月日の重み
「ここまで来れば,大丈夫よね…」
日はもうすっかり落ちていた。周囲の様子を窺いながらフレイアが言う。
「だな。今夜はこの辺で野営しよう」
ノエルが相槌を打つ。
「やっとか…」
そしてそれを合図に,慣れぬ行軍で疲れ切ったイリウムがへたり込む。
ミリアとの交渉は不調に終わった。一同は長居は無用とエ=ツォーナを後にし,ひたすら帰路を急いでここまでやってきたのだ。
それは表向きは戦略的な理由だった。帰還者の帰順どころか無力化にも失敗し,当て込んでいた戦力は画餅に帰したのだ。現有戦力のままでバラナシオスの帝国軍と戦わなければならない。
だが実のところ,”風”の面々は一刻も早くクーラを問い詰めたかったのだ。エリィがユーリエのふりをしていると知られるわけにはいかなかったから,その心配が無いと思われる場所まで一刻も早くたどり着きたかったのだ。
「さてっとそれじゃ,お待ちかねの質問ターイム」
「小一時間ほど問い詰めてやろうかのぅ」
「なぁに夜は長いさ。じっくり,じっくり行こうぜ」
「…」
フレイア,ハーディ,ノエルとは対照的に,無言でじっとクーラを見つめるエリィ。
「それは後でも良いでしょう?まずは野営の準備を…」
「俺がやろう」
アラウドがそう言って歩き去る。それを追いかけるクローディア。
さらにその後をよろよろとイリウムがついていくが,こちらは準備を手伝うためではあるまい。横になれる所ができるのを待って横になるつもりだろう。
「…やむを得ませんね」
クーラは溜息をつく。
「やむを得ませんじゃないでしょ!?どういう事よ流星君…」
「そうじゃ,そんな趣味の悪い黒メガネで素性を隠しおって…」
「何かやらかしちまったのか…」
一斉に口を開いた三人は,しかし,思いつめた表情で静かにクーラへと近づいていくエリィに気圧されて押し黙る。
「エリィ…殿…」
「今さら,あれこれ尋ねる気はない。咎めるつもりもない。私は…あなたが…」
そこで,その表情が見る間にくしゃくしゃになる。
「戻ってきてくれただけで,それでいい…。お帰りなさい,シャルル…」
そのままクーラへ抱き付くエリィ。
クーラの心が激しく痛む。
「あー…嬢ちゃんがそれでいいってんならもうしょうがねぇか…」
ぼりぼりと頭をかくノエル。
「そうじゃのぅ…丸く収まった事にしとくかの」
ひげをしごきながら言うハーディ。
「もうエリィを泣かせちゃダメよ?流星君?」
肩をすくめて苦笑するフレイア。
「エリィ殿…すみません」
「…殿?」
しかしノエルは,クーラの言葉を聞きとがめる。
「おいおいシャルル,さすがの演技力は分かったからよ。もう他人のふりは良いんだぜ?」
「…ふりでは,ないのですよ」
「!?」
驚く一同。
「…シャルル?」
エリィが顔を上げてつぶやく。それがまた手ひどくクーラの心を痛めつけるが,その痛みに耐えて彼は言葉を継ぐ。
「エリィ殿。私は貴女に謝らねばなりません。貴女に誤解させてしまった事,そして,ひどく落胆させてしまう事を…」
「え…?」
「私はエリティア軍大尉ガイナット=クーラ。それ以上でもそれ以下でもありませんし…”紅き流星”とはまったくの別人です」
「…」
クーラから手を放し,信じられないといった表情で後ずさるエリィ。
「納得のいく説明を…して頂けるのでしょうね?」
そこでノーブルが口を開く。
クーラはそれに頷いて,話し始めた。
「まず謝っておかねばならないのは,ずっと素顔を隠していた事。そして次が,先ほど交渉の場で思わせぶりな態度を取った事…言葉を換えれば,あわよくば”紅き流星”のふりをしようとした事です」
「ふり…じゃと?」
「ええ。理由は解りませんが,彼女は私を”流星”だと思い込んでいました。私の任務は本来的には交渉をまとめる事。利用できるものは何でも利用しなければとの思いから,何とか”流星”のふりをできないかと思っていたのです」
「む…」
唸るハーディ。
「しかし,彼女と”流星”との間には当人同士でなければ理解し得ぬ何かがあるようにも思えたため,あのような,肯定とも否定ともつかないどうとでも取れるような返答になってしまったという事です」
「で,結論としては何か地雷を踏んじゃってああなった,って事?」
「ええ…。こちらにも余裕がなかったもので,ついつい先日のノーブル殿の言い回しをまた拝借してしまったわけですが…」
「なるほど,それででしたか。私はてっきり意図があったと思ったのですが…」
ふぅ,とため息をつくノーブル。
「…ノーブル…殿?」
「実はですね…あれはごく一時期アリシア魔法学院でも流行した言い回しでして。その実,ハイアムのシャルルの語録に収められていたものなのですよ」
「な…っ!?」
予想外の言葉に驚くクーラ。それでは,訳も分からないまま当人同士の何かに影響を与えてしまったかも知れないという事か。
「彼女のあの反応を見るに…何か曰くがついていそうですね」
ぽりぽりと頬をかきながら言うノーブル。
「…」
「まぁそいつはしょうがねぇよ。もう終わったことだし,どんなやらかしになったのかなってねぇのかも謎だってんなら気に病むだけ損だ。なるようになるさ」
肩をすくめてノエルが言う。
「で…もう一つの方はどうなんだ?むしろそっちの方が納得行ってねぇんだが」
「…素顔を隠していたのは,それこそ…”流星”のふりをするわけには行かなかったという事です」
「あー…なるほど,確かにそれはそうか…」
またぼりぼりと頭をかくノエル。
「何じゃい,また自分だけ分かったような事を…」
「いや,丸わかりだろ?うまく誤魔化してシャルルを演じ続けられるってんならそれでいいさ。だがしくじったときに,俺らはともかく反動でお嬢ちゃんがどうなるか知れたもんじゃねぇ…」
「むぐ…」
言葉に詰まるハーディ。しかしノエルは言葉を繋ぐ。
「だがよ…。それで俺らが助かったってところはともかく,理屈だけで考えりゃ,作戦の間だけでも持ちゃぁいいって考え方もある。むしろそっちのがお嬢ちゃんを怒らせて決闘するよりか難易度は低かったはずだ」
「ええまぁ…私が今回の任務に選抜されたのは,そのあたりもにらんだ上の事です。展開次第ではそうなっていたかも知れません」
「ちっ…お人よしだな,お前ぇも…」
苦い顔で肩をすくめるノエル。
「だから自分だけ分かったような事を…」
「大尉は,上官の恋路を応援したいと思ってわざとそうしなかったという事ですよ,ドワーフ殿」
そこでノーブルがぼそぼそと耳打ちする。
「む?…おお,なるほど…」
「でも…さ?普通だったら,もっと早く話題になってたんじゃないの?」
フレイアが口を挟む。
「大尉ぐらいの実力があって,流星君に似てるんだったら…」
「ああ…それは時期的な問題でしょうね」
苦笑するクーラ。
「”流星”の噂が私の耳に入ってきた時にはすでに,彼は失踪した後でした。そして…その頃の私は光を失い,文字通り暗中模索で舞神流を学んでいるところでした」
「え…?」
「いかにクリミア大佐が熱心な方と言っても,対帝国戦にかかりきりの状態で士官学校のいち生徒の事まで把握するのは無理ですよ」
「ま,待って…大尉さん,確か結構な期間難民流入作戦にかかってたわよね?」
フレイアが目を丸くする。
「ええ」
「それじゃ…そこまでの短期間で舞神流を修めちゃった,って事?」
「そうなりますでしょうか」
「ちょっと待てよ,それいろいろオカシイだろが」
ノエルが割り込む。
「お嬢ちゃんですら皆伝に行くのに三年かかってるんだぞ?そんな事普通に考えてあり得るワケが…」
「私はまだ皆伝位には届いていません…というのはともかく,そもそも普通でもありませんでしたから」
また苦笑するクーラ。
「あまり大きな声では言えませんが,エリティアの士官学校はあくまで士官養成のための場所です。戦時でもありますし,先の一戦で士官クラスが悉く戦死するほどの壊滅的打撃も受けましたし…」
「あー…まぁ,そりゃそうか…」
「それに,私自身もかなり無茶をやりました。何せ熟練しないと日々の生活もままなりませんからね。疲労回復と消化吸収を魔法で促進させて,それこそ年中無休の食う寝る鍛錬だったのです」
「うぇ…それは…」
顔をしかめるフレイア。
「まぁそれゆえに常軌を逸した上達が話題となり,猫の手も借りたい大佐の目に留まって抜擢されてしまったというわけですがね…」
「…」
無言でクーラを見つめるノーブル。
「ところで…逆にお尋ねしたいのですが」
と,そこでクーラが意を決したように言う。
「私は…それほど”流星”に似ているのですか?」
「ん?」
「む?」
「え?」
短く驚きの声を上げる面々。
「今だから白状しますが,これは…」
クーラは会談の後すぐにかけ直したゴーグルを,とんとんと叩きながら言葉を継ぐ。
「もちろん光を失っているからという理由はありましたが,一方ではやはり,”流星”に間違われることを極力避けたかったというのもあります」
「まぁ,それはそうよねぇ…」
「ですが私は彼を直接見たわけではありません。あくまでそのような噂を聞いていただけに過ぎないのです。素顔を見せずにいた事の失礼は先ほどミリア総統にも指摘されましたが…果たしてそもそもそこまでする必要があったのかどうか,”流星”を良く知る皆さん相手になりすましが通用する次元だったのかお聞きしたい」
「む…ぅ」
「んー…」
「え…と」
考え込む面々。しかしほどなく,彼らは一様に首をかしげる。
「言われてみりゃぁよ…そんなに似てるって感じでもねぇような…」
「じゃのぅ…あの女めにそう決めつけられてしもうたからそう見えた,という気も…」
「というかさ…」
しかしフレイアが,とんでもない事に気が付いたとばかりにハッとして,気まずそうに口を開く。
「流星君って…どんな顔だったっけ?」
「!?」
終始黙していたエリィが,それを聞いて驚きの眼差しを彼女へ向ける。
しかし。
「そりゃあよ…んー…ちょっとこう…何て言うか…ぼんやりとしてるっつぅか…」
「むむ…言われてみれば,そもそもあ奴もそれほど特徴的という訳でもなかったような…」
「そうなのよ。そんなに似てる?って印象はあるんだけど,じゃぁどこがどう違うのかというとうまく比べられないというか…」
「ちょ…ちょっと皆!?それって…それって!」
抗議するエリィ。
「いやぁ…悪ぃ,さすがに二年近くも前だし,よ…」
「うむ…あの女めの決めつけとこの黒メガネの顔の印象が強烈すぎたおかげで…」
「ねぇエリィ…あなたはどう思う?似てる?似てない?」
「えっ?そんなの…」
エリィはまじまじとクーラの顔を,といってもゴーグルつきではあるが,それを眺めてしばし記憶をたどる。
やがてその顔が驚愕へと変わり,見る間に血の気が引いていく。
「そ…んな…」
「エリィ?」
「…!」
エリィは口を衝いて出そうになる叫びを必死に押さえ,その場からまるで逃げ出すかのように走り去る。
「…あーあ…フレイア,やっちまったか?」
「ちょ…!無茶言わないでよ,まさかエリィまで流星君の顔を忘れるなんて思う訳無いじゃない!」
「…!」
ぐさり,とその言葉がクーラの心に刺さる。もしそうなら,忘れたのはエリィでも,忘れさせたのは自分だ。
「エリィ殿…!」
慌ててクーラはエリィの後を追った。




