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しまなみの魔女〜世界最強のS級魔導師は弟子=仲間と共にしまなみの空を翔ぶ〜なろうVer.  作者: 通りすがりのしまなみライダーTAKA☆
序章 結編

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Episode 07 『Afterword 2』

挿絵(By みてみん)


■ 静かな病室


 今治病院、深夜。


 消灯時間を過ぎた病棟には、最低限の照明だけが灯っていた。廊下を行き交う夜勤看護師の足音が、時折、病室の前を通り過ぎていく。


 窓の向こうには、夜の今治港が見えた。工場地帯の灯りを映した海面が揺れ、その先には青黒い瀬戸内海が広がっている。


 ベッドの上で、結は静かな寝息を立てていた。


 凛へ感情をぶつけ、泣き疲れて眠ってしまったのだろう。小さく身体を丸めた姿は、先程までS級相当の魔力を解放していた少女とは思えないほど無防備だった。


 凛はその傍らで、結の寝顔を見つめていた。


 結は生きている。自分も、こうして隣にいられる。


 眠る姿を確かめているうちに、ようやく胸の奥まで安堵が広がっていった。


 ベッド脇の毛布を手に取り、起こさないよう、そっと掛ける。


 「……おやすみ、結」


 小さく呟いてから、凛は少しだけ躊躇した。


 そして身を屈め、結の額へ、そっと口付けた。


 柔らかな髪が頬へ触れた、その時だった。


 「うふふ、おでこにキス、良いわねぇ♡」


 「ひゃあっ!?」


 凛が飛び上がる。


 振り返ると、入口に志保が立っていた。口元を手で押さえているが、笑いを堪えているのは明らかだった。


 「も、もうっ!! 揶揄わないでよ、志保さん〜!!」


 「だって、青春しているじゃない。若いって素晴らしいわぁ♡」


 「志保さんだって若いでしょ!!」


 声を上げてから、凛は慌てて結を見た。幸い、起きた様子はない。


 志保も声を潜めながら、楽しそうに続けた。


 「精神年齢の話よ? うふふ」


 「絶対楽しんでる……」


 赤くなった顔で睨んでも、志保の笑みは深まるばかりだった。


 その時、志保の魔導スマホが小さく震えた。


 紫色の通知光へ目を落とし、届いた連絡を確認する。その顔から笑みが消えたのを見て、凛も姿勢を正した。


 「……ところで、たった今、連絡が入ったんだけど」


 志保は眠る結を一度見てから、静かな声で告げた。


 「凛さんが斬った魔導獣、あの男自身は生存している事が判明したわ」


 「……えっ?」


 凛は目を見開いた。


 「あ、あたし、真っ二つにしたんだよ!? てっきり、殺しちゃったとばかり……」


 「貴女が斬ったのは、増大した彼の魔力を依り代にして顕現した魔導獣だったという事ね。彼自身は、焼け落ちたコンビニの中から発見されたそうよ」


 志保は報告書を読み進め、僅かに眉を寄せた。


 「もっとも、全身に火傷を負っていて、話を聞ける状態ではないようだけれど」


 凛はゆっくりと椅子へ腰を下ろした。


 「そっか……」


 胸元を押さえ、息を吐く。


 結が目を覚ましてからも、心のどこかに引っ掛かっていた。あの一撃で、自分は人を殺したのだと。


 戦っている間には考える余裕もなかった事が、終わってから、少しずつ重くのしかかっていた。


 「初めて人を殺したとばかり思ってたけど……直接、手に掛けたんじゃなかったなら、良かった……」


 震えの残る声を聞き、志保は凛を見つめた。


 剣を持てば、年齢を忘れさせるほど頼もしい。それでも彼女は、まだ十六、七歳の少女だった。


 「仮に死なせてしまっていたとしても、あの状況なら正当防衛よ。罪に問われる事はないわ」


 志保は優しく言った。


 「強敵だったのでしょう? 手加減など出来る状況ではなかった筈よ」


 凛は小さく頷いた。


 だが、志保の話はそこで終わらなかった。


 「ただ……彼の爆炎術式(インフェルノ)に巻き込まれた、他のノーライセンス魔導師達は、さすがに無事ではなかったようね」


 凛の肩がぴくりと震えた。


 倒した相手も、まだ店内に残っていた。あの爆発の中で、彼らがどうなったのかまで、気を配る余裕はなかった。


 「そっか……あたしが、もっと上手く立ち回っていたら……」


 「そんな事、言わないの」


 志保は凛の頭へ、ぽんと手を置いた。


 「貴女はよくやったわ」


 「でも……」


 「誰も守れない理想論より、誰かを守れた現実の方が大事よ」


 凛は口を閉じた。


 廊下で会った少女と、その母親の姿が浮かぶ。あの二人が手を繋いで帰れた事まで、なかった事にしてはいけないのだろう。


 それでも直ぐに割り切れるものではなく、凛は膝の上へ視線を落とした。


 しばらくして、別の疑問に気付く。


 「……でも、ちょっと待って?」


 顔を上げ、志保を見た。


 「あの男がコンビニの中で発見されたのは分かったけど、だったら、魔導獣になる前に、外であたしが戦っていたのは何?」


 爆発の後、男は炎の中から歩いてきた。結へ攻撃し、薬を打ち、自分達の目の前で異形へ変わった。


 あの時点で肉体が店内に残っていたのなら、凛が見ていたものは何だったのか。


 志保は顎へ手を添えた。


 「多分、彼の魂というか……魔力を内包した霊体のようなものだったのかもしれないわ。詳しく調べてみなければ、まだ分からないけれど」


 「生き霊って事!? 怖っ!?」


 「その表現は、意外と的を射ているかもしれないわね」


 志保は苦笑したが、直ぐに真顔へ戻った。


 「ただ、その仮説が正しいとすると、別の問題があるわ。霊体だった筈の彼が、自分自身へAT薬を投与して、魔導獣になったという事よ」


 凛も、あの注射器を思い出した。


 確かに、男は自らの首元へ薬を打っていた。


 「こうなると、AT薬が、そもそも私達の考える“薬”なのかどうかさえ怪しくなるわね」


 凛は押し黙った。


 分かったと思った事が、次の疑問を連れてくる。自分達の暮らす町で起きているのに、その正体は、ますます見えなくなっていた。


 志保が、凛の額を軽く小突いた。


 「そんな顔しないの!」


 「いたっ」


 「この件は、私達大人に任せなさい。貴女は結さんと一緒に、普通に学院生活を送れば良いのよ」


 凛は志保を見上げた。


 その表情には、先程までの思案顔ではなく、いつもの頼もしさが戻っている。


 「……ん。分かった。志保さんも気を付けてね」


 凛が答えると、志保は微笑んだ。


 ベッドの上では、結が変わらず穏やかな寝息を立てていた。


⸻


■ 中央魔導局・魔導デバイス開発センター


 翌日、東京。


 中央魔導局本部の転移ゲートを抜けた志保は、そのまま魔導デバイス開発センターへ向かった。


 白銀の通路には青白い術式ラインが走り、施設全体を包む低い駆動音が響いている。ガラス越しの開発区画では、局員達が様々なデバイスを調整していた。


 戦闘用や支援用だけでなく、医療用の術式補助端末、市民向けの生活補助型デバイス。その更に奥には、厳重に管理された試作機の区画もある。


 現代の魔導文明を支える技術が集まる、この施設。その統括責任者を務めているのが、凛の父、橘(たちばな)誠一(せいいち)だった。


 志保が責任者室前の受付へ近付くと、局員が顔を上げた。


 一瞬、その動きが止まる。


 「し、紫電殿!?」


 局員は慌てて立ち上がった。


 「しょ、少々お待ち下さい!!」


 奥へ急ぐ姿を見送り、志保は苦笑した。


 「もう……相変わらず大袈裟なんだから」


 程なくして、扉の向こうから豪快な笑い声が響いた。


 「ガハハハハ!! 志保ちゃん!!」


 自動扉が開き、大柄な男が現れる。


 鋭い目付きに無精髭。白衣越しにも分かるがっしりした体格は、研究者というより、現場で腕を振るう職人を思わせた。


 だが、志保を迎える顔には、屈託のない笑みが広がっていた。


 「そういえば、来るってメッセがあったな!」


 「もう! 局員の方に、何も伝えていなかったんですの? 驚かれてしまいましたわよ?」


 「まあ、細かい事は気にするな! ところで、凛は元気にしているのかい?」


 「……もう、相変わらずマイペースな方。うふふ」


 呆れ半分に笑った志保の肩口へ、黒猫型ホログラムAIが投影された。


 「マイスター誠一、お久しぶりです」


 「おう! kuroも元気そうじゃねぇか!」


 「私はAIですので、好調も不調もありません」


 「相変わらず固いねぇ。後でちゅ〜るやらんぞ?」


 「マスターと同じ事を言いますね」


 志保が吹き出し、誠一も腹を抱えて笑った。


 受付で強張っていた空気は、すっかり緩んでいた。


⸻


■ 大海の娘


 責任者室へ通され、雑談が一段落したところで、志保は表情を改めた。


 「実は今日は、少し気になる事がありまして」


 「ほう?」


 誠一が向かいの椅子へ腰を下ろす。


 志保は、昨日の今治で起きた事件を順に話した。


 A級魔導師が加わったコンビニ強盗。AT薬の使用と魔導獣の出現。そして、瀬戸結が使った魔力共有術式(ブレイブコネクト)によって、グランキャリバーと凛のフォームに変化が起きた事。


 話が進むにつれ、誠一の目が細められていった。


 全てを聞き終えると、彼はコーヒーを一口飲んだ。


 「そうか……ついに凛は、“大海の娘”に出会ったんだな?」


 志保は身を乗り出した。


 「やっぱり、ご存じでしたのね!」


 誠一の反応には、驚きよりも納得があった。結の力も、グランキャリバーの変化も、彼にとっては想定の内だったらしい。


 「そういう秘密主義は、あまり宜しくなくてよ?」


 「話が話だからな。未来に干渉する可能性がある以上、秘密にしておく他ないだろう?」


 「……やはり、瀬戸教官……“大海”の未来視が関わっているんですのね?」


 誠一は静かに頷いた。


 「三年ほど前だったかな。突然、結花がワシの所へ来たんだ」


 志保は口を閉じ、耳を傾けた。


 「その時、こんな事を言われたよ。『あと数年以内に、あなたの娘と私の娘が出会うわ』とな」


 誠一はカップを置き、当時の話を続けた。


 「結花の娘には、S級相当の力がある。だが、幼い頃にその力が暴走しかけて、結花が全力で封印したそうだ。だから今は、並以下の魔力しか使えない状態にある」


 志保は、銀行前で出会った結を思い返した。


 不慣れな防御術式と、その内側に感じた膨大な魔力。あの大きな隔たりには、理由があったのだ。


 「だが、いずれ凛とその子が事件に巻き込まれ、封じられた潜在能力が必要になる。そう未来視に出たらしい」


 「……それが、昨日の事件だったと?」


 「恐らくな。そして結花は、こう頼んできた」


 誠一は志保を見た。


 「『その為の術式が、ようやく完成したの。それに対応出来る仕組みを、娘さんのデバイスへ実装して欲しい』とな」


 志保は言葉を失った。


 昨日、突如として現れたように見えた力は、何年も前から準備されていた。結を守る為に、その母親が手を尽くしていたのだ。


 「大海の未来視だ。無視なんか出来る訳がねぇ」


 誠一は腕を組んだ。


 「だから、凛のグランキャリバーを作る時に、魔力共有術式(ブレイブコネクト)に対応した新フォームを組み込んだ。通常フォームのままじゃ、大海の娘の馬鹿魔力に耐え切れず、崩壊する危険があったからな」


 「そういう事でしたの……」


 志保は、記録映像で見た白いフォームを思い出した。


 結から魔力を受け取った直後の変化は、想定された機能だったのだ。


 「しかも、驚いたのはそれだけじゃねぇ」


 誠一は続けた。


 「ブレイブコネクトには、魔力を供給するだけじゃなく、接続した相手の身体を強化する術式まで組み込まれていた。デバイスだけ丈夫にしても、使う人間が耐えられなきゃ意味がないからな」


 「結さんの魔力によって、受け手の身体が壊れる事まで防いでいるんですのね」


 「ああ。とんでもなく、よく出来た術式だよ」


 志保は小さく息を吐いた。


 「あれほど高度なものだったとは……」


 「制御AIの性能も、相当なものだったぞ」


 誠一が口元を上げた。


 「brave――正式名称は、Binary Relay Assistant for Variable Engage。可変型魔力接続を補助する中継AIだ」


 「それを……瀬戸教官が?」


 「ああ。ブレイブコネクトと一緒に、結花本人がプログラムした。性能は、そこらのホログラムAIとは比較にならねぇ」


 志保の肩口で、kuroがぴくりと耳を動かした。


 「ムッ。私よりも性能が上とは、心外ですね」


 「うふふ、大丈夫よ。貴方は私が育てているもの」


 「その分、生真面目なマスターに似ちまったがな! ガハハハ!」


 「もう!」


 志保が頬を膨らませる。


 誠一は楽しそうに笑っていたが、その目には、自分の娘を救った仕組みへの確かな信頼も宿っていた。


⸻


■ 未来の勇者達


 その後も幾つか言葉を交わしてから、志保は席を立った。


 責任者室の窓越しに、開発区画で働く局員達が見える。青白い魔導光の下で、今日も新しい技術が形になろうとしていた。


 だが、志保の脳裏に浮かんでいたのは、今治で出会った少女の笑顔だった。


 結は、自分の中にある力を知らない。母親が、何年も前からその未来に備えていた事も、覚えていないAIが自分を支えていた事も。


 「今日はありがとうございました。お陰で、色々と謎が解けましたわ」


 「ガハハ! 良いって事よ!」


 志保が扉へ向かおうとすると、誠一が呼び止めた。


 「ああ、そうだ。志保ちゃん」


 「……何ですの?」


 振り返ると、彼は少し真面目な顔になっていた。


 「これも大海の未来視に関わるから、誰なのかは、今は明かせないが……」


 一度言葉を切り、慎重に続ける。


 「大海の娘の――そうだな。“守護者(ガーディアン)”と言うべきか。その役目を担う者は、凛以外にも、あと二人いる」


 志保は目を見開いた。


 「あと二人……ですって!?」


 「その守護者達のデバイスにも、ワシが手を入れてある」


 凛だけではない。


 結花は、更に先の出会いまで見据えて準備を進めていたのだ。まだ知らない二人の存在に、志保は返す言葉を探した。


 誠一は静かに続けた。


 「大海の娘、瀬戸結。瀬戸を結ぶ、か」


 カップへ目を落とし、僅かに笑う。


 「仲間を繋げる、魂の術式。……あの心優しい大海らしいじゃねぇか。少なくとも、ワシはそう思うよ」


 志保はしばらく黙っていた。


 やがて、凛と結が互いを抱き締めて泣いていた姿を思い浮かべ、ふっと微笑む。


 「そうですわね」


 それから改めて礼を述べ、責任者室を後にした。


 白銀の通路へ出た志保は、結のこれからを思った。


 あの子は、誰と出会い、どのような力を育てていくのだろう。その道へ、自分も関わろうとしている。


 閉じた扉の向こうで、誠一は小さく呟いた。


 「……未来の勇者達を導いてくれよ、志保ちゃん」


 その声は、もう志保には届かなかった。


 「アンタなら、きっと出来るさ」


⸻


■ 瀬戸家へ


 更に翌日の朝、今治の空は晴れ渡っていた。


 瀬戸内海を渡る風を受けながら、Type-WSが海沿いを進んでいく。機体に沿って流れる紫の魔導光が、朝の陽射しの中で淡く輝いていた。


 結は既に退院し、学院へ戻っている。


 母親の事を隠したがっている本人へ直接尋ねるのは避け、志保は前日の内に誠一から瀬戸家の住所を聞いていた。


 《Destination nearby》


 案内音声に従って進むと、海の見える高台に、一軒の家が現れた。


 「……あそこね」


 白い壁に木目調の外観。庭は綺麗に整えられ、玄関先の風鈴が潮風に揺れている。豪邸という訳ではないが、窓から瀬戸内海を望む、穏やかな佇まいの家だった。


 その玄関先に、一人の女性が立っていた。


 長い髪を風に揺らし、こちらへ柔らかな微笑みを向けている。


 元S級魔導師、“大海の魔女(オーシャン・ウイッチ)”――瀬戸(せと)結花(ゆいか)。


 志保はType-WSを停止させ、機体を降りると、深く会釈した。


 「お久しぶりです。瀬戸教官」


 結花はくすりと笑った。


 「ウフ♡ そろそろ来る頃だと思っていたわ。志保さん……いえ、今は紫電殿と呼んだ方が良いのかしら?」


 「……普通に志保でお願いします」


 志保は困ったように苦笑した。


 「教官に“紫電殿”なんて呼ばれると、むず痒いですわ」


 「ウフフ♡ 相変わらず可愛いわねぇ」


 結花はそう言って、家の中へ招き入れた。


⸻


■ 元S級魔導師の現在


 瀬戸家の室内には、木の温もりと、窓から差し込む海辺の陽射しが満ちていた。


 初めて訪れたのに、不思議と落ち着く。その空気が、どこか結の雰囲気に似ていると、志保は思った。


 キッチンへ向かった結花が、振り返る。


 「今の志保さんは、コーヒーがお好みかしら?」


 「相変わらず、お見通しですね。実に教官らしいです」


 志保は苦笑し、勧められた席へ腰を下ろした。


 やがて二つのカップが運ばれ、香ばしい匂いが広がった。


 結花はエプロン姿のまま、向かいへ座った。ニットのトップスにデニムジーンズ、チェック柄のエプロン。街で見かければ、普通の主婦にしか見えないだろう。


 だが、その微笑みに見つめられると、志保は自然と背筋が伸びた。


 「それにしても、立派になったわねぇ。私が育てた生徒が、今やS級だなんて。ウフ♡ 私も鼻が高いわ」


 志保は少し照れ臭そうに目を逸らした。


 「……教官の方は、今は退官されているんですね」


 「そうね。今も中央に籍は置いているけれど、占い師として生計を立てているわ。こう見えて、売れっ子なのよ、私♡」


 「教官の実力でしたら、当然でしょう……」


 志保はコーヒーを一口飲み、カップを置いた。


 「今もA級相当の力を有しているそうですけれど、現役へ復帰されるおつもりはないんですか?」


 結花の瞳が、僅かに揺れた。


 「……もう、私も歳だからね。それに、私の力は支援系が主だから、今の魔力量では戦いに向かないのよ」


 穏やかな答えだった。


 志保は少し残念そうに目を伏せた。


 「そうですか……今治では今、厄介な事件が起きていますから。教官のお力があれば、心強かったのですが……」


 結花は微笑んだまま、志保を見つめた。


 「でも、あなたが今日ここへ来た目的は、それじゃないでしょ?」


⸻


■ 見透かす魔女


 志保の肩が僅かに跳ねた。


 その反応を見て、結花が笑みを深める。


 「まだ何も言っていないのに、図星みたいね?」


 「……本当に、敵いませんわね」


 志保は苦笑した。


 訪ねるまでに、何度も言葉を考えてきた。それなのに、いざ本人を前にすると、切り出せずにいたのだ。


 結花はカップを静かに置いた。


 「あなたは、本当に心優しい子」


 教え子へ語りかけるその声は、柔らかかった。


 「結を弟子にしたいとお願いしに来たのに、いざとなると、娘を私から引き離して良いのか、迷っているのでしょう?」


 志保は息を呑んだ。


 何もかも、見透かされていた。


 未来視。“大海の魔女”が持つ、未来を見通し、その選択に関わる力。現役を退いた今も、その力が衰えていない事を、改めて思い知らされた。


 S級となった今だからこそ、かつての教官が、どれほど規格外の存在なのか分かる。


 だが、結花が浮かべたのは、どこか寂しさの混じる笑みだった。


 「……娘を嫁に出す母親の心境って、こんな感じなのかしらね」


 「きょ、教官!? 何を仰って――!」


 「ウフフ♡ 冗談よ」


 そう答えた声は明るかった。


 けれど志保は、その目に滲んだものを見落とせなかった。


⸻


■ 母親の覚悟


 窓の外では、朝の瀬戸内海が光っていた。


 遠くを船が行き交い、海風がカーテンを緩やかに揺らしている。


 結花はしばらくその景色を見つめ、それから志保へ視線を戻した。


 「でもね、志保さん。あなたになら、結を安心して任せられるわ」


 「教官……」


 志保は返す言葉を失った。


 まだ、正式に頼む事さえ出来ていない。それでも結花は、その願いを受け止めようとしていた。


 「娘をあなたに預ける。それは、この世界を救う為に必要な事なの」


 結花は両手を膝の上へ重ねた。


 「その為なら、私は……この寂しさにも耐えられる」


 最後の言葉で、声が僅かに震えた。


 瞳から、一粒の涙が零れる。


 志保の胸が締め付けられた。


 伝説の魔導師も、未来を見通す魔女も、娘を送り出す寂しさから自由ではない。今、向かいにいるのは、ただ結を愛する一人の母親だった。


 「教官……同じ今治ですから、いつでも会えますよ」


 志保は言葉を繋いだ。


 「私が結さんを連れて、遊びに来ても良いですし……何なら、教官が私の家へいらして下さっても――」


 「駄目」


 結花は静かに首を振った。


 声は優しいままだったが、迷いはなかった。


 「志保さん。私は、結を“修行”に出すの。そんな中途半端は駄目よ」


 涙を流しながら、それでも微笑んでいた。


 「娘が自分の力で歩いていく為には、母親離れもしなければいけないもの」


 志保は唇を噛んだ。


 寂しくない筈がない。それでも結花は、その気持ちを理由に、娘の歩みを止めようとはしなかった。


 安易な慰めを重ねる事は、もう出来なかった。


⸻


■ 師弟


 結花が、ゆっくりと立ち上がった。


 そして志保へ向かい、深く頭を下げる。


 「志保さん。ふつつかな娘ですが、結の事、よろしくお願いします」


 志保は慌てて立ち上がった。


 「や、やめて下さい、教官!! 頭を上げて下さい!!」


 だが、結花は直ぐには顔を上げなかった。


 かつて自分を教え、導いてくれた人が、今は娘を託す母親として頭を下げている。


 志保の目からも、涙が溢れた。


 受け止めなければならない。


 結の才能だけではなく、その子を送り出す母親の想いも。


 志保は胸へ手を当てた。


 「……誓います」


 震えそうになる声を、どうにか支えた。


 「この水野志保が、結さんを一流の魔導師に育て上げてみせます!」


 結花が、ゆっくりと顔を上げた。


 涙を浮かべながらも、その表情には安堵があった。


 「ありがとう、志保さん」


 志保は真っ直ぐに、その言葉を受け止めた。


⸻


■ 空へ


 挨拶を終え、志保は家の外へ出た。


 潮風が、長い黒髪を揺らしていく。Type-WSへ跨り、浮遊術式を起動する前に、もう一度だけ振り返った。


 玄関先には、結花が立っていた。


 先程の涙の跡を感じさせない、柔らかな微笑みだった。


 志保は小さく会釈した。


 「それでは、また」


 「ええ。結をよろしくね」


 志保は頷き、機体を起動した。


 紫の魔導光が走り、Type-WSが地面から浮き上がる。光の粒子を尾のように引きながら、魔導バイクは瀬戸内の空へ飛び立った。


 結花は、その後ろ姿を見送っていた。


 やがて機体が小さくなっても、暫くは空を見上げたままだった。


 「志保さん――」


 海風が髪を揺らす。


 結花は遠ざかる紫の光へ、静かに語りかけた。


 「結を……この世界を、頼んだわよ」


 その声を残し、紫の光は朝の空へ消えていった。


 To be Continued…


挿絵(By みてみん)

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