57 凪
それから幾日かが何事もなく過ぎた。
暑さは相変わらずだけど毎日きちんと薬を飲み続けたシュシュがかなり体調を取り戻し、昼間の時間を以前のように執務室で過すようになった。
黙々と書類に挑む隊長の横で、悠々と長椅子に足を投げ出して寝そべる副長。(花街帰り)
そしてその向かい側の席で本来そこに寝転がってる中年の代わりを務める自分。
殿下の補佐ということで外回りから外されているけど、実際は大した仕事も無いお蔭でいつも通り書類整理をやらされている。
いつもと違うとしたら殿下と相棒が応接用のソファーで茶を飲みつつシュシュの相手をしている事くらいだ。
もともと気安い性分の殿下は何度か顔を合わせるうちにシュシュもすっかりなついて笑顔を見せるようになった。
二人してアハハウフフと戯れる気配に何でか書類をグシャリと握り潰したい衝動に駆られてしまう。
おのれロード、殿下の分際で―――――。
「――――――休憩するか」
カタリ、と筆記用具を机に置いた音でシュシュがこちらをパッと振り向くのが分かった。
キラキラと期待のこもった視線を向けられ、両腕を広げて待機。
一拍置いて小さな身体が駆け寄り、ぽふっと腕に収まった。
背中の翅がパタパタと嬉しげに羽ばたく様子がたまらなく可愛い。
仔猫みたいに擦り寄られてヒョイと膝に抱き上げれば、今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうな雰囲気で目を細める。
「あー…可愛い」
つむじにキスを落として暫し包容。
「なんかアレ…やってんのが只のおっさんだったら『犯罪だ!』っつって、今頃取り抑えられてると思う」
「そっスよねー。見た目にダマされてる部分デカイし」
失礼な奴等め。何とでも言うがいい
「………にしてもさー。こっちも標準装備なのか?」
「あああ…」
殿下がチラリと視線を投げた先には、室内を監視するように窓から頭を突っ込んだ黒い獣。
執務室は一階にあるためシュシュがこの部屋にいる時はこの窓がライディーンの指定席だ。
壁掛けにされた狩猟の獲物の如く、首から上を壁に生やした状態でジットリとこちらを見詰めている。
少女の目の前で乱暴狼藉を働けば、怯えて二度と近寄らせては貰えなくなる事を理解しているためか、暴君そのものの獣がかなりの忍耐力を発揮しておとなしく置物に徹している。
「……でも、そろそろ限界なんじゃない?」
「そっスね……」
ライディーンにしてみれば、熱愛する少女を目の前にしながら傍に寄ることも出来ない状態は、マタタビをちらつかされながらお預けを喰らわされている猫と同じ。
――――それが解る僕も相当末期だと思うけど。
とにかくアレが暴れだす前に飴を与えなければという結論になり、『中庭だけ』という条件で殿下は護衛一人を連れてシュシュと表に出た。
何が楽しくて自分だけ爺ィと中年の面を見ながら机仕事をせにゃならんのだ。
中庭ではシュシュがライディーンの背にちょこんと横乗りをして、そこいらを動き回っている。
時折他の隊員達に声を掛けられてニコニコと手を振って応えるあたり、ここでの暮らしにも幾分馴染んだ証しだと思う。
良いことなんだけどちょっと悔しいと感じるのは、自分の心の狭さを自覚させられて苦い気分になる。
自覚の腕の中だけに囲ってしまえば、真珠の時の二の舞を踏みかねない。
自分以外の親しい相手を持たせぬまま、置き去りにしてきた儚げな少女。
『私』が死んだ後あの子はいったいどんな風に生きたんだろう。
どうか幸せな人生を送っていて欲しいと、願わずにはいられない。




