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負のスパイラル

 ノーブルに一方的な宿題を出されてから数日。クーラは隙をみてはそれを考えていた。

「…」

 彼の言いたいことは解る。

 というよりそれは,ごく普通に考えれば当たり前の事だ。職業軍人である自分たち,特に司令官であるクリミアとて天下国家のための公益を優先せねばならない立場にいるというだけの話で,個人としての思いはノーブルのそれと変わらない。

 さすがに親バカを自称する親代わりのノーブルがエリィに対して抱く思いには及ぶまいが,出来得ることならばクリミアの気持ちにも添いたいというのが作戦発令時からの変わらぬ願いであり,実際に接触した後は,自分が護る事の叶わなかった最愛の者に似た雰囲気を持つエリィにはせめて幸せになってもらいたい,との思いも確かに抱いている。

(…それではダメだと言われたわけだがな)

 苦笑する。漆黒将軍や”紅き流星”に及ばないのならば舞台を降りろ,それがノーブルの言い分だ。実力どうこうではなく,エリィを思う気持ちこそが肝心なのだとも彼は言いきった。

 本来ならばそんなタネ明かしの後の後出しもダメなのだろう,というのはともかく。このまま続けるならばなってもらいたいではなく自分がしてみせるでなければ困ると,そう言われたのだ。

「…」

 ささやかな感触を指に与えてくる指輪。視力が無い事で常に周囲に間断なく気を配っているクーラは,しばしそれだけに意識を傾ける。

 最愛の者を護れなかったあの時に比べれば,確かに自分は強くなった。自らを省みない無茶な鍛錬を課し,刻苦のための刻苦とすら見えてもおかしくない特訓の果てに,自分は舞神流と覇王流の業をここまで磨いた。さらには魔法にも手を出した。

 次は護る,という事ではない。もはや取り返しはつかないし,新しい相手をなどという気も毛頭なかった。だが少なくとも,当時この力があれば護れたという域には達したと思ったのだ。少なくとももはやこれ以上の向上は不可能だろうという域まではたどりついたのだ。

(…しかし…)

 あの時の感触を思い出す。漆黒将軍に飛ばされた圧によって追い込まれ,感じた痛みだ。

 あの痛みはつまり,己の力不足だ。自分に与えられた天稟が,少なくとも龍戦士相手には全く相手にならないレベルのそれであるという残酷な現実だ。龍戦士が相手では護れないと,そう宣言されたに等しい。

 苦笑する。ノーブルの言った弱点など,ここでは全く意味をなさない。戦いの最中に相手が飛ばされる保証など無いのだ。それどころか,より悪い状況となる公算が高い。

 ハイアムの故事について”魔操兵戦争”程度の知識しか持っていなかった自分は,あの後エリィから比較的詳細な説明を受けた。それによって自分の持っていた知識が当たり障りのない程度のものであった事,そして漆黒将軍の言葉の意図するところを知り,遅ればせながら戦慄した。

 龍戦士の力の暴走。聞くところによればそれが,龍戦士が別世界へ飛ばされる最も大きな要因とも言われているらしい。しかしその前にこちらが倒されてしまっては向こうが飛ばされようが飛ばされまいが全く意味は無いのだ。

 龍戦士自身がそれを恐れるあまりに力の出し惜しみをすることはあるだろう。だが打ち倒される事との二択を迫られれば答えは明らかだ。

「…」

 となれば,差し迫った問題は明白だ。少なくとも白廉将軍バナドルスは龍戦士で,漆黒将軍の見立てによれば不退転の決意で次の戦いに臨む。

 よほどの兵力差かよほどの戦術を以て当たれば別だが,そうでない限りは被害を拡大される前に最大戦力でこれを抑え込まなければならない。つまりは”風”なり”純白の舞姫”,あるいは自分が当たる必要が生じる。こちらの兵力を温存させることまで考えればより早い段階での敵の総崩れが必須で,総司令官であるはずのバナドルスを倒すためにはむしろ,こちらから彼のところへ出向くのが上策となってしまうのだ。

 純粋な格闘能力ならば自分よりエリィが上。魔法を組み合わせた実戦闘ならば分からないが,どちらにせよ順番としてはまず自分が先に行かねばならない。

 要はノーブルの言葉は,こちらに捨て石になる覚悟を求めているという事だ。

(…無茶を言う…)

 ”紅き流星”をますます嫌いになっていくクーラ。たとえ彼を悲しませるなという名目であっても,あの漆黒将軍ですらエリィには自粛をうながしているのだ。世界を敵に回すことの意味を考えれば,それは妥当な判断だ。

 だというのに”流星”は,ノーブルの言葉から推測する限りそれをしなかった。のみならず,それを護り切ろうとさえした。おそらく,これ以上の口説き文句はあるまい。

 だからこそ問題なのだ。単純に考えて,これは彼と勝負しようという男が皆同じ条件を提示しなければならない事を意味する。むろんエリィとて現実にはそれが無理だと分かってはいる。だが,せめて口だけでもそれを言わなければ見劣りしてしまう。しかし逆に,そのあたりを理解した上で言えばそれはただの言葉だけなのだ。

 ”流星”のやり口は汚い,とクーラは思う。理由がどうあれ期限までに戻れなかった場合,エリィの心にかなり長い間傷が残ると彼は解っていたのか。いなかったとすれば根本的に思慮が浅く,解っていて無責任な口約束をしたというなら卑怯だ。本人にその気はないだろうが,結果として他の男が近寄れなくなるような予防線を張って出て行った事になる。今回の作戦が発令されてからこっち,自分が崖っぷちで綱渡りを繰り返し,今またノーブルの宿題に頭を悩ませているのもそのせいだ。

(とはいえ…)

 うやむやのままにしているのはやはり不実なのだろう。エリィはともかく,いちおうはあれが”風”の見解なのだ。連合の提示した全面的な支援とやらが自分たちの支払うコストに見合った対価か,それを問われている。

 あくまで給料分,合理的な範囲でなどと逃げ口上を述べるわけにはいかない。もちろん実際問題としてはそれが妥当で,それで折り合わなければ契約が解除になるだけだという事は熟知していても,クーラにはそれが”流星”と同等の堕落に思えてしまう。

 ”流星”ほどの大言壮語は要らないまでも,今の自分のすべてをぶつける事なくしてエリィをここに引き留めておいてはいけない。クーラの思考はとりあえずそこで落ち着いた。

(…)

 しかし自分のすべてをぶつけるなら,今ここで全力で彼女を思いとどまらせるべきなのではないか,と彼は思う。帰還者が黒騎団並みの集団とすれば彼女の命が危ない。なのにそうさせないとはつまり,”流星”と同等の無責任になってしまうのではないだろうか。自分が捨て石になればいいという問題ではない。

 ところが,思いとどまらせるとはつまり自分に器量が無い事を自分で宣言しろと言っているようなものなのだ。無いのが当然,龍戦士と比べる事自体が無茶と頭では解っていても,”流星”だけは認めたくないとの思いがどうしてもそこへ落ち着くことを良しとしない。

(すべてヤツが悪い…)

 舌打ちをするクーラ。何をどう考えても思考は奈落の底へ緩やかに降る螺旋階段にはまり込んでしまう。ともすればそれは,エリィへの思いすらその反発がもたらしたものなのではないかとさえ思えるほどなのだ。

「あの…大尉?」

 心配そうなエリィの声がクーラの意識を現実に引き戻す。

「…どうしました,エリィ殿?…ああ,いや…どうかしているのは私の方と,そう見えましたか?」

「ええ…何か,とてもお辛そうなご様子で…」

「ご心配をおかけして申し訳ありません。最悪のケースを想定して対処法を考えていたのですよ」

 苦笑するクーラ。

「あの…やはり無謀でしたでしょうか」

 距離を詰め,ささやくように言うエリィ。

「しかし,それが貴女の決断なのでしょう?」

「それは…そうなのですが…その…大尉に余計なご迷惑をお掛けしているのではないかと…」

(う…)

 ぐさり,とその言葉が突き刺さる。エリィにはその気がなくとも,それは自分の器が足りないと言われたようなものだ。

「ははは…お気になさらず。少なくとも私は私の最善を尽くすだけで,それ以上でもそれ以下でもありませんよ」

「あ,そ,そうですね…」

(…)

 ホッとしたようなエリィ。だがそれがどことなく,煮え切らない自分に対する落胆のようにも聞こえてしまう。

「ですが…いざとなったら指示には従ってもらいますよ?エリィ殿」

「!…あ,は,はい…」

 今度はびくりと身を震わすエリィ。またしても今の今まで舞神闘の事を忘れていた彼女は,なんとも気まずい表情で押し黙る。

(…)

 だがクーラも心中は穏やかではない。何気なくそれを言ってしまった彼は,エリィの反応で逆にそれと気づかされたのだ。

 自分にはそれを強制する資格がある。エリィはまだそう思っている。しかしそれは自分に言わせればすでに形骸だ。不測の事態に備えて残しているというだけで,それを使うつもりは全くなかった。

 それがエリィの言葉で,誘惑となって忍び込んできた。その誘惑に飛びついてしまいたくなってしまった自分の弱さにクーラは辟易する。つまらない男がたった一度の失策の類をこれみよがしに騒ぎ立てて相手を縛り続けるかのような感覚。それが”流星”のやり方と違えば違うほどに彼我の器の差が強調されるような不快感。

(ちっ…)

 すべては”流星”の奸計によるもの。他にそれをやめる方法のないクーラは,結局いつも通りの結論に落ち着いて考えるのを切り上げた。

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