ささやかな動揺
結局システム次第ということになり,”風”とクーラはマイシャを素通りすると,アリシアへと向かった。
「では少々お待ちください」
街道をしばらく歩いたところで,ノーブルはそう言ってこちらの歩みを止めさせ,ひとりおもむろに先へと進み出る。
「ふぅん…この辺りが防衛システムの有効範囲なのね?これまでは意識した事なかったけど」
フレイアがきょろきょろとあたりを見回しながら言う。
「本当は,あまり他に知られたくない事なのですがね。アリシアの軍機,と言っても差し支えありませんから…」
背を向けたまま肩をすくめ,ふぅと溜息をつくノーブル。
「あ…」
エリィがそこでハッと気づき,気まずそうにクーラのほうを窺う。自分が来る事で当然付き添ってくるこの男は,他国の軍人なのだ。
「…ご安心を。何も見えませんよ」
苦笑するクーラ。
ノーブルは適当な距離を置いて立ち止まると,自然体でたたずみ,何事かつぶやいているようだ。
「しかし…つくづく底が知れませんな,ノーブル殿は」
「え?」
「正直,ここまでアリシアの機密に精通した一般人などおよそあり得ないでしょう?」
「ええまぁ…凄いと言えば凄いかも…」
曖昧な返事を返すエリィ。確かアリシアの魔法学院で教官をしていた事があったと聞いた記憶があるが,それは秘密だ。
「…それが”風”というだけの話ですか」
それを反応が薄いと解釈して,また苦笑するクーラ。
(…さて,一番無難なのはここで引き返す展開だが…)
「おーいノーブル,まさか立ったまま寝てるんじゃねぇだろうな…」
そこでしびれを切らしたノエルが茶化し気味に言葉をかける。
「終了です。お待ち遠さまでした」
振り返って苦笑を返すノーブル。
「お,で,どうだった?」
「どうやら,城下までは楽に行けそうですね」
「そこまで分かるのか?魔法男」
目を丸くするハーディ。
「ええ…とはいえ少々予想外でしたが」
「…何か問題が?」
さっそく歩き出そうとしたエリィを制止して,クーラが尋ねる。
「いえ,危害が及ぶ心配は無い,それこそまったく無いのですがね…」
ふっと微笑を浮かべてノーブルは答える。
「逆にそれがあり得ないと,そういう事ですよ」
だがその笑みは,すぐに苦笑へと変わる。
「…なるほど,そういう事ですか…」
肩をすくめるクーラ。
「ええ。しかも…ここまで無防備など,アリシアが健在だった時ですらなかった事なのですよ」
「え!?」
目を丸くするエリィ。
「先ほどの盗賊殿の言葉ではありませんが…防衛システムが,それこそ目を開けたまま寝ているのではないかとすら思えてしまうほどの…」
「ちょ…おいおい,それって罠じゃねぇのか?」
「懐深くまで誘い込んで一気にドーン!って展開?」
フレイアがぶるっと身震いする。
「それも現実味には乏しいかと…。実はですね,しばらく確認をしていなかった私も迂闊ではありましたが,どうもこのところはずっとそんな感じだったようなのですよ」
「な!?」
再び目を丸くするエリィ。
「たとえばマイシャの陥落を契機として防衛レベルを落としたのなら,盗賊殿の言う通り罠の可能性は高まるでしょう。逆に普通に考えれば,それを契機として防衛レベルを上げていてしかるべきだと思うのです。ところが…」
「その程度の事など気にするまでもない…と?」
クーラが言葉を絞り出す。
「断言はできませんが,その可能性も否定はできません」
「いや…一気にドーン!が可能なら日頃は眠らせてても問題は無ぇんじゃ?」
「その辺は…あまり詳細を申し上げるわけにはいきませんが…もしそうなら,アリシアが健在だった時にもそうしているはずでしょう?」
「あー…」
気まずそうに頭をかくノエル。
「当たり障りのない程度に多少暴露すると…アリシアが健在であった頃の防衛レベルというのが,下級妖魔を寄せ付けず,有事の際にはそれこそ一気にドーン!も可能にする程度のものなのです。前回のマイシャ奪還作戦時を思い出して頂ければ良いかと思いますが」
「…ああ,アリシア騎士がバタバタ倒れちまったってアレか」
「ええ。…ですがどうやらその後,比較的早い段階で現状のレベルまで引き下げられているようです」
「帝国は妖魔軍が主体だから,レベルを下げておかないと都合が悪いんじゃないの?」
フレイアが言う。
「その可能性も無いとは言えませんが…だとすれば,今まで一度も帝国がマヒロ側を攻撃してこなかったのが腑に落ちません」
「むぅ…確かに」
「加えて…妖魔がアリシア領内に跋扈しているようなら,もっとアリシアの治安は悪くなっているはずで,結果として人材の流出が起こっていてもおかしくないはずなのです」
「まぁ治安の問題だけなら,連中なら妖魔に悪さすんなって言っとけば良いだけだろうがな。にしたって,まったく沈黙を守っている理由が分からんし,こっちの反攻に全く備えてやがらねぇってのもわけわからん」
「多少大胆に推測すると…実は帝国はシステムの掌握に成功したわけでは無く,レベルを下げざるを得ない何かが起こったものの。こちらの恐怖心なり猜疑心そのものを抑止力にして,ほとんどまったく人的資源を消費することなく防衛を可能にしてきた,という事ですかね…」
「それって…完全にこっちが間抜けって事?」
「…それを言われると返す言葉もありませんが…」
フレイアの指摘を受け,コリコリと頬骨をかくノーブル。
「じゃが,帝国がアリシアの治安を維持してきたという事実そのものは動かんじゃろうて」
そこでハーディが割り込む。
「ハーディ…?どういう事?」
尋ねるエリィ。
「あー…そいつは多少状況が違うと思うがな」
しかしすぐさまノエルが,苦笑しながらそれを否定する。
「む?」
「え?」
「ハーディが言いてぇのは,こないだグラントが言ってたような状況がアリシアにも起こるかも知れねぇ,って事だろ?」
「あ…」
「うむ」
「だがそいつは…ほれ,ノーブルがムッとしてるのがヒントだがよ…」
ちょいちょいとそちらを指し示しながら,ノエルは続ける。
「ルトリアとアリシアとじゃ出発点が違うってところは押さえておくべきだ」
「その通りですとも」
ノーブルが不快感を隠さずに言う。
「多少紳士的に接した程度でアリシア臣民の信頼を勝ち得るなど無理です。アリシアの紡いできた歴史はそんな生ぬるいものではありません」
「と,まぁそういうこった。少なくともアリシア将兵の中じゃぁそんな…大っぴらに言ったら外交問題になりそうな事が大真面目な信念としてそこにある。そういう国だってのは大きいんだよ」
また苦笑するノエル。
「その言い方は多少引っかかるのですがね,盗賊殿。それではまるで…」
「あぁすまんすまん。アリシア国民代表のノーブル様がそうなんだからきっと国民もそうなんだろうし,俺もそこにケチをつけるつもりはねぇよ」
肩をすくめるノエル。
「ただ…クマルー卿がそんな事言い出したら問題だから,なりすましてる時は気をつけろよ?」
「…」
(…?)
そこで予想外にノーブルの気配がうろたえたのを感じ取るクーラ。
「まぁ脱線を戻すと,だ。アリシアの場合はスタートラインが違うから,かなり紳士的に接して五分。ちょっとでも対応をしくじりゃ,途端に反発を招いちまうって思ってて間違いねぇってこったよ」
「なるほどのぅ…」
「でもそれってさぁ…」
フレイアが口を挟む。
「アリシアをこれまで平和に保ってきた漆黒将軍の手腕は,白廉将軍の比じゃない,って事?」
「さぁなぁ…聞こえてくる話じゃ,悪逆非道の漆黒将軍からアリシアを護り続けているのが女王様,って事らしいしな…」
「じゃぁそもそもハーディの話はあり得ないじゃないの」
「んー…そこなんだがよ…」
ぼりぼりと頭をかくノエル。
「結局俺は奴にはやられっぱなしなんだよな…」
「…へ?」
「スタートラインの話とか,局所的には断言できるところもいくつかあるんだが…ヘッ,全体の状況としてはまったく推測に自信が持てねぇ。何がホントで何がウソなのか,完全に判断を狂わされちまってる。状況が違うってのはあくまで常識的な推測で,普通に考えりゃそのはずなんだが。漆黒将軍がどんな隠し玉を用意しているかが分からねぇから,何が起こるかも分からねぇ,ってこった」
そう言って,ノエルはちらりとエリィのバックパックを眺める。
「その手紙にも,何か決定的な事が書いてあるんじゃねぇかと…ヘッ,おっかねぇおっかねぇ」
「あなたよくそれで…自分が行くなんて言ってたわね」
溜息をつくフレイア。
「しょうがねぇだろ。ぞろぞろ雁首そろえて無駄に刺激したくもねぇんだから,比較的お嬢ちゃんと別行動をとっても差し支えのねぇ俺らが行くしかねぇじゃねぇか」
「…まぁそれもそうか」
「逆に一人では軽く見られるし,何か大きな決断を迫られた時には独断は避けたいところですからね」
苦笑するノーブル。
「そーいうこと。主をノーブルに任せりゃ,副くらいなら何とかなるだろう,って判断だったのさ」
「なるほどのぅ…」
ハーディが髭をしごきながら言う。
「さて,んじゃそろそろ行こうぜ。いつまでも立ち話してても,アリシアは近づかねぇしな」
ふーっと一つ大きく息を吐いて,ノエルが言う。
「少なくともシステムに一方的にやられる事は無いと…そう判断してよろしいのですね?ノーブル殿?」
もう一度念を押すクーラ。
「ええ。そこは間違いありません」
「…」
クーラはノーブルのほうへと歩き出しながら,ごく自然な動作でエリィの進路上から退避すると,これまたごく自然に歩みを遅くして彼女を先に行かせてその斜め後ろに追従する。
(…?)
ぞくり。ちょうどノーブルが居たあたりに差し掛かった時,クーラはともすれば見過ごしてしまいそうなほど小さな,しかし確かな戦慄を感じた。
それとなく周囲を見回すが,誰一人として変わった様子は感じられない。しかしその戦慄は,相変わらず小さなまま,しかし消えてしまわずにずっと引っかかっている。
(なんだ…?)
この場に居てはいけない,というよりはむしろこれ以上踏み込んではいけないと言った方が近いのかも知れないが,ともかくそんな感覚がずっとまとわりついている。
しばらく様子を窺いながらあれこれとその原因を推測したクーラであったが,結局それを解明することはできなかった。その感覚は危機感と呼ぶにもあまりにも些細なものだったし,それに従って引き返すわけにも行かない。
それでクーラは最終的に,無視することまではできなかったそれを放置することに決めた。大きくなるようならその時にあらためて対処しよう,そう決めて意識を先ほどのやりとりへと戻す。
(大きな決断…か)
できればもう,これから届けに行く手紙のような厄介は御免被りたいところだ。当たり障りなく手紙を渡し,何事もなく終わらせたい。
しかし展開としては,そこで何か,新しい厄介ごとを背負いこむ可能性もある。特に,漆黒将軍との間に何かしらの過去のあるエリィが新しい何かを生み出してしまう可能性は高い。そしてそれが”風”との間に起こる事である限りは,自分には手の出しようがないのだ。
だからこそ漆黒将軍と対峙する役割からノーブルを外すわけにはいかないし。本来的にはやはり,ノーブルとノエルの二人で事に当たるのがより安全な選択だったはずだ。
「くふふ…」
そこでクーラの耳が,小さな含み笑いを拾う。
「…?」
笑いの主はフレイアだ。どうやらこちらに向けられたものらしい。
「…何か?」
そちらにだけ聞こえるように言うと,フレイアはつつ,と近寄ってきて耳打ちする。
「お母さんとしては,娘に優しくしてくれる男を見ると嬉しくなっちゃうのよ」
「…そういうものなのですか?」
「そりゃもう。それがいい男ならなおさらよ」
「…私がですか?…あまり,買いかぶらないで欲しいものですな」
苦笑するクーラ。
「これからも,エリィをよろしくね?」
そう言って,また小さく笑うフレイア。
「はぁ,まぁ…」
それが任務ですから。そう言いかけてなぜかそれを飲み込んでしまうクーラ。まったくの仕事と割り切る事に,いつの間にか罪悪感のようなものすら感じるようになってしまった自分に気づく。
(…まずい…)
最愛の女性を護れなかったあの時に,二度と他の女性にそのような感情は抱くまいと誓ったはずなのに。いくらエリィの雰囲気が彼女に酷似しているからといっても,これではあまりに反省が無い。
「くふふ…」
その中身はともかく,動揺しているのは間違いない。その気配を察知したフレイアが,おそらく自分にとって面白いであろう方向へと解釈して,また含み笑いを漏らす。
「…」
クーラは天を仰いで一つ溜息をついた。




