Episode 02 『グランキャリバー(前編)』
■ 純喫茶不二家
事件現場が駅前だった事もあり、志保の誘う喫茶店までは歩いて向かう事になった。
結は隣を歩きながら、時折、そっと志保の横顔を窺った。先程まで銀行強盗を相手にしていた人とは思えないほど、その足取りはゆったりとしている。
有名なS級魔導師と、こうして一緒にお茶を飲みに行く。それだけでも落ち着かないのに、志保は結の歩幅に合わせ、ごく自然に話しかけてくれていた。
やがて辿り着いた店の前で、結は思わず足を止めた。
「わぁ……」
そこにあったのは、まるで昭和の時代から、そのまま残されているかのような喫茶店だった。
深い緑色の庇に、赤白のストライプ模様のテント。その下の店先は、大小様々な植物で埋め尽くされている。壁を覆うように伸びた葉や吊り下げられた鉢植えの間に、木製の『不二家』の看板が見えた。
古びてはいるものの、寂れた印象はなかった。長い年月をかけて少しずつ形作られたような佇まいには、初めて訪れた結にも感じ取れる温もりがある。
「不二家は初めて?」
隣から声をかけられ、結はこくりと頷いた。
「は、はい……」
「うふふ。気に入って貰えると嬉しいわ」
志保が扉を開くと、カラン、とベルが鳴った。
その後に続いて店内へ足を踏み入れた結は、外とは違う空気に包まれ、思わず辺りを見回した。
木材をふんだんに使った内装に、流木をそのまま利用した柱や仕切り。足元には緑色の絨毯が敷かれ、あちこちに置かれた観葉植物が、席と席の間を緩やかに区切っている。
アンティーク調のランプが落とす飴色の灯りは柔らかく、少し薄暗い店内を暖かく照らしていた。古い写真や雑誌、年月を感じさせる装飾品が、木の棚や壁際に収まっている。
小さく流れるジャズに耳を澄ませながら、結は照明に透ける植物の葉を見上げた。街中にいるはずなのに、森の中の隠れ家へ入り込んだようだった。
「す、凄い……」
学校帰りに立ち寄るチェーン店とは、随分と雰囲気が違う。店内を眺めているだけで、先程まで落ち着かなかった気持ちまで、少しずつ静まっていく気がした。
「秘密基地みたい……」
ぽつりと漏らすと、志保がくすりと笑った。
「うふふ。良い表現だわ」
志保は慣れた足取りで店の奥へ進んだ。植物に囲まれ、半個室のようになったボックス席が、彼女のいつもの席らしい。
結は向かい側へ腰を下ろし、改めて周囲を見回した。木の香りと柔らかな灯りに包まれるうちに、今まで知らなかった大人の世界を、少しだけ覗かせて貰ったような気分になる。
志保はそんな結を、楽しそうに眺めていた。
「私はいつも、ここで珈琲を頂くのよ! 今日は私が誘ったんだし、奢るから好きなのを頼んで頂戴な」
「えっ、そんな! 悪いですよ〜!」
「S級は稼ぎが良いの」
あまりにもさらりと言われ、結は返す言葉に詰まった。
「ましてや不二家のメニューはリーズナブルだから、何も気にしないで良いのよ。うふふ」
「そ、それじゃあ、遠慮なく……」
なおも少し恐縮しながら、結は差し出されたメニューを開いた。
⸻
■ 名物ホットケーキ
ナポリタンにクリームソーダ、ミックスジュース。昔ながらの喫茶メニューが並ぶ中で、結の視線はホットケーキの文字に止まった。
「そ、それじゃあ、このホットケーキを……」
途端に、志保の表情がぱっと明るくなった。
「あらまぁ! うふふ! 偶然ねぇ!」
「そ、そうなんですか?」
「迷うようなら、私がオススメしていたわ!」
自分が選んだものをそこまで喜んで貰えるとは思わず、結は少し驚いた。志保は嬉しそうな顔のまま、メニューへ目を落とす。
「不二家はホットケーキが名物なのよ! 秘伝のレシピで作っているから、唯一無二と言っても過言ではないわね!」
「へぇ〜、そうなんだ! それは楽しみかも!」
結が目を輝かせると、志保の口元から柔らかな笑みが零れた。
「……うふふ」
その顔を見て、結は自分が誰と話しているのかを思い出した。
「ご、ごめんなさい!!」
「どうしたの?」
「私、S級の人にタメ口なんて!!」
慌てて姿勢を正した結に、志保は穏やかに首を振った。
「良いのよ。私達、もう友達だもの」
「そ、そんな……私みたいな、ただの一学生が、志保さんの友達なんて……」
嬉しい言葉だった。けれど、素直に頷くには、結にとって志保はあまりにも遠い存在だった。
そんな戸惑いを見透かすように、志保は結へ向き直った。
「結さん。貴女の価値は、誰にも決められるものじゃないの。たとえ、この私でもね」
いつもの華やかな調子とは少し違う、落ち着いた声だった。結は口を閉じ、その言葉に耳を傾けた。
「この私だって一人の人間。たまたまS級なんて箔が付いただけの、ただの魔導師でしかないわ」
真面目な顔でそう言われ、結は思わず吹き出した。
「クスッ……S級が箔だなんて、なかなか言えたもんじゃないですよ!」
「うふふ、そうかもね」
志保も笑い、軽く肩を竦めた。
「だから結さんも、もっとフランクに接してくれると嬉しいわ。私のこの喋りは育ちの関係だから、なかなか直らないけれど……」
結は、目の前の志保を見つめた。
先程までは、失礼があってはいけないと、そればかり考えていた。だが志保は、言葉を選んで畏まるよりも、一緒に笑う事を望んでくれているらしい。
それが分かると、結も自然に笑顔になれた。
「うん! 分かった! これからも宜しくね! 志保さん!」
志保が満足そうに頷いたところで、注文を取りに来た店員にホットケーキを頼んだ。
メニューが下げられ、結は改めて窓の外へ目を向ける。いつの間にか空には雲が広がり、ガラスに小さな雨粒が付き始めていた。店に入るまで夕陽の差していた通りが、次第に雨に煙っていく。
その時、志保の魔導スマホが小さく震えた。
画面に表示されたのは、凛という名前だった。
メッセージに目を通した志保は、何かを思い付いたように微笑んだ。
「……そうだわ! 折角だから、あの子も呼んじゃいましょう! うふふ」
「……あの子?」
「今治に来てからの私の一番弟子。結構優秀なのよ!」
志保が返信を打ち込み始める横で、結はその言葉を頭の中で繰り返した。
紫電の一番弟子。それも、今治にいる人物となれば、心当たりは一人しかいない。
「ひょっとして……橘さん?」
志保は少し驚いたように顔を上げた。
「あら? 知っているのね?」
「そりゃあ、ウチの学校の有名人だもん!」
結は身を乗り出すようにして続けた。
「剣型デバイス『グランキャリバー』を駆使する、近接戦闘魔法の達人! 学年首席の橘凛さんって言ったら、知らない人いないよ!」
同じ学院に通ってはいるが、結が凛と直接話した事はなかった。それでも、その優秀さはよく耳にしていたし、校内で見かければ、つい目で追ってしまう存在だった。
「うふふ! 何だか、自分が褒められたみたいで嬉しいわね!」
志保は嬉しそうに笑い、それから少しだけ真面目な顔になった。
「実際、私の自慢の弟子ですもの」
結も大きく頷いた。その凛と、ここで会えるのだ。思いがけない展開に胸を弾ませていると、志保が静かに言葉を続けた。
「だけどね、結さん」
「何?」
「……あの子は、あの子で大変なの」
その声に、結は浮き立っていた気持ちを落ち着け、志保を見た。
「立場のせいで、自分にはなかなか友達が出来ないって、いつも嘆いているわ」
「あの橘さんが……?」
思わず聞き返してしまった。
結の知る凛は、何でも一人でこなせてしまいそうな人だった。優秀で、堂々としていて、近寄り難いほど格好良い。そんな彼女にも悩みがあるとは、考えてもみなかった。
「だから、あまり畏まらずに、あの子にもフランクに接してあげてね」
志保にそう頼まれ、結は少し考えてから頷いた。
「……うんっ!」
⸻
■ 橘凛登場
それからしばらくして、入口のベルが鳴った。
扉をくぐってきたのは、長い黒髪をポニーテールに纏めた少女だった。小柄な結とは頭一つ近く背丈が違い、すらりと伸びた手足が目を引く。
整った目元には鋭さがあり、制服姿にも隙のない身のこなしが感じられた。
橘凛だった。
「お待たせ〜、志保さん!」
店の奥に志保を見つけた凛は、軽く手を振った。だが、席へ近付いて結の姿を認めると、足を止めた。
「あれ? その子は……」
「紹介するわ! 瀬戸結さん。貴女と同じ、県立今治魔導技術学院の二年生よ」
結は慌てて居住まいを正し、頭を下げた。
「よ、宜しくね! 橘さん!」
「……宜しく」
凛は少しだけ視線を逸らして答えると、志保の隣へ腰を下ろした。
結は顔を上げ、その姿にまた目を奪われた。
(近くで初めて見たけど、背が高いし……すごく美人で、カッコいい……)
遠くから見かけた時よりも、ずっと綺麗な人だった。何気なく座っているだけなのに、姿勢が良く、ポニーテールから覗く横顔も凛々しい。
つい見つめていると、その視線に気付いた凛が眉を寄せた。
「……何?」
「い、いえ、別に!!」
「……そう」
結は慌てて目を逸らした。
不躾に見てしまっただろうか。折角紹介して貰ったのに、早々に嫌な思いをさせたかもしれない。
何を話せば良いか分からず俯きかけた時、先程の志保の言葉が頭をよぎった。
――自分には、なかなか友達が出来ない。
自分もまた、凛の評判や見た目に気を取られて、上手く話せなくなっている。これでは、志保に頼まれたばかりなのに、同じ事を繰り返してしまう。
結は膝の上で両手を握り、思い切って顔を上げた。
「たっ、橘さん!!」
「な、何?」
勢いに驚いた凛へ、結は頭を下げた。
「橘さん、本当にごめんなさい!!」
「へ? な、何で謝るの?」
「私ね、橘さんに見とれてたの。背が高いし、すごく美人でカッコいいって思っちゃったんだ」
「んなっ!?」
凛の顔が、みるみる赤くなった。
だが、必死になっている結には、その変化を気にする余裕がなかった。
「だけど、だけどね! そのせいで、橘さんを不快にさせちゃったかなって……!」
謝りたかったはずなのに、口を開くほど言葉が絡まっていく。それでも、これだけは伝えようと、結は真っ直ぐに凛を見つめた。
「あ、あの、私、私は……橘さんと、お友達になりたいっ!!」
「え……ええっ!?」
凛は完全に言葉を失った。
初めて話す相手から、突然謝られたかと思えば、美人だの格好良いだのと言われ、今度は友達になりたいと頼まれている。
どう返せば良いのか分からず、思わず隣を見た。
志保は、ニコニコしながら二人を眺めていた。
その笑顔を見た途端、凛の目が据わった。
「し〜ほ〜さ〜ん!!」
「あら、何かしら?」
「もう、一体この子に何を吹き込んだのよっ!!」
「いやだわ〜。吹き込んだなんて心外ねぇ」
志保はくすくすと笑った。
「私、貴女の心の声を代弁しただけよ?」
「志保さんは読心術式の使い手か何かなのっ!? どうせ、あたしに友達がいないとか何とか吹き込んだんでしょ!?」
「あら? 自覚あるんじゃない。うふふ」
「〜〜〜っ!!」
凛は声にならない声を漏らし、ますます顔を赤くした。
「あ、あたしは進んで一人になってるのっ! と、友達なんて、その……」
言いかけて、凛は結に目を向けた。
結は二人のやり取りに口を挟めず、不安そうに返事を待っていた。つい勢い込んでしまったものの、凛が迷惑に思っているなら、どうしようもない。
凛はその顔を見ると、言葉を止めた。
少しの間、視線が合った。やがて先に目を逸らしたのは、凛の方だった。
「……ま、まぁ? 考えなくもないけど……」
小さな返事に、結が顔を明るくする。
だが、それより先に、志保が嬉しそうな声を上げた。
「さすが結さん! この子の天岩戸をこじ開けるなんて、私の見込んだ通りだわ!」
「えっ!? あ、あの〜、これってどういう?」
結は戸惑いながら、二人を見比べた。
凛は深々と溜息を吐いた。志保に何を言っても無駄だと悟ったように、今度は結へ向き直る。
「……瀬戸さんと言ったわね」
「う、うん」
「ごめんね。あんた、志保さんに担がれたのよ」
「ええ〜〜〜〜っ!!」
結の声が、静かな純喫茶に響き渡った。
向かい側では、凛がまだ赤い顔で頬杖をつき、その隣で志保が楽しそうに笑っていた。
To be Continued…




