逆の観点。ノーブルがそんな修羅場へクーラを引きずり込んでしまった事だ。エリィを制止するためにというなら,確かにクーラはシャルル以上の適任かも知れない。だがそれでいきおい,クーラは漆黒将軍と争う事になってしまったかも知れない。
ノーブルが何をどこまで把握して,どう考えているのかは分からない。だが例えば漆黒将軍がエリィに好意を持っている事まで読み切れていたのか。
読み切れていて,あるいはすでにそれを知っていてなおクーラをそそのかしたのであればクーラにとっては災難以外の何物でもない。だがある意味それだけで済む可能性は高い。それは当初からのノーブルの目論見,すなわちエリィにとって不幸な結果を排除するところからはじまった計算の範疇に納まる可能性も高く,彼女の受ける損害は最小限に食い止められるはずだ。
だがそうでなかったとすれば事態はより深刻だ。クーラが加わったことで図式はより複雑さと混迷の度合いを増し,予想もしなかった方向へ,制御の効かない方向へと転がってしまうのではないだろうか。
話が小さければ損害も軽微だからそれでも良い。だが今は間違いなく,世界の趨勢を左右するようなところまで大きくなってしまっている。
(そんなんは,現役王族どもか英雄が考える事だ…)
無意味に首を突っ込むのは危険すぎる。一介の冒険者であるエリィには荷が重すぎる。
クーラはエリティアという国家の性質上,今はその立場にあるらしい。だがそれはむしろ,エリィという個を犠牲にしてでも天下国家を考えなければならないという意味だ。それは彼の上官であるクリミアの置かれた立場だ。
つまり見方によっては,ノーブルは深刻なしでかしをしたという事になる。
クーラは心情的には間違いなく一介の軍人だ。天下国家など願い下げだろう。しかしノーブルはそんな彼を為政者側である伝説の龍戦士に祭り上げた。そして,同じく為政者側であるユーリエを支えるという役割の陰で,同じくこちらも一介の冒険者に過ぎないエリィを支えさせようとしている。仕事であると割り切ればこそいくらか楽にもなるはずのそれを,敢えて苦難の道へ誘導した,いや,蹴り込んだと言って良い。
問題はその先だ。そんなクーラを見たエリィが何を考え,どんな行動をとるか。無意味に首を突っ込むよりもはるかに危険な,自己犠牲が起こってしまう。
それが帝王学と言うなら解る。しかしそれはつねに取捨選択を迫られる為政者が民を理解するためのもので,純粋な民には為政者の心構えなど必要のないものだ。
むろん,純粋な民には権限が無いから,心構えがあったところで実害はそれほど考えずに済む。しかしアリシア女王を演じる今のエリィには借り物とはいえそれがある。
現実問題,先の帰還者との交渉でもその兆候が現れた。台本に感情移入し,いつの間にか自分の思いが言葉として現れてしまった。これから先ますます,そのような場面が出てくるのではないか。
(ノーブル…何を考えてやがる…)
「大事な事なので何度も繰り返しますがね。私は,姫さえ幸せならば後の事はどうでも良いのです」
「!」
偶然と言うべきか,フレイアたちとの話の流れで発せられたノーブルの言葉が耳に刺さり,ノエルは思考を現実へと戻す。
「大丈夫なの?大尉さんが気の毒になってきてるんだけど…」
「ですから。姫の傍らに立つにはそのくらいの覚悟は決めて頂かないと困るという事です」
「…」
ノエルは溜息を一つついてつぶやいた。
「ほんと,どっかで足掬われなきゃ良いけどな…」




