Episode 08 『騒然のランチタイム』
■ 朝の教室
志保が瀬戸結花と再会していた、その日の朝。
県立今治魔導技術学院、二年C組の教室には、始業前の賑やかな声が満ちていた。
魔導スマホで動画を見る生徒の隣では、術式演算の課題を慌てて写している生徒がいる。男子達の集まる席の上を小型ホログラムAIが飛び回り、窓から入る潮風が、その向こうのカーテンを揺らしていた。
教室の扉が開き、明るい声が響く。
「舞ちゃん、知世ちゃん、おはよ〜!!」
入ってきたのは結だった。
栗色のボブヘアに、ふわりとした柔らかな雰囲気。少し寝不足そうではあるものの、笑顔はいつもと変わらない。
教室後方の席から、茶髪のショートヘアの少女が勢いよく立ち上がった。
樋口舞。制服を少し着崩した姿と快活な目元が、いかにも彼女らしかった。
「おはよ〜! 何、昨日休んでたじゃん!」
その隣で、黒い長髪を後ろで束ねた少女がくすりと笑った。
落ち着いた物腰と、どこか上品な雰囲気を持つ、村上知世だった。
「とか言いつつ、舞ちゃん、すごく心配してたよね。『あたいの結が来ない〜!! 何!? 事件!? 事故!?』って、えらく狼狽えてたよ?」
「わ〜〜!! 知世、言うなやっ!!」
舞が真っ赤になり、結は思わず吹き出した。
「クスクス……」
笑いながらも、結は内心、少しだけ困っていた。
(一昨日、本当に大きな事件に二度も巻き込まれてたなんて、言えないよね……)
銀行強盗に、コンビニでの戦い。目の前で魔法が飛び交い、凛が自分を守る為に剣を振るってくれた。
そこまでは、はっきりと覚えている。
けれど、途中で気を失ってからの記憶がなかった。凛の話では、駆け付けた志保が事件を収めてくれたらしい。
あまりにも色々な事があり過ぎて、まだ上手く整理出来ていなかった。
「そうそう。結ちゃんが休んでいた分のノートのデータ、後で送っておくね」
知世の声に、結は顔を上げた。
「ありがと〜!! 知世ちゃん、好き!!」
「ちょ!? 知世、結の好感度稼ぐなやっ!?」
すかさず舞が机を叩く。
知世は涼しい顔で聞き返した。
「そういう舞ちゃんは、ノート、ちゃんと取ってるの?」
「うぐっ……」
舞の動きが止まった。
しばらく視線を泳がせた後、胸を張って言い放つ。
「あ、あたいは感性で生きてるから良いんだよっ!!」
「ロックな人生だねぇ〜」
結がしみじみと頷く隣で、知世は呆れた顔をした。
「それ、一番後悔する人が言う台詞だよね」
「うるせぇ〜!!」
舞は机へ突っ伏した。だが、直ぐに顔を上げ、二人を交互に指差した。
「あたい達、三バカは一蓮托生だからな!!」
「あ、それ! 早急に脱退する予定だから、宜しく〜」
結がにやりと笑う。
冗談めかして言ったが、全くの冗談でもなかった。
(出来るだけ早く、凛ちゃんの隣に立っても恥ずかしくないようにならないと!)
結が胸の内で決意を固める一方、舞は椅子から転げ落ちそうになっていた。
「あ! テメェ!! 抜け駆けは許さんぞっ!!」
「何〜? 男でも出来たん?」
知世まで興味津々で身を乗り出してくる。
その言葉に、結の脳裏へ浮かんだのは、炎の前で剣を構える少女の姿だった。
『あたしの友達は、絶対にやらせない!!』
自分を庇って立った背中と、あの声。
思い出すだけで、頬が少し熱くなる。
「そ、そういうのとは違うけど、イケメンな子と友達になってね〜」
「わ〜〜!!」
舞が机を叩いた。
「こいつ、知らん間に彼氏作りおった!! 昨日休んだんは、それが理由かっ!?」
「結ちゃん、顔が恋する乙女になってるよ! 可愛い〜!」
知世も楽しそうに笑っている。
「何だと〜!! お父さんは、そんなの認めんぞっ!?」
「だ、だから、そういうのとは違うって!!」
結は慌てて手を振った。
「って、舞ちゃん、いつ私のお父さんになったのよっ!?」
「ん〜、ノリ?」
舞は腕を組み、得意げな顔をした。
「適当過ぎる〜!!」
三人の笑い声が教室に広がる。
昨日までいた病室とも、一昨日の事件現場とも違う、いつもの朝だった。
⸻
■ 一昨日の事件
ひとしきり笑った後、知世がふと思い出したように言った。
「そうそう。一昨日、駅前の銀行で強盗事件があったよね〜」
「あ〜、ノーライセンス魔導師のヤツだろ?」
舞が頷く。
「紫電が、あっという間に解決しちゃったって話だよね。あの人、世界最強のS級なのに、何でこんな町にいるんだろ?」
「は、ははは……」
結は曖昧に笑った。
自分がその場にいて、犯人達の前へ飛び出したなど、とても言えない。話せば、二人がどれほど驚き、怒るか、想像が付いた。
「その後でコンビニの爆発でしょ? この町も物騒になったよね」
「そうそう。あれは確か、ガス爆発だったって話だけど」
舞の言葉に、結は思わず口を閉じた。
(そ、そんな事になってるんだ……)
あの爆発は、魔導師が使った魔法によるものだった。凛が戦っていた事も、逃げ遅れた少女がいた事も、二人は知らない。
中央魔導局は、ライセンスを持つ魔導師による犯罪が広まらないよう、情報を厳しく管理していた。
不二家で、志保がこぼしていた言葉を思い出す。
『口止め料だ何だで、毎回、後処理が大変なのよねぇ』
その時は、自分に関わる話になるとは思っていなかった。
「あれだけ魔法が普及していても、まだガスを使っている所もあるんやな〜」
「全部が全部、魔法で動いている訳じゃないからね」
知世が肩を竦めた。
魔導技術が日常へ浸透しても、従来の電気やガスがなくなった訳ではない。魔法を使えない人々も暮らす社会では、それぞれの技術が併用されている。
普段なら気にも留めない会話を聞きながら、結は落ち着かない気分になっていた。
舞が、その顔を覗き込む。
「ん? 結、何で黙っとん?」
「い、いえ、別に!! オホホホホ!!」
「何、その淑女笑い?」
「結ちゃんの場合、この反応は絶対、何かあるよね」
知世の指摘に、結の肩が跳ねた。
「吐け〜!! 吐くんだ、結〜!!」
舞が背後へ回り込み、肩へ腕を回してくる。
「な、ないよ!! 何もないったら〜!!」
その時、始業チャイムが鳴り響いた。
舞は名残惜しそうに腕を解いた。
「ちっ! もう始業のチャイムか!」
「結ちゃん、また後でね〜」
知世まで笑顔で言い残し、席へ戻っていく。
結は椅子へ腰を下ろし、密かに胸を撫で下ろした。
(た、助かった……)
⸻
■ 昼休み、そして来訪者
もっとも、舞がそのまま諦める筈もなかった。
魔導理論学の授業で、教員が板書へ向き直れば、小さな声が飛んでくる。
「なあ結、ホンマに彼氏ちゃうん?」
「違うってば〜!」
魔導数学の演習中も、舞は懲りなかった。
「イケメンって、どんなタイプや? 長身系? ワイルド系?」
「だから、違うって言ってるでしょ〜!」
さらには、実技演算訓練の合間にまで、知世へ相談を持ちかけていた。
「知世〜、結の脈拍を測れる術式とかないん?」
「それ、普通に犯罪寄りだから駄目」
「ちぇ〜」
結はすっかり弄ばれていた。
それでも、この騒がしさが、今は少しだけ心地良かった。
つい一昨日までなら、いつも通りの、少々落ち着かない学院生活だっただろう。けれど今は、机に向かって授業を受け、友達の冗談に言い返せる事が、妙に嬉しかった。
命懸けで戦う姿を見た。誰かが自分の為に泣いてくれた。
だからこそ、何も起きない時間が、以前より大切に思えた。
やがて午前の授業が終わり、昼休みに入った。
教員が教室を出ると同時に、舞が勢いよく立ち上がる。
「ランチタ〜〜イム!! さっ、飯食おうぜ!!」
「淑女は“飯”なんて言葉、使わなくてよ? ねえ、結ちゃん」
知世が澄ました顔で言うと、結は苦笑した。
「すっかり淑女扱いになってるし……」
そう言いながらバッグを開き、弁当を取り出そうとする。
だが、その手が止まった。
「……あれ?」
教科書を脇へ寄せ、奥まで探る。筆箱も、魔導スマホも、ハンカチも入っていた。
いつもなら、直ぐに見つかる筈の弁当だけがない。
結はもう一度、中を覗き込んだ。
「ま、まさか……お弁当、忘れた!?」
舞と知世が揃って目を丸くした。
「ええっ!? 結のお母さんにしては、珍しいミスやん!」
「そうだね……何を忘れても、“お弁当だけ”は忘れなかった、あの結ちゃんが……」
結も動揺していた。
母は家事全般に隙がなく、弁当の準備を忘れた事など、一度もなかった。自分も、食べるものの確認だけは欠かさない方だったのに。
だが、今日に限って弁当がないのは、単なる偶然ではなかった。
この後に起きる事を見越した、結花の小さな仕込みである。
もちろん、結自身は知る由もない。
「ヤバいよ!? 今から食堂、間に合うかな!?」
慌てて立ち上がり、教室の時計を見る。
昼休みの学院食堂は、決してのんびり出向ける場所ではなかった。人気メニューは五分もすれば売り切れる。今からでは、何が残っているか分からない。
舞が腕を組んだ。
「まあ、最悪、パン争奪戦やな」
「いや、その言い方、怖いから」
知世がツッコミを入れる横で、結は半泣きになっていた。
「ど、どうしよ〜〜!?」
その時、教室の前方がざわつき始めた。
「あれ……?」
「うそ……何で、あの人が?」
入口へ向けて、次々と顔が上がる。女子達の弾んだ声と、男子達の驚く声が重なり、教室の空気が変わった。
舞と知世も、つられてそちらを見る。
扉の前に立っていたのは、長い黒髪をポニーテールに纏めた少女だった。
すらりとした長身に、整った目元。制服姿にもどこか隙のない、凛とした佇まいがある。
橘凛だった。
学年首席の特待生であり、S級魔導師『紫電』の一番弟子。学院でその名を知らない者は、まずいない。
普段は接点のない有名人が、突然、二年C組へ現れたのだ。入口近くの生徒達は、話しかけるべきか迷うように互いの顔を見合わせていた。
凛は周囲の視線に少し居心地悪そうにしながら、教室を見渡した。
「あの……瀬戸って子、いる?」
教室中の視線が、一斉に結へ向いた。
「えっ、瀬戸さん?」
「あそこにいるけど……」
誰かが指差す。
当の結は、まだ弁当のないバッグを前に、途方に暮れていた。
「……へ?」
自分の苗字が聞こえ、顔を上げる。
その目に飛び込んできたのは、こちらを見つけて、ぱっと笑顔になった凛だった。
「ゆ〜い〜!!」
教室が、一瞬、静まり返った。
凛は満面の笑みで言った。
「一緒に弁当食べよ!!」
「ふえっ!?」
結は口を開けたまま固まった。
「り、凛ちゃん!?」
次の瞬間、舞と知世だけでなく、教室中から驚きの声が上がった。
「「「え、ええええええええええええええっ!?!?」」」
舞は口を開けたまま動かず、知世も目を丸くしている。
男子達の「マジかよ……」という呟きに混じって、女子達からは「今、凛ちゃんって呼んだ?」「何、あの笑顔……」と、囁き合う声が聞こえた。
結の顔が、みるみる赤くなる。
「り、凛ちゃん!? な、何でここに!?」
「何でって……一緒にお昼を食べる約束、したじゃん?」
「してないよねぇ!?」
「えっ、そうだっけ?」
凛がきょとんと首を傾げた。
少なくとも、冗談で言っている顔ではなかった。
結が返事に困っていると、隣で舞がゆっくりと振り向いた。
目が据わっている。
「……結?」
「は、はい」
「テメェ、“イケメンな子”って――」
知世も、ようやく納得したように言葉を継いだ。
「学年首席の、橘凛さんだったんだ……」
結は二人を見て、入口を見て、更に自分へ集中しているクラスメイト達の視線に気付いた。
朝から隠そうとしていた事が、これ以上ない形で明らかになっている。
(あ、私の平穏な学院生活、終わった……)
凛はそんな結の心境など知らず、嬉しそうに傍へやって来た。
彼女にとっては、ただ友達と昼食を食べに来ただけなのだろう。
その笑顔を見た結は、嬉しいやら、恥ずかしいやらで、ますます顔を上げられなくなった。
空腹の心配をしている場合では、なくなっていた。
To be Continued…




