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舞姫の変化

 その日のうちにマイシャへとたどり着いた一行は,翌朝には連合が進軍したガイカースへと出発。三日後にこれと合流した。

 ”風”のもたらした情報によって白廉将軍がそこを明け渡したと知った連合は,即座にそちらへと進軍を開始したわけだが,腹づもりとしては可及的速やかにルトリア勢を組み込み,最低限フーコまで押し込む予定であった。

 そのため連合はあらかじめ早馬を出し,志願兵を集めておこうとしたわけだが。その目論見は脆くも崩れ,今もってそれは皆無である。

 これは連合の出資者でありルトリア王族の生き残りと称するヒュームの自尊心をいたく傷つける事となった。暴虐の帝国に苦しむ民の歓呼に迎えられて意気揚々と合流,盟主の座に収まろうとする計画が崩れたからだ。

 しかしこの志願無しという醜聞には,クーラが言及したヒュームの八つ当たりを回避する逃げ道も用意されてはいた。戦闘要員はグラントの指揮のもとガーネ=コマに結集している,対帰還者の戦線が落ち着かない限りは動くことができない,だから帝国戦に参集することはできない,というそれなりの辻褄合わせだ。

 しかしそれで落ち着くはずも無いヒュームは,ならばとグラントのもとへ早馬を出した。つまりはルトリア勢の指揮権をこちらに渡せと命令したのだ。

 ところがこれも予想していたグラントは,やんわりと拒絶した。対帰還者の戦線を維持するためには兵員を減らすわけにはいかない,指揮権は渡してもいいがその代わりにここに留まってもらう,そうすれば本流である対帝国戦からは完全に外れざるを得なくなると,彼が王座へ就くためには外せない帝国戦の主役の座を天秤にかけたのである。

 その返答の早馬が戻ってきたのが昨夜遅く,つまりは”風”が合流してから二日後の夜遅くの話で,明けた今日は首脳部が今後の方針を協議している最中だ。アリシアからはギルバート,エリティアからはクリミアとラルス,そしてルトリアからはヒュームとその参謀が出席している。

 その成り行きには大いに不安,いや,不安しか感じないのだが,さりとて自分が出ても結論は変わらないとクリミアの要請を断ったクーラは,このところご無沙汰であったエリィとの組手を行おうと宿舎の裏庭に居た。

「…」

 が,その様子はいつもとは随分と異なっていた。

 いつもは少し離れたところにアラウドが腰をおろして文字通り居るだけなのであるが,今日そのアラウドの横にはクローディアが険しい表情で黙って座っている。

 どこをどう誤解したものか,クローディアはマイシャで待つ間にアラウドが自分からエリィに乗り換えた,と思い込んでしまったらしい。

 自分に同情的で便宜を図り,時にはアラウドを代わりに追及までしてくれるエリィに対しては,好感と不信感がないまぜになったような微妙な様子でたまに挙動がおかしくなっている。一方アラウドに対しては納得のいく回答が得られない限り絶対に許さないという姿勢のようで,例のごとくほとんど無言を貫いているアラウドとの間には張り詰めた空気が漂っている。

(まぁ任務にさえ私情を挟まなければ…)

 上申は通り,彼女は身分上エリティアの軍属となった。階級としては特務曹長。迷惑だが妥当な付帯条件として,直属の上司はクーラということになっていた。

 もう一人珍しい客がいた。それはノーブルだ。こちらは何のために居るのかクーラにはよく分からなかったが,特に拒絶する理由があるわけでもない。

(まぁ,いいか…)

 エリィと向かい合ったクーラは,それで割り切って,気持ちを切り替える。

「では…」

「はい」

 お互いに左の掌と右拳を合わせる流派の礼を取る。

「わぁ…」

 すぐさま,険しい表情だったクローディアから感嘆の声が漏れる。

 今回の組手は狭い空間に対応したより直線的な蹴りを主体としたものだ。大きな動きがないため全体的な展開も必然的に早くなる。初心者同士ならそれなりの速さにしかならないだろうが,熟練者どうしのそれは目で追うのも難しい息もつかせぬほどの攻防となる。

(…!?)

 しかしクーラは,すぐさま異変に気づいた。

 エリィの蹴りが疾く,そして重い。

(くっ…)

 もちろん純粋な実力としてはエリィの方が上だ。それは分かっている。だが今までは彼女の性格を読む事で,繰り出される技をも先読みして防ぎ,逆に攻めでは常に裏をかいて的を絞らせないようにして主導権を握り,彼女が疲れ切るまでしのぎ切れていたのだ。

 ところが。今日のエリィの技はその一つ一つが不自然に威力を増していた。ペースを握る余裕がない。こうなるといつもは眠らせておくエリィの突破力がじわじわとこちらの形勢を不利にしていく。

「!」

 受けきれない。エリィの得意な右上段の直撃を悟ったクーラは防御を捨て,後方へと跳んで衝撃を逃がす。

「えっ…?」

 こちらも違和感を感じていたらしいエリィは,しかし予想外の展開に目を丸くする。

「一本…ですね。完全にしてやられました」

 ふぅっと一つ息を吐いて緊張を解き,クーラは終了の礼をとりながら苦笑する。

「そ…そんな」

 慌ててこちらも礼をするが,信じられないといった様子のエリィ。

「た,大尉…!やはりお身体がすぐれないのでは…」

 そしてすぐに,彼女は心配そうな表情となる。

「いや…私はいつも通りですよ?むしろ…エリィ殿の力が飛躍的に上がったかのような…」

 なんとなくこそばゆく感じながらクーラは言う。

「え?…まさか」

「とても気のせいとは思えないので…試してみましょうか」

 クーラはその場に腰を下ろす。

「”音速の蹴撃(ソニック・シュート)”を」

「あ…はい」

 ”音速の蹴撃”とは,舞神流の基礎練習である。軸足一本で支えながら残る脚でひたすら蹴りを放ち,百発撃ちきるまで続けるものだ。

 しかしこれは開祖の必殺技と伝えられており,真偽はともかくその疾さが秒間百発だったらしいことが”音速”の由来となっているのだ。

「では…いきます」

 ふぅ,と息を吐いてエリィは言う。うなずくクーラ。

「はっ!」

 掛け声とともに連続で蹴りを出すエリィ。ぽかんとして見つめるクローディア。

(やはり…)

 じっとそれを感じ取っているクーラは確信する。

「やっ!」

 最後の一発を撃ち,元の姿勢に戻って礼をするエリィ。

「どうやら間違いないようです。所要時間が…二割ほど少なくなっています」

「ええ!?」

 うろたえて,それから気まずそうにもじもじするエリィ。

「はは,ご心配なく。別に以前のエリィ殿が手を抜いていたとかそんな結論にするつもりはありませんよ」

 苦笑するクーラ。要はエリィにも心当たりがない,異常な向上だという事だ。

「でも…いったいどうして…」

「もしかするとですね」

 そこでじっと成り行きを見守っていたノーブルが口を開く。

「ノーブル殿?心当たりが?」

「ええ。とはいえ推測の域を出ませんがね」

「して,それは…?」

「覚醒…かも知れません」

 くいっと仮面を直しながらノーブルは言う。

「覚醒?それは…?」

「簡単に言うとですね…姫の身体に龍戦士の力が眠っていて,それが目覚めたのではないかという事です」

「!?」

 目を丸くするエリィ。

「エリィ殿が,龍戦士…?」

 さすがに予想外の事で呆気にとられるクーラ。

「ああ,いえ…龍戦士というのは他所の世界から落ちてきた者を指す言葉ですので,その意味では姫は龍戦士ではありません」

「ノーブル殿…?」

「ですが,龍戦士の力は決して一代限りのものではなく,その子孫に伝わることもあるという事が分かっているのです」

「!…では,つまり…」

「ええ。要はルーツに龍戦士が含まれていさえすれば誰でもその力を受け継いでいる可能性があり,何かのきっかけでそれが目覚める事もある,という事です」

 再び仮面を直してノーブルは言う。

「でも,きっかけなんて…あっ…」

 ちょっと考えたエリィはハッと思い当たる。それはクーラも同様だ。

「漆黒将軍の圧…」

「でしょうね。なにせ極上の,しかも龍戦士の飛ばす殺気です。それを上回る好材料などまず考えつきませんね…」

(…)

 そこで密かに劣等感のようなものを感じてしまうクーラ。

 あの殺気は自分に向けられたものだ。だから覚醒が起こる可能性としては自分が一番高かったはずだ。だがもし自分にも覚醒が起こっていたのなら,先ほどのような結果にはならなかっただろう。だから自分には龍戦士の力は無いと見るべきだ。

 そして,それは努力ではどうにもならない差だ。天稟にも似たような事が言えるだろうが,こと龍戦士の力ともなればそれは常軌を逸した次元のものとなる。

(…なるほど,これは…)

 迫害されるのも解る気がする。

(だが,待て…)

 そこでふと思い当たるクーラ。もし漆黒将軍に感じた脅威が,彼が龍戦士である事に由来しているとすれば。それはつまり,たとえば同種の脅威を感じたあの案内役の男も龍戦士の力を持っているとみるべきではないか。

(…おそろしいな)

 背筋に冷たいものが流れ,ごくりと生唾を飲むクーラ。という事は少なくともあのホールに居た者たちもそうで,黒軍には相当数の龍戦士ないしはその子孫が在籍しているとみるべきだ。

「私に…龍戦士の力が…」

 そこでエリィが半ば夢見心地のようなつぶやきを発し,クーラは思考を現実に戻す。

「姫…?嬉しそうですね…?」

 意外そうに言うノーブル。

「だって,そうでしょう?龍戦士は,迫害を受けて決して幸せとは言えない最期を迎える人も多い。そんななかで理解者に恵まれて子孫を残すことができた人もいた…その証が私の中に眠っていたって事よね?」

(…)

 単純に強くなれた事を喜んでいるのかと一瞬でも思ってしまったクーラは己を恥じる。そしてそれと同時に,そんなエリィにますます好感を持ってしまった事も彼は素直に認めた。

 だがそれはそれとして,その一方で龍戦士の出鱈目さに反発を感じている自分も確かにそこには居た。

「ひ,姫…」

「え!?ちょ…ノーブル!?」

 号泣をはじめるノーブルにうろたえるエリィ。

「な,なんで!?そこ泣くところ!?」

「これが泣かずにおれますか!ドワーフ殿とエルフ殿に姫をお預けしてからこのかた,これほど嬉しく思った事はございません!姫はなんとお優しく…それこそハイアムのエレーナ姫様もかくやと言うほどに立派に成長なさいました!」

「ちょ,やめてよぉ…」

 仮面を外し懐から布を出して目を押さえながら泣くノーブルを,赤面しながらゆさゆさとゆするエリィ。

「あとは相応しいお相手を見つければ私の役目は終わり…」

 ぼそっとつぶやくノーブル。

「ま,ちょ,やめっ…」

 周囲に聞かれていやしないかと焦るエリィ。結局は漆黒将軍に言ったあれも親バカの類なのだろう,との思いを強くする。

「まぁ…だからといって…」

 ぽりぽりと頭をかきながら,溜息をついてクーラが割り込む。

「無茶をして良いという事にはなりませんからね?エリィ殿。いくら眠っていた龍戦士の力などと言っても,それは単純に考えて子の代で半分,孫の代ならさらに半分となるはず」

「その通りです大尉」

 それまでの激情などどこへやら,ひょいっと調子を変えて言うノーブル。

「ノ,ノーブル…」

 例によって例のごとく,それに肩透かしを食うエリィ。

「例えば,その長い歴史の中で幾度も龍戦士と結ばれ,そうでないときも一族内での婚姻が身近であるアリシア王家の者にしたところで,純粋な龍戦士に比べればその力の差は歴然。より具体的に言えば…ユーリエ様が武道に手を染めたところで漆黒将軍に勝てる道理など無いのですから…」

「ま,まぁそれはそうよね…」

「となれば…」

 再び溜息をついて,話を引き継ぐクーラ。

「その漆黒将軍の言っていた…白廉将軍との対決も,できれば避けるべきだというのが動かぬところでもありましょう」

「ちょ,大尉…」

 予想外の言葉に目を丸くするエリィ。しかしそれにクーラは苦笑して見せる。

「勿論…作戦上どうしても避けられないところは覚悟を決めねばなりますまい。ですが,できればそういうのは必要最小限に留めて頂きたいという事です」

「まぁそれについては私も同感ですね…いろいろと怪我の功名があったにせよ,そもそも論でいけば怪我を避けるのが最善なのですから」

 淡々と調子を合わせるノーブル。

「う…」

「それについては俺も同感だ」

「!」

 アラウドが口を挟み,そちらへ注目が集まる。

「何があっても護ってくれる者が居ないのならば,迂闊に動くべきではない」

「ぐっ…」

 それがシャルルの事を指しているのは明らかだ。すぐに言い返してやろうと思っていたエリィはしかしそれを封じられてしまう。

「…」

 自分にはその力が無い。その気があるかどうかは別問題で,エリィを自粛させるしかないのが自分の器量だ。そう言われたようなクーラもまた黙る。

 護ってくれる者が”流星”だというのはエリィの反応を見ていればすぐに解る。だがならばなぜ”流星”はこの場に居ない。居れば随所で,もっと話は簡単だったかも知れない。そんな反発も感じてしまう。

「あなたねぇ…!」

 抗議の声を上げたクローディアを無視して,アラウドはまた口を閉ざしてしまう。しばし訪れる気まずい沈黙。

「まぁともかく…」

 口の中がからからに乾いてしまった不快をぐっと押し殺し,複雑な心境をも押さえつけてクーラが言う。

「繰り返しとなりますが,無用なリスクは避けるべきでしょう。それだけは心の片隅に留めておいて頂きたいと思います」

 だがこの時は,クーラをはじめその場の全員夢にも思っていなかった。この後すぐに,そんな言葉を根こそぎ吹き飛ばすような事態に見舞われるという事を。

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