Episode 06 『Afterword 1』
■ 今治病院――事情聴取
A級ライセンス魔導師によるコンビニ強盗事件。そして、その魔導師が《アクセルトリッパー》の使用直後に魔導獣へ変貌した一件は、中央魔導局へ緊急案件として報告された。
今治病院の特別病棟では、治療を終えた凛への事情聴取が行われていた。
白い壁と消毒液の匂いに包まれた病室に、中央局員達が集まっている。ベッド脇には志保が立ち、壁面モニターには、東京本部から通信を繋いだ三浦慎一郎の姿が映っていた。
凛はベッドに腰掛け、包帯を巻かれた腕をそっと押さえていた。
傷はまだ痛む。だが、それ以上に気にかかるのは、目の前で起きた異常事態だった。
正規のライセンスを持つ魔導師が犯罪に加わり、得体の知れない薬を使って、人ではないものへ変わった。その時の様子を話すにつれ、局員達の表情も険しくなっていった。
凛の証言を聞き終えた志保が、モニターへ向き直る。
「アクセルトリッパーを打つ事で魔導獣化……そんな話は、先程の総司令殿とのお話では聞いておりませんわ!」
画面の向こうで、慎一郎も厳しい顔をしていた。
『私も驚いている。アクセルトリッパー……便宜上、AT薬とするが、これまで確認された関連犯罪では、使用者の魔力増強、もしくは魔導師ではない一般人の魔導師化が主な作用だと考えられていた』
慎一郎はそこで言葉を切った。
『だが、これは……』
「ちょ! ちょっと待って下さい!」
凛は思わず身を乗り出した。
「魔導獣化は抜きにしても、そんなヤバいものが出回っているんですか!?」
「……そうらしいわね」
志保は凛へ視線を戻した。
「しかも最近は、今治でノーライセンス魔導師による犯罪があまりに多いわ。まだ断定は出来ないけれど、既にかなり市内へ浸透している可能性はあるわね」
「そ、そんな……」
凛はシーツをぎゅっと掴んだ。
学院へ通い、志保と修行をし、買い物をして帰る。そんな日々を過ごしている町で、誰が使うかも分からない魔法が、薬によって増やされている。
先程の事件も、その広がりの一端に過ぎないのかもしれなかった。
志保は再び慎一郎へ問いかけた。
「ところで総司令殿。AT薬の成分分析などは、既に進めていらっしゃるんですよね?」
『分析は進めている。だが、研究所の現時点での見解は、“何故この成分で一般人が魔導師化するのか理解不能”というものだ』
モニターに分析データが表示された。
薬品名や含有成分、分子式、魔導反応値。並んだ項目へ目を走らせた凛は、眉をひそめた。
「アセトアミノフェン、イブプロフェン、ロキソプロフェンナトリウム……何これ?」
志保も同じ画面を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……まるで風邪薬ね」
表示されているのはドラッグストアで普通に買える様な、身近な医薬品にも使われる成分だった。魔力を持たない人間に魔法を使わせ、更には人を魔導獣へ変える薬とは、とても結び付かない。
凛は自分の目で見た注射器を思い出した。
首元へ押し当てられ、中身が注入された直後、男の魔力は急激に膨れ上がった。無関係だったとは思えない。
『通常ならあり得ない事だが……注射器自体に、押収された際、内容物の成分を入れ替える術式が組み込まれていた可能性も考えられる』
慎一郎の言葉に、志保の瞳が細められた。
『紫電殿が遭遇した仮面の男。確か、転移術式の使い手だったそうだが?』
「……そうですわね」
『敵には、既に失われた術式を使う者がいる。我々の知る技術だけを前提に考える訳にはいかない。それだけでも、脅威と言って過言ではないだろう』
薬の正体も、その仕組みも、まだ掴めていない。だが、調べられる事まで想定して手を打っているのなら、単なる違法薬物の流通では済まない話だった。
『S級のお主なら心配は不要だろうが、相手に気取られぬよう、くれぐれも気を付けよ。それでは失礼する』
通信が切れ、モニターが暗転した。
事情聴取を終えた局員達も退出すると、病室には機器の作動音と、廊下を行き交う足音だけが残った。
志保は暗くなった画面を見つめ、小さく息を吐いた。
「全く、義兄さんは相変わらず簡単に言ってくれるわね!」
軽い口調だったが、その表情は晴れていなかった。
凛は少し迷ってから、口を開いた。
「志保さん。AT薬ってやつも気がかりなんだけど……」
まだ、確かめなければならない事があった。
魔導獣を倒した、あの蒼い魔力。その力を使った結は、今、別の病室で眠っている。
「あの、結のあの力って、何なのか知ってる?」
⸻
■ 大海の魔女
志保は、すぐには答えなかった。
その沈黙を見て、凛は彼女に何らかの心当たりがあるのだと察した。
包帯の巻かれた腕へ目を落とすと、グランキャリバーを握っていた時の感覚が蘇った。
結から流れ込んできた、海のように深い魔力。尽きかけていた力が満たされ、自分の身体も剣も、全く違うものに変わったかのようだった。
「あの結の力の圧は、半端じゃなかった」
凛は記憶を確かめるように話した。
「あの魔導獣、AAA級クラスの力はあったのに……結があの力を使った途端、斬り伏せられたんだよ。あんなの、あたし自身が一番驚いてる」
剣を振り下ろしたのは自分だ。それでも、あれを自分だけの力だとは、とても思えなかった。
「それに、グランキャリバーやバトルフォームも変化したんだよ! あんな仕様、父さんから聞いた事ない!」
凛の父、橘誠一は、魔導デバイスのマイスターとして名を知られている。グランキャリバーを組み上げたのも、その父だった。
使い慣れた自分の剣に、知らない機能があった。しかもそれが、結の魔力に反応して起動したのだ。
志保は少し考え込んでから答えた。
「グランキャリバーやバトルフォームのあの仕様に関しては、後でマイスターに聞くとして……結さんの力については、心当たりがあるの」
凛は顔を上げた。
「まだ確証はないのだけれど、結さんの苗字を聞けば、成績優秀な凛さんにも察しが付くかもしれないわね」
瀬戸結。
蒼い魔力と、常識外の魔力量。
志保の言葉を手掛かりに考えた凛の脳裏へ、一人の魔導師の名が浮かんだ。
「伝説のS級魔導師、“大海の魔女”瀬戸結花!!」
声に出した途端、凛は目を見開いた。
「あの子、大海の娘か何かなの!?」
「……多分、それで間違いはないと思うわ」
志保の答えに、凛は言葉を失った。
“大海の魔女”。
S級魔導師でありながら、ある時期を境に表舞台から姿を消した、伝説の存在だった。魔導師を目指す者なら、誰もが一度はその名を耳にする。
その娘が、結なのか。
少し危なっかしくて、真っ直ぐで、笑うとこちらまで嬉しくなる。今日出会ったばかりの友達と、遠い存在だった伝説が、上手く重ならなかった。
「あの子に、志保さんが興味を示す訳だ……」
ぽつりと漏らすと、志保は苦笑した。
「それも、正直あるんだけどね」
それから、柔らかな眼差しを凛へ向けた。
「凛さんは、あの子についてどう思った?」
凛は少し考えた。
友達になりたいと、必死に伝えてくれた顔。差し出した手を握ってくれた温もり。「凛ちゃん」と呼ぶ、屈託のない声。
力の事より先に、そうしたものが思い浮かんだ。
「うん……陽だまりみたいに、ぽかぽかと暖かい子だと思った」
凛はゆっくりと言葉を選んだ。
「それと、力は未熟なのに正義感が強くて、真っ直ぐで……放っておけないっていうか」
「大海の親族かもしれないと知った後は?」
今度は、考えるまでもなかった。
「そんなの関係ない!! 結は結だもん!!」
志保は少し目を見開いた後、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「そうね。そして、それは私も同じなのよ」
銀行前で出会った時、結は震えながらも犯罪魔導師の前に立っていた。名前を聞くより前に、その勇気と真っ直ぐさに触れていたのだ。
「私も、あの子の友達になりたいって思ったわ」
志保は一度、窓の外へ目を向けた。夜の今治の灯りが、ガラスに小さく映っている。
「それに……」
「……それに?」
「あの子の資質は、きちんと育てれば、この今治の町どころか、世界を守れる力になる。少なくとも、私はそう思うの」
凛は息を呑んだ。
志保の言おうとしている事が、分かった。
「志保さん……まさか!!」
「そのまさかよ! うふふ」
いつもの悪戯っぽい笑みだった。だが、凛には、それが思い付きの言葉ではないと分かった。
志保は、結の才能を導こうとしている。
その選択が、結の未来を大きく変えるかもしれなかった。
⸻
■ まだ知るべきではない力
病室のドアをノックする音がした。
顔を覗かせた中央局員が、志保へ告げる。
「紫電殿。瀬戸結さんが目を覚まされました」
凛は反射的に立ち上がった。
ようやく会える。その思いに急かされて歩き出しかけたところで、志保に呼び止められた。
「凛さん。結さんには、自分自身に宿ったあの力について、黙っていた方が良いわ」
「へ? どうして?」
振り返った凛に、志保は真剣な顔を向けた。
「多分、記憶には残っていない筈よ」
「記憶に……?」
「貴女に見せて貰った記録データを見る限り、結さんがあの時使った魔力共有術式には、忘却に関する術式も組み込まれていたわ」
凛の表情が強張った。
「忘却に関する術式って! それも、失われた術式の筈じゃ!?」
「世界で唯一、大海だけが使えるとされている術式ね」
志保は静かに頷いた。
「それが組み込まれていた以上、結さんが少なくとも大海の関係者だという事は、間違いないと思うわ」
凛は唇を結んだ。
結の力で助かったのに、その事を本人へ伝えられない。お礼を言いたい気持ちもあっただけに、直ぐには頷けなかった。
だが、志保の表情は変わらなかった。
「……そっか。何か納得いかないけど、志保さんがそう言うなら、秘密にしておく」
「ありがとう、凛さん」
志保は優しく微笑んだ。
二人は病室を出て、結の元へ向かった。
⸻
■ 助けた少女
夜の病院の廊下は静かだった。
ナースステーションから届く小さな話し声と、自分達の足音が聞こえる。凛は歩いているうちに、少しずつ足が速くなっていた。
目を覚ましたと聞いて、安心した筈だった。それでも、顔を見るまでは落ち着かなかった。
結の病室へ辿り着いた時、丁度、扉が開いた。
中から出てきたのは、母親に手を引かれた少女だった。コンビニで結が助けた、あの子供だ。
少女は凛を見つけると、ぱっと顔を明るくした。
「あ! 剣士のお姉ちゃんだ!!」
凛は一瞬きょとんとして、それから少し照れたように笑った。
「あ、えっと……怪我、なかった?」
少女がこくこくと頷く。その隣で、母親が深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。娘を助けて頂いて……」
「い、いえ……私は……」
凛は言葉に詰まった。
少女を抱えて逃がしたのは結だ。自分は敵と戦っていただけで、最後には結の力に助けられている。
そう伝えようとした時、志保が背中へそっと手を添えた。
「貴女も、ちゃんと守ったのよ。凛さん」
凛は小さく息を呑んだ。
少女は無事で、母親と手を繋いでいる。その姿を改めて見つめると、ようやく、戦いが終わったのだと感じられた。
母親と少女は何度も礼を言い、廊下の向こうへ歩いていった。
凛はその後ろ姿を見送った。胸の奥が、少しだけ熱くなっていた。
志保に促され、結の病室へ入る。
⸻
■ 友達だから怒るんだよ
結はベッドの上で、上体を起こしていた。
顔色はまだ少し悪かったが、扉が開くと、はっきりとした眼差しをこちらへ向けた。
凛はその姿を見た途端、堪えていたものが溢れそうになった。
「結! 良かった! 目、覚ましたんだね!」
ベッドへ駆け寄る。
だが、結は笑わなかった。凛の顔を見つめ、何かを堪えるように唇を結んでいる。
「何で……何で、あんな事したの?」
「……結?」
「凛ちゃん、私を庇って死のうとしてたよね?」
凛は言葉に詰まった。
魔導獣へ向かって駆け出した時の事を、結は覚えている。その先の記憶がないのなら、結にとっては、それが最後に見た凛の姿なのだ。
「あれは……だって、ああでもしなければ……」
「だっても何もないよ!!」
結の声が震えた。
「凛ちゃんが目の前で死んじゃったら、私、私……うわ〜ん!!」
堪えていた涙が溢れ、一度泣き出すと止まらなくなった。
凛は完全に狼狽えた。
「えっ!? ちょ、結!? ご、ごめん、あの……!」
何を言えば良いのか分からなかった。
戦っている時なら、次にどう動けば良いか判断出来る。だが、目の前で泣く友達へどう言葉をかければ良いのか、凛には分からない。
迷った末にベッドの傍へ腰を下ろし、結を胸元へ抱き寄せた。
「ひっく、ひっく……凛ちゃん……」
「大丈夫。あたしは生きているよ」
背中をそっと撫でながら言った。
「心臓の音、聞こえるでしょ?」
結は凛の胸に耳を当てた。
制服越しに、温かな鼓動が伝わってくる。
「うん……」
「そして、結も生きてる。暖かいもん」
腕の中にいる友達の温もりを、凛も確かめた。
結は涙の残る顔で、少しだけ笑った。
「えへへ……そうだね」
だが、その笑顔は長く続かなかった。凛の服を掴んだまま、不安そうに顔を上げる。
「ねえ、凛ちゃん。もう私を庇って死のうとしないで……お願いだよ……」
凛は黙った。
約束してしまえば、結は安心するのかもしれない。けれど、同じ事が起きた時、今度こそ逃げると答える事は出来なかった。
苦しそうに目を伏せる。
「……ごめん。それは出来ない」
「どうして!! どうしてなの!?」
「あたしは剣士」
誰かを背に庇い、その前に立つ。三坂峠で目にした“蒼き氷結剣士”の姿は、今も凛の目指す理想だった。
「あたしは、誰かを守る為には、命だって懸けなきゃいけないと思ってる。死ぬのが怖くない訳じゃないけど、誰かを守って死ねるなら、むしろ、それは本望なんだ」
結は凛をじっと見つめた。
やがて、小さく首を横に振る。
「……嘘」
「……結?」
「嘘だよ、そんなの!」
涙を浮かべたまま、結は声を上げた。
「だって、私を庇って死のうとした時、凛ちゃん、泣いてたじゃん!!」
凛の瞳が揺れた。
「誰かを守って死ねれば本望? 本心からそう思える人は、あんな顔しないよっ!!」
凛は何も言えなくなった。
結を逃がそうとした事は、後悔していない。けれど、あの時、死ぬのが怖かった事も、結と別れたくなかった事も、否定出来なかった。
憧れた剣士の背中に、少しでも近付きたかった。だが、あの日の背中に感じた頼もしさと、自分が結へ残そうとした別れの言葉は、同じものだったのだろうか。
答えが出ないまま、凛は腕の中の友達を見つめた。
病室に沈黙が落ちた。
その中で、志保が小さく笑った。
「うふふ、これは凛さん、一本取られたわねぇ」
「志保さん、笑い事じゃ……」
凛が少し拗ねたように言うと、志保はベッドの傍へ歩み寄った。
結へ向けた眼差しは、真剣だった。
「でもね、結さん。戦いに生きる私達にとって、この町の人達の危機を放って逃げ出すという選択肢はないの」
優しい声だったが、曖昧に宥めるような言い方ではなかった。
「無論、誰かを守って死ねれば本望なんて考え方は極端だけど、凛さんの、貴女を守りたいという想いまでは否定しないであげてね」
結は俯いた。
凛の服を掴む手に、少しだけ力が入る。
守られた事が嫌だったのではない。凛が、自分の為に命を諦めようとした事が、悲しかったのだ。
けれど、その前に向けてくれた言葉も、確かに覚えていた。
結はゆっくりと顔を上げた。
「凛ちゃん」
「……うん?」
「私ね。本当は、私を庇って、あの魔導師に立ち向かった時の言葉、すごく嬉しかったんだ」
凛は目を瞬かせた。
「……結?」
結は涙を拭い、少し照れたように笑った。
「『あたしの友達は、絶対にやらせない』って。思わずキュンとしちゃった。もう、イケメンさんなんだから〜」
凛は一瞬呆気に取られ、それから吹き出した。
「イケメンて。何それ〜」
二人は顔を見合わせて笑った。
結の目元は赤く、凛の笑い声にも、まだ僅かな震えがあった。それでも、抱き合う腕からは、少しずつ力が抜けていった。
結は改めて、凛の顔を見つめた。
「凛ちゃん。私の事、庇ってくれて、守ってくれて、本当にありがとう!」
そして、満面の笑みを浮かべた。
「大好き!!」
凛の表情が崩れた。
結を抱く腕に、思わず力がこもる。
「……生きていてくれて、良かった」
声が震えた。
炎に包まれた店。結へ放たれた火球。魔導獣の咆哮。そして、地面に倒れた結の姿。
張り詰めていた間は堪えていたものが、その笑顔を見た途端、一気に込み上げてきた。
「良かったよ〜……うわぁぁぁぁぁぁ!」
今度は凛が泣き出した。
結は少し驚き、それから凛の背中へ手を回した。
「うん……私も、凛ちゃんが生きててくれて良かった」
凛がしてくれたように、その背中をそっと撫でる。
志保は少し離れた場所で、二人を静かに見守っていた。
誰かを守りたいと願う事も、その人に生きていて欲しいと願う事も、同じように切実なのだ。互いを抱き締める二人の姿が、今は少し眩しかった。
失ったものを思う気持ちと、これから守りたいものへの想いが、胸の内で重なる。
志保は小さく微笑んだ。
結と凛は、まだ出会ったばかりだ。知らない事も、上手く伝えられない事も、これから幾つもあるだろう。
それでも今、二人は互いの温もりを確かめながら、同じ場所で泣き、笑っている。
しまなみの空を守る物語は、まだ始まったばかりだった。
To be Continued…




