代役の苦悩
ミリアの発した言葉は,居合わせた一同に大きな衝撃を与えた。
同席を許されて下座に控えていた”風”の面々も,一様に目を丸くしている。
「なん…ですっ…て…?」
一番大きな打撃を受けたのはエリィであった。彼女は自らが演じるべき役柄の事すらすっかり忘れて素のままつぶやく。
しかしそれに負けず劣らず,クーラもまた衝撃を受けていた。
漆黒将軍も確かに自分を伝説の龍戦士ではないかと疑っていたが,今回はさらに質が悪い。龍戦士と決めつけられたばかりか,勝手に”紅き流星”扱いされたのだ。
だが彼はさすがに先の反省を生かす男だった。こちらに不足している情報を引き出しつつ,どう立ち回るのが最も効果的かを見極めるのが得策と判断する。
「…私が”紅き流星”…?仰る意味を測りかねますが?」
驚きをもってこちらの一挙手一投足を注視する近侍たち,それを意識してゆっくりと,慎重に言葉を繋ぐ。
「ふ…とぼける必要は無い。貴君がガイナ=クーラを名乗ったこと,それこそがまたとない証拠なのだ」
「え…」
わけがわからずクーラを見つめるエリィ。
「…」
だがそれはクーラも同様だ。
この女は”紅き流星”の何を知っているというのだ。そしてなぜ自分がそれに間違われるのだ。
(どうする…)
適当に誤魔化しておくほうが良かったと,漆黒将軍との会談の際に後悔したのは間違いない。その反省に立ち,ここは”紅き流星”のふりをしておくべきなのだろうか。
「私はアリシアの予言など信用しない。だが”紅き流星”は我らにとって確かに伝説の龍戦士だ」
(確かにその通りですね…)
黙ったままノーブルは思う。
もちろん,裏を知っている彼に言わせればあのシャルルはハイアムのそれとは別人だ。だがたとえそうであっても,例えば今ここに居合わせた近侍たちにそれを信じさせるほどの力は持っていた。それだけでじゅうぶんなのだ。
ざわめいていた近侍たちの様子には変化が起き始めていた。徐々に期待の色が見え始めてきているのだ。
だが問題は,アリシアの予言だ。ミリアの言う通りシャルルが龍戦士だとすれば,それを帰還者側に渡すのは,成就の観点から見てリスクが大きいと言わざるを得ない。
此処にいるユーリエが本人でないのも間違いは無いが,アリシアの現女王がユーリエなのも間違いは無い。だから,提案に乗っても良いとミリアは言ったが,現状で何をどうしようとそれが口約束に過ぎない事も間違いは無い。書簡にしたところで,ユーリエ本人の署名のないそれは拘束力を持たず最終的には口約束の域だ。
しかしそれが口約束でなかったとしても,そもそもユーリエに対して根強い不信感を持つ彼らはどこで掌を返してもおかしくないのだ。予言自体が崩壊してしまう危険もあり,それはアリシア側の人間である彼には到底看過できない。
(く…)
もし此処にいる者の名がユーリエではなく,やはり彼らにとっては忘れ得ぬはずのエレーナだったら話は随分と変わったのかも知れない。
ままならぬ巡りあわせにノーブルは歯噛みする。それはすべてを熟知しているがそれを明かすことのできない彼ゆえの苦悩だった。
「貴君ならば信じるに足る。我らをより良く導いてくれる。…そうだろう?」
「…!」
ノーブルの苦悩もシャルルの内面も全く知り得ぬクーラは,いよいよ話が自分の手に余るほどの広がりを見せてきた事に苦悩していた。
言葉だけで考えれば彼女はシャルルを,自らの傍らにあってともに帰還者を率いる者として迎えたがっているようだ。
現実問題としては自分と同様,彼女はシャルルの現物を知らない。そのはずだ。シャルルはもう二年近く失踪しているし,彼女はカイニを越えて来て以降ずっとここで戦っている。逢っていたのならすでにそこで話を出していたはずだ。
だからひょっとすると,シャルルという名前の価値を利用しさえすれば良いのかも知れない。
だがそう結論付けるには不確定要素が多すぎる。彼女が自分を名前からしてシャルルだと決めつけたのがその最たるものだ。まったくの別人だとの確信に揺るぎは無いが,それはそれとして自分は自分の名の由来を知らない。考えたことも無かった。
妥当な推論としては襲名があてはまる。常識で考えれば現存するシャルルとハイアムのそれとは別人だ。となれば少なくともどちらかがシャルルを襲名している。したがって,たとえば自分の名もまたシャルルに所縁のある何者かの襲名として名づけられた可能性も否定できない。だからそこだけで考えれば,今まさに自分がシャルルのふりをする根拠が与えられた格好で,それに乗る事の敷居は低くなったと見ることもできる。
しかし逆を言えば,ミリアとシャルルの間には少なくともそれだけの何かがある,という事でもある。それは少なくとも彼女が元居た世界に関する何かだろう。ごく普通に考えればシャルルもまた龍戦士であり,しかも龍戦士どうしである事以上の何かがそこにある。
(…)
もしあのシャルルが自分と同様の襲名に過ぎず,龍戦士でもないとすれば…。そんな仮定をクーラは苦労して押さえつける。
それは確かに,今自分が置かれている状況の苦しさを彼にも味わわせたいとの思いからきたものだった。しかし仮にそうであったところで,今の自分が楽になるわけも無い。
(ん…?)
いつしか場のざわめきは収束し,今は静けさに包まれていた。
(…)
クーラはそこで,ミリアの気配をも敏感に感じとった。圧倒的な威圧感と存在感の陰にわずかに見え隠れする,ひどく疲れているかのような,不安になっているかのような頼りなげな印象。近侍たちと同様,いや,それよりもよほど深刻に,心の奥底からシャルルを,誰かを頼りたいと思う心情。
どうやら名前だけを利用すれば良いという次元の話では無いようだ。
(無理だ…)
そして無理なくその結論が導き出される。
少なくとも自分にはそれを支えられるだけの器が無い。漆黒将軍と同等の圧を持つこの女の期待に応える事ができるのは,やはりそれと同等以上の実力を持つ者だけだ。
彼女が何をどう頼ろうとしているのかも分からないしあのシャルルにその器があるかも分からない。だが自分にそのふりをする力が無い事だけは間違いが無いのだ。
しかしクーラは当然の責務としてその先に考えを巡らせる。自分には無理だが,本物の伝説の龍戦士には可能なのかもしれない。とすれば,自分が今ここでその可能性までも完全に閉ざしてしまうのは得策ではない。
完全な合意は無理だ。だが逆に完全な決裂も避けるべきなのではないか。クーラはそう結論する。煮え切らない態度には確かに後ろめたさも感じるが,それが不完全な代役の宿命とも言うべき限界なのだ。
(…)
唐突にノーブルに出された宿題の事を思い出すクーラ。なぜか状況がひどくよく似ているような感覚を覚えた彼は,少し考えてお世辞にも面白いとは言えない答えに至る。
この二人,つまりミリアとエリィに共通しているのは心細さだ。そしてどちらもシャルルを待望している。しかし双方とも本命はおらず,居るのは代役である自分なのだ。
(…ちっ)
すべて奴が悪い。少しでも油断すればそんなどす黒い考えに支配されてしまいそうだ。
「さて…。そろそろ答えを聞かせてもらおうか,”紅き流星”?」
遂に待ちきれなくなったのかミリアが口を開き,それでクーラの思考は現実へと引き戻される。
恨み言は後だ。今はとりあえず最善と思われる手を尽くさねばならない。明確な肯定でも明確な否定でもない,可能性を残す先送り。
「私は…」
「待て」
しかしそれを押しとどめるミリア。
「まずはその被り物を取ってもらおう。…偽らざる本心からの言葉を聞きたい」
(くっ…)
今さらともいえる礼儀上の些細な咎めの陰で,ミリアの思いがクーラの心に刺さる。いや,彼の心を掻きむしる。
取ってしまえば状況はよりややこしくなってしまうが,しないわけにもいくまい。そう考えて彼は覚悟を決め,ゴーグルに手をかける。
「…!?」
おもむろにそれを取り払った瞬間。予想した通り隣でエリィが息を飲みこんだまま硬直する。
だが今はそちらに構っている時ではない。正面からミリアを見据えて,と言っても視力のない彼にはその仕草に過ぎないが,とにかくクーラは言葉を発する。
「…今の私はガイナット=クーラ。それ以上でもそれ以下でもない」
「…!」
それを聞いたミリアの気配に劇的な変化が現れたのをクーラは感じ取った。それは落胆というべきか,それとも絶望というべきか。ともかく,こちらの思惑とは異なった結果を招いてしまったようだと彼は判断する。
「それが…返答か…」
ミリアの声が小さく震える。
「…」
しかしクーラには,それ以上は答えようがないのだ。
「…ふん」
二度三度と頭を振って,それで意識を切り替えたのだろう。ミリアはまた元の調子に戻って言う。
「ならばこの場はこれまでだな。これ以上こちらに得るものがないとなれば,時間を割く意味もあるまい」




