Episode 03 『グランキャリバー(中編)』
■ 魔女の願い
志保に担がれていたと知った結は、恨めしそうな目を彼女へ向けていた。
「うう〜、S級魔導師の人に揶揄われた〜」
「うふふ……“S級魔導師の人”って、何だか他人行儀ねぇ」
志保はくすくす笑いながら席を立つと、結の隣へ移ってきた。そして、ごく自然な仕草で、その肩をそっと抱き寄せる。
思いがけない近さに、結の身体がびくりと震えた。
「しっ、志保さん!?」
向かい側の凛まで慌てた声を上げたが、志保は気にする様子もなく、結の顔を覗き込んだ。
「私が貴女の事を友達って言ったのは本当よ。それに、凛さんに友達を作ってあげたかったのも本当なの」
先程までの悪戯っぽい調子とは違う、柔らかな声だった。
凛は何か言いかけ、少し俯いた。
「志保さん……あたしは……」
「まあ聞いて、凛さん」
志保は結の肩から手を離し、凛へ向き直った。
植物に囲まれた席には、店内を流れるジャズと、窓を叩く雨の音が静かに届いていた。凛は口を閉じ、志保の次の言葉を待った。
「貴女は何でも出来る分、今まで誰にも頼ろうとしなかった。だけどね……強い魔導師になる為には、それだけじゃ駄目なのよ」
志保は凛の顔を見つめながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「誰かを想い、想われるからこそ、人は強くなれるの」
結も黙って耳を傾けていた。
その言葉には、弟子を諭すだけではない重みがあった。何かを思い返しているような眼差しに、結は口を挟む事が出来なかった。
「私は貴女に強くなって欲しい。その為には、今みたいなコミュ症じゃ駄目なのよ」
「コミュ症て……」
凛がむっとした顔をする。それでもすぐに言い返す事はせず、少し考えてから志保を見た。
「……なら、志保さんもそうなの?」
「?」
「誰かを想い、想われたから強くなれたの?」
志保の表情が、一瞬だけ止まった。
紫の瞳に店内の灯りが映っている。凛の問いを受け止めるような短い沈黙の後、志保は小さく微笑んだ。
「……そうよ。それだけは断言出来るわ」
静かだが、迷いのない答えだった。
「もっとも、私の場合は失敗ばかりで……失ったものも多かったけれど」
「志保さん……」
凛の声から、先程までの不満が消えていた。
志保はテーブル越しに手を伸ばし、凛の頭を優しく撫でた。凛も今度は文句を言わず、その手を受け入れていた。
「貴女達には、私と同じ思いをして欲しくはないわね」
結は二人を見つめた。
今日出会ったばかりの自分には、志保の言う失敗も、失ったものも分からない。ただ、凛へ向けられたその言葉が、自分にも向けられている事だけは伝わってきた。
凛はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……志保さんが、あたしに何を伝えたいのか、分かった気がする」
そして、結へ向き直る。
「ねぇ、瀬戸さん」
「な、何? 橘さん」
「結って呼んで良い?」
「う、うん、良いけど?」
凛は少し照れ臭そうにしながらも、今度は視線を逸らさなかった。
「あたしと友達になってくれる?」
「ええっ!? い、良いの?」
「勿論!」
凛はそう答え、ふっと笑った。
「それに、志保さんにコミュ症扱いされるの、何か癪だしさ!」
結は思わず吹き出した。先程まで返事を待ちながら感じていた不安が、その笑顔を見て、ようやく消えていく。
「クスクス……じゃあ、私も凛ちゃんって呼んで良い?」
「“ちゃん”ね……まあ良いか」
凛は少し照れた顔で、テーブル越しに手を差し出した。
「それじゃあ宜しく、結!」
「うん! 宜しくね、凛ちゃん!」
結もその手を取り、笑顔で握り返す。
二人の握手を、志保は嬉しそうに見守っていた。
⸻
■ 不二家のホットケーキ
丁度その頃、店の奥から、マスターの老婦人が料理を運んできた。
テーブルへ置かれた白い皿を見て、結の目が輝く。
「わぁ……!」
こんがりと狐色に焼かれた、厚みのあるホットケーキだった。立ち上る湯気と共に甘く香ばしい匂いが届き、結は思わず身を乗り出した。
傍らには小さなピッチャーに入ったメープルシロップと、丸く添えられたバター。凛の前に置かれた一皿には、艶やかな小倉餡も載っている。
飾り立てたところはないが、焼き色の揃った表面を見ているだけで、早くナイフを入れてみたくなった。
「あれ? あたし、まだ注文してないんだけど」
凛が首を傾げると、志保は当然のように微笑んだ。
「貴女のは前もって注文しておいたわ。いつもこの店じゃ、小倉ホットケーキと珈琲を頼むじゃない」
「うわ〜……この人、相変わらず抜かりなくて怖いくらいだわ〜」
呆れ半分に笑う凛を見て、結もくすくすと笑った。
「二人って師弟関係って聞いてるけど、どちらかと言うと姉妹みたいだよね!」
「志保さんは、こういう性格なんだよ」
凛は肩を竦めた。
「S級なんて地位にいるのに、ちっとも鼻に掛けないし。それどころか、フランクに接しないと拗ねるし、師匠って呼ぶと嫌がるんだもん」
志保は運ばれてきた紅茶を一口飲み、カップをソーサーへ戻した。
「だって私、誰かを守る為にS級になったのであって、別に偉くなりたくてS級になったんじゃないしね」
穏やかな口調だった。先程、友達になろうと言ってくれた時と同じように、志保にとっては当たり前の事なのだろう。
結はそんな彼女を見つめた。
「でも、誰でもなれるものじゃないでしょ? そういうの、尊敬するな〜」
真っ直ぐに言われ、志保は少し照れたように笑った。
「うふふ、ありがとうね」
それから、二人の前の皿へ目を向ける。
「さっ、ホットケーキや珈琲が冷めちゃうわ。早く頂きましょう」
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきます」
結はピッチャーを持ち上げ、ホットケーキへゆっくりとシロップをかけた。琥珀色の液体が表面を伝い、皿へと流れていく。
バターを載せてナイフを入れると、焼かれた表面には僅かな手応えがあり、その下の生地はふんわりと沈んだ。
切り分けた一口を頬張った途端、結の顔が綻んだ。
「外はカリカリで、中ふわふわ!」
香ばしい生地にシロップの甘さが染み込み、溶けたバターの風味が広がる。結は飲み込んでから、弾んだ声で続けた。
「志保さん、これ、すごく美味しいよ!」
「そう? お気に召したようで何よりだわ! うふふ」
勧めた志保まで嬉しそうで、結は笑顔でもう一口食べた。
その様子を見ていた凛が、ふと声をかける。
「結、ほっぺにバター付いてるよ」
「えっ、どこ?」
「取ったげるね」
凛はナプキンを手に取り、結の頬をそっと拭った。
「はい、取れた」
「凛ちゃん、ありがと〜!!」
間近で満面の笑みを向けられ、凛の手が止まった。
(うっ……この子、可愛い!!)
先程まで不安そうにこちらを見ていた顔が、今はすっかり無防備な笑顔になっている。その変わりように、凛は不意を突かれた。
「……どうしたの?」
「い、いえ、別に……」
慌てて手を引っ込めると、結は不思議そうに首を傾げた。だが、すぐに凛の前の皿へ目を移す。
「そう言えば、凛ちゃんの小倉ホットケーキも美味しそうだね!」
「……良かったら、あたしのも食べてみる?」
少し迷ってから尋ねると、結はぱっと顔を明るくした。
「えっ、良いの? それじゃあ、頂きます!」
凛が切り分けてくれた一切れを、結は嬉しそうに口へ運んだ。
今度はシロップとは違う、小倉餡の柔らかな甘さが広がった。生地の香ばしさにバターの塩気も合わさって、こちらもつい頬が緩んでしまう。
「ん〜!! こっちも美味しいよ〜!!」
「でしょ? あたし、ここのはこれが好きなんだ」
凛も笑い、自分のホットケーキへナイフを入れた。
つい先程まで互いにどう接すれば良いか迷っていた二人が、今は同じ皿を覗き込み、味の感想を言い合っている。
志保は紅茶を飲みながら、静かにその会話を聞いていた。
長い間、孤独を抱えてきた彼女にとっても、こうして誰かと笑い合う時間は掛け替えのないものだった。
⸻
■ グランキャリバー
三人が不二家を出る頃には、雨は上がっていた。
雲の切れ間から差す夕陽が、濡れた路面を淡く照らしている。駅前へ向かう通りには帰宅を急ぐ人々の姿があり、店内で過ごしている間に、街のざわめきが一段と増していた。
志保は店先で二人へ振り返った。
「それじゃあ、私は中央に用があるから。凛さん、結さんを送ってあげて」
「分かった。今日はあたしが晩御飯の当番だよね。何か食べたいものある?」
「何でも良いわ。凛さんの料理は美味しいから」
「何でも良いってのが、一番困るんだけど……」
凛のぼやきに、結が笑った。
「クスクス……二人って、一緒に住んでるんだね」
「まあ、修行だからね」
凛は少し照れ臭そうに答え、それから志保へ手を振った。
「それじゃ帰ろ。志保さん、また後でね」
「ええ、気を付けて帰るのよ」
志保と別れ、結と凛は並んで歩き始めた。
店内ではあれほど話していたのに、二人きりになると、少しだけ会話が途切れた。結が次の話題を探して口を開きかけた時、凛がぽつりと言った。
「……手、繋いでくれないの?」
「……へ?」
結は思わず凛の顔を見た。
冗談を言っている様子はない。凛はどこか真剣な顔で、結の返事を待っていた。
「……友達って、そういうものじゃないの?」
結は一拍置いてから、堪え切れずに吹き出した。
「……プッ!」
「あ、あたし、何か変な事言った?」
「だって、いきなり手を繋ぐって、距離感バグり過ぎだよ〜」
凛の顔が一気に赤くなった。
「そ、そうなの?」
視線を泳がせる凛を見て、結はまた笑った。学院で見かける時には近寄り難く思えた彼女が、こんな事で戸惑っている。その姿が、何だか嬉しかった。
「良いよ! 手、繋ご!」
結が手を差し出すと、凛は目を瞬かせた。
「……良いの?」
「勿論だよ!」
凛が、おずおずとその手を取る。
結は笑顔で握り、凛も照れ臭そうに笑い返した。さっきまで二人の間にあった僅かなぎこちなさが、それで解けていった。
歩きながら、二人は色々な話をした。
好きなものや苦手なもの、学院の授業や魔法の事。結が尋ねれば凛が答え、凛が聞き返せば、今度は結が話す。互いの事を少し知る度に、次の話題が自然と出てきた。
だが、志保と知り合った経緯を話し始めると、凛の表情が変わった。
「犯人に立ち向かったって……あんた、馬鹿じゃないの!?」
「うう……ごめんなさい。何だか我慢出来なくて」
結は肩を竦めた。
凛の声には、単に無茶を呆れるだけではない厳しさがあった。
「もし志保さんが来なかったら、どうなっていた事やら……」
「多分、消し炭になってました」
自分で口にすると、改めて背筋が冷えた。最後に放たれた炎弾を思い出し、結は繋いだ手に少しだけ力を込める。
凛は大きく息を吐いた。
「……まあ、志保さんのお陰で、結が消し炭にならなくて済んだから良かったけど」
それから、少し声を和らげた。
「今度から、あたしを頼りなね。折角友達になったんだしさ!」
結は顔を上げ、嬉しそうに笑った。
「うんっ!! 凛ちゃんって、すごく優しいね」
「も、もう! 結って、そういう事、臆面もなくよく言えるよね」
凛は赤くなった顔を逸らしたが、繋いだ手を離そうとはしなかった。
そんなふうに話しながら、コンビニの前へ差し掛かった時だった。
凛が不意に足を止めた。
店頭のパトライトが点滅している。ガラス越しに見える店内は騒がしく、何人かの人影が不自然に一か所へ集まっていた。
凛の顔から、先程までの照れが消えた。
「ちょ……コンビニ強盗!? 最近、こういうの多くない!?」
結も店内へ目を凝らした。
「まさか、またノーライセンス魔導師って事は……」
その予感を裏付けるように、魔導具を手にした複数の人物が見えた。少なくとも、普通に買い物をしている様子ではない。
「ノーライセンス魔導師だった……」
結は思わず頭を抱えた。
銀行での事件から、まだそれほど時間も経っていない。また同じような現場に出くわすなど、考えてもいなかった。
だが、凛は既に店内の様子を見据えていた。
「だったら、あたしの仕事だね!」
結と繋いでいた手を離し、腰へ装着した剣型デバイスに手を掛ける。
鞘から銀色の剣が抜き放たれた。起動した魔力回路に沿って白銀の魔導光が走り、刀身を照らす。
「これが……グランキャリバー……!」
結は息を呑んだ。
名を知っていた剣が、今、目の前で凛の手に握られている。先程まで手を繋ぐだけで戸惑っていた少女とは思えないほど、その構えには迷いがなかった。
だが、見入っている場合ではないと気付き、結は慌てて声を上げた。
「って、私達、ただの学生だよ!? 勝手に対処したら、まずいんじゃ……」
凛が、じとっとした目を向けた。
「ただの学生なのに、勝手に対処しようとしたあんたがそれ言う?」
「うっ」
結は言葉に詰まった。
凛は小さく息を吐くと、剣を持っていない方の手でポケットからスマホを取り出した。
魔導スマホではない、通常の電子スマホだった。操作した画面を、結へ向ける。
そこに表示されていたのは、中央魔導局が発行した正式なライセンスだった。
結は画面と凛の顔を、交互に見た。
「え?」
凛は小さく笑った。
「あたしも志保さんと同じ、中央魔導局嘱託だから!」
「え、ええっ!?」
驚く結の傍らで、グランキャリバーの白銀の光が輝いていた。
To be Continued…




