本題を超えたついで・前編
「…さて,確かに手紙は受け取った」
目を点にしてぱくぱくと口を開け閉めしているエリィには構わず,ヴァニティは手紙に視線を落としながら言う。
ヴァニティは,さながらそのエリィが落ち着くのを待ってでもいるかのようにじゅうぶん時間を取り,手紙をしまい込むと,視線を再びエリィに戻して言葉を繋ぐ。
「…これで依頼は終了だが…どうする?」
「…っ」
「…何か思うところがあって,ここまで来たのだろう?”風”のエリィ?」
「それは…」
ちょっと困ったような表情で,ちらりと隣のノーブルを見るエリィ。
「…ここで話しにくいと言うなら,一対一でも良いが…」
「えっ…?」
他に含むところがまるで感じられない,まるで仲の良い友人か家族を食事にでも誘うような調子でひょいとそんな事を言うヴァニティに,エリィはまた目を丸くする。
「御冗談を」
そこですかさず,涼やかに笑みを浮かべながらノーブルが割り込む。
「なぜ我々が無理を言って三人として頂いたか。それを無にするような提案を飲めるわけがないでしょう?」
「…正論だな」
苦笑する漆黒将軍。やはり何の構えも含みも見られない。
「…だが。三人ならば私と対峙しても何とかなると思っているのならば…甘い」
しかしそれゆえ,出てきた言葉が全くの不意打ちとなる。
「!」
クーラは手に汗を握る。相手にその気が無いように見えるだけで,相変わらず潰されてしまいそうな重圧は四肢を圧迫しているのだ。
「…お前たちは私が此処へ,転移してきたとでも思っているのか?」
苦笑しながらさらに言葉を続けるヴァニティ。
「えっ…?」
「…仕組みは明かせぬが,私はお前たちが入って来る前から此処に居た。ただお前たちの認識の外に居ただけだ。…それが何を意味しているか解るか?」
「…斬ろうと思えばいつでも斬れた…」
ごくり,と唾を飲み込んで答えるエリィ。
「…そういう事だ。だから一対一であろうが一対三であろうが,私にはさして変わりは無い。お前たちにとってもな」
「う…っ」
「…”風”のエリィ。まさかお前ほどの手練れが,たとえ二年ほど間が空いたにせよ私との実力差を忘れるわけもあるまい?またこの裏切りと騙し合いを常道とする戦時にあって,生温い状況認識でここまで来たわけでもあるまい?」
「…」
ノーブルはそこで一瞬だけ,ヴァニティの顔に後悔とも自責ともつかぬ複雑な様子が現れたのを不審がる。
「…ならば。そこまでの覚悟を決める何かだというならば,聞こう…そういう事だ」
だがすぐにその表情は,優しい笑みによって占められる。
「寛大なお方ですね,将軍」
得体の知れない…その笑みをそう評価したノーブルは,すぐさま口を挟む。
「しかし…何も命を奪うだけが帝国の益とは限りますまい?例えば一人にして洗脳を施し,意のままに操る事もできましょう」
「…なるほど,それも正論だな」
ヴァニティの笑みが苦笑に変わる。
「…”純白の舞姫”の利用価値は高い。その戦闘能力もそうなら,女王としての役割も,な…」
「先ほども気になりましたが,何か思い違いをなさっているようですね」
「…思い違い?」
驚いたような表情を見せるヴァニティ。
「ええ。仰り様からみて,どうも”風”の姫が女王の役割を演じている…つまり連合に居るアリシア女王は偽物…紛い物だと誤解なさっているのではないかと」
そう言って肩をすくめてみせるノーブル。
「…当然だろう?アリシア女王は今も此処に居る」
それに苦笑しながら言葉を返すヴァニティ。
「…連合に居る女王が本物…紛い物ではないと言うのなら,動かぬ証拠を示して頂きたいものだな」
「…」
しばし絶句したノーブルは,やがて溜息をつく。
「無茶な要求ですね。と言っても,こちらがそれを示せないという意味ではありません」
(ほぅ…?)
黙って聞いていたクーラは,その言葉に興味をそそられた。この男が言うからには,なかなかに人を食った,それなりに辻褄を合わせた何かを提示するはずだ。
(あるいは,策か…?)
そう言ってしまう事で,深入りさせないのが目的なのかもしれない。
(に,しても…)
そこで小さく溜息をつくクーラ。エリィはおそらく目を丸くしているだろう。その動揺が手に取るように伝わってくる。これではノーブルがいくら駆け引きしようとしても丸わかりではないだろうか。
「…ほぅ?」
「こちらがどんな証拠を提示しても,それを将軍が信じなければ意味がありますまい」
(やはり策か…)
それが無難だろう。エリィの動揺がちょっとだけ落ち着いたのを感じながらクーラは思う。
「…心外だな。…良かろう,ならば信じるに足る証拠の条件をこちらが先に提示しようではないか」
ところがそこで,思わぬ言葉。再びエリィの気配が動揺する。
「そこで無理難題を言うおつもりですかな?」
だがそんな事は想定内とでも言わんばかり,涼し気に言うノーブル。
「…なに,至極妥当な条件だよ。というより現状では,他のいかなる証拠も意味を為さない」
「よほど自信がおありと見えますな…。では参考までにその条件とやらを伺いましょう」
何を言われても切り返せる。そんな自信がノーブルにはあるのだろう。
だがクーラがそんな事を考えた矢先。
「…以前,こちらの女王から聞いた話でな。アリシアでは,王位継承権を持つ直系女子が成人するまでの間,直系男子がその後見を務めるのが通例であるようだ」
ヴァニティが突然内部事情に深く踏み込んだ話をはじめ,そこでクーラはノーブルの気配が小さく動揺したのを感じとる。
「…そして…帝国が此処を制圧した混乱の影響で,本来ならば当代の女王を後見すべきクマルー卿が消息不明となったままなのも確かだ」
「…」
「…もし仮に,そちらの言い分通りクマルー卿がその混乱に乗じて女王を逃がしたと言うのなら。当然その女王にはクマルー卿がついていなければならない」
「正論ですね…」
(これは…)
押し込まれているのではないか?
「ですが,そのクマルー卿にも証を立てろと言い始められては,結局何の意味も無いのでは?」
のらりくらりと,クーラにはそう見えたのだが,かわしにかかるノーブル。
「…クマルー卿ならば,私に証を立てるのは簡単だよ」
だがさらにヴァニティが意外な言葉で斬り込んでくる。
「と,仰いますと?」
さしものノーブルもちょっと驚いたようだ。だが言葉の上ではなお平静を装っている。
「…十二神光雷砲」
「!」
しかしその言葉で,遂に最終防衛線も突破されたようだ。
「…クマルー卿らしき者がそれでマイシャの城門を吹き飛ばしたという未確認情報も入っているが…。それをはじめとする禁呪の数々にも彼は精通していると聞く」
(これが…漆黒将軍。なるほど,ノエル殿が警戒するのも解る…)
いったいこの男は,何をどこまで把握しているというのだ。ノーブルでさえかなり裏事情に通じていると思われるのに,その彼をすら動揺させるとは。その得体の知れなさに不安を感じるクーラ。
「…事情があって,私もそれには目を通した。だから彼がそこに記載されている呪文の名を言ってくれさえすれば事足りるというわけだ」
「…」
しばしの静寂。
「…だが,まぁ」
しかし当の漆黒将軍が,苦笑してその静寂を破る。
「…可能性の問題としては,そのクマルー卿がそのような話をでっち上げ,こちらを不安にさせた上で女王の奪還を目論む事もあり得る。とすればクマルー卿が本物であっても女王まで本物とは限らないわけだから,どのみち証は立てられぬか…」
「それも正論ですね…」
ふ,と苦笑するノーブル。
「…それとも,あるいは」
しかし漆黒将軍はそこで再び笑みを消し,ノーブルを見据えて言う。
「…もうすでにクマルー卿は此処まで来ていて,虎視眈々とその機会を狙っている…のかな?」
「!」
ハッとするエリィ。先日の一件では結局ノーブルはノーブルのままであったが,もしクマルー卿の実力がノーブルと遜色ないのであれば,ノーブルがクマルー卿のふりをするのと同等の労力で逆もあり得るのではないか,との思いがずっと引っかかっていたのである。
「なかなか面白い推測ですね」
そう言って肩をすくめたノーブルは,しかしヴァニティの視線を真っ向から受け止めてにやりと笑うと,言葉を続ける。
「だとしたら…どうします?」
「ちょ…!」
目を丸くするエリィ。
(だとしたら,大問題だ…)
心の中で溜息をつくクーラ。
もし漆黒将軍の言うようにクマルー卿がノーブルに化けて潜り込んでいたのなら,それは”風”の信用問題に発展する。敵国の重鎮をここまで手引きした格好になるのも勿論ながら,それに気づけなかった事も重大な失態だ。
だが違っていれば問題にならないかというとそうでもない。おそらくノーブルは例の【そっくり仮装大賞】でクマルー卿になりすます自信があるのだろう。この男は決して放言癖ではないから,勝算もあるのだろう。
だが問題はそこではない。ともすれば外交上の重要事項を,別人の名を騙って勝手に決めてしまう事が問題なのだ。先のギルバートの時のように後から種明かしすればいいという話にはならないし,そもそもそんな機会もあるまい。
「…条件によっては,引き渡しても構わない」
だがそこで,ヴァニティは微笑しながらさらに突拍子もない事を言い出した。




