Episode 01 『蒼き少女』
■ 今治銀行襲撃事件
夕暮れが近付き始めた今治市内。駅前通りは、仕事帰りの人々や買い物客で賑わっていた。
大型ビジョンでは中央魔導局の防犯CMが流れ、その向こうの空中広告には最新式魔導デバイスの映像が浮かんでいる。街の上空を静かに巡回する空路管理用ドローンにも、わざわざ足を止めて見上げる者はいない。
魔法は、既に人々の日常に溶け込んでいた。
その穏やかな通りに、突然、悲鳴が響き渡った。
「きゃああああっ!!」
銀行の正面玄関が爆炎と共に吹き飛び、砕けたガラスが歩道へ降り注ぐ。続いて建物の奥から金属の軋む音が響き、防火シャッターが無残にひしゃげた姿を晒した。侵入者を閉じ込めるはずのそれも、強力な攻撃術式には耐えられなかったのだ。
通行人達が悲鳴を上げて逃げ出す中、警備用術式が激しく明滅し、非常警報が鳴り響く。
『警告。強制術式干渉を確認。中央魔導局へ自動通報を開始します』
機械的な警告を意にも介さず、立ち込める煙の中から複数の男達が現れた。
手にしているのは違法魔導杖や魔導具。そして、銀行から奪った大量の現金入りケースだった。魔法を犯罪に使う彼らは、正規の資格を持たないノーライセンス魔導師である。
「とっととずらかるぞ!」
「へへ、これだけの大金がありゃ、しばらくは遊んで暮らせるぜ!」
男達は笑いながら、近くに停めてあった魔導バイクへ向かった。浮遊術式が起動し、違法改造された機体が低い駆動音と共に路面から浮き上がる。
だが、その進路を塞ぐように、一人の少女が立っていた。
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■ 蒼き少女
「い……行かせません!」
少女は夕陽を背に、両手で魔導スマホを構えていた。
県立今治魔導技術学院の制服を身に着けた、小柄な少女だった。茶色いボブヘアに縁取られた顔には、まだどこか幼さが残っている。それでも、男達を見据える瞳は真っ直ぐだった。
「何だ? このガキャあ!?」
先頭の男が眉をひそめると、その隣にいた男が鼻で笑った。
「フン……怪我したくなければ、そこをどきな!」
少女――瀬戸結は、一歩も退かなかった。
ただし、平気な訳ではない。スマホを握る指には力が入り過ぎ、踏ん張っているはずの足も震えていた。目の前にいるのは、実際に銀行を襲い、その玄関を吹き飛ばした犯罪魔導師達なのだ。
少し前まで、結も通りを歩く人々の一人に過ぎなかった。それなのに今は、彼らの視線も、手にした魔導杖も、自分へ向けられている。
逃げたいと思った。それでも、このまま行かせてはいけないという思いが、結をその場に踏みとどまらせていた。
「あなた達、恥ずかしくないんですか?」
震えそうになる声を押さえ込み、結は訴えた。
「魔法をそんな風に悪事に使うなんて!」
男達は一瞬、顔を見合わせた。だが、すぐにその口元が嘲笑に歪む。
「……お嬢ちゃん、二つ良い事を教えてやるよ」
男が持ち上げた魔導杖の先端に、赤い光が集まり始めた。
「力は使ってなんぼなのと――」
その光が炎へ変わるのを、結は息を詰めて見つめた。
「下手な正義感は怪我の元だってな!」
詠唱もなく組み上げられた術式が発動し、炎弾が結へ放たれた。
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■ 初めての魔法
「っ!!」
結は反射的に魔導スマホを掲げた。
迫ってくる炎を前に、心臓が激しく脈打つ。頭の中が真っ白になりかけるのを必死に堪え、学院で習った術式制御を思い出した。
(落ち着いて……! 魔力の流れをイメージして……!)
震える両手でスマホを支え、術式へ魔力を流し込む。
「防御術式!!」
淡い青色の防壁が、結の前に展開された。
直後、炎弾が激突する。視界いっぱいに炎が広がり、結は思わず肩を竦めた。それでもスマホを下ろさずにいると、青い防壁の向こうで炎が弾け、左右へ散っていった。
頬を掠めた熱風が髪を揺らしたが、痛みはない。
自分が無事だと分かるまでに、一瞬、間があった。
「で、出来た!!」
思わず声が弾む。だが、男は怯むどころか、興味を引かれたように口元を歪めた。
「……ほう。嬢ちゃんは魔導師のタマゴって訳か」
男が改めて魔導杖を構え、今度は詠唱を始めた。
杖へ集束する魔導光は、先程よりも明らかに強い。膨れ上がる炎の周囲で空気が揺らぎ、アスファルトの焦げる臭いが漂ってきた。
結の喜びは、たちまち消え失せた。
同じ防御術式で、あれも防げるのだろうか。考えようとしても、今しがた炎弾を受け止めた時の衝撃ばかりが思い出される。
「だったら、これならどうだ!」
巨大な炎弾が放たれ、通りを赤く照らした。
結は咄嗟に横へ飛び退いた。足がもつれそうになりながらも射線から外れた、その直後――背後で凄まじい爆発音が響き渡った。
炎弾が直撃したのは、男達が逃走に使うはずの魔導バイクだった。
浮き上がっていた機体が火柱に包まれ、路面へ叩き付けられる。火花と魔導粒子を撒き散らした残骸を見て、撃った男が目を剥いた。
「なっ!? 俺の魔導バイクがーーー!!」
「このガキ……最初からこれを狙ってやがったな!」
結は荒い息を整えながら、男達へ向き直った。
「……もう逃げられませんよ?」
どうにか言い切ったものの、スマホを握る手はまだ震えていた。
本当は、避けるだけで精一杯だった。背後のバイクを狙わせる余裕など、あるはずもない。
だが、今さら偶然だと言い出せる空気でもなかった。
「てめぇ!! こうなったら消し炭にしてやるよ!」
怒声を浴びせられ、結は再びスマホを構えた。
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■ 紫電
男が、焼け落ちた魔導バイクを背に詠唱を始める。
今度は結にも、その違いがはっきりと分かった。魔導杖から溢れる赤黒い光が周囲を染め、集束する炎は先程以上の大きさへ膨れ上がっていく。
肌を刺す熱気に、結の顔から血の気が引いた。
(まずい……!)
避けなければ。そう思うのに、足が動かない。
男が魔導杖を突き出した。膨れ上がった炎が解き放たれ、結へ迫る。
もう間に合わない。
結がそう思った瞬間、澄んだ声が響いた。
「干渉術式」
巨大な炎弾が、空中でほどけるように霧散した。
結は身構えたまま、目の前の空間を見つめた。覚悟していた衝撃は来ない。炎も、それを形作っていた魔導光も、跡形なく消えていた。
「ば、馬鹿な!! 術式キャンセルだと!?」
声のした方へ、男達が一斉に振り返る。
通りの向こうから、一人の女性が歩いてきた。
黒を基調とした現代風の魔導コートを纏い、長い黒髪を揺らしている。夕陽に輪郭を縁取られたその身体には、淡い紫の光が漂っていた。
口元には妖艶な微笑みを浮かべているが、男達に向ける眼差しは冷たい。
「馬鹿は貴方達だわ」
女性は静かに言った。
「こんな年端も行かない子にそんな魔法を放つなんて。恥を知りなさい」
「お、お前は!?」
彼女の姿を認めた男達の顔が、見る間に強張っていく。
「まさか、『紫電』!?」
その名に、結も目を見開いた。
(紫電!? あの有名な!?)
中央魔導局最強と謳われる魔導師。世界に七人しか存在しないS級の一人であり、魔法を学ぶ学生なら、その名を知らない者はいない。
その『紫電』――水野志保が、今、自分の目の前に立っていた。
「あらあら。貴方達みたいな無法者には、あまり私の事を知って欲しくはないのだけれど」
志保が小さく微笑むと、その肩口に黒猫の姿が浮かび上がった。
「それこそ無理というものでしょう、マスター」
金色の瞳を輝かせる黒猫は、当然のように言葉を返した。実体のないその身体を見て、結は思わず視線を奪われる。
(黒猫型のホログラムAI!?)
だが、その姿をゆっくり眺めている間はなかった。
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■ 圧倒的実力差
「て、てめぇ!!」
男達が慌てて魔導杖を向ける。その動きを見ても、志保の微笑みは揺らがなかった。
「高速移動術式」
次の瞬間、彼女の姿が結の視界から消えた。
「――え?」
結が瞬きをした時には、志保は既に男達の背後に立っていた。
どこを、どう通ったのかさえ分からなかった。遅れて吹き抜けた風に黒髪が揺れ、ようやく彼女が通りを駆け抜けたのだと気付く。
男達は、まだ志保が立っていた場所へ杖を向けていた。
「拘束術式」
志保の声に応じて、紫の光輪が男達の周囲へ展開する。振り返る暇すら与えず、その身体へ次々と絡み付いた。
「ぐあっ!?」
「な、何だこれ!?」
もがこうとした男の腕が胴へ押し付けられ、踏み出しかけた足も纏めて拘束される。魔導杖が路面へ落ちる音に続き、男達は次々と地面へ転がった。
ほんの数秒だった。
先程まで結を追い詰めていた犯罪魔導師達が、今は誰一人、立ち上がる事さえ出来ずにいる。
「す、凄い……」
結はスマホを握ったまま、呆然と呟いた。
魔法も、身のこなしも、学院で目にしてきたものとは桁が違う。それなのに志保は、息を乱す様子すら見せていなかった。
夕陽を背に立つその姿は、結にはまるで、物語の中から現れた魔女のように見えた。
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■ 運命の出会い
やがて中央魔導局の車両が到着し、銀行前は慌ただしくなった。
青白い術式灯の下で局員達が現場を封鎖し、拘束された男達を引き取っていく。壊れた玄関や魔導バイクの周囲では、飛散した魔導残滓の回収も始まっていた。
簡単な事情聴取を終えても、結にはまだ、先程の出来事が現実だという実感が薄かった。両手に残る強張りを確かめるように指を動かしていると、志保が傍へ歩み寄ってきた。
「ごきげんよう。可愛い未来の魔導師さん。うふふ」
結は慌てて顔を上げた。
犯人達へ向けていた冷たい眼差しは、もうどこにもない。柔らかな笑顔を間近にして、今度は別の緊張に背筋が伸びた。
「こ、こんにちは……あの……あなたが、あの有名な『紫電』なんですか?」
「あら。貴女みたいな子に私を知って貰えるのは光栄ねぇ♡」
「マスター。言っている事が、先程の犯人達とは真逆です」
肩口の黒猫がすかさず口を挟むと、志保は軽く唇を尖らせた。
「もう! kuroさんったら、いけずだわ」
「クスクス……」
結は思わず吹き出した。
圧倒的な魔法を使うS級魔導師と、遠慮なく言葉を返す黒猫。そのやり取りを見ているうちに、強張っていた肩から少しずつ力が抜けていった。
志保も微笑んだが、やがて結の顔を見つめ、少しだけ声を改めた。
「それにしても……駄目よ。貴女のような子が、あんな無茶しちゃ!」
「あう……ご、ごめんなさい」
結は小さくなって俯いた。
止めなければと思って飛び出したものの、志保が来てくれなければ、どうなっていたか分からない。今になって、その怖さが胸に迫ってきた。
「……でも」
柔らかな声に、結が顔を上げる。
志保は少し屈んで、結と視線を合わせていた。紫色の瞳が、今度は優しく細められる。
「貴女のお陰で、思った以上に早く事件が片付いたわ。ありがとうね。うふふ」
その笑顔に、結の胸が高鳴った。
先程は、ただ圧倒されるばかりだった。けれど今、目の前にいる人は、無茶をした自分を叱り、その上で感謝まで伝えてくれている。
(とても優しくて、綺麗な人……)
結が見入る一方で、志保もまた、目の前の少女に驚きを覚えていた。
(凄いわ、この子……)
間近で感じ取れる魔力は、先程の未熟な防御術式から受ける印象とは、大きくかけ離れていた。
制御はまだ甘い。実戦に慣れていない事も、先程の様子を見れば明らかだった。だが、その内側に秘めている魔力量は、この年代の学生としては桁違いだ。
S級魔導師である志保だからこそ、結自身さえ知らない、その大きさが分かった。
「?……あの……」
遠慮がちな声に、志保はハッと我に返った。
「うふふ、ごめんなさい。私とした事が、貴女があまりに可愛いものだから見とれちゃったわ」
「あ、ありがとうございます! 紫電さん?」
頬を赤くした結が、おずおずとそう呼ぶ。志保はそこで、まだ互いの名を伝えていない事に気付いた。
「ああ、自己紹介がまだだったわね」
胸へ優雅に手を当て、改めて名乗る。
「私は中央魔導局嘱託S級魔導師、『紫電』水野志保よ。それで、貴女のお名前は?」
「あ、はい。私は県立今治魔導技術学院二年の、瀬戸結と言います!」
その名を聞いた瞬間、志保の瞳が揺れた。
(瀬戸!? まさか、『大海』の!?)
思わず結の顔を見つめ直す。そんな志保の反応に、結は不思議そうに首を傾げた。
「?……あの……水野さん?」
「……ああ、ごめんなさいね。私ったら可愛い子に弱いのよ。うふふ」
「……マスターにそんな趣味があったなんて、驚きです」
取り繕った志保へ、kuroが淡々と言葉を差し込んだ。
「……kuroさんは相変わらず一言余計ねぇ。後でちゅ〜るあげないわよ?」
「要りませんし、私は食べられません」
即答され、志保は一つ咳払いした。結は二人の顔を交互に見ながら、また笑いそうになるのを堪えていた。
「それはともかく、可愛いお名前ねぇ。結さんって呼んでも良いかしら?」
「良いですよ! あの……水野さん」
「あらあら、私とした事が……志保って呼んで頂戴な」
「!!……それじゃあ、志保さんで」
憧れのS級魔導師を名前で呼ぶのは、少し気恥ずかしかった。結が控えめにそう呼ぶと、志保は嬉しそうに微笑んだ。
「……本当は、さんも要らないんだけど。まあ良いわ。それじゃあ結さん」
「はい」
「お時間はあるのかしら?」
「はい。今は放課後ですし」
「そうなの!」
志保の声が弾んだ。
「それじゃあ……これから私とお茶しない?」
「はい! って、ええっ!?」
勢いで頷いてから、結は思わず聞き返した。
ほんの少し前まで、その名を知っているだけの人だった。助けて貰い、言葉を交わしただけでも信じられないのに、今度はお茶に誘われている。
戸惑う結を前に、志保は楽しそうに微笑んでいた。
瀬戸内海から吹き込む夕風が、二人の髪を揺らす。騒ぎが収まり始めた通りには、少しずつ人々の足音が戻ってきていた。
水野志保と、瀬戸結。
後に瀬戸内を震撼させる事となる二人の出会いは、夕暮れの今治で、こうして始まった。
To be Continued…




