巣からの生還
「お…戻ってきたか」
くつろいだふうを装いつつ周囲に気を配っていたノエルが,真っ先にホールへと戻ってきたノーブルに気づいた。
「どうやら無事だったみた…い…ね?」
そちらを振り返ってふぅと息をついたフレイアは,しかし続けて現れた二人の様子がどことなくおかしいことに気づいた。
明らかにおかしいのはクーラの様子だ。エリィの身の安全を守るために出向いて行ったはずの彼が,そのエリィに労られながら戻ってきたのだ。もちろん二人とも敵地でそんな弱みを見せるわけにはいかないから,表面上は何ら変わらないように振る舞ってはいる。しかし普段を知る者からみれば,特にエリィのちょっとした気配の違いからじゅうぶんにそれと分かるのである。
「手紙は渡せたのかい?嬢ちゃん?」
そこには敢えて触れず,ノエルは軽い調子で声をかける。
「え,ええ…無事に依頼終了よ」
「よっし,ほんじゃこの後の予定だが…」
もしクーラの不調が深刻なら無理せず宿泊して,などと思いを巡らせつつノエルは言う。
「この後も依頼が立て込んでいます。ゆっくりするのはあちらへついてからにしましょう」
相変わらずの不快に耐えながら,しかしクーラは即座に言う。
周囲に居る者たちは先ほどと変わっていない。彼らから感じる圧は先ほど案内役をしていたシェスターと同等で,それはすなわち彼らも帝国黒軍の可能性が高い事を示唆している。つまりははじめからそれとなく見張られているという事だ。
一刻も早くここから,欲を言えばアリシア領から離脱しておきたい。
「んー…まぁそれもそうか。んじゃ撤収するか」
ノエルがこちらも即座に,それに相づちを打つ。漆黒将軍と直に向き合ってきたクーラが,実際にはない依頼の話をでっち上げてまでそう言うとは,つまりそれだけの何かがあるという事だ。
「ですね」
何食わぬ顔でノーブルが是認する。
となれば長居は無用だ。”風”は荷物をまとめ,その名の通り一陣の風のようにさっと撤収した。
◇
大通りを抜けて城門をくぐり,クチューラを後にした”風”は,無言で先を急いだ。普通ならば安全圏へ到達したと判断すれば自然に歩みも遅くなり緊張も解けるはずなのだが,漆黒将軍の得体の知れない規格外の威圧はかなりの間それを許さなかった。
もっとも。得体の知れなさはともかく威圧とは無縁のところに置かれた格好のエリィだけはそうではなかった。彼女はずっと不調をおして歩き続けているらしいクーラを心配していたが,さりとてそれに口を出すこともできない気まずさを抱えていただけだった。
「あ…」
だからこそ。ずっとクーラの様子をうかがっていたエリィは,その緊張が解けたことを即座に察知した。
「大尉…」
「…ご心配を,おかけしましたか?」
それに苦笑して見せるクーラ。彼は彼で,エリィがこちらの様子をうかがっている事には気づいていた。
それに対して申し訳なさと同時にどこか嬉しさのようなものすら感じていた彼ではあったが,そのエリィの安全を確保するまではとここまで歩いてきたのだ。
「あの…大丈夫ですか?」
「ええ。ここまで来ればさすがに大丈夫でしょう。得体の知れない威圧感も消えました」
言うや,歩みを止めて体の力を抜くクーラ。
「おいおい…こんなところまでかよ?」
肩をすくめるノエル。
既に日は落ち,厚い雲が空を覆っているため辺りは闇が支配している。だがクーラがおそらくはもっとも正確に漆黒将軍の力を測ったであろうという推測のもとに,彼に合わせてここまで強行軍を続けてきたのだ。
「すみませんね。得体の知れない圧から完全に解放されるまではと歩き続けて,ここまで来てしまいました」
「ここまで脅威が消えないって,どんだけよ…」
周囲を見回しながらフレイアが言う。エルフは他のいくつかの妖精族と同様,夜目が利く。だから松明の明かりの及ぶ範囲しか見る事ができないエリィたちとは違い,あたりの風景も見えていた。
「よほど,恐ろしい目に遭ったのでしょうね…」
「ちょ,ノーブル,それあんたも同席してたでしょ!?」
「私は直接戦闘要員ではありませんから。きっと私の与り知らぬところでいろいろとやっていたのでしょう」
フレイアの突っ込みにすっとぼけた答えを返しながら,しかしノーブルは心の中でまったく別の事を考えていた。
(得体が知れないのはこちらもでしょうね…)
クーラが警戒を解いたこの場所は,ちょうど来るときに安全を確認した場所。つまりはアリシアが誇る防衛システムの有効範囲ギリギリの場所なのだ。
客観的に見れば,クーラは漆黒将軍の脅威とシステムのそれとを明確に区別できていないようだ。だが逆に,その両者の脅威が同質であると感じているという事でもある。
そしてその感覚が決して間違いでないことを,アリシアの機密に通じたノーブルは知っているのだ。
「まぁ…ここまで来たのは多少臆病になっていたせいもあるのですが…」
そんなノーブルの内心など知らず,クーラは苦笑交じりに言う。
「少なくともあの宿は早々に立ち去るべきでした」
「どういう事だ?」
ノエルが尋ねる。
「あのホールに居た者たちは…おそらくマスター以外の全員が黒軍です」
「なっ…何じゃとぅ!?」
目を丸くするハーディ。
「それは本当なのか,黒メガネの!?」
「ええ…。一見それぞれがそれぞれの好きにふるまっているような様子でしたが,間違いはないでしょう」
一様に圧を感じていたことは伏せたままクーラは言う。
「おそらくあの宿は,黒軍の宿所として借り上げられていたのでしょう。なかば寮のようになっていたからこそ,およそ客層には似つかわしくないはずの面々だというのにあれだけ思い思いにくつろげていた…」
「むう…」
唸るノーブル。しかしやはり心の中では別の事を考える。
あの宿は好事家の間では有名でも一般にはそれほど知られていない。目立たないところにあるからそこを見込んだというなら話は別だが,良く知らないままやってきた黒軍が偶然そこを借り上げるなど普通はあり得ない。あり得ない事が起こるためには,それなりの何かが起こったと考えるのが妥当なのだ。
「では儂らは,まんまと敵地のど真ん中へ誘い込まれたというわけか!」
「ちょっとそれあなたが原因だからね?ハーディ?」
すかさずフレイアが突っ込む。
「むぐ…」
「まぁ結論がどうなっていたかは分からんがな。少なくとも向こうはやりやすかったと思ってるだろうな」
苦笑するノエル。
「おのれトーベ…っ!次に遭ったら許さん!」
「まぁ,でも,さ…」
そこでフレイアが何となく気まずそうにしながら言う。
「彼が協力するって事は,漆黒将軍もそんなに悪い人じゃないのかも…ね」
「む?むぅ…」
唸るハーディ。
「フレイア殿…?」
怪訝そうに言うクーラ。ごく普通に考えればエルフとドワーフの仲は悪い。ハーディとフレイアがかなり親密な,それこそあのトーベが言ったようにエリィの親代わりを務めていることも普通に見ればあり得ない事なのだ。今またトーベと名乗ったあのドワーフを認めるような発言をしているという事は,このフレイアはエルフの中でもかなりの変わり種という事になるのではないだろうか。
「あ…その,ね…。ちょっとした腐れ縁なのよ」
ますます気まずそうなフレイア。
「良いではないかその話は!」
ハーディがそこで割って入る。
「ああ,お気を悪くなさったのなら謝ります。そのドワーフ評の部分だけが実際問題に絡んできそうだと思ったに過ぎませんから」
素っ気なくそれだけを言って身を引くクーラ。おそらくはこの三人の間には何か並々ならぬ過去があるのだろう。だがそれは自分にとってはどうでもいい事だ。”風”の流儀に立ち入る気も無い。
しかしこれで,”風”の中では帝国の将軍二人,黒と白の評価は確定したのかも知れない。それが今後にどう影響していくのかをクーラはあれこれと考える。
「ともかく…」
そこでエリィが口を挟む。
「もう慌てる必要が無いのなら,少し休憩しましょう?大尉もきっとお疲れかと」
「へぇ…」
ノエルが目を丸くして,短く口笛を吹いて言う。
「な,何よノエル」
「いや何…嬢ちゃんまでそんな気を遣うって事は,よっぽどの修羅場があったんだなと思っただけさ」
「う,うん…まぁ,修羅場っていうか…」
「漆黒将軍はどうも,私が伝説の龍戦士ではないかと疑っていたようですね。しかも,本物の…」
苦笑しながらクーラが言う。
「あ?本物って…」
「まぁどこまで本気だったのかも分かりませんがね。ノーブル殿についても,女王救出の為に身分を偽って潜入した本物のクマルー卿ではないかと疑っていましたし…」
「ちょ…おいおい…って…」
突っ込みを入れようとして,しかしあり得ると考えたのか,ノエルは言葉を飲みこむようにしてノーブルを見る。
「私は”風”のノーブル。それ以上でもそれ以下でもありませんよ」
ちょっと間を空けて,ふふんと思わせぶりに言うノーブル。
「間違いねぇ…こりゃ本物だ」
あきれ顔で言うノエル。
「それで値踏みをされたというわけです。もっとも,危うく斬られるかというほどの物騒な値踏みだったので修羅場との表現も間違いではないでしょう」
「なるほどねー…要はその殺気に中てられて,ガタガタのヘロヘロになってたんだ…」
「まぁそういう事です…」
腹に据えかねるものはあっても,まったく抗弁の余地は無い。フレイアの物言いにまた苦笑するクーラ。
(…)
いや,据えかねるどころか腹の何かが蠢きながら這い登ってくるように感じたのも間違いない。何か自分が内から破砕されてしまうようかのな,およそ今まで感じたことのない不快感だったと,彼はそれを思い出して身震いする。
「じゃぁ,そうね。エリィの言う通り休憩しましょうか?」
「いえ…皆さんさえ問題なければマイシャまで行ってしまいましょう」
もうほとんど何でもありませんと,クーラは心配そうなエリィに笑って見せる。
「まぁ,野宿よりかはベッドの上の方がいいかもな」
ノエルが言う。
結局それ以上異を唱える者もなく,一行はマイシャへの道を急いだ。




