龍の出現
さらさらと細く流れる銀色の髪をポニーテールにし,顔だけを見れば女性と見紛うほどの柔らかさを持つその男は,唐突に本題へと入ってきた。
「あ…その,確かに手紙は預かっていますが,そちら宛てかどうかは…」
とまどった様子のエリィが答える。それもそのはず,男装をしているのかという部分を考えなければ街中で見てもまったく気にも留めないと断言できるほどに,男はごく普通の格好である。およそ手紙の届け先である帝国軍の関係者とは思えない。
「ああ,これは失礼を致しました。言い訳をすると,もともと非番だったものを駆り出されましてね,この形では分かるわけもありませんね」
男はそう言って爽やかな苦笑を見せると,背筋を伸ばして敬礼をする。
「私は黒軍所属,シェスター。漆黒将軍の命によりお迎えに参りました」
「!」
その落差があまりにも大きく,ぽかんとしてしまう一同。
「あ,あの…」
「ノエルだ。よろしくな」
”風”の,と言いかけたエリィを遮るようにノエルが言う。それは”純白の舞姫”の安全を確保するためには妥当な判断と言えた。
「あぁ,お噂はかねがね。”風”にその人ありと言われた名参謀のノエル殿ですね?」
しかし爽やかな笑顔でしれっと言ってのけるシェスター。
「ちょ…」
さしものノエルも毒気を抜かれる。
「で,そちらが”仮面の賢者”ノーブル殿。順に,ハーディ殿,フレイア殿,アラウド殿。そして…”純白の舞姫”エリィ殿」
「…ハッ,参ったねこりゃ。漆黒将軍殿は何もかもご存知って事かよ」
ぼりぼりと頭を掻きながら苦笑するノエル。それに微笑を返して,シェスターは視線をクーラへと移す。
「で,そちらが…エリティア軍の”黄金騎士”,クーラ大尉」
「…ご挨拶が遅れてしまいましたな。いかにも,エリティアのクーラです。そこまで知られているとは,光栄ですな」
立ち上がり敬礼するクーラ。シェスターはそれに返す形であらためて敬礼する。
「というかお主,そんな二つ名を持っとったんか」
ハーディが言う。
「ええまぁ…とはいえごく一部の好事家が面白がって言っているだけのもので…まさか帝国がそれを知っているとは…」
はっきり言ってしまえばそれはビルとローダーの事だ。クリミアの耳に入ろうものならこれまた面白がって広めてしまうだろうからと固く口止めをしておいたはずなのだが,一体どこからどう漏れたというのだ。
「…」
無言で意味深な笑みを浮かべるシェスター。しかしすぐに表情を引き締め,言葉を発する。
「会見の場所として,奥の部屋を用意してあります。お二方まで,私についてきて下さい」
「!」
予想通りだ。いや,ごく普通に考えればそれが妥当だ。だがほいほいとそれに従うわけには行かない。
「すみませんが…」
目配せ,といってもそれは素振りに過ぎないが,それをするまでもなくノーブルが口を開く。
「三人で,お願いできませんか?何せ重要な内容らしく,最後まで慎重を期したいのですが…」
無論,これは口実だ。グラントから間接的に受け取ったその手紙に,そんな条件がついているわけもない。だがそれをついている事にして,最後の最後まで押し通そうという魂胆だ。
「…」
無言でノーブルを見るシェスター。しかしその視線は次にエリィに向けられる。
「あの…何か?」
きょとんとするエリィ。
「いえ…それではお三方,どうぞ」
意味深な笑みを浮かべながらシェスターはそう言うと,奥へ向かって歩き始める。
「あ,はい…」
エリィは立ち上がってそれに続く。
(読まれていた,か…)
状況から考えて,向こうはエリィが会見に臨む事を予想していたのだろう。それでいて,敢えて二人までと言ってきた。無論こちらの都合をほいほい許すわけもないが,そこには何らかの意図,悪くすると策があるかも知れない。
(なるほど,ノエル殿が警戒するわけだ…)
そんな事を考えながら,クーラはエリィの後を追うノーブルに続く。
「お嬢ちゃんを,頼んだぜ」
周囲には聞かれないような小さな声でノエルが言う。
背中を向けたままそれに小さく敬礼で返し,クーラはホールを後にした。
◇
「では,こちらでお待ちください」
一室の扉を開け,シェスターは中へ入るよう促す。
「あ,はい…」
「…っ」
ノエルにはああ返答したものの。自分が先に,と言いかけて逡巡するクーラ。あくまでこれは帝国と”風”の問題,自分が出すぎる事で無用な緊張を招くのではないか,そんな正論が頭をよぎる。
「え…!?」
しかしそこで,中へ入ったエリィが驚きの声を上げる。反射的に沸き起こる,逡巡への後悔と自責。
だがシェスターに変わった様子はない。それがぎりぎりのところで歯止めとなる。
「どうしました,エリィ殿…?」
努めて平静を装い,決して焦っていると見せないぎりぎりの動作でノーブルを追い抜き,エリィの後を追って入室する。
「こ…これは…!?」
クーラはその違和感に思わず驚きの声を上げた。
無論,視力のない彼にその部屋の様子を見る事はできない。だが,その部屋から感じる質感が,明らかに一般的な部屋のそれとは異なっていたのだ。たとえば石壁のような,音をはね返す硬さが無い。むしろそれを柔らかく吸収してしまうような感触だ。カーペットを敷いているらしき感触の床はともかく,四方を囲む壁までが悉くそんな感触という部屋は初めてだ。
そして奥には先ほどの,絶望的なまでに巨大な威圧感。足下の感覚が不確かとなり,ぐらり,と世界が揺れる。
「た,大尉!?」
がくりと膝をついてしまい,慌てたエリィが駆け寄る。
「すみません,エリィ殿。少々油断したようです」
苦笑する。
「この部屋の違和感に当てられたようです。…大丈夫,いずれ慣れます」
手を貸そうとするエリィを制し,立ち上がって二度三度と頭を振る。
「ですが…」
心配そうなエリィ。
「にしても…この部屋の違和感は一体…?」
「これはですね…」
と,そこで入室したノーブルが口を挟む。
倭式と呼ばれるアリシアの伝統様式です」
「ワシキ…?」
「ええ。この宿を開いた王族の,父にあたる方…まぁ落ちてきて姫君と結ばれた龍戦士なのですが。その元の世界を偲んで作られた部屋のひとつです」
「ほんと,よく知ってるわねノーブル…」
「これでも私は宿巡りも好きでしてね。好事家の間では有名ですよ?」
仮面の端をくいっと上げてズレを直すようにしながら,ノーブルはにやりと笑う。
「王族がお忍びでお泊りになる事も多いですからね。帝国の統制下でどうなっているかは分かりませんが,普通は数年先まで予約でいっぱいとなります」
「ほぅ…」
さすがはアリシアと言ったところか。クーラは無感動にそんな事を考える。
「さて…ではそろそろ座りましょうか,姫。立ったまま待つというのも少々殺伐としていますからね」
シェスターはノーブルの入室を待って扉を閉めてしまっている。いつ漆黒将軍が入室して来るかも分からないのだから,準備はしておくべきだろう。
「あ,う,うん…その…」
しかし気まずそうにクーラをちらりと見るエリィ。椅子は二つだ。
「お気になさらず」
苦笑するクーラ。
「…もうそこまで来ているかしら」
控えめに腰を掛けたエリィが,気まずさを押し隠すように言う。
「とは思いますが…」
答えるノーブル。
「もうすでにここに居る,という事はありませんかね?」
帝国兵が居ないここならば,比較的安心して言える。そう思ったクーラは,確認の意味を込めて問う。
「え?」
目を丸くするエリィ。
「我々だけですが…?」
怪訝そうに言うノーブル。
(やはり,何も感じていないのか…)
ではこれ以上踏み込むべきではあるまい,クーラはそう判断する。不確定要素に左右されていたずらに不安を感じさせるのは,いざという時の状況判断を狂わせる。
「…すみません。ここまでの一連の流れで少々不安になりましてね。向こうが何らかの罠を仕掛けるとすれば,ここがもっとも好条件ですからね。手の者を伏せておくくらいはできるかと思ったのですよ」
苦笑しながら言うクーラ。
「物理的には無理ですね。ここは国賓を招待する際に宿所として使われる事もあります。そんな怪しい仕掛けなどしていたら国際問題ですよ」
ノーブルが苦笑する。
「魔法的には…?」
しかしクーラがそう言うと,ノーブルはちょっと口ごもる。
「帝国にそんな真似をさせるわけがありません。…システムが万全なら…」
「…」
それは可能性があると言っているようなものだ。クーラは渋い顔をする。だが魔法ならばこの男が何も分からないわけもあるまい,と信じ込む事にする。
(!)
その時。圧倒的な威圧感が不意に動き出した。だがこれも騒ぎ立てるわけには行かない。細心の注意を払いながらも,決してそれだけに意識を取られないようにする。罠や策ならば,こちらが囮である可能性もじゅうぶんにあるのだ。
適度な距離を置いて,それはクーラの横で止まる。
つう,とクーラの背中を冷たい汗が伝う。
(…)
果てしなく長い時間が過ぎているような感覚,だがもちろんそれは,客観的にはわずかの間の事だろう。
「…待たせたようだな」
「!」
その威圧感の質が変化を見せた,と思ったのもつかの間。そこから声がした。




