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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【獣王国ディアナ編】第4章 大獣技場

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第86話 七つの色

 俺はまだ、セレーネがどれほど強いのか。


 本当の意味では、何も知らない。


 そのことを考えながら通路を抜けた瞬間、耳を打った歓声に思わず顔をしかめた。


 さっきまでジンとコタロウが戦っていた大獣技場は、すでに次の試合を待つ空気へ切り替わっている。


 観客席を埋め尽くす獣人たちの声が、壁を伝って腹の底まで響いてきた。


 準決勝、第一試合。


 ここまで来れば、残っているのは四人だけだ。


 俺。


 セレーネ。


 ゴクウ。


 ジン。


 そのうち二人が、今からここで戦う。


「……行く」


 隣から聞こえた声に振り向く。


 セレーネはそれだけ言って、先に歩き出した。


「ああ」


 短く返して、俺も続く。


 別に気まずいわけじゃない。


 いつも通りだ。


 少なくとも、セレーネは。


 俺の方はというと――少しだけ変な感じがしていた。


 これまで一緒に旅をしてきた。


 魔物と戦うところも見た。


 誘拐された獣人たちを助けた時には、こいつが複数の属性を使うところだって見ている。


 昨日の予選も、今日のネヴィル戦もそうだ。


 強い。


 それは知っている。


 でも、考えてみれば。


 俺は一度も、セレーネが本気で俺に魔法を向けるところを見たことがない。


 当然だ。


 仲間なんだから。


 なのに、今からそれをやる。


 通路の先で光が広がる。


 先に出たセレーネの銀髪が、その光を受けて白く輝いた。


 俺もその後を追って試合場へ出る。


 歓声が、一段大きくなった。


『さあああああッ! いよいよ準決勝だァッ!』


 実況の声が大獣技場を揺らす。


『まずはこの男! 昨日の予選を突破し、今日の本戦ではAランク冒険者アルベルト・レイスを撃破! しかもその戦いで、火、水、風、土――そして木! 五つの属性を操ることが判明した、とんでもねえ新人だァ! 真白ォォォ朝陽ォォォッ!』


 やめてくれ。


 改めて大声で言われると、ものすごく居心地が悪い。


 観客席から降ってくる声を聞きながら、俺は試合場の中央へ向かった。


『対するはァ! こちらも五属性! 小さな身体からは想像もつかない魔法をぶっ放し、ここまで勝ち上がってきた銀髪の少女! セレェェェネェェェッ!』


 歓声。


 その中で、セレーネは何の反応も見せない。


 少しは手を振るとかないのか。


 ……ないな。


 セレーネだし。


 俺たちは試合場の中央付近で足を止めた。


 距離を取る。


 正面から向き合う。


 セレーネの右手が、静かに持ち上がった。


 それだけで空気が変わった気がした。


 俺も剣の柄へ手を置く。


 さっきまで隣を歩いていた相手が、今は真正面にいる。


 もう言葉はいらない。


 どちらも、ここまで勝ち上がってきた。


 そして次へ進めるのは、一人だけだ。


 審判が俺たちを交互に確認する。


「両者、準備はいいな?」


「ああ」


「……うん」


 観客席が静まっていく。


 完全に静かになったわけじゃない。


 何千人いるのか分からない観客が一斉に息を潜めたせいで、むしろ小さなざわめきが妙にはっきり聞こえる。


 俺は息を吐いた。


 セレーネを見る。


 小柄な身体。


 細い腕。


 何も知らなければ、とても戦う人間には見えない。


 けれど。


 魔力を感じ取れるようになった今なら分かる。


 静かだ。


 静かすぎる。


 身体の中を巡る魔力に、ほとんど乱れがない。


 俺が魔法を使う時は、もっと意識して流れを作る。


 集めて、形を決めて、属性へ変えて、放つ。


 セレーネには、その境目が見えない。


「――始め!」


 地面を蹴った。


 同時に剣を抜く。


 まずは距離を詰める。


 魔法だけで正面からやり合う必要はない。


 俺には剣がある。


 アルベルトとの戦いで覚えたことだって――


「《タイダルウェイブ》」


「うおっ!?」


 いきなりかよ!


 セレーネの前方に大量の水が生まれた。


 壁みたいに盛り上がったそれが、一気に押し寄せてくる。


 俺は咄嗟に足を止め、剣を振る。


「《エアスラッシュ》!」


 風の刃を叩き込む。


 真正面から波を割る。


 水飛沫が爆発するように散り、視界が白く染まった。


 その向こう。


 何かが光った。


「《フレイムランス》」


「っ!」


 炎の槍が水飛沫を突き破る。


 身体を捻る。


 頬の横を熱が抜けた。


 避けた。


 そう思った瞬間、その後ろから二本目。


「マジかよ!」


 剣で払う。


 炎が弾け、腕に衝撃が走った。


 さらに三本目。


 今度は低い。


 跳ぶ。


 ――違う。


 誘われた。


 空中に出た俺の視界に、セレーネの右手が見えた。


「《エアスラッシュ》」


 風の刃。


 空中じゃ避けられない。


「《フォレストウォール》!」


 地面から伸びた木が俺の前へ迫り上がる。


 風刃がぶつかり、木片が散った。


 その反動を使って身体を捻り、着地する。


 間髪入れず横へ走った。


「ちょっと待て! 速くない!?」


「……待たない」


「知ってる!」


 今の数秒だけで水、火、風。


 しかも全部、ほとんど間がなかった。


 俺が一つに対応している間に、次が来る。


 魔法の威力だけじゃない。


 切り替えが速すぎる。


 俺が知っている魔法使いの戦い方とは違う。


 いや。


 そもそも俺は、こんな魔法使いと戦ったことがない。


 アルベルトは槍が中心だった。


 魔法は武器と身体を補助し、戦い全体を完成させるためのもの。


 セレーネは違う。


 魔法そのものが手足だ。


 考えてから使っているように見えない。


 俺が走る。


 セレーネの手が動く。


「《ソーンバインド》」


 足元から棘のついた蔓が飛び出した。


 跳ばない。


 さっきと同じことになる。


 剣へ魔力を流す。


 アルベルト戦で掴んだ感覚。


 刃へ風を纏わせる。


「っ!」


 一閃。


 迫る蔓をまとめて斬る。


 そのまま踏み込んだ。


 十メートル。


 八。


 六。


 いける。


「《グランドスパイク》」


「っ!」


 地面が隆起する。


 正面じゃない。


 右。


 左へ飛ぶ。


 そこにも地面の震え。


 読まれてる。


 なら――


「《バーニングウェイブ》!」


 炎を前方へ放つ。


 地面から突き出そうとしていた土の棘を炎が呑み込み、その向こうのセレーネへ迫った。


 セレーネが手を向ける。


「《タイダルウェイブ》」


 水と炎がぶつかった。


 爆発的な蒸気が広がる。


 また視界が消える。


 でも、今度は分かってる。


 来る。


 俺は止まらない。


 蒸気の中へ飛び込んだ。


 魔力の気配を探す。


 正面――いや、左。


 剣を振る。


 金属じゃない。


 何か硬いものを斬った。


 土だ。


 目の前に土壁。


 セレーネじゃない。


「後ろ」


「え?」


 振り向いた瞬間。


「《ウィンドボール》」


「ぐっ!」


 圧縮された空気が腹に直撃した。


 身体が浮く。


 そのまま数メートル転がった。


「いってぇ……!」


 すぐに起き上がる。


 痛い。


 でも動ける。


 威力を落とした?


 いや。


 違う。


 今のは単純に、俺を吹き飛ばすための魔法だ。


 セレーネは俺が蒸気へ突っ込んでくると読んでいた。


 土で偽物の気配を作った――わけじゃない。


 俺が勝手に魔力の強い方へ向かっただけだ。


 そこへ壁を置いて、自分は移動。


 俺が振り向く瞬間に撃った。


「……強いな」


 思わず口から出た。


「知ってる」


「そこは謙遜しろよ」


「……事実」


 相変わらずだな。


 でも。


 笑ってる場合じゃない。


 剣を構え直す。


 セレーネはほとんど動いていない。


 俺が走って。


 避けて。


 斬って。


 吹き飛ばされて。


 その間、あいつは必要な分だけ位置を変えただけ。


 これが魔法使い。


 そう言われれば、それまでだ。


 けど。


 だったら。


 俺も付き合ってみるか。


 剣先を下げた。


 セレーネの目がわずかに細くなる。


「……来ないの?」


「行っても近づけないからな」


「そう」


「だから、こっちでやる」


 左手を前へ。


 魔力を集める。


「《バーニングウェイブ》!」


 炎が走る。


「《タイダルウェイブ》」


 また水。


 ぶつかる。


 蒸気。


 でも今回は、それでいい。


「《グランドスパイク》!」


 セレーネの足元へ土の棘を走らせる。


 セレーネが横へ動いた。


「《エアスラッシュ》!」


 逃げた先へ風刃。


「《フォレストウォール》」


 木の壁が立ち上がり、風を受け止める。


 なら。


「《バーニングウェイブ》!」


 燃やす。


 木壁が炎に包まれる。


 セレーネの姿が消えた。


 回り込むはず。


 俺は右を見た。


 いない。


 左。


 ――上。


「《アクアランス》」


 頭上から水の槍が落ちてきた。


「うそだろ!」


 横へ転がる。


 水槍が地面を穿った。


 顔を上げる。


 風。


 セレーネの足元に風が渦巻いている。


 ほんの一瞬だけ身体を浮かせたのか。


「そんな使い方もありかよ……」


「魔法だから」


「答えになってないって」


 でも。


 見えた。


 今の風。


 俺なら、魔法は撃つものとして考える。


 アルベルトと戦って、ようやく武器へ纏わせることを覚えた。


 セレーネはもっと自由だ。


 風なら飛ばす。


 身体を動かす。


 軌道を変える。


 火なら焼く。


 牽制する。


 視界を奪う。


 水なら撃つ。


 流す。


 押す。


 土なら守る。


 突き上げる。


 足場を変える。


 木なら止める。


 壁にする。


 相手の進路を限定する。


 属性を一つの技として見ていない。


 だから速い。


 次に何を使うかじゃない。


 今、何が必要か。


 そこから逆算して魔法を選んでる。


「……なるほど」


「?」


「いや。ちょっと分かった」


 セレーネが首を傾げる。


 俺は剣を握り直した。


 今度は剣へ火を流す。


 赤い炎が刃を包む。


 観客席から歓声が上がった。


 アルベルト戦で見せたものだ。


 もう隠す必要はない。


 踏み込む。


 セレーネが水を放つ。


 真正面から受けない。


 風を足元へ。


 ほんの少し。


 身体が軽くなる。


「うおっ……!」


 危なっ。


 勢いがつきすぎた。


 でも。


 使える。


 水の横を抜ける。


 セレーネとの距離が一気に縮まった。


 剣を振る。


 セレーネが土壁を出す。


 炎を纏った剣が食い込む。


 硬い。


 なら、流す魔力を変える。


 火を消す。


 風。


 刃の周囲で空気が唸る。


「はっ!」


 振り抜く。


 土壁に亀裂。


 二撃目。


 砕けた。


 その向こうにセレーネ。


 初めて、近い。


「取った!」


 剣を止められる位置へ振る。


 もちろん斬る気はない。


 肩口。


 そこへ刃を届かせれば――


「《アクア》」


「は?」


 顔面に水をぶっかけられた。


「ぶっ!?」


 一瞬、目を閉じる。


 その瞬間、足を払われた。


「うわっ!」


 背中から地面へ落ちる。


 目を開ける。


 セレーネがすぐ横にいる。


 右手。


「《フレイムランス》」


「近い近い近い!」


 転がる。


 炎の槍が地面を焼いた。


 さらに転がる。


 二発目。


 三発目。


「お前絶対楽しんでるだろ!」


「……別に」


「その間が怪しい!」


 立ち上がる。


 息が上がっている。


 セレーネは――


 少しだけ。


 本当に少しだけ、口元が緩んでいた。


「笑ってんじゃねえか!」


「笑ってない」


「笑ってる!」


「気のせい」


 くそ。


 腹立つ。


 でも。


 なんだろう。


 俺も少し楽しくなってきた。


 怖い。


 普通に怖い。


 あいつの魔法、一発でもまともに食らったら終わる。


 なのに。


 今まで試したことのない使い方が、次々と頭に浮かぶ。


 セレーネがやったからじゃない。


 セレーネの戦い方を見ていると、魔法ってもっと自由でいいんじゃないかと思えてくる。


 俺は七属性を使える。


 ずっと隠してきた。


 人前では火だけ。


 それから少しずつ増えて。


 昨日までに四つ。


 アルベルト戦で木まで見せた。


 五つ。


 それだけでも、会場はあれだけ騒いだ。


 だから。


 残り二つは、まだ使っていない。


 使う必要がなかった。


 正確には――使わないようにしていた。


 でも。


 セレーネ相手に。


 そんな余裕があるか?


「朝陽」


「ん?」


「……考えすぎ」


 セレーネの前に炎が集まる。


 さっきまでとは違う。


 熱が。


 距離があるのに、肌へ届いた。


「おい……」


 炎が広がっていく。


 一点へ集める魔法じゃない。


 一定の範囲そのものを焼く。


 空気が歪む。


 観客席のざわめきが変わった。


 セレーネが静かに口を開く。


「《インフェルノ》」


 世界が赤く染まった。


「――っ!」


 考えるより先に走った。


 炎。


 炎。


 炎。


 前も横も赤い。


 バーニングウェイブとは規模が違う。


 波じゃない。


 範囲そのものが燃えている。


 逃げ道を探す。


 ない。


 なら。


「《タイダルウェイブ》!」


 水をぶつける。


 一瞬で蒸発した。


「マジか……!」


 それでも炎の勢いは弱まる。


 足りない。


 もう一発。


「《タイダルウェイブ》!」


 水。


 炎。


 大量の蒸気。


 熱い。


 腕で顔を庇う。


 それでも肌が焼けるように痛い。


 押し切れない。


 これが――


 B級。


 俺が今まで使ってきたC級とは、明らかに違う。


 魔力の量だけじゃない。


 範囲。


 維持。


 術そのものの密度。


 構築が違う。


 俺のタイダルウェイブ二発で、ようやく炎が薄れた。


 そこから飛び出す。


 息を吸う。


 肺が熱い。


「はぁ……っ、はぁ……!」


 セレーネを見る。


 平然としている。


「お前……それ、使えたのかよ」


「使える」


「先に言えよ」


「聞かれてない」


「そういう問題か?」


「……うん」


 絶対違う。


 観客席が騒がしい。


 さっきまでの歓声じゃない。


 どよめきに近い。


 当然だ。


 俺だって初めて見た。


 B級魔法。


 知識としては知っている。


 図書館で読んだ。


 練習だってした。


 でも、使えなかった。


 術式を作れても安定しない。


 必要な魔力を集めても、形が崩れる。


 C級までとは要求されるものが一気に変わる。


 だから今まで、実戦で使えるとは思っていなかった。


 セレーネは。


 それを普通に使った。


「……やっぱり強いな」


「だから、知ってる」


「二回目だぞ、それ」


 でも。


 今ので見えた。


 ほんの少しだけ。


 インフェルノが完成する直前。


 魔力の集まり方。


 広げ方。


 中心を作ってから範囲へ伸ばすんじゃない。


 最初から、燃やす範囲全体へ薄く魔力を置く。


 そこへ一気に火属性を通していた。


 俺がやっていたのは逆だ。


 一つの大きな炎を作って、広げようとしていた。


 だから崩れる。


 ……やってみるか?


 いや。


 試合中だぞ。


 失敗したら終わる。


 でも。


 今やらなかったら。


 いつやる。


「セレーネ」


「?」


「もう一回やって」


「……嫌」


「なんでだよ!」


「教える試合じゃない」


「それはそうだけど!」


 セレーネの手が上がる。


 今度は水。


 嫌な予感。


「《メイルストローム》」


「待て待て待て!」


 試合場に大量の水が生まれた。


 さっきのタイダルウェイブなんて比べものにならない。


 流れるだけじゃない。


 回る。


 巨大な渦。


 水が地面を這いながら俺の足を取る。


「うわっ!」


 踏ん張る。


 無理だ。


 流れが強すぎる。


 足元へ土。


「《グランドスパイク》!」


 土の棘を自分の横へ突き出し、腕を引っかける。


 身体が持っていかれるのを止める。


 でも水圧が重い。


 渦の中心が移動してくる。


 俺を巻き込むつもりだ。


「くっそ……!」


 どうする。


 風で散らす?


 無理だ。


 量が多すぎる。


 火。


 蒸発させるには足りない。


 土で壁。


 これも全部は止められない。


 木。


 根を張れば――


「《フォレストウォール》!」


 木々が伸びる。


 一本じゃない。


 自分の周囲を囲うように何本も。


 水を受ける。


 軋む。


 折れる。


 それでも流れが少し変わった。


 今だ。


 風を足元へ。


 跳ぶ。


 木の上。


 そこからさらに跳躍。


 渦の外へ。


 着地。


 膝をついた。


「はぁっ……!」


 顔を上げる。


 水が消えていく。


 試合場はもう滅茶苦茶だ。


 焼けた地面。


 抉れた土。


 折れた木。


 水浸しになった場所。


 これ、あとで怒られないよな?


 大会だし。


 たぶん大丈夫だ。


 たぶん。


 セレーネを見る。


「火と水……」


「……?」


「B級」


「うん」


「他も?」


 少しだけ間があった。


「使える」


「だよなぁ……」


 聞かなきゃよかった。


 いや。


 分かってたけど。


 でも。


 同時に。


 胸の奥が妙にざわついた。


 火。


 水。


 今の二つ。


 見た。


 魔力の量じゃない。


 作り方。


 セレーネは俺よりずっと上手い。


 なら。


 俺に足りないものが見える。


 俺は立ち上がった。


 剣を鞘へ戻す。


 観客席がざわめく。


 セレーネも俺の腰を見る。


「……剣、使わないの?」


「ああ」


「どうして」


「やってみたいことができた」


「……そう」


 セレーネは止めない。


 俺は両手を空けた。


 深く息を吸う。


 魔力を感じる。


 火。


 ずっと使ってきた属性。


 最初に覚えた魔法。


 イグニス。


 あの小さな火から始まった。


 今なら。


 セレーネがやったことを、そのまま真似するんじゃない。


 仕組みは見えた。


 範囲を決める。


 先に魔力を置く。


 そこへ属性を通す。


 いきなり広くするな。


 自分が制御できる範囲。


 十メートル。


 いや。


 五。


 そこから。


 俺は右手を前へ出した。


 魔力を広げる。


 薄く。


 均等に。


 難しい。


 中心が濃くなる。


 違う。


 散らす。


 消える。


 もう一度。


「……」


 セレーネが動かない。


 待ってる?


 いや。


 違う。


 俺が何をするのか見ている。


「朝陽」


「なんだよ」


「遅い」


「分かってる!」


 火が飛んできた。


「うわっ!」


 避ける。


 集中が切れた。


「お前!」


「試合だから」


「さっき教える試合じゃないって言ってたもんな!」


「うん」


 くそ。


 正論だ。


 なら。


 動きながらやる。


 セレーネから炎の槍。


 横へ。


 次。


 しゃがむ。


 走る。


 その間も魔力を広げる。


 消える。


 もう一度。


 狭く。


 今度は三メートル。


 維持。


 火。


 まだ。


 魔力の形が歪んでる。


 整える。


「《アクアランス》」


 水の槍。


 避ける。


 足元に蔓。


 斬れない。


 剣は鞘の中だ。


「《ウィンドカッター》!」


 風刃で切る。


 その瞬間、広げていた魔力が崩れた。


「ああ、もう!」


「……集中が散ってる」


「分かってるよ!」


「分かってない」


「じゃあ教えてくれよ!」


「嫌」


「だと思った!」


 観客席から笑い声が聞こえた気がした。


 こっちは必死なんだけど。


 でも。


 散ってる。


 セレーネの言う通りだ。


 魔法を作ることに意識を向けすぎて、攻撃されるたびに全部捨てている。


 セレーネは違う。


 魔法を維持したまま、次を作る。


 だったら。


 一つのこととして考えるから駄目なのか。


 走る。


 避ける。


 魔力を流す。


 全部、別々。


 右足を出すのに左足を意識しないのと同じ。


 ……そんな簡単にできるか?


 できない。


 でも。


 やる。


 水槍。


 避ける。


 魔力は捨てない。


 風刃。


 身体を沈める。


 まだ残ってる。


 土の棘。


 跳ぶ。


 魔力。


 維持。


「……っ!」


 できた。


 ほんの三メートル。


 歪んでる。


 薄い。


 でも。


 俺の周囲に魔力が残っている。


 そこへ。


 火を通す。


「《インフェルノ》!」


 ぼっ、と。


 炎が上がった。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 俺の周囲数メートルが炎に包まれる。


 すぐに消えた。


 セレーネが目を見開いた。


 観客席が静まる。


「……できた?」


 俺自身が一番信じられなかった。


 手を見る。


 焦げてない。


 ちゃんと俺の魔法だ。


「おい、今の――」


「不完全」


 即座に切られた。


「ちょっとくらい褒めろよ!」


「範囲が狭い。薄い。維持できてない」


「分かってるけどさ!」


「それに」


 セレーネの周囲へ魔力が広がる。


 嫌な予感。


「本物は、こう」


「お前ほんと負けず嫌いだな!?」


「《インフェルノ》」


 また炎。


 今度は分かる。


 さっきより早い。


 魔力を広げる工程がほとんど見えなかった。


 俺も魔力を展開する。


 さっきの感覚。


 忘れるな。


 狭くていい。


 まず維持。


 炎が迫る。


「《インフェルノ》!」


 火がぶつかった。


 俺の炎。


 セレーネの炎。


 同じ魔法。


 なのに。


「ぐっ……!」


 押される。


 当たり前だ。


 範囲も密度も違う。


 俺の炎が削られる。


 でも。


 消えない。


 さっきより長い。


 維持できてる。


「まだ……!」


 魔力を足す。


 広げるな。


 濃く。


 目の前だけでいい。


 押し返せなくても。


 耐えろ。


 炎と炎がぶつかり、熱風が吹き荒れる。


 視界が赤い。


 息が苦しい。


 それでも。


 俺の炎は残った。


 数秒。


 セレーネのインフェルノが消える。


 俺の炎も消えた。


「はぁ……はぁ……」


 魔力を使った。


 かなり。


 たった一回でこれか。


 B級。


 燃費悪すぎだろ。


 顔を上げる。


 セレーネが俺を見ていた。


「……一回で」


「ん?」


「なんでもない」


「言えよ」


「嫌」


 またそれか。


 でも。


 今、一瞬だけ。


 セレーネが驚いていた。


 たぶん。


 それだけで十分だ。


 俺は笑った。


「もう一個」


「?」


「水もやる」


「……欲張り」


「誰のせいだと思ってんだよ」


 今度は水。


 メイルストローム。


 大規模な渦。


 水を大量に出すだけじゃない。


 流れを作る。


 中心。


 回転。


 引き込む力。


 さっき巻き込まれながら感じた。


 俺は魔力を集める。


 セレーネが手を向ける。


「待ってくれないんだろ?」


「うん」


「だよな」


 なら。


 やりながら覚える。


 火が飛ぶ。


 避ける。


 風。


 相殺。


 蔓。


 焼く。


 魔力を水へ。


 地面に広げる。


 セレーネほどの量はいらない。


 まず形。


 水が生まれる。


 回す。


 遅い。


 もっと。


「《メイルストローム》!」


 水が渦を巻いた。


 小さい。


 せいぜい数メートル。


 それでも。


 成立した。


「よし!」


「……」


 セレーネが止まる。


 俺の足元で水が回っている。


 すぐに形が崩れ、地面へ広がった。


 でも。


 今度は確信できた。


 使えた。


 火。


 水。


 B級。


 まだ完成なんて言えない。


 実戦で安定して使えるかと聞かれたら、無理だ。


 でも。


 入口には立った。


『な、なんだこいつらァァァァッ!?』


 実況の叫びが響いた。


 遅れて、観客席が爆発した。


『B級だぞ!? 今のは間違いなくB級魔法! セレーネ選手だけじゃねえ! 真白朝陽! この試合の中で! 今! 使えるようになりやがったァァァッ!』


 やめろ。


 言われると恥ずかしい。


 というか。


 まだ全然安定してない。


 そんな大げさに言わないでほしい。


 俺は息を整える。


 セレーネは相変わらず静かだ。


 でも。


 さっきまでとは少し違う。


 目が。


 俺だけを見ている。


「……朝陽」


「ん?」


「次」


「え?」


 セレーネが両手を下ろす。


 地面へ魔力が流れた。


 何か来る。


 しかも。


 今までより大きい。


 試合場全体の地面が震え始める。


「おいおい……」


「《グランドルート》」


 地面が割れた。


 巨大な根。


 一本じゃない。


 何本も。


 人の身体より太い根が、地面を突き破って次々と現れる。


 試合場を這い。


 持ち上げ。


 砕き。


 俺へ向かってくる。


「これもB級かよ!」


 走る。


 根が追う。


 右から。


 跳ぶ。


 正面。


 風で身体をずらす。


 背後。


 振り返らず走る。


 根同士がぶつかり、地面が揺れる。


 規模がおかしい。


 逃げ続けても終わらない。


 なら。


 俺も。


 木。


 グランドルート。


 巨大な根を地中から伸ばす。


 フォレストウォールとは違う。


 壁を作るんじゃない。


 地面の下へ。


 魔力を通す。


 広く。


 深く。


 地面の中は見えない。


 でも感じる。


 セレーネの魔力が根を伸ばしている。


 あの流れ。


 追う。


 俺の魔力を重ねる。


「っ……!」


 難しい。


 火や水とは違う。


 自分から離れた場所で形を作る。


 セレーネの根が迫る。


 あと数秒。


 間に合え。


「《グランドルート》!」


 地面が割れた。


 俺の目の前から一本の巨大な根が飛び出す。


 細い。


 セレーネのものよりずっと小さい。


 それでも。


 正面からぶつかった。


 轟音。


 俺の根が折れる。


 でも軌道が逸れた。


 巨大な根が俺の横を通り過ぎる。


「っしゃ!」


 思わず声が出た。


 火。


 水。


 木。


 三つ。


 まだ不完全。


 でも。


 B級。


 セレーネを見る。


 今度こそ。


 はっきり分かった。


 驚いている。


 ほんの少し目を見開いているだけだけど。


 俺には分かる。


「どうだ」


「……なにが」


「ちょっとくらい驚けよ」


「驚いてる」


「分かりにくいんだよ!」


「そう」


 そして。


 セレーネの魔力が変わった。


 今度は風。


 空気が動く。


 試合場に散っていた水が揺れる。


 木の葉が舞う。


 砂埃が巻き上がる。


 俺の髪が強く引っ張られた。


 まだ。


 上がるのか。


 セレーネは俺を見たまま、静かに言った。


「……まだやる?」


「当たり前だろ」


「そう」


 風が強くなる。


 俺は構える。


 その時。


 観客席の一角から、聞き覚えのある声が飛んできた。


「朝陽ー! 負けるなー!」


 シウン。


 でかい声だな。


 どこにいるか見なくても分かる。


 その近くで、たぶんミニムスも何か叫んでいる。


 聞き取れない。


 まあいい。


 今は。


 目の前。


 セレーネだけ見ていればいい。


「来い」


 俺が言う。


 セレーネが手を上げる。


 風が集まる。


 さっきまでとは比較にならない密度。


 B級。


 たぶん。


 次も。


 俺は笑った。


 怖い。


 でも。


 見たい。


 次を。


 セレーネが知っている魔法を。


 俺がまだ知らない使い方を。


 そして。


 できるなら。


 全部。


 俺のものにしたい。


「……欲張り」


 考えていたことが顔に出たのか、セレーネが呟いた。


「悪いかよ」


「別に」


 セレーネの銀髪が風に揺れる。


 その右手に、圧縮された風が集まっていく。


 俺も魔力を巡らせる。


 火。


 水。


 木。


 今まで使えなかった領域へ、少しだけ手が届いた。


 なら。


 残りも。


 風。


 土。


 そして――


 まだ人前では一度も使っていない、二つ。


 光。


 闇。


 そこまで考えたところで。


 セレーネの視線が、俺の目を真っ直ぐ射抜いた。


「朝陽」


「なんだ?」


「まだ、隠してる」


 心臓が跳ねた。


「……何のことだよ」


「分かる」


 セレーネの声はいつも通りだった。


 責めるでもない。


 問い詰めるでもない。


 ただ。


 確信している。


「五つで終わりじゃない」


 観客には聞こえない程度の声。


 俺は答えなかった。


 セレーネも、それ以上聞かなかった。


 代わりに。


 右手へ集めていた風を消した。


「……?」


 何を――


 そう思った瞬間。


 セレーネの掌に。


 白い光が灯った。


「え」


 一瞬。


 何の属性なのか理解できなかった。


 いや。


 知っている。


 図書館で見た。


 自分でも使ったことがある。


 だからこそ。


 信じるのに時間がかかった。


 光。


 火でも。


 水でも。


 木でも。


 風でも。


 土でもない。


 六つ目。


 光属性。


 観客席の一部がざわついた。


 気づいた者から声が消えていく。


 俺は。


 たぶん、間抜けな顔をしていた。


「お前……」


「……なに」


「光も、使えるのか?」


「使える」


 平然と言う。


「いや、待て。じゃあ六属性――」


「朝陽」


 セレーネが俺の言葉を遮った。


 そして。


 白い光を灯したまま。


 反対の手を上げる。


 その掌へ。


 黒い魔力が集まった。


 空気が。


 変わった。


 白と黒。


 光と闇。


 セレーネの左右の手に、相反する二つの属性が同時に存在している。


 頭の中で数える。


 火。


 水。


 木。


 風。


 土。


 光。


 闇。


 七。


「……は?」


 声が漏れた。


 大獣技場が静まり返る。


 誰も叫ばない。


 実況すら。


 一瞬、言葉を失っていた。


 俺も同じだ。


 七属性。


 俺以外に。


 いる。


 目の前に。


 セレーネが。


 七つ全部を。


「……嘘だろ」


「嘘じゃない」


「お前……七つ……?」


「うん」


 さらっと言いやがった。


 俺がどれだけ隠してきたと思ってる。


 初めて自分が全部使えると知った時。


 おかしいと思った。


 人に知られちゃいけないと思った。


 だから火だけにした。


 それから。


 少しずつ。


 必要に迫られて。


 今日、とうとう五つまで知られた。


 なのに。


 こいつは。


 目の前で。


 七つ。


 全部。


 俺の顔を見て。


 セレーネが少しだけ首を傾けた。


 そして。


「……自分だけ特別だと思った?」


「…………」


 言葉が出なかった。


 腹が立つ。


 めちゃくちゃ腹が立つ。


 なんだその言い方。


「……思ってねえよ」


「そう」


「ちょっとしか」


「思ってた」


「うるさい!」


 観客席から爆発するような声が上がった。


『な――七属性だァァァァァァァァッ!!』


 実況がようやく復活した。


『火! 水! 木! 風! 土! そして光と闇! 七つ! 七つ全部だ! セレーネ選手! 七属性すべてを扱えるェェェッ!!』


 大獣技場が揺れる。


 さっきの五属性どころじゃない。


 立ち上がる者。


 叫ぶ者。


 隣と顔を見合わせる者。


 何を言っているのか聞き取れない。


 ただ。


 異常なことが起きている。


 それだけは全員分かっている。


 俺は目の前のセレーネを見た。


 左右の手。


 光。


 闇。


 ……そうか。


 いるのか。


 俺だけじゃない。


 七属性を使えるやつ。


 その事実に。


 なぜか。


 少しだけ。


 嬉しいと思ってしまった。


 でも。


 セレーネは俺を見ている。


 その目が言っていた。


 お前はどうする。


 そう聞かれている気がした。


「……分かったよ」


 俺は息を吐いた。


 もういい。


 ここまで来たら。


 五つも七つも。


 たぶん大して変わらない。


 ……いや。


 絶対変わる。


 めちゃくちゃ変わる。


 後でどうなるか知らない。


 でも。


 今は。


 勝ちたい。


 セレーネに。


 全部使って。


 俺は右手を上げた。


 魔力を流す。


 いつも隠してきた属性。


 白い光。


 それが掌へ集まった瞬間。


 歓声が止まった。


 セレーネの目がわずかに細くなる。


「……六つ」


「まだだよ」


 左手。


 魔力を変える。


 沈むような感覚。


 黒。


 闇。


 左右の手に。


 光と闇。


 セレーネと同じ。


 七属性。


『…………』


 実況が黙った。


 観客も。


 誰も。


 何も言わない。


 さっきまであれだけ騒がしかった大獣技場から、音が消えた。


 俺はその静けさの中で、セレーネを見る。


「これで同じだ」


 セレーネは光と闇を消した。


 俺も消す。


「……違う」


「え?」


「まだ、わたしの方が上」


「……言うなぁ」


「事実」


 三回目だ。


 でも。


 否定できない。


 実際その通りだ。


 俺は今、この試合でようやくB級の入口に触れた。


 セレーネはすでに使える。


 しかも火と水と木だけじゃない。


 おそらく。


 七つ全部。


 俺は剣を抜かなかった。


 もう一度、両手を構える。


「じゃあ」


 息を吸う。


「追いつく」


 セレーネの目が、ほんの少しだけ見開かれた。


 すぐに戻る。


「……やってみれば」


「ああ」


 俺の周囲に魔力が広がる。


 セレーネの周囲にも。


 炎が灯る。


 水が浮かぶ。


 地面が震える。


 風が渦巻く。


 木の根が地中を走る。


 白い光。


 黒い闇。


 七つ。


 向こうも。


 七つ。


 試合場を挟んで、俺たちの魔力がぶつかった。


 空気が震える。


 地面が軋む。


 観客席の歓声が、遠く聞こえた。


 さっきまでとは違う。


 ここからだ。


 剣でもない。


 力でもない。


 魔法。


 俺がこの世界へ来て、一から覚えたもの。


 そして。


 目の前にいるのは。


 たぶん今まで出会った中で、一番魔法が上手いやつだ。


 だったら。


 これ以上ない。


「セレーネ」


「なに」


「本気で来い」


「……最初から、そのつもり」


 次の瞬間。


 七つの色が、大獣技場を呑み込んだ。

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