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婚約者現る

 ガイカースに滞在して数日が過ぎたある日。唐突にそれはやってきた。

「アラウド!」

 とりとめもない話をしながら食後の休憩をとっていた”風”。例によって口を開く事こそないものの,アラウドもその場に居合わせていた。

 ところが入り口のあたりから,その彼を呼ぶ声。

「!?」

 珍しくびくりと身体を震わせて,そちらを見るアラウド。

 自然に視線が集まった先には,一人の女性。険しい表情で一直線に呼んだ相手へと向かってくる。

「え?え…誰?」

 二人を交互に見ながらエリィが言う。

「…ディア…」

 アラウドがうめく。

 その女性はアラウドの座る椅子の側までやって来ると,いきなりその頬を張って小気味の良い音を立てる。

「!?」

 展開についていけない一同。

「どういう事よっ!」

「…どういう事なのですか?」

 隣のノエルにぼそぼそと尋ねるクーラ。

「こっちが訊きてぇよ」

 ぼそぼそと答えるノエル。

「あ,あの…」

 おずおずと,女性に話しかけるエリィ。

「貴女は…?」

「…私はクローディア」

 アラウドを睨みつけたままで女性は答える。

「この唐変木の…婚約者よ」

「!?」

 目が点になるエリィ。だがその場の誰もがその言葉に度肝を抜かれる。

 ふぅっ,と一つ息を吐いてクローディアは続ける。

「さぁ,説明してもらいましょうか。さんざ私を待たせておいて,こんなところでのうのうとお茶してる訳を」

「…」

 じっと彼女を見つめるアラウドは,しかしこちらは深々と溜息をついて,口を開く。

「俺の事は忘れろ」

「!?」

「お前の知っているアラウドは…死んだ…」

「なっ…」

 絶句するクローディア。

「何よそれっ!私がどんな思いで貴方を待っていたか…どんな気持ちでここまで来たか…!」

「すまない…だが俺はもう,お前の思いに応える事ができない…」

「…!!」

 再び,アラウドの頬が小気味よい音を立てる。そのままばたばたと駆けだしていくクローディア。

「ちょ…ちょっとアラウド!それはあんまりよっ!?」

 叫ぶや否や,エリィはそれを追いかけていった。

「…」

 しばらくの静寂。

「あー…」

 やがてノエルが,ぼりぼりと頭をかきながら口を開く。

「さすがにあの言い方はねぇんじゃねぇのか?そのツラ見りゃ訳アリだろうってのは想像できるけどよ,にしてももう少し…」

「…」

 沈痛な面持ちで沈黙するアラウド。

「どうしたのよアラウド。そういえばあなた,この戦いが終わったら結婚するとか何とか嬉しそうに言ってたじゃない」

「おぉ…言われてみればそうじゃったのぅ。すっかり忘れとったわい」

 同調するハーディ。

「あれは,確かルトリア奪還戦の時じゃったかのぅ…」

(…?)

 そこで何かがひっかかるクーラ。具体的に何にひっかかっているのかは分からないが,何かまずい事になりそうな予感がする。

「あー…そういやそうだったな。段々思い出してきたぜ」

 できれば忘れていたかった記憶まで蘇り,苦い顔をするノエル。しかし二度三度と頭を振ってそれを追い払い,言葉を繋ぐ。

「あん時ゃ,確か皆でイジってやったんだっけな。またいつもの口だけかよって言ったのを憶えてるぜ。んで,確かお前は…今回は本気の本気だ,絶対に間違いないとか言って…」

「おぅおぅそうじゃった。そこで儂が現物を見るまで信用できんと言ったんじゃった」

「夫婦で”風”を盛り立てるとか何とかノロケてたわね」

(…)

 その言葉の一つ一つがダメージとなっているようだ。アラウドの気配が頼りなげに揺らぐのをクーラは感じ取る。

「で…確かにお前は,あの戦いで瀕死の重傷を負ってしばらく戦線離脱したわけだが…」

 溜息をつくノエル。

「さすがにそれを言い訳にするのはどうかと思うぜ?ここにこうして生きてるんだしよぅ」

「そうじゃぞ大男。気が変わったのなら正直にそう言うべきじゃし,黙って姿を消して自然消滅を狙うなんぞは卑怯の極みじゃ」

(…!)

 そこで,漠然としていたクーラの予感が急速に形をとっていく。

 話の中のアラウドは随分と現物と印象が違っているが,それは今はさして重要ではない。むしろ今不安をかき立てているのは,その類似性だ。

 あまりにも,クローディアの境遇がエリィに似すぎている。感情移入するなと言う方が無理押しだ。

(まずいな…)

 クローディアを追いかけたエリィはどうなっただろう。様子を見に後を追うべきだろうか。

「お…戻ってきたな」

「!」

 ノエルの言葉に,意識をそちらへ向ける。

(最悪は免れたか…)

 クローディアを従えて戻ってきたエリィは,どうやら怒っているようだ。とげとげしい気配が伝わってくるし足取りも荒い。落ち込まれたら厄介だったが,沈んでいるのはむしろクローディアの方らしい。

 卓まで戻ってくると,エリィはしかし自分の椅子に座ろうとはせず,立ったまま静かに口を開いた。

「突然ですが。こちらのクローディアさんを,しばらく”風”の客分として迎えます」

「!?」

 目を丸くする”風”の面々。

「期限は,クローディアさんが納得するまで。その間の必要経費は,”風”が支払う事とします」

「ちょ…ちょっと待てよお嬢ちゃん。そりゃ何か?俺らの報酬で養えって事かよ?」

「損害の補償です。責任は”風”全体にあります」

 仏頂面で言うエリィ。

(なるほど…)

 敢えてアラウド一人としない事で,ゆるやかながら包囲網を作ろうという目論見か。案の定かなり感情移入しているようだ。

 だがそれではクローディアも気まずさを抱えてしまうだろう。もしかしたらもうすでに,それで沈んでいるのかも知れない。

「つったって…今俺らがやってる仕事は,危険なんだぜ?もしもが起こったら取り返しが…」

「それは”風”の名にかけて防ぎます。防げなければ看板を下ろすしかないですね」

(やれやれ…)

 いっそう所在なさげに揺れるクローディアの気配。対してエリィは,さながら硬い岩盤の内部でマグマが煮えたぎっているような様子だ。

「お…おいおい,じゃぁ何か?仕事の難易度が上がって報酬が下がるのか?」

「…」

 じろり,とノエルを睨むエリィ。そこには殺気にも似た怒気が籠り,クーラはあの決闘の事を思い出して戦慄する。

「まぁ純粋な足手まといにはならんじゃろうが…」

 その剣幕に圧されて直接異を唱える事ができず,ふぅ,と溜息をついてハーディが言う。

「あぁ…確か,鈷朔こさく流槍術を修めているって話だったわね」

 フレイアが思い出したように言う。

(…なるほど,単なるノロケとも限らなかったわけか…)

 クーラはあらためて,”風”のレベルの高さに舌を巻く。

 鈷朔流槍術は,ざっくり言えば舞神流の槍の部分だけを切り離した流派だ。朔の名づけの由来でもあるが視覚に頼らない業を練る事を重視しており,自分のように視覚を無くした者やもともとそれを持たない者が,純粋に生活の助けとしてその門を叩く事も多い。

 だがそのような者に対し広く門戸を開放してはいても,決して原理を捨てたわけではなく,皆伝は源流である舞神流のそれと比べても決して見劣りしない域に達する。

(しかし…)

 そこで溜息をつくクーラ。彼女が鈷朔流の門下だとすれば,エリィや自分とは同門の姉妹弟子と言ってすらさほど問題は無い。それはつまり,エリィが感情移入する条件がさらに増えるという事を意味する。

「あ…はい…皆伝位には届いていませんが…」

 ちょっと困ったような表情で答えるクローディア。 

(不確定要素をこれ以上増やすのは,望ましくないか…)

 深入りするわけにも行かないが,何か事情があるのは間違いないだろう。クローディアと自分の境遇を重ね合わせているエリィが,どう転ぶか全くわからないその進展にいちいち左右されてしまうのは困りものだ。

「ではそういう事で。よろしいですね?」

「ちょっと待ってください,エリィ殿」

 無秩序に癒着されては後々面倒だ。せめてこちらが介入できる余地を作っておかなければならない。そう判断してクーラは口を挟む。

「”風”としてはそれで良くても,こちらはそういうわけには行かないのですよ」

「た,大尉…」

 途端に困惑するエリィ。

 当然だ。自分は”風”の強制力の全く及ばない位置から,舞神闘勝者の権限で一方的に強制力を行使できる存在なのだ。内心で苦笑するクーラ。

「よろしいですか?”風”は連合われわれとの契約で動いています。当然,連合の…いわゆる軍機にも深く関わっている。その対価をこちらが支払っているからこそ,その機密に対する守秘義務が発生しているのです」

「う…」

「ところが彼女にはそれが無い。そんな者を作戦に参加させるなど…連合への背信とすら言える行為ですよ」

「!」

「あー…確かにそいつはマズいな。そもそものっけから看板下ろさんといかん状況に追い込まれる」

 さすがに笑みを浮かべる事こそしなかったが,助かったとばかりにノエルが言う。

「…まぁ,鈷朔流の門下ならば戦力的には連合としても欲しいところではあるのですがね?貴女のやりようでは,”風”じたいの戦力も低下,本人の意識も位置づけも中途半端と…機能不全に陥る危険が大きすぎてとても看過できませんな」

 一番は貴女ですがね,と心の中で付け加えるクーラ。

「で,でも…」

 エリィの気配に悲しみが混じる。そしてそれとは対照的に,クローディアのそれには安堵の色が差す。

「というわけで。クローディア殿…でしたかな?もし”風”と行動を共にするのならば,それなりの覚悟と責任を持ってもらわねばなりません」

 やはりな,とまた内心で苦笑しながらクーラは言う。

「?」

 流れにそぐわないその言葉の意味を測り兼ねて,首を傾げるエリィ。

「つまり…”風”に加わるのではなく連合と契約して頂くという事です。当然秘密は守って頂きますし,強制力も発生します。それでもよろしければ,上には私から話を通します」

「大尉…」

 エリィの悲しみが,安堵に変わる。

「まぁ…これが姉妹流派の誼で譲れる最大限度という事ですよ」

 何となくそれに満足する自分に気づいて,みたび苦笑するクーラ。それを悟られぬよう表面を取り繕う。

「あの…具体的には何を?」

 クローディアが控え目に尋ねる。

「詳細はまだ言えませんが…こちらのエリィ殿が特殊任務に就いている間,その身代わりを務めて頂きます」

「おぉ…なるほどのぅ,それは確かに…」

 髭をしごきながらハーディが言う。

「中身としては適任ね」

 フレイアが苦笑する。

「外見の細かい帳尻はノーブル殿に合わせて頂きますので,その辺は心配ありません」

「…まぁそうなるでしょうね」

 やれやれと肩をすくめるノーブル。 

「…差し当たり,上へ提出する推薦書を作ります。クローディア殿にはそれを持ち,まずはマイシャへ向かってもらいます。正式にそれが受理されるまでは,さすがに極秘任務に同行させるわけには行きませんからな。合流は,我々の帰還後となります」

「えっ…」

「まっ,スジ論としてはそうなるだろうな」

 そこでクローディアが短く声を上げたが,すかさずノエルがそれを制する。

「…恐らく臨時契約で,報酬は日当となりそうですからな。そのあたりはキッチリしておきませんと…」

 なにぶん連合は貧乏ですから,と付け加えてクーラは苦笑する。

「は,はぁ…」

「さて…これでだいたい出そろったようですが…アラウド殿?何かありますか?」

 クーラはそこで,じっと目をつぶって無言を貫くアラウドに言葉をかける。

「…連合と当人の問題だ。俺にとやかく言う資格は無い」

 集まる視線。しかし目をつぶったままの彼は淡々とそれだけを言う。

「…っ!」

「まっ,それがスジ論だよな」

 再び実力行使に出ようとしたクローディアだが,苦笑しながら再びノエルが制する。

 それでエリィは,クーラの提案の意図の一端を悟る。自分と同様,アラウドにも手の出しようがなくなってしまったというわけだ。

「ではそういう事で…合流後は任務に私情を挟まないようお願いいたします」

 クーラはそう念を押した。

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