選択ミス
「え…」
エリィが残念そうな声を上げる。
「…あまり込み入った事を話して,”風”なりお前なりが連合に警戒されてしまうのも考え物だからな」
苦笑するヴァニティ。
「まぁ…やむを得ませんね」
そこでノーブルが肩をすくめ,小さく溜息をつきながら割り込む。
「う…」
不服そうな声を上げるエリィ。
「…危険を冒してここまで書状を届けに来てくれた事,感謝する」
ヴァニティはそう言って立ち上がり,ノーブルの側を通って扉へと近づくと,それを開けて部下に命令を出す。
「…シェスター,失礼の無いようにお送りしろ」
「ハッ」
直立不動で敬礼するシェスター。
元の位置へと戻ろうとしたヴァニティであったが,ちょうどエリィの横まで来たところでおもむろに口を開いた。
「…エリィ」
「あ,はい…?」
それ以上の話を打ち切られてしまった落胆と,事が終わったという気のゆるみがそうさせたのだろう。思わず素直に返事をしてしまうエリィ。
それを見たヴァニティの顔に穏やかな微笑が浮かぶ。
「あ!?…な,何よ!?」
それでハッとして,エリィは慌てて言い直す。
「…そう警戒しなくても良い。折角来てくれたのだ,土産代わりに一つ忠告をしようと思ってな」
微笑を浮かべたままで言うヴァニティ。
「忠告…?」
そこで漆黒将軍は真顔に戻り,エリィの方へ向き直ると言った。
「…いいか,白廉将軍との直接対決だけは避けろ」
「!?」
目を丸くするエリィ。
「ど,どういう意味よ!?」
「…言葉通りだ。薄々分かっているのだろう?白廉将軍も龍戦士であるという事を」
「!」
「…まともにやれば,お前では勝てない」
「うっ…」
腹には据えかねるが否定もできない。複雑な表情になるエリィ。
しかしややあって根本的な問題に気づく。
「い,意味が分からない!そんな事言って,連合の戦力を削ごうとしているの!?」
(…)
確かに策としてはあり得る。だがノーブルは,これまでのやり取りから見てむしろ別の理由をそこに認めていた。
「…お前を失うわけには行かない」
はたして,その予想通りの言葉を口にするヴァニティ。
「!?」
目が点になるエリィ。
「ど,ど,ど…どういう…」
「…言葉通りだ。これ以上,あまり多くは語れぬが…」
そこでまた,ちらりとクーラを気にする素振りを見せるヴァニティ。
「…お前に死なれては困る者が居るのだ。その者を悲しませるな」
「…っ」
ハッとして,言葉に詰まるエリィ。
(…ええ。その通りです)
その脳裏に浮かんだのは”紅き流星”だろう。しかし少なくとも此処にもう一人,それでは困る者がいる。
(しかし…?なぜ漆黒将軍がそれを心配する…?)
ちょっと考えたノーブルは,思いがけず浮かんだ仮説に戦慄した。
(まさか…)
まずい。今ここでその可能性に思考を浸食されてしまうわけにはいかない。そう直感したノーブルは即座にそれを隔離する。
「…連合は退けないだろうし,こちらもそれは同様だ。この書状に何が書かれているかは分からぬが,恐らく白廉将軍は死を賭して戦いに臨むはずだ」
言い含めるように静かに言葉を重ねるヴァニティ。
「…お前もハイアムの故事くらいは知っているのだろう?」
「え?え,ええ…」
「…であれば,死を賭した龍戦士がどんな事態を引き起こすかも薄々予測できるはずだ」
「!」
またハッとするエリィ。
「…勝負は時の運だ。戦況次第では,たとえば瀕死の白廉将軍相手ならお前でも勝てるかもしれない。だが…彼を倒すとはそういう事だ。間違ってもその中心に居るような真似だけはするなと言っている」
「…」
(やはり…漆黒将軍は,姫の身を案じている…)
ハイアムの故事とは,はるか昔にアリシアと古ハイアム王国との間に起こった”魔操兵戦争”を指し,それは言うなれば,ハイアム王都セヴンテイルを草木も生えぬ大地に変え両軍を悉く道連れとした龍戦士シャルルの壮絶な最期を指す。
つまり漆黒将軍は,勝っても負けても身の危険は避けられないから戦うなと,そう言っているのだ。
普通ならばあり得ない。帝国側の人間ならば,”純白の舞姫”には討ち死にしてもらった方が明らかに利がある。
(いったい,何をどこまで知っていて,何を考えているというのだ…)
「…もっとも」
そこで苦笑し,再び歩を進めるヴァニティ。
「…そこのクーラ大尉が白廉将軍以上の能力を持った龍戦士であり,なおかつ,全てを賭けてお前を護ってくれると言うなら話は別だが,な…」
言いながら椅子に腰を下ろす。
「!?」
再び目が点になるエリィ。
「…そのあたり,どうなのだ?クーラ大尉?」
ふっ,と笑って尋ねるヴァニティ。
(…)
繰り返しさぐりを入れているようだ。
何を知りたがっている?ノーブルは素知らぬふうを装いながら思考を巡らせる。だが次々と浮かぶ推測が,かなりの確率で先ほど隔離した仮説を下支えし,その隔てを打ち壊そうとする。
「買い被らないで頂きたいものですな。私はエリティア軍大尉のガイナット=クーラ…それ以上でもそれ以下でもありませんよ」
「…そう,か…」
淡々と答えたクーラに,ちょっと残念そうな様子のヴァニティ。
(さぐりを,入れてみるか…)
ともかく情報が欲しい。クーラが明らかな連合側というスタンスを崩さない以上核心には届くまいが,無いのとあるのとではやはり違う。
「貴方はどうなのです?漆黒将軍殿?」
できるかぎり唐突に,口を開くノーブル。
「…なに?」
「そこまでうちの姫を心配して下さるのなら,いっそ貴方が姫の傍らにお立ちになっては?」
「!?」
その場の全員が驚愕する。
「ちょ,ま…ノーブル!?一体何を…」
脊髄反射のおかげで最も早く呪縛が解けるエリィ。
「いつも言っておりますがね,姫…私は姫の安全と幸せさえ守れれば後はどうでも良いのですよ」
チッチッと指を振り荒唐無稽を演出しながらノーブルは言う。
「…なかなか良い参謀に恵まれているようだな,女王?」
苦笑するヴァニティ。
(だが,決して悪い感触ではない…)
それは理屈での損得の有無はともかくとして,漆黒将軍が個人的にエリィに好感を持っているということだ。
「身内の贔屓目を差し引いても…うちの姫は決して貴方に損はさせませんよ?」
もう一押ししてみよう。ノーブルはニヤリと笑って続ける。
「あの…なんかいろいろごめんなさい」
それを睨んでから,頭を押さえて言うエリィ。
「…アリシア女王並み,とでも?」
しかし漆黒将軍の口から発せられたのは意外な言葉。
「!?」
エリィがびくりと身を震わせる。
(な…?)
ノーブルの脳裏にさまざまな推測,いや,憶測が乱れ飛ぶ。
「ちょ…ま…」
硬直するエリィ。もはや完全に思考が停止しているようだ。
(この男…いよいよ侮れない)
そんな内心はおくびにも出さず,ノーブルはことさらに親バカぶりを強調してどんっと胸を叩きながら言った。
「ええ…もちろんですとも。うちの姫はユーリエ様にだってひけはとりません」
「ちょ…ノ…」
エリィがこちらを振り返って言うが,今はそれに構っている時ではない。ヴァニティのどんな些細な反応も見逃すまいとノーブルはそちらに神経を集中する。
ノーブルの言葉にちょっとだけ目を丸くして,その後目を細めてエリィを見やり,わずかに微笑を浮かべながらヴァニティは口を開いた。
「…まぁ,決して大言壮語ではないと思うがな」
(!…なんと…)
社交辞令のような響きのまるでない,ごく自然な言葉。帝国の将軍としてユーリエに接してきたはずのこの男からこのような言葉が出るとは。
「な,な,な…」
まさか漆黒将軍が親バカに乗るとは。目を白黒させるエリィ。
「ほぅ,これはお目が高い」
心の中でますますその説得力を増していく仮説。ノーブルはその誘惑に敢えて乗ることにした。
「…では冗談抜きに,いかがです?」
「…では同志になれ。それで万事解決だ」
「む…」
しかし次のヴァニティの言葉に現実を突きつけられる。
「…先ほどの大尉の言葉になぞらえれば。今の私は帝国の漆黒将軍であって,それ以上でもそれ以下でもないのだ」
(く…)
せめてクーラではなくノエルだったら,あるいは二人だったらその先の真意にもっと踏み込めたかもしれない,とノーブルは後悔する。
もちろん人選は考え得る限り最良だった。だがそこには決定的な情報,漆黒将軍の力量が抜けていたのだ。こちらの考える生存率の高低など,数万分の一程度の誤差の範疇だったのだ。
せめてクーラがエリィを最優先してくれるならば話は変わったのだろう。漆黒将軍もそこを確かめたがっていたように見える。だが漆黒将軍もなぞったクーラの言葉でみれば,そうではないと考えるのが普通だろう。
そんな状態で先へ進むにはリスクが大きすぎる。
「残念ですね…」
予想外の展開であり無理もない事ではあるが,結果論だけで言えばもっと早くに行動を起こしておくべきだったかもしれない。ことこの一件に限れば,今のクーラはエリィという猫についた鈴にほかならない。
小さく溜息をつきながら立ち上がるノーブル。
「なるべく早く,気が変わって頂きたいものです。できれば白廉将軍との決戦の前に…」
「…忠告,痛み入る」
苦笑するヴァニティ。
「さ,姫…」
ノーブルはそう言ってエリィを促すと,扉へ向かって歩き出す。
「あ,う,うん…」
「…縁があったらまた会おう,”風”のエリィ」
立ち上がったエリィに,何の含むところもない微笑を浮かべてヴァニティは言う。
「…あ,は,はい…」
(こちらも,少々確認を急いでおいた方がいいか…)
曖昧な返事を返したエリィが後ろに続いたのを背中に感じながら,ノーブルはそう思った。




