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竜の巣

 得体の知れない戦慄の原因を断定する事こそできなかったクーラだが,仮説じたいは比較的すぐに立てることができた。

「何じゃとぅ…!?」

 ハーディが一同の心境を代弁する。

 偶然出会ったとばかり思っていたトーベが実は帝国側の依頼を請け,会見の場として向こうが用意したこの宿までこちらを誘導していた事が本人の口から語られたためだ。

「まぁ俺も…まさかお前たちだとは思わなかったがな」

 トーベは肩をすくめて言う。

「エルフ,ドワーフそれぞれ一名を含む総勢七名前後の冒険者の一団。それをここまで誘導しろという依頼でしかなかったからな。お前たちで助かった,あれこれ算段を考えずに済んだからな」

 しばらく待っていれば,あらためて向こうから連絡を取ってくるはずだ。トーベはそう言い残して去っていった。

「しかし…こっちの行動は向こうにゃ筒抜けって事かよ…」

 油断なく周囲を見回しながらノエルが言う。一同は一階ホールの一隅,万一を考えて入り口に近い所へ陣取っていた。

「認めたくありませんが…どうやらそれで間違いないようですね。特に宿泊の手続きもしていないのに何も言ってこない主人マスターも,すでに何らかの指示をされていると考えるのが妥当でしょう」

 心底残念そうに言うノーブル。

 システムもそうだが,歴史と伝統あるアリシア的なものが帝国の統制下に置かれてしまっている事はかなりの心的負担となるのだろう。こちらも油断なく周囲に気を配りながら,クーラはそんな事を考える。

「こんな真似ができるのは…やっぱアイツだよな」

「でしょうね…」

「くそっ,結局奴にはやられっぱなしじゃねぇか…」

 ダンッと卓を拳で叩き,吐き捨てるようにノエルは言う。

(漆黒将軍…恐るべき男だ…)

 もしかしたらこの宿にも,すでに何かの仕掛けがされているのかも知れない。それがクーラの立てた仮説だった。

 たとえば。ホールには主人の他に数人の,客と思しき者たちが居た。だが漆黒将軍の策にまんまとはまったというノエルの言葉が状況判断に影響した事もあってか,全員が全員不自然に思える。

 ノーブルはこの宿を,王族がお忍びでお泊りに来る由緒ある宿だと言った。とすれば,失礼な物言いかも知れないがそれに見合った客層でなければ不自然である。ところが今ホールに居る他の客は,全員が全員,それこそ冒険者ギルドが経営する宿に居そうな男たちなのだ。

 思い思いの場所でくつろぐ男たち。まるで自分の家に居るかのごとき自然な雰囲気から考えれば,彼らは長期滞在をしている常連だろう。

 たとえばそれが,名うての冒険者でそれなりの地位を確立した者だと言うなら分かる。しかし彼らは一様に若い。実力至上主義の冒険者の世界に在っては年功などというものはないから,腕次第でいくらでものし上がる事ができると言えばそれまでだが。だとすれば逆に,この男たちは皆かなりの腕利きだという事になる。

 そしてそれを裏付ける格好となっているのが,例の戦慄の発生源がこの男たちだという事実だった。程度の大小こそあれ,全員が全員こちらに,今まで感じた事のない圧力をかけてくる。彼らがまったくの自然体,悪く言うと隙だらけの状態にも関わらずこれだけの圧を感じるという事は,つまりそれだけの圧倒的実力差があるという事だ。

 あり得ない。自分の強さに満足などした事の無いクーラではあるが,さりとて客観的事実としてはこの世界の二大流派とも言うべき,体術の舞神流と剣術の覇王流を修めている。どちらも皆伝位には届いていないが,逆に言えばその前段階の実力はあるはずなのだ。その自分が,ここに居る男たちの誰に対しても,まったく警戒を緩める事ができない。

 そのどこまでが現実でどこからが思い込みなのかは分からないが,これ以上の不自然はそうそう無いだろう。 

「ね,ねぇ…もしかして」

 そこでエリィが口を開く。

「私たち以外にも,この依頼を請けた人たちが居たんじゃない?ほら,確実に手紙を届けるために,複数同じものを用意するみたいな…」

「手紙だけならアリだと思うぜ?…でもよ」

 肩をすくめるノエル。

「手紙を持ってくる奴らが居る事は推測ができても,どんな奴らが持ってくるかまで詳細に把握してるなんてあり得ねぇだろ?それこそ,人数から構成からほぼドンピシャってよ」

「あ…そ,そうか…」

「たとえばさ…アリシアで使ってる遠見の水晶球みたいな方法で,予め伝えておくことはできるんじゃないかな?」

 フレイアが口を挟む。

「そんなら,手紙の内容もそこで言っちまえば良いだろ?」

「…それもそうね」

「だから策かも知んねぇっつってんだよ」

 また肩をすくめるノエル。

「まぁ…帝国の内部事情によるものかも知れませんがね。たとえば,ある種の連絡には必ずこの方法を使うとか…」

「ただのお約束かも知れん,という事じゃな?」

「そうです」

 ハーディに頷いて見せるノーブル。

「だと良いんだがな…」

 顔をしかめるノエル。

「…いつ,次の連絡が来るのかしらね」

 辺りを見回しながらエリィがつぶやく。

「そう時間はかからないと思いますよ,姫。かなり早い段階でこちらの詳細な状況を把握してここへ誘導するくらいです。すでに準備は整っていると考えるのが妥当でしょうから」

(そうだな…状況から見てそろそろ…)

 その時。

(!?)

 クーラの背筋に,今までとは比べ物にならないほどの戦慄が走る。少しでも気を抜けば,おそらく声や態度で表に現わしてしまっただろう。だが皮肉にも,その圧倒的な重圧がクーラの心身を硬直させて少しも身動きさせなかったのだ。

(こ…この感覚は…)

 全身が全力で,恐怖を訴えている。ここが竜の巣だとして,ここに居る男たちをその幼生とするならば,餌でも獲りに行っていた親が,成竜が戻ってきたかのような感覚。

 なりふり構わず逃げ出したい。これは明らかに,自分にどうにかなる次元の話ではない。

「あの…大尉?どうかしましたか?」

「!」

 だがそこで,全く別の予想外。エリィの声が耳に飛び込んで来た瞬間,どうにもならなかったはずの心身の硬直が解ける。

「い,いえ…」

 エリィだけは護らねばならない。そんな事を当たり前のように考えている自分に驚く。

 だが違和感はそれにとどまらなかった。自分がそれだけの重圧を感じたというのに,このエリィをはじめ他の者は全くそれに動じたふうがない。いや,そもそもそんな重圧など微塵も感じていないような様子だ。

「…エリィ殿,今入ってきたのはどんな人物です?」

 万が一にも当人に聞かれないように声を落とし,素知らぬふうを装って尋ねる。

「え…誰も入ってきてないですよ?」

「!?」

 全く予想外の答え。

「…誰も?」

「ええ。全然」

「…」

 おかしい。だが確かに,落ち着いて探ってみるとこれも不自然だ。

 確かに感じる圧倒的な戦慄は,宿の中へ入り,陣取った位置からして当然だがこちらにそれなりに近い所を通過した。そしてホールを横切り,奥へと向かっている。

 だが,それにしては足音がまったく聞こえない。感覚を研ぎ澄ませている自分には微妙な空気の流れも感じられるはずなのだが,それすらも感じられないのだ。

(霊…?精霊か…?)

 だがそれならば,ノーブルやフレイアに何の変化も見られないのはおかしい。これだけの強烈な圧をかけてくる存在を無視できるわけがないし,感じているならば最低限何らかの警戒があって良いはずだ。

 それに比べると随分と小さな,しかし自分にとってはやはり脅威と感じるもう一つの戦慄がそのすぐ後を追うように動いているが,こちらもやはり他には何も感じられない。

「あの…大尉,大丈夫ですか?何だか顔色もあまり優れないようですが…」

 エリィが心配そうに言う。

「いえ…大丈夫です」

 そうこうするうちに戦慄は奥に消え,圧が弱まって余裕が戻ったクーラは苦笑交じりにそれだけを言う。

「おいおい大丈夫かよ?やっぱ,俺が行くか?」

 肩をすくめながらノエルが言う。

「いえ。何が起こるか分からない以上,私がエリィ殿の側を離れるわけには行きません」

 それをあれこれ考える前に反射的に言葉が出てしまい,クーラはそんな自分にまた驚く。

「えっ…」

 意外そうな表情のエリィ。

「っと,悪かった。騎士様の使命だったっけな」

 ヒュウ!とひとつ口笛を吹き,ニヤリと笑うノエル。

「ちょ,ちょっと何よノエル,その…」

「照れるな照れるな。女王様は『大儀である』とかねぎらってりゃ良いんだよ」

「もう!それは…」

「っと,それ以上はナシだ」

 抗議しかけたエリィを,すかさず真顔で制するノエル。

「う…」

「この程度の冗談に乗ってこれないようじゃまだまだだぜ?お嬢ちゃん?」

 そしてまたすぐニヤリと笑うノエル。心持ち声を大きくして,それとなく周囲に冗談であることを強調する。

 くふふ,というフレイアの忍び笑いをクーラの耳が拾う。

「…」

 しかし,いったい何だと言うのだ。多少のいら立ちを感じながらクーラは思う。

 理性は全力で,できる限り早くこの場を離れるべきだと主張している。現状が自分の責任の範疇を超えているという判断も,微塵も揺るぎない。

 感情は感情で,この場に留まり続ける事の危険性を訴え続けている。竜の巣という見立てもまったく疑いようが無い。

 つまり自分のすべてがここに居てはならないと結論しているのだ。だと言うのに,自分はここに留まり続けている。そしてどうやらその最たる理由が,先ほど口をついて出た言葉に象徴されているらしいのだ。

 正直なところ,まったく訳が分からない。理屈で考えて,自分にはエリィを護らねばならない理由などないはずだ。クーラは内心で首を傾げる。一度冷静になって,時間をかけて状況を把握し直しておく必要がある…。

「!」

 だがそれは今ではなかった。

 先ほど戦慄が姿を消した奥への入り口から,こちらへ向かってくる気配が一つ。やはりそれにも戦慄を感じている自分が居るが,少なくとも先ほどのそれよりは随分とおとなしく,実体も備えているらしい。

「あの…よろしいでしょうか?」 

「あ,はい…」

 エリィが答える。

「某所から当方への手紙を届けに来たのはあなた方ですか?」

 男は肝心な所はぼかして,しかし単刀直入に聞いてきた。

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